「だから、手っ取り早くくっついてしまえよ?いつまでもこのおれを待たせるんじゃァない」

なぜこの女は死なないのだろう。は小一時間半前に唐突にこの部屋にやってきて以来五秒だって口を閉じぬトカゲを苛立ったように睨みつけた。時刻はお茶の時間にはちょうどいい頃合いであるけれど、この女とお茶会なんぞ死んでもごめんだ。第一、何だって彼女はここにいるのだ。は何度目かになるかわからぬ問いを胸中でして、溜息を吐いた。

「どうにかしてほしい、なんて言ったところで無駄なんだろうね?モモンガ中将」

どうしようもないとわかりつつも、は今日初めて他人に助けを求めてみる。の腰掛けるアイアンのアンティークチェアーの右横の出窓に腰掛けたトカゲとは反対側、つまりは入口付近の壁に背を付けて待機している、本日のお守役に任命されたモモンガ中将。そのいかめしい眉をぴくりとやって、髭に隠れがちになった口をゆっくりと動かした。

「言って聞くと思うか」
「だよね」
「それに、理解したくない事実だがトカゲ中佐は政府から任命された魔女の監視者だ」

容赦のないモモンガ中将の答えに、も顔を顰める。数年前に唐突に地平線越えなんぞチート極まりない所業をやらかしてやってきました海の魔女ことトカゲさん。その元々はと同じくその世界で魔女なんてやって、さらには赤犬に薔薇を刻まれているという御身分の方。まぁ、いうなれば別世界のともいえる人。しかし暖色の髪に青い瞳と配色は重なるけれど外見はガラリと違う。人に言わせるところは天使の顔をした悪魔、悪い夢のような愛らしさあどけなさを持った生き物であるというが、トカゲという女は場末の娼婦のようににやついて笑う気高き女王。傍観主義者のと違い、愉快犯。目的などないとは違い、はっきりとした目的のために努力することを惜しまぬ生き物。そういう、どことなく傲慢さと尊大さを持っていることは変わらぬに、根本的なところが違いすぎる、とそうは認めていた。そういう、トカゲ。

なんでも元の世界で何の障害もなく赤旗、にとってもなじみ深いX・ドレークと連れ添うためにはこちらの世界で「」と「サカズキ」がくっつかないとまずいのだと言うのだが、それがそもそもにはよくわからない。

しかしわからぬといって明確な説明をしてくれるようなら、モモンガ中将は胃痛持ちにはならなかった。

あれよこれよとトカゲはこの世界で名前を得て、海兵の訓練を受け、そしてどうやらかしたのかは知らないが、赤犬が魔女を害さぬようにと監視するための「政府からの」監視役としての地位を獲得してきた。

どうせアーサー卿あたりとロクでもないことを考えているのだろう。はうんざりとして額を押さえる。モモンガ中将一人ならからかい倒して楽しめるという愉快な午後もこの女の所為で台無しだ。

「おい、おれの話を聞いているのか?
「聞いてほしければ聞きたくもないことばかり言わないで少しは面白い話をしてくれないかな」
「十分愉快な話だと思うぞ」
「それなら君は会話のセンスがないから口を噤んでいるべきだね。できれば一生」

言えばトカゲが目を細めて笑う。そういう卑しい笑みがよく似合う女だ。これでまるで品位が損なわれぬのだから、結局のところこの女はどこまでも君臨者である。そのようなことを頭の隅で思いながら、はひょいっと腕を振ってティセットを取りだすと、気に入りのティカップにこぽこぽと紅茶を注ぐ。当然のようにトカゲに振る舞う気はないが、すると目の前の魔女は懐から酒瓶を取り出して飲み始めるではないか。

「……このぼくの目の前、職務中に飲酒なんてクザンくんだってしないよ」
「赤犬は飲まないのか」
「サカズキはお酒好きだけど、仕事中に飲むわけないでしょ」
「そうか。飲めばテンションが上がるぞ」

サカズキが仕事中にテンション上げてどうする。は突っ込みたかったが、トカゲの会話は8割がただの無駄話。忠告したところで飲酒を止めるわけもない。一定度数以下のアルコールを「水」と言い切る女だ。酔っぱらうようなこともない。モモンガ中将に視線を向ければ同じように呆れ、しかし口を噤んでいる。

