いやはや、たいしたものだ。ボガードは素直に感心した。
薔薇蝋で封じられた手紙を読む尼僧の顔を注意深く観察してただ思うことはまずその一言に尽きる。ドイツの古い教会(いや、正確にはカトリック系修道院)の応接間は一介のシスターが私用の客を迎えるにしては過分な部屋だった。それもそのはず、この応接間は院長が特別な客の訪問時に使うためのもの。防音はもちろん防弾処理も施されていることはボガードの目には明らかだった。その部屋の壁際、窓から一番離れた場所であるソファの上に座り、ボガードが態々届けた手紙を読む尼僧は、一見年端もいかぬ少女。髪はすっぽりと頭巾(コイフ)の中に押し込められているが、意思の強そうな柳眉は燃えるような赤毛であることを教えてしまっている。手紙に目を落とすサファイヤのように輝く瞳は、先ほどからどこか陰りを帯びていた。しかし、それでいて、取り乱す様子も動揺する仕草もまるで見せない。
この寺院には文明が殆ど入っておらぬため、電気もなければ暖房もない。暖炉の明かりと、それに夜分に訪れたボガードたちを迎えた時に尼僧が手に持っていた燭台が、唯一の光源である。蝋燭のか細い炎でも手紙を読むことにそれほど難はなかった。尼僧は全ての文章に目を通し終えてからゆっくりと手紙を折りたたみ膝の上に掌と共に置いてから、ボガードと、同伴したアーサー・ヴァスカヴィル卿に頭を下げた。
「承知したよ。直接知らせてもらって、悪いね。アーサー」
静かな声でそう告げる、その顔には悲しみが浮かんでいなかった。母親の死を告げられたというのに、この反応はたいしたものである。これがボガードのよく知る、この尼僧の末の妹であれば全く違う反応だったろう。顔は多少面影があるのにまるで正反対な対応に聊かの物足りなささえ覚え、ボガードはつい皮肉めいた言葉を吐く。
「落着いていらっしゃいますね。実の親が自殺したというのに。カトリックでは自殺は御法度では?」
トカゲ母さん 02
母の死を告げる手紙と、自分に宛てられた母直筆の手紙を読み終えても、の心には悲しみがなかった。目の前で撃ち殺されたり頭を落とされたのならともかく、手紙でただ「死んだ」と聞いても実感がわくわけがない。しかし、偽りを己に告げる理由も見当たらず、「そうなのだろう」とは飲みこんだ。
怒りを覚えるかとも思ったが、それもない。失望に近い、喪失のようなものは僅かにあった。けれどそれも、表に出すほど、ではない。
はゆっくりと息を吐き、深夜の訪問者を見つめる。室内であるというのに帽子を取らぬ青年が一人と、老人が一人。どちらもの顔見知りだ。
青年は末の妹の後見人のボガードである。元々は青年の父親がそうだったのだが、家督を青年に譲ったおりにの後見人の権利も譲ったらしい。あの男の判断であるのなら、とも別段異論はなかった。ボガードという青年はは赤ん坊のころから知っているが、実直な青年である。とは半生を共にしているはずであるから、妹のように大事に守ってくれるだろうと期待している青年だった。
今は日本で弁護士をしているはずだったが、大方アーサーに呼ばれたのだろう。
アーサー・ヴァスカヴィルはイギリス貴族である。国際的に活躍する弁護士でもあり、過去さまざまなトカゲ一家の法的な問題を受け持ってくれていた。トカゲの死を知らせるにアーサー以上の適任者はいない。
「落着いていらっしゃいますね。実の親が自殺したというのに。カトリックでは自殺は御法度では?」
ボガードが、中々に辛辣な言葉を浴びせてくる。は神経質そうにぴくり、と小指を動かしたが、手紙の影に隠れて相手には見えなかった筈だ。その己の反応に、聊か驚く。多少なりとも、何かを感じているらしい自分がマトモな人間のように思えて、は眼を細めた。
青年の言葉に何か反応を返すつもりはなかった。
実際のところ、自分が何をどう感じているのか、という冷静な分析ができないというのもある。怒りも悲しみも、ないといえばない。けれども、体中の体温が僅かに下がったような気はした。
顔を伏せるに、アーサーがボガードを振りむき、眉を寄せて窘める。
「ご婦人にそのような物言いは感心いたしませんよ。ボガード君」
