「ハイ、おっはー☆世のご令嬢共が待ち侘びたこのおれとの共演だぞ。、とりあえずピンヒールを履け。話はそれからだ」
「……」
「おいおい、世の淑女が羨む美貌を持つこのおれが跨っているというのにつれない反応じゃァないか。もっとこう、処女のように頬でも赤らめてはどうだ」
「…トカゲ?」



まだ夜が明けたばかりで、窓には静かな光がやんわりと揺れているのに、だ。


執務室の、机の真ん前にあるソファ。
仮眠用のそれに薄い毛布をかぶって、少しネクタイを緩めて目を閉じた瞬間だったというのに、どうしてこの女が自分の上に跨っているのか。
幸い、先ほど横になったばかりだ、まだ意識は覚醒している。さて、どう追い出そうか、考えるだけ無駄なのだが、そういう素振りくらいは見せたい。
そう、ムキにさせる女なのだ、これは。


馬乗りになっているのはあの、“並行世界”からやってきた“魔女”だというトカゲで。
女性にしてはやや低音、猫が気持ち良さそうに喉を鳴らしている時のような声。

海軍参謀ともあろう自分が隙を見せたのが何処か情けなく、それを知っていて満足げに、己と同じ隻眼を細めるその仕草が妙に勘に障るのだ。



「こちらの世界でお前さんの価値観が通用するとは思わないことね」
「慈悲深いおれがもう一度言うぞ。、ピンヒールを履いてガーターベルトを着ろ」
「余計な物が増えてるわよ…!」








永遠なんて望まないからせめて











大将赤犬の執務室。

紙の上を滑る羽ペンの音のみが部屋に響いている。
そこに、扉がゆっくりと開くのを、部屋の主は器用に片眉のみを上げた。
もし部下ならば一声入室の許可を取る、他の役職の者ですら無粋に扉を開けようとすらしない、サカズキは神経を尖らせた。


そして目深にかぶった帽子の鍔から覗くように、少し、上を見やれば何のことはない、己にとって一番身近な者がいるではないか。



「…お前か」



この時間帯に訪れるのは珍しい。まだ早朝、の体質を考えれば意識が覚醒していることすら賞賛に値する。
だが彼女も軍に籍を置く身、それも参謀だ。仕事量は凄まじく純粋な量は己を軽く超える。
少し伏し目がちなのはまた徹夜をしたのか、と軽く納得しかけたものの、しかし顔色が悪すぎる。
普段から体調を崩しやすいのだが、それを自覚せずのめり込むのだから性質が悪い。


ふらふら、真っ直ぐに伸びた艶やかな黒髪を左右に揺らしながら目の前のソファへとうつ伏せで倒れこむ。
入室してから倒れこむまで、無言を貫き反応を返さない、尋常ではないその様子に、サカズキは素早く席を立ちの細く骨張った肩を掴んだ。



「おい、」
「…っ!」



ばしっ、と小気味良い音。
乱雑に自分の腕を振り払い、なお顔を見せない。


これはかなり機嫌が悪い、とサカズキは予測した。
大抵こういう時は体調が優れぬか、海賊という屑が勘に障る行動をしてきたかどちらかだ。
しかし外洋に出る任務は無かった筈、後者はない。となるとやはり前者か。



そこでサカズキは、己の手を振り払ったの小指に何か細長い物が結ばれているのに気付いた。
赤く、指輪のように繋がれている。

見た目はただの糸だ、装飾品にしては品がない。しかも切り忘れたかのようにだらりと不自然なほどに長い糸が伸びている。




、これは…っ!?」


ひらりと、糸を掬っただけ、だ。
ずしり、重く感じる体。
この感覚は覚えがある。体が、いや、己の内側が拒絶しているこの生々しさ。




「トカゲ」



やっと声を出したかと思えば、二度と聞きたくもない、その単語。
この世界には存在しない魔女、並行世界を行き来するあの魔女。真っ赤な髪に眼帯が特徴の、いやいや、
一番に思い出すのはあの、世の理は全て己の手にあるとでもいうかのような、あの胸糞悪く歪んだ口だ。




「トカゲが結んでいったのよ…」
「成る程のォ、海楼石と同じ原理で出来た糸…ベガパンクに解かせるしかねェか」
「…ダメ」
「?」



海楼石と同じ原理で出来た糸。
そのような代物はこの世に存在しない。
しかし、そこが魔女だから・という理由で片付いてしまう不可解さ。

海楼石は未だ不可解な点が多く、しかもこれは魔女の産物だ、サカズキの得手とする分野ではない。
それならば海軍の叡智に任せるのが得策と、考えたにも関わらずは小さく溜め息を吐き、駄目だと言う。






「貴方じゃなきゃ解けない仕組みになってるの…」
「どういう意味じゃァ」
「……」




形の良い眉をぎゅうっと、自分以上に眉間に寄せ、唇を噛み締めるその表情。
普段良くも悪くも顔色を変えないだ、かなり都合の悪いことなのだろうか。


それに、サカズキはピンときた。


赤い、糸。
その幼稚な話ならばサカズキとて一度は聞いたことがある話だ。
運命の相手とは小指と小指が赤い糸で繋がっている、という、根も葉もない妄想。
つまり、の場合運命の相手というのが自分で、その相手以外は解けないのだろう。
とんだ茶番だ。

自分達は御伽話のような関係を最も毛嫌いしているというのに。
魔女の気紛れにしては性質が悪すぎるし、何より悪趣味である。




それは全てを騙す布石なのだ。




体調の悪さばかりに目がいき、執務室に入ってきた時には気に留めていなかったが、あの仕事中は飾り気のないにしては珍しくヒールを履いていて、黒のスーツに合わせた黒のネクタイは緩く、シャツが肌蹴て白く緩やかな曲線が見えているのだ。
言ってしまえば情事の後のような、服の乱れ。



解こうとすれば海に沈むのと同じ。
しかし目の前には、弱りきったがいる。


トカゲの意図したことに勘付いてしまった自分に呆れる。



「あの魔女の思惑通りになるのも癪だが…」
「は!?」



要は、赤い糸というのは茶番で。
あの魔女の真の目的は弱りきったを自分に与えること。
まるでプレゼントとでもいうかのように、結ばれた糸は装飾の役割を果たしていて。

サカズキはのコートを引き剥がして遠くの床へと無造作に投げつけ、そして糸に触れぬよう器用に両腕を片手で拘束した。
うつ伏せから一転して仰向け、眼帯で隠れた左目はわからぬが、琥珀色の右目が大きく見開き、必死に状況把握しようとしている。
普段から二、三歩先を読むことの出来るが、己の行動によって不可解な顔色をするのが、サカズキには堪らなく征服者たる神経を反応させる。





「ひ、人が弱ってるこの時に!貴方、外道よ…っ!」
「何とでも言うちょれ」



首筋を軽く、一舐めすれば強張る体。
サカズキは無意識に唇の両端が上がろうとするのを必死に堪え、片手を器用に服を脱がしに掛かる。



この情事が終わる頃には、赤い糸とやらも役目を果たすことになるのだろう。
あの忌々しい魔女にしては気の利いた贈り物だと、認めはせぬが気は損ねなかったのだった。




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