今日一日だけだ、とは自分を説得し、神経を落ち着かせるためにお茶を口に含む。本日はレモングラス。すっきりとした香りが気に入っている。本来はほのかな甘さも楽しめるのだが、生憎に味覚はない。温かなお茶が喉を通り胃に収まればほっと気も収まる。目を細めて息を吐くと、視界の端に入れぬようにしていたトカゲがぬっと顔を覗かせてきた。

「ふふ、本当に君は死んでしまえばいいのに」
「おれの死因は赤旗への恋焦がれ死にと決めているが、まだ致命傷というほどでもない」
「きみの希望する死に方に興味は欠片もないよ。今すぐぼくの視界から消えてくれればそれでいいんだ」
「と、いうことでこの才気あふれるおれは面白い…じゃなかった、素晴らしい物を作ってみたんだがな」

は頭の中で必死にこの女が死んだら適度にはサカズキが困ることになると言い聞かせた。人の話を聞かない、自分中心、思ったことをそのまま口に出す、なんて許されるのは自分のような美少女だけだ!そう言うことを宣言すれば、それはそれで壁のモモンガが微妙な顔になるに違いないのだが、には正論になっている。

ふるふると体を震わせていると、ひょいっと、の目の前に何かが差し出された。

「……なぁに、これ」
「何に見える」
「そうだね、ただの赤い糸に見えるよ。でもきみが持っている、というか会話の流れからして君が紡いでもしたのかい」

言えばトカゲが満足そうに頷く。この女を満足なんぞさせたくないが、ややこしい話を底辺から聞くハメにはならずよかったと思うことにした。それでは差し出された赤い糸、糸巻きにされた掌サイズのをそれを用心深く眺める。未だトカゲの掌。それを受け取る気なんぞにはない。魔女としての力を失ったただの人間とはいえ、それでもトカゲはもう一人の「パンドラ・リシュファ」である。長い時間を無駄に生きたその経験から妙なものをあっさりつくりだすということをする。ある意味詩篇よりも厄介だといつだったかセンゴクがボヤいていたが、ならさっさとこの女をクビにするなりインペルダウンに押し込めばいいのだ。

……いや、トカゲを野に放とうものならどんなことが起きるか。そっちのリスクを考えれば、まだ海軍本部内で飼っていた方がマシなのかもしれない。

インペルダウンに送り込んだ所でサディちゃんと一緒になって嬉々として囚人を蹴り飛ばしそうだ。

は何度目かになるかわからぬ溜息を吐き、胡乱な眼でトカゲを見上げた。

「ロクなこと考えちゃいないでしょう」
「ふふ、おれはいつだってお前と赤犬とくっつけようとそのことばかり考えているよ。素敵仲人と呼べよ」

日が暮れる。

こんなことで折角の一日を消費するのか。はこれならいっそ隣のサカズキの執務室にでも行って嫌味とインク瓶の硬さを味わった方がマシだと思った。というか、この自分をここまで苛立たせ疲弊させるなんぞこの女くらいである。

「で、この糸なんだがな?」
「聞いていないよ」
「よくある運命の赤い糸、こう、小指と小指の間に括りついた運命の糸とか、まぁそんな間抜け、じゃなかったロマンチックな目の錯覚、いやいや、言い伝えがあるわけだ」
「ものすごくバカにしているよね。なぁに、きみ、結構こういう話を信じるタイプと思ったけど。というか、きみの赤旗ときみの小指にはついているんだ、くらいの発言するかと思ったよ」

ロマンチックな話が好きな知り合いと言えばシェイク・S・ピアだが、彼女ならこの「赤い糸」をどう見ただろうか。魔女の道具と切り捨てるよりは「エクセレント!」とか妙なことを口走りながら嬉々と受け取りそうな気がする。そんなことを思いつつ、はトカゲが引っ張った赤い糸を見る。

一見してただの糸だ。魔女の目に妙な力がこもっている、ということもない、と思う。しかし魔女の力をトカゲが使えぬのだから、籠っているわけもない。というか、この前振りからしてこの糸には縁結びの効果があるということだろうか。小首を傾げると、先ほどからトカゲが黙っていることに気付いた。