「は。申し訳ありません」
「さんは気丈な方です。正真正銘のレディとは人前で感情を見せたりはしないものですよ」
己を庇うアーサーの言葉には感謝するように小さく頭を下げた。夜半のためお茶出しもできずにいることが今になって気になるが、二人とも頓着せぬだろう。
今後のことをは考える。
トカゲが死んだ。それなら、母を利用してきた組織やら、母の価値を知っていた鬱陶しい連中はその代用品を捜し求めるだろう。厄介なことに、トカゲの三人の娘の居場所もばれてしまったらしいではないか。手紙の内容を思い出しながら、はこれから「どうするか」の答えを出さなければならない。
トカゲの手紙には、自分の死はが直接妹たちに告げろ、というものだった。その手紙を今すぐに燃やしてなかったことにしてやろうか、とは心底思う。
しなければならないことは判っている。は今後、トカゲがいない分まで妹二人を護らなければならない。けれど、なぜそれを肯定する必要があるのだ、とは自身に問いかけた。
会ったこともない妹たちだ。情がない、というわけではないが、しかし、自分が出ずとも守る手段などいくらでもある。これまでそうしてきたのだ。続けられないとも思っていない。
しかし、ここにボガードまで来たということには疑問を覚える。
トカゲの意思を承知ではいるだろう。しかし、ボガード、アーサーはこちらの性格も知っているはず。トカゲが「守れよ」と言ったところで「いいよ」というような可愛げなど己にはない。
「お嬢さんたちはまだ、トカゲさんの死を知りません。我々の口から伝えるより、一番慕っていらっしゃる貴方の口から聞く方がショックも少ないでしょう」
の視線に気付いたのか、ボガードが神妙な声で言う。彼がの後見人となってから何度かは面会しているが、この男は良い意味で至上であった。何よりもの気持ちを優先する。それであるから、は会うたびにこの青年がこちらに聊か無礼な言動をしてきても別段咎める気が起きなかった。
「ぼくはこの寺院から出るつもりはないよ。妹たちにも会う気はない」
二人がここに来ても追い払うつもりだ、と言外に告げればボガードが眉を跳ねさせる。
「妹君たちがお嫌いですか」
ふん、とは鼻を鳴らす。厄介なのはそこだった。は会ったこともない妹二人を石ころのように、とは思えずにいる。石に囲まれたこの冷たい寺院の中でが唯一暖かく感じられるのは妹二人がとこしてくる手紙なのだから、仕方ない。トカゲとの意地はさておいて、二人が外の世界で幸福に暮らしているという事実に、少なからずは満足感を覚えていた。
母の死をあの二人が知ったらどれほど悲しむだろうか。それを思えばの胸も苦しくなる。ろくでもない母だったが、それでもあの二人は慕っていただろうから、死は辛いだろう。そして、正義感の強い末娘の方はなぜ母が死んだのか、その原因を探ろうとするに違いない。
そんなことはあってはならなかった。けして、あの二人に母や、自分の世界を見せてはならない。
それであるから、なお更、己が妹たちに直接会って話しをせねばならない、ということだろう。至上のボガードが日本を離れてこの外国の山奥まで来るくらいである。こちらの判断が、今後の二人の「平穏」を左右する。
あの二人だけは日の当たる世界で幸福に暮らしてほしいと、それがトカゲの願いである。手紙にもしっかり書かれていた。それを思い出しながら、は緩やかに首を振る。
「早々にお帰りよ。妹たちのことは守る。でも会う気はない、それがぼくの答えだよ」
「それなら仕方ありませんね、ボガードくん、我々は退散するとしましょう。さん。それではあとはお願いしましたよ。何、ベッドが足りないというのであればさんと一緒でも構わないと言うでしょう」
の取り付く暇もない返答にもアーサーは怯むことなく、軽やかに立ち上がりステッキを握る。シルクハットを被る仕草はジェントルメンそのもので思わず感心したくなるが、しかし、は自分に向けられた言葉に「は?」と、彼女にしては間の抜けた声を上げてしまった。
「ア、アーサー…?ちょっとまって、それってどういう」
頭の回転は悪くない。すぐに心当たりがあって、顔を青くする。
