元帥の執務室。普段は本部奥の間、赤犬の部屋の隣が指定席のが、珍しく部屋の外に出ていた。何も言わずに出てきたとなれば、赤犬に蹴り飛ばされるだろうだが、今日は違う。ちゃんと部屋から出る理由があった。
「薔薇の剪定をしてほしいんだ。ドュマが一番上手でしょ」
何処の誰に貰ったのか、真っ白い薔薇を抱えたは剪定鋏を持って、ドュマの元へやってきた。自身も剪定は出来るのであるが、一度ドュマの飾った花を見たことがあってからは、その見事さに珍しく感動して溜息をもらしたほどだ。なので、自分でやるより楽だし綺麗!!という何ともらしい理由で、わざわざセンゴクに頼んでドュマを呼びつけたわけである。
「見事な薔薇です。……氷山、ですね。これを剪定すればよろしいのですか」
基本、この万能執事はセンゴクか「お嬢様」の為にしか働かない。海軍本部の正義を守っている悪意の魔女の頼みといえど、首を縦に振ることはないのだ。昔は猟犬の異名をとって唸らせていた男は、第一線から退いても、瞳の鋭さだけは変わらない。いつも、いつでも、「魔女如きが」という目をしている。
「頼む、ドュマ」
「かしこまりました、旦那様」
の我儘など聞きたくはないが、これを無視すればもっと酷い無理を言いつけられるとわかっているのだろうセンゴクは、手袋をはめる執事をすまなそうに横目で見つめた。
「綺麗にやってね。失敗したら、許さないよ」
「誰に向かって失敗などと?様」
天使のような顔をして微笑むと、人の良さそうな笑みを浮かべるドュマ。しかし、二人の間に走った空気はピリピリとしていて、一色即発そのものだった。
***
センゴクが書類を捲る音と、ドュマの扱う小気味よい剪定鋏の音を聞きながら、は床に落ちていく蕾を見ていた。ぷっくりと膨れているそれは、あと数日もすればきっと見事な花を咲かせたことだろう。だが、それも最早叶わない。茎から離れてしまった蕾が咲くことなど、ないのだ。美しい花を咲かせるために切り捨てられる命がある。は特別、それを可哀そうなどとは思わない。剪定は薔薇を扱う者にしたら当然の、当たり前の行為だ。いちいち悲しむなんて馬鹿な真似はしない。
しかし、ふと考える。あの娘ならどう思うのか。ドュマの仕えるであるなら、いくら花の為の剪定と言えど悲しむのではないか。落とされる蕾が可哀そうだと、それを丁寧に拾い上げて口づけの一つでもするのではないだろうか。
まったく、実に愚かしい行為ではないか。にしたら意味不明の行動である。のやること成すこと、には理解できないことが多すぎる。だからなのか、たまに見かけるにイライラしてしょうがない。
「何か気に入らないことでもあるのか」
書類にペンを走らせたまま、一瞬だけ視線を上げたセンゴクが、珍しくにその様子を問いかける。
「え?なぁに?センゴクくんが僕のことを気にするなんて珍しいよね」
「……目の前でそんな不機嫌そうな顔をされれば、誰でも気になるだろう」
不機嫌そうな顔などしていただろうか。無意識になっていた表情筋に力をいれて、はふっと笑った。
「気に入らないことなんて山ほどあるよ。僕、嫌いなものたくさんあるもん」
例えば、君の大事な孫娘とか。とわざと愉快そうに口を歪めて言ってやれば、センゴクのペンをもつ手が止まった。
元帥という立場を恨めしく思うほど、センゴクがを可愛がっているのをはもちろん知っている。その上での、言葉だ。同じくを可愛がっているドュマの様子も見てやろうかと思ったが、先ほどから聞こえてくる鋏の音は変わらない。どうせ「魔女如き」の言葉だと、あの執事は気にもしていないのだろう。なんともつまらない。なので、今回はセンゴクのみに注目することに決めたのだ。
「別に僕に嫌われるくらい、どうってことないでしょ?だってあの子、世界に嫌われてるんだからさ」
「あの子が、君に何かしたのか」
「してないけど?してないから、だったら何。それで嫌いになるなって言うの?この僕に?」
「……そうではない。だが、あの子が、」
「あの子が、なぁに?」
センゴクが、静かに息をつく。持ったままだったペンを置き、今度は真っすぐにを見た。
「は、君のことを好きだと言っている」
「……知ってる」
先ほどよりも深く、センゴクが息をついた。その態度の示すところは、呆れか、それとも怒りだろうか。どちらにせよ、にはどうでもいいことだ。例え諭されたとて、のに対する評価は変わらない。
悪意の魔女と言う存在の己が言うのもなんだが、はとても気持ちが悪い生き物である。この世界に二つとない、とてもとても、気持ちが悪い物だ。
自分が世界とってどんな存在なのか、知らぬ娘ではない。ぼーっとした外見だが、それなりに賢いと噂には聞いている。生まれた時から、本人の意思の介入しないところで勝手に罪と罰をさだめられ、それを背負わされた娘。そんな風に、いっそ世界を呪ってもいい状況にありながら、は何一つ恨んではいなかった。世界にどんな酷いことをされたとしても、例え死にかけても、他人を信じることを止めないまま、とても穏やかに笑うのだ。まるで花が咲くような頬笑みを浮かべる。には、そんなが理解出来ない。
だから、
「気持ち悪いよねぇ、それ」
「……」
「あれ、言ってはいけなかった?気持ち悪いって」
「どうして、あの子が君などを好いているのか意味がわからない」
「え?」
忌むべきは誰だ、と言わんばかりのセンゴクがすっとテーブルに手を置いて、へ向かって何か差しだした。滑らせるように手を移動させれば、現れたのは赤い糸。
「に渡してくれ、とからだ」
「それって、トカゲの赤い糸じゃないの?」
「そのトカゲ中佐から貰ったものだそうだ」
「なんでそれを僕に?」
もトカゲのその糸は別口で経験済みである。今更その効力にも胡散臭さにも驚くことはないのだが。
「……トカゲ中佐には、恋に効くお守りだと聞いていたらしい。だから、それならこれはにやらねばいけないと」
「なに、それ」
ふざけているのか、あの娘は。気持ちが悪い生き物と言うだけでは飽き足らず、を混乱させようとしてるのだろうか。
「この海軍内で……いや、世界中探しても、あぁも堂々と、悪意の魔女と海軍大将の恋仲を応援しているなどと口にするのは、あの子だけだろうな」
パチン、パチン、と鋏の音の数だけ蕾が落とされていく。
は赤い糸も、その堕ちていく蕾も今度は見ることが出来ず、どこへ定めたらいいかわからない視線に困り、目を閉じるしかなかった。そして、瞼を閉じて浮かんだの顔に、苦しいのか辛いのか、嬉しいのか楽しいのか、なんとも言えない微妙な顔をするのだった。
***
「ねぇ、おじいちゃん。運命の赤い糸があれば、女の子はみんな幸せになれるんでしょう?」
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