「どうしたの」
「自力で結ぶことにロマンを感じないか」
「あぁ、きみ、あっちの赤旗の指にはついてなかったんだ」
「ぶった切ればいい」

何を物騒なことを言っているのだろう。

自分には他人の運命の赤い糸なんぞ見えないが、トカゲは見えていたのだろうか。あるいは、見えるような事件でも起きたのか。どちらにせよ、元々の世界ではトカゲにとっての運命の人というのは赤旗ではなく、また彼にも別の先がったということ。

ざまぁみろ、と舌を出したいがそれは意地が悪すぎる。どんなに辛辣なやりとりをしていても、正直この女が今すぐ八つ裂きにされてしまえと思いつつも、それでもとトカゲの間には妙な敬意があった。それで口に出さずにいると、気を取り直したトカゲが糸を引き、適度な長さでぶづっ、と切るとの細く小さな小指に巻きつけた。

「と、いうわけで、、今からこの糸の先を赤犬の小指に結んで来いよ」

堂々とのたまわれ、は絶句した。





 


運命の赤い糸!とか(笑)


 

 




暇潰しにとサカズキの執務室に赴くなり、クザンは首を傾げた。

ちゃん、具合でも悪いの?」

正確には赤犬の執務室の、扉の前であるが、とにかく廊下のその、頑丈な扉の前でがしゃがみ込んでそれはもう気難しげな顔をしているではないか。

今日は確かトカゲ中佐とモモンガ中将がのお守だったはず。しかしモモンガ中将は少し離れた位置にいるのだけれど、トカゲ中佐の姿はない。

ちゃんどしたのよ」

しかしあの気まぐれなトカゲのこと、説明を聞くだけ無駄とわかっているクザンは早々に思考を切り上げて、とにかく今はの異変を把握したいとモモンガ中将に問いかけた。天性の子育ての才能でもあったのか、過去最も優秀と言えるのお守役のドレークならが腹痛になる前に対処したろうが、本職は海兵というモモンガ中将にはそこまでできぬだろう。しかしそれでもに何かあったのなら、それは世話役の責任だと若干責める声音を含み問えば、モモンガ中将はそれはもう、困った顔をする。

「……体調がすぐれないということではありません」
「じゃ何?」

そうこうしている間にもが扉の前でうんうんと唸っている。基本的に元気はつらつ、いつだって悪魔っ子発言をしてクザンを和ませるには珍しい姿ではないか。例の定期的な頭痛にはまだ早いだろう。首を傾げつつ、モモンガ中将が妙に言い辛そうにするもので、埒が明かないとクザンはを気遣う意味も含めてぽんと肩を叩く。

「どっか痛いの?それともお腹でも減った?」
「クザンくん……っ」

声をかければが振り返る。とりあえずその声はどこか痛みを感じているものではないと一瞬の判断ののち、クザンはぎょっとした。

「ど、どしたの!?ちゃん!顔と目が真っ赤よ!?」
「そ、そんなことないよ!!そんなことない!!べ、べつにドキドキなんてしてないんだからっ!」
「……え、何サカズキ絡み?この展開」

振り返った、その大きな青い目には涙をたっぷりと浮かべ今にも零れ落ちそう。一瞬「誰ようちの子泣かせたの!!!」と怒りがわいたが、しかし、の発言+長年の経験からクザンは途端嫌そうに顔を歪める。

既にパターン化していると言ってもいいだろう。が赤くなってツンデレ発言=クザンが巻き込まれるバカッポー展開。

これが小説ならクザンは作者に言いたい。もっとひねりを加えたらどうだ。毎度毎度似たような展開で巻き込まれるこっちの身にもなってみろ。たまにはこう、逆にがこちらにツンデレ発言をして心配してくれる話とかだっていいじゃないか。むしろ歓迎するのに、と、そうクザンは現実逃避はなはだしいことを考えながら、とりあえずは条件反射のようにの涙を拭った。

「はーい、よしよし、泣かないでね。ちゃん。お前さんが泣くと海が荒れるって知ってる?」
「知らないし、ぼく関係ないし!」
「うん、おれもねー。天候的な話で海が荒れるんならいいんだけど、ちゃんが泣いてるって知って暴れるどうしようもない連中の所為で「海が荒れる」っていう意味だって知ってからはちょっとねー」