待て、本当に、待て。アーサー、君ってばぼくの味方じゃなかったのか、と、そう突っ込みを入れたかった。アーサーの隣にいるボガードは不承不承という顔をしている。それで、の確信が強まった。
「ねぇ、ボガード、アーサーおじさん、まだ?」
コンコン、と軽いノックの音とともに、明るい少女の声がかかる。ぴしり、とは硬直してしまった。聞き覚えがあるはずがないが、しかし、この状況で判断できる人物はただ一人しか思い当らない。
ギギギ、とは首を動かしてアーサーに視線を向ける。
アーサー・ヴァスカヴィル卿はそれはもう楽しそうに微笑んだ。
「姉妹の御対面のお手伝いを出来て、私も嬉しいですよ」
++++
「お姉ちゃん!!!!会いたかった!!!」
対面するなり力の限り抱きつかれて、はこれまでないくらいにうろたえた。後ろではアーサーが「感動的ですね」などとのたまい、ボガードがにやにやとしている。二人とも明らかに、困っているこちらを楽しんでいるのだろう。
う、と、は小さく呻きながら、自分より背の高い妹の体重に負けて尻もちをついた。別にが長身なわけではない。が小さすぎるのだ。
実際年齢はさておいて、は見かけ12、3程度の幼女である。身長も随分と小さいため、今年で16歳になる筈のを支えきれない。実際年齢はいくつかと言えば、トカゲが16歳の時の子供である、としかは答えたくなかった。
ちなみにはトカゲが三十代後半に生んでいる。
「あたし、ずっとお姉ちゃんに会いたくて…!ボガードがドイツに行くって言うから絶対お姉ちゃんのところだと思ったの!それで、「連れてかなきゃボガードのこと嫌いになる!」って言ったらパスポート作ってくれて!」
「そんな理由で!!!?ボガードくん!!それでいいのかい!!!?」
えぇえええ、とは力の限りボガードに突っ込みを入れる。絶対に自分のところにを連れてくるな、と言い含めてきた16年間は何だったのか。何あっさり負けてるんだ、とそういう目を向ければ、ボガードは白々と「お嬢さんに嫌われて私が生きていけると思っているんですか。私が死んだら誰がお嬢さんを守るんですか」などと目で返してきている。
後見人の選択間違えたか?とは少し後悔し始めた。
その間もぎゅーっと、はに抱きしめられている。こんな細腕の少女のどこにこんな力があるのかわからないが、とにかく、肋骨が良い具合に絞めつけらている。
「ギブ!!ギブ!!!ト、!!ストップ!!ぼく死ぬ…!!!」
ばんばん、とは必死で妹の背中を叩いた。それでがはっとしてやっとを解放する。
「ご、ごめんね!お姉ちゃん、あたし嬉しくって…つい」
つい、で自分は母の後を追うことになるのか…?
はげほげほとむせながら、呆れたように溜息を吐き、そしてしゃがみ込んだまま妹を見上げる。写真で見た時は中学の制服を着ていたが、今は旅行中ということもあって私服である。にはなじみの薄い格好だが、若いにはよく似合っていた。健康そのもの、という様子にほっとしつつ、は眉を潜める。
「……くん。なんだいその短いスカートは」
「へ?」
「若い娘さんがそんな短いスカートを履くなんていけないよ」
言うなりは自分のコイフを取っての膝を隠そうとする。しかし、それをは不思議そうに首を傾げるばかりだ。
「短くないと思うけど、普通だよ。ねぇ、ボガード」
「えぇ、そうですよね。日本では普通ですよ。むしろお嬢さんは平均より長いくらいです。もう少し短くした方がお嬢さんの健康的な足の魅力が、」
「ボガード君。いけませんよ、ご婦人の体の特定の場所を話題に出すのは、紳士として」
何だかの耳に聞こえた不埒な言葉は、察したアーサーがやんわりと、止めた。しかし途中まではばっちりの耳に入っているので、ひくり、と、顔を引きつらせる。
この瞬間は確信した。後見人間違えた、と。
先ほどのの言動からがボガードに信頼を寄せているのは判るし、がボガードの意見を重要視しているのもわかる。だがしかし、だからこそ、まずいのではないか。
こほん、と咳払いを一つしては時の肩を掴んだ。
「会えてぼくも嬉しいよ。でもね、アーサーとお帰り。君に伝えなければならないことは、ちゃんと手紙で知らせるから、今回はドイツ観光を楽しんで行くんだよ」