ちーん、と鼻をかむ、ようなことはないものの、柔らかな布で拭えば肌も赤くならず済んだ。そのことにほっとして、クザンはしゃがみ込んだまま小首を傾げる。

「で、今日はどんなバカッポー展開よ?」
「バカッポー違うよ!っていうかなぁにその妙な名前!」
「うん、自覚しなくていいとか言えない心の狭いおれを許してね」

言いながらクザンは目配せをしてモモンガ中将を追っ払うことにした。一応自分は大将である。その自分がを見ている、ということにしたのならモモンガ中将は消えたトカゲ中佐捜索に専念できるというもの。クザンは気にしないことが可能だが、一応トカゲさんがその辺で好き勝手しているなんていう状況はよろしくない。

モモンガ中将はきりっとした敬礼のあと姿を消した。ドレーク少将の造反後のお守は中将らのシフト制になっているけれど、三時間以上持つのはモモンガ中将くらいなものだ。その背を見送り、クザンはさてどうしたものかと溜息を吐く。

「で、どしたの?」
「……クザンくんは、おまじないとかって信じる?」

ちゃん可愛い。うつむき加減で、恥ずかしそうに口にするなど滅多に見れない。思わずカメラ持ってくればよかった!と心底後悔しつつ、問いかけに答えようと頭を働かせてみる。

「おまじない、ねぇ。よく無事に帰ってこれるようにって、若いころは海にお酒の瓶投げ込んでたっけな」
「あぁ、そういうのあるよね。前にディエスが教えてくれたけど、って、そういうのじゃないよ!」
「じゃ、どういうの?」
「…………恋のおまじない」

がくっ、とクザンは膝をついた。

「な、なに!?なぁに!?クザンくん!!」
「……くっ、これが魔女の破壊力か……俺なんかじゃ無理よ、ほんと……!」

ぽつり、と小声で呟くの愛らしさったらない!!クザンは鼻血を吹かなかった自分を褒め称えた!頬を染め、羞恥でまた薄らと涙の浮かんできたその姿の破壊力は、半端ない。

(こんなちゃんを前にして理性保ってられる俺すげぇよ!!)

胸中、本気で叫びクザンは「何!?なんで倒れるの!」と慌てているの手を取った。

「超いいと思う。ちゃんがするとおまじないっていうか呪いっぽいけど、でもそんなこと全部気になんなくなるくらい良いと思う……!?」
「え、なんでぼく応援されてるの?っていうかクザンくん目がマジだよ」
「おどれは誰の許可を得てそれの手を握っちょるんじゃァ」

手を取れたのは一瞬、そのあとにはげしっ、とクザンは容赦なく扉の奥から現れた足によって踏みつけられた。

「サ、サカズキ!」
「一向に入ってこんで、そのバカと無駄口か。良い身分じゃのう」

クザンが顔を上げた時には、それはもう当然のようにひょいっとの小さな体を抱き上げて顔の位置を合わせたサカズキがいつも通りの不機嫌そうな顔で目を細めのたまう。

いつからがいたのか知らないが、しっかりその気配を気付いていたらしいサカズキにが顔を赤くし、ばつの悪そうに視線を逸らそうとするがそんなことをこのドS亭主(自覚なし)が許すわけもない。くいっと、サカズキはの細い顎をとらえて顔を合わせさせる。

「わしを呪う気か」
「ち、違うよ!そんな怖いことできるわけないでしょ!」

まぁ、確かに。

一応クザンもサカズキも既に悪魔の実によって「呪わて」いるのだが、それはあくまで実を口にして体が変化、という、ある意味科学的な現象である。言葉通りの「呪い」なんぞ、まずこの男に通用するとは欠片も思えないのはなぜだろうか。

サカズキなら呪いとか、そういうのを一切弾ける気がする。

「そうじゃ、なくて、そうじゃなくて……!トカゲが、その、妙なこと、ぼくにして」
「……あの女はどこに消えた」

が何かされた、ということでサカズキの気配に怒気が加わる。急激に上がる温度にの顔から血の気が失せ、このままでは自分も火傷すると思ったのか身をよじる。が逃れようとするなんぞ逆効果、サカズキは気に入らなさそうに鼻を鳴らして、しかし火傷させる気はないのか、すとん、ととりあえずその体を下ろした。

「何をされた」
「………えっと、その」

おや、とクザンも首を傾げる。従順というか、なんというかはサカズキに問われれば即座に答える素直さがある。それであるのに妙に言い辛そうにし、視線をさまよわせているではないか。不機嫌だったサカズキも、これは妙だと訝る。

「わしが問うちょるんじゃァ、答えろ」
「……サカズキ、おまじないって信じる?」

先ほどクザンも聞かれたことである。

「バカらしい」
「だよね。うん、それはそれでいいんだけど」

予想通り一蹴にしたサカズキには気落ちした様子はなく、むしろホッとしているではないか。ますますわけがわからない。どうしたのだろうかとクザンはサカズキを見れば、同じようにサカズキがこちらを見てきた。

「……その糸はどうした」

このまま沈黙が続く、わけもなく、の妙な様子。それならどこぞに異変があろうと思ったかサカズキが上から下までを眺め目ざとく気付いたかその小指に目を落とし、問いかける。

「あ、ホント。なぁに、ちゃんその糸。そういうオシャレ流行ってんの?」

の白い手、その細い小指の先には赤い絹糸のような細くつややかな糸がくるくると巻きつけられており、だらりと垂れているではないか。黒く塗られたの爪にその赤い糸はよく映えるが、オシャレにしては変わっている。そう思って問えば、びくり、とが体を震わせた。

「…これは、その……あの、」
「それが、言うちょる妙なまじないか」
「……そうなんだけどね」
「へぇ、可愛い。赤い糸括りつけるおまじない?ちゃん、赤い糸が似合うね」
「あの女の仕業なら気に入らん。今すぐ取れ」

どういう効果かは知らないが、そういうことならとクザンは納得して褒める。聊か長く引きずってしまっているものの、その白い小指におまじないの赤い糸なんて可愛くてしかたない。あとで適当な長さに切ってあげようかと、そんなことを考えてると、サカズキがの手を掴んで糸を引いた。

トカゲがやったので気に入らないから外せ、というのは似合わない、とは思ってないのだろうか。クザンはツッコミを入れようとして、蹴られるだけなので止めた。

「痛っ…ちょ、サカズキ、待って!」
「……妙なものでくっつけたんか」

あっさりとの指からほどけると思いきや、しかしその糸を引っ張ればが苦痛に顔を歪めた。が痛がれば、サカズキは途端手を離す。普段殴り、蹴り飛ばし燃やす男だが、しかし、結局のところが苦しむことはしない(つもり)なのだ。呆れつつ、クザンもひょいっと、の手元を覗きこむ。

「え、何。それとれないの?」
「トカゲが作った糸だもの。おまじないを完成させるまではほどけないんだよ」
「それって願い事がかなうまでってこと?ミサンガみたいだね」
「煩わしいことを。さっさとほどけ、目ざわりじゃァ」

思い通りにいかぬからかサカズキが乱暴に言い放つ。は困ったような顔をして、眉間に皺を寄せてからクザンを見上げた。

「願いがかなうってことじゃなくて、おまじないとしての方法が終わったらってこと」
「それってどういうこと?」
「つまり、これはぼくの小指と、もう一人誰かの小指に巻きつければ外れるんだよ」
「トカゲさんに似合わないロマンチックなおまじないだねー…」

なるほど、とクザンは手を打った。

「あ、つまるところ、それって縁結びのオマジナイなのね?って、サカズキどこ行くんだよ!?」

クザンが言い切る前に無言で歩きだしたサカズキを呼びとめれば、足を止めることなく進む大将閣下、hりかえらず、それはもう不機嫌極まりない声で呟いた。

「今すぐあの女の息の根を止めに行く。この罪人風情に恋愛成就なんぞ不要、どこの海の屑とのことか知らねェがこれ以上面倒ごとを増やさせてたまるか」

サカズキさん、本気です。

「いやいやいやいや!!ちょっとまて!落ち着け!待て、お前大将だろ!何私情で動こうとしてんだよ!」
「誰が私情なんぞ挟んどるか。このバカに身のほどを知らせるんはわしの役目じゃろ」

どこからつっこめばいいのだ。

とりあえずクザンはサカズキが「がどこかの海賊に懸想してて、恋愛成就のおまじないをしている」と思い込んでいることからつっこむべきなのか、それともサカズキの発言をがすっかり「自分は恋愛対象外!」と誤解して泣きそうなところに突っ込むべきなのか、迷った。