その間に自分はボガードとケリをつける、と決意しながらが言えば、はふるふる、と首を振った。
「またお姉ちゃんと離れなきゃダメなの?嫌だよ、だって、ちゃんも遠くにいるし、あたし、皆で暮らしたいの。お姉ちゃんにお願いしたら何とかしてくれると思って……迷惑だって、わかってるけど、お願いするために、来たの」
うっ、とはの素直すぎる言葉と顔に何かこう、ドス黒い心の部分が傷んだ。真っ直ぐに自分を見つめてくるオレンジの瞳。人を疑うことなどまるで知らぬ、そして、会ったこともないはずのこの己をすぐに姉と認め、信頼を寄せてくる妹。
怯むに、が続ける。
「お姉ちゃんは、あたしが嫌いなの?あたしと暮らすのが、嫌なの…?」
じわりとの目じりに浮かぶ涙に、は完全に慌てた。
ドイツ修道院にひっそりと暮らす尼僧。通称「魔女」とさえ呼ばれる。その人脈は各地の聖職者に広がり、枢機卿と言えどもを敵に回せぬというほど、その世界では知られる人物。黒いことばかりしてきたし、はっきり言えば悪人の部類である。
その外道鬼畜ドSの呼び声高い、しかし、なぜかこの、会ったばかりの妹のこの、素直な目と涙にはいつもの調子がまるで出てこなかった。
いや、ちょっとまてぼく、とは自分に必死に言い聞かせる。たとえ、目の前、腕の中にいるのが、自分のこれまでの人生ではまずお目にかかったことのないような純粋天然100%、天使の化身かこらぁああ!!と思えるようなピュアな子であろうと、その子にほだされてここを出るなんてバカげている。トカゲが自殺したうんぬんはもうどうでもいいのだけれど、彼女が死を受け入れたということによって、少なからず、今現在は失望していた。母は、しょせんは己など、というようなネガティブな思考さえしている。
ここで母の思惑通りドイツ寺院を出て行って、姉妹二人と対面、など嫌だ。
「あたし…良い子にするから。お姉ちゃんが自慢に思えるような妹になる…!!そりゃ、ちゃんみたいに才能があるわけじゃないけど…でも、あたし、もう皆と離れて暮らすのは嫌なの…!!!」
しかし、涙ながらに必死に訴えてくるその妹、小さく震えるその肩を、神様、振り払うにはどんな苦行を積めばいけますか、と、柄にもなくは天の神とやらに問いかけてしまった。
ちなみにその間も、後ろではアーサーとボガードが笑いを噛み締めている。
あの二人、いつか泣かす、と心に近いながら、は自分にすがりつく妹をなだめようと、只管おろおろしてしまったのである。
+++
真っ白い尼僧服に身を包んだ小柄な少女が、必死な形相で十字架を握りしめている。その様子は、何か神からこの先の危機の啓示を受けたかのように鬼気迫るものがあり、機内に乗り込んでいた客はぎょっとして振り返ってしまった。
「落ちます。絶対、落ちます。神よ、あれですか、鉄の塊がなんで浮くんですか、どんな飛行石積んでるっていうんですか、あぁ、CAさん、人間はあまり天に近づいてはいけないんですよ、バベってしまいますよ、塔じゃないから平気?なに言ってるんです、イカロスだって失敗したじゃないですか。だから、なんで鉄の塊が空飛べるんですか、これ絶対落ちますよ、人がゴミのようだ、ですよ」
「気にしないでください。お姉ちゃん、飛行機は初めてなんです」
通り過ぎるキャリーアテンダントさんの腕を掴み必死に訴えかける、それに顔を引きつらせるCAのお姉さん。はこの数時間で慣れたようにてきぱき、と答え、姉の手をそっと外す。
「くん!!絶対墜落するよ!!あれだよ!?船だって必ず沈むのになんでこの鉄の塊が行けると妄信できるんだい!!?」
「そういう構造なんだってば。落着いて、お姉ちゃん。飛行機は簡単には墜落しないから」
ドイツの寺院で会ってから36時間後、と、それにボガードはフランス行きの飛行機に乗っていた。アーサー・ヴァスカビルは所用があるとのことで一足先に日本に向かっている。この数時間で、は姉がどういう人間なのか、ぼんやりとだがわかってきた。
何と言うか、随分と閉鎖的な空間で生きてきたらしい。いや、知識は豊富だ。ボガードが時折聞かせてくれた姉の話にたがわず、尊敬に値するひとであると、はすぐに見抜いた。