そう迷っていると、クザンの脇を何かが通り過ぎる。

靴だ。

の、真っ赤な靴である。それがものすごい勢いでクザンの真横を通りすぎ、サカズキの背にぶつかる前に、やはりひょいっと、サカズキは避けた。

「……わしの邪魔するたァ、よほどその相手が大事か」
「ぼくに…ぼくにそんな相手がいるわけないだろ!バカ!サカズキのバカ!相手いなくて困ってるから、でもほどけないとサカズキが嫌がるから、どうにかしようと思って、一瞬でいいからサカズキに結んで貰おうと頼みにきたのに…!!!サカズキのバカ!」

ちゃん、それ悪口になってない。ちっとも。

クザンは、だからなんで自分は巻き込まれなければならないのだと本当にイヤになった。サカズキと言えば先ほどまでは自分にはまるで関係ないことなのだと怒りを露わにしていたのに、の発言を聞き、ようは冷静になったのか、先ほどからの言動を思い出して、目を細めた。

「クザン」
「……あー、はいはい。仕事戻ればいいんでしょ」

邪魔ものを追い払う気満々の同僚に、クザンは「お前も仕事しろよ!」と突っ込もうかと思ったが、しかし「一時間くらい休めねぇわけじゃねぇ」と、妙にリアルな数字を出されそうなので最後まで言うつもりがなくなった。

怒りで真っ赤になって体を震わせているはぎゅっと唇を噛んでいる。コツコツとサカズキが靴の音を立てて近づけば、殴られるとでも思ったのかびくり、と体を強張らせた。その様子をじっくりと眺め見下ろすサカズキは、どう考えたって鬼畜だろう。なんであんなヤツが大将なんだとクザンは毎度毎度が絡むたびに思うことを思い、それ以上バカッポーの痴話原価、強制仲直りを見ないようにとくるりと身をひるがえして歩き出すことにした。

「ちょ、サカズキ!自分で歩けるよ!」
「黙れ。靴を投げ捨てやがって。裸足で歩くな、バカタレが」

耳も塞げばよかった。

問答無用で聴こえてくるバカッポーの会話。どうせサカズキがを抱き上げているのだろうというのは想像に容易い。そのまま、サカズキはの指先の糸を結び付けるのだろうか。いや、サカズキのこと。がたどたどしく、緊張した手つきで自分の小指に糸を括りつけるそのさまをじっくりと眺めるに違いない。あれか。だからよく見えるように抱き上げたのか。イチャコラ風景の想像なんぞしたくもないため、クザンは首を振った。

運命の赤い糸とか、まぁそんな妙なものがこの世に本当にあるとして、サカズキとの間に結ばれていなかったとしても、むしろこれからの人生の幸運全部使い切ってクザンの指先がと結ばれていたとしても、ちぃっとも喜べないのだろうと思う。

(っつーか、糸如きどうした、みたいな二人を前にどうしろってのよ)




++



執務室に入り、サカズキが壁に背を付けて「さっさと結わけ」と片手を出したのでは素直に自分の小指の糸を手繰り寄せ、サカズキの指に巻きつけた。

「……」
「どうした。顔が赤ぇが」

何を言えばいいのだ。は不機嫌そうに見えるように眉を寄せるが、この男にそれは通じないことなどわかりきっているではないか。体が密着しているためこちらの心臓が先ほどからなって仕方ないことなどバレている。脳裏にトカゲのどや顔が浮かんでくるようで、はっきり言って殺意が湧く。

結わいた指に繋がれた糸は、おあつらえ向きのような長さだ。極端に近づかねばならぬほどの短さ、ではない。だがが床に降ろされれば引っ張られてしまう長さ。つまり、こうしてサカズキが抱きかかえていれば腕を下にすることもできる、というもの。

「……すぐほどけると思ったけど、ごめん」

てっきり「相手」とやらを決めればすぐに解けてくれると期待したのに、糸はがっしりと括りつけられたまましゅるりと解ける気配がない。サカズキはまだ仕事が残っているだろう。自分などに時間を使ってくれるような人でもない。