しかし、なんというか、少々、文明に取り残されているらしい。
がドイツの寺院、の寝室で一緒に眠ることになった時、枕元に携帯電話を置いてアラームを設定していると「それはなぁに?」と不思議そうに聞いてきたり、途中で止まったホテルで「箱の中にひとが…!!!」とテレビに叫んでいたりした。正直、シャワーや水道に驚かれた時、は一体寺院ではどんな生活だったのだろうかと、本当、突っ込みを入れたくなった。
「こ、こんなに文明が進んでいるなんて……どういう世界!!?気分はウラシマタロウだよ!」
「よく知ってるね。あたしの国の昔話なのに」
それなのにテレビを知らないってどういうことだろうか。
いろいろ突っ込みたいことはあるのだが、はとりあえずそれらを堪えることにした。ボガードの話では姉のはとてもすごい人らしい。キリスト教の偉い人たちの悩みや問題を解決したりする人だと言っていた。厳しいひとなんじゃないか、となんとなく思っていたけれどこういう、かわいい(?)ところもあって、はが近く感じられた。
不安がなかったわけではない。会ったこともない姉。はフランスのとな年に何度か会っているけれど、もも、に会ったことはなかった。頑なに自分たちと会うのを拒んでいる、というのは雰囲気でわかって、もしかすると、嫌われているのではないかと怖くなってもいた。
会って、とても冷たいひとだったらどうしようか、と、そんなことを考えて眠れなくなったこともある。拒絶されて、怒鳴られたらどうしようと、考えてしまったことだってある。けれど、はを拒まないでくれた。
一緒に暮らしたい、とが言えば、はしぶしぶだったが「……きみが、そう言うなら」と言ってくれた。それで、のところに行くことになったのである。
は生まれて初めて、家族全員で暮らせるかもしれないと胸が躍った。
「肉か魚?ぼく菜食主義なんだけど」
「お姉ちゃん、あたしのサラダあげるからCAのお姉さん困らせないで…」
これからの事を考えているの耳に、が機内食を完全否定している声が聞こえ、は慌てて思考を中断させた。
「ところで、お姉ちゃん、寺院から出たんだからその格好止めればいいのに」
「ぼくはこれしか服を持ってないからねぇ」
はふと、寺院を出てからずっとが尼僧服であることに気付いて問いかけてみた。まっ白い布に青の縁取りがされている尼僧服は姉によく似合っていたが、いかせん人目を引くし、何よりも、こんなに可愛い姉なのだから、もっと可愛い格好をするべきだと思った。ホテルではそれとなく自分の手持ちの服を進めて見たが「スカートが短い!!」とは頑なに拒絶していた。
ちっとも短くないのに、とは頬を膨らませる。
しかし、今の自分の格好でこれなのだから、高校の制服はどうなってしまうのか、と考えては笑ってしまった。四月からは高校生になる。制服で選んだと言っても過言ではないその学校は可愛いブレザーと、チェックのスカートである。丈の指定は特にないそうなので、一年生からいまどきの長さにしている生徒も珍しくない。は採寸の時から既にある程度の短さを指定していた。ボガードも「丁度良いくらいですよ」と言ってくれたけれども、この厳しい姉はきっと顔を真っ赤にして怒るに違いない。
「ねぇ、フランスに着いたら、ちゃんと三人でお買いものしようよ、お姉ちゃん」
「ぼくは人ごみが苦手なんだけどねぇ」
「お姉ちゃんの服を買うの。フランスはオシャレな街だってちゃんも言ってたし、三人でおそろいのワンピースとか買おうよ」
嬉々としてが言えば、は困ったような笑い顔になって「そうだねぇ」と、どっちにもつかぬ言葉を出す。けして邪見にせぬその態度がには嬉しくて、にっこり笑うと、が眩しそうに目を細めた。
そしてははたり、と何かに気付いたのか、窓の外を凝視する。
「く、雲より高い場所にいる…!!!!」
だから、それが飛行機だってば。
は突っ込みを入れて、また十字を切る姉に溜息を吐いた。
Fin
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