魔女の力とは関係のないものなのでどれほどで「完成」になるのかわからない。は困惑してサカズキを見上げた。

「ナイフとか、ある?」
「切れる物なのか」
「糸は切れないけど、ぼくの指は切り落とせるし」
「おどれはバカか」

血は出るが、一応サカズキに迷惑はかけずに済む。痛いのを覚悟して言ったのだが、サカズキは呆れた。それにはムっとしてサカズキの胸を叩く。

「でも、このままじゃ嫌でしょ」
「だからっちゅうて、わしに糸の先におどれの切り落とされた指があるまま仕事しろっちゅうんか」

そういえばそうだ。

しかも指を切り落とせば「完成」することなどなくなるわけで、サカズキは指が繋がったまま今後生活しなければならなくなる。

「マグマになって解くとか?」
「できたらとうにしちょるわ」
「……さすがトカゲ。いろんな法則は無視しているんだね」

海楼石と同じ、というわけではないのだろう。繋がったその一部分だけ「生身」に戻されているらしいことをも悟り、溜息を吐いた。全く、トカゲの口車に乗った己のなんと愚かなことか。こうなることは目に見えていた、というほどではないが、妙なことになるのはわかっていたはずだ。それでも、ちょっとばかり、その、サカズキと繋がっていたいなぁ、と一瞬でも思った自分が悪いのか。

「……っ!!って、別に好きだからじゃないからね!」
「…なんじゃァ、唐突に」

は自身の思考に突っ込みを入れ、ぶんぶんっと首を振る。突然声を上げたのでサカズキが煩わしそうに顔を向けてきた。途端は我に返って顔を赤くしたまま、ぼすん、と顔を見られぬようにサカズキの胸に額を押しつける。

「別に…!なんでもないッ!と、とにかかく今はこの状態をなんとかしないと…!」
「なんとか、なるか」
「トカゲは…おまじないが完成したらって言ってた。ぼくはてっきり、きちんと二人の指に結ばれてが終わりだと思ったんだけど…………」
「………クザンが、妙なことを言うちょったのう」

一つ、あることに気付いたが沈黙すれば、同じように気付いたのかサカズキがぽつり、と口に出す。

「………無理じゃない?」

要するに、あれか。

恋のおまじないの最終目標は「好きな相手と両想い☆」なんていう、寒くて仕方のない結末か。思いついては顔を引き攣らせた。

何が悲しくて自分を蹴り飛ばし罵倒し、ことあることに焼いてくる男と「恋愛☆」なんて似合わないことをしなければならないのだ。

「……無理だよ!絶対に、無理…!サカズキと公園デートとか、お弁当一緒に食べたりとか、そんな恐ろしいイベント絶対に無理!」
「……」
「な、なぁに!?」

思い浮かんだことをあれこれ口にして首を振れば、サカズキが何やら気の毒な物でも見吊るような眼を向けてきた。

「……おどれ、呆れるほど長く生きちょる分際で、何をカマトトぶっちょる」
「何が!?カマトトとか初めて言われたよ!?」
「……もうえぇわ。もともとそのつもりじゃったが、解ける方法も分かった。もう黙れ」

何を、と問う間も与えてくれぬ。壁に背を付けていたサカズキはそのままをソファに押し倒し、首のチョーカーを外しにかかってくる。

「ちょ、え、何!?なんで突然……!!」
「黙れ言うちょるんがわからんか。喘ぐ声は出して構わんが、わめくな、今更見苦しい」

覆いかぶされることに慣れていないわけではないが、唐突な展開には待ったをかけたい。しかしサカズキからすればきちんと筋道立った行動らしい。黙れ、と言われ一応大人しく黙り、は一瞬考えてみて、顔を青くした。

「……つまり……男女の関係になりました、で恋愛成就扱いか……!!!」

ぼくの恋愛への憧れ返してよ!と叫ぼうとした声はサカズキに奪われ、「んっ」とが喉を鳴らせば、そのままサカズキの手がの背に回ってきた。心地よさに腰を浮かせれば、そのままもういつもの展開である。

「生温いまじないの類にゃ、興味は欠片もねぇ。おどれを縛るに糸も紐も必要ねぇのう」

しゅるりとチョーカーが外され首筋が露わになったのだろう。そのまま薔薇の刻印を下でなぶられ、はぞくりと身を震わせながら、観念したようにサカズキの太い首に腕を回した。



Fin

(2010/10/12 1:40)