日頃の行いが良いと運も良くなるものだ、と、目覚めて悪行を最初に思いつく男は堂々とのたまった。この国には別段何か特別な用があったわけではない。
ここ数日、ドフラミンゴ、クロコダイル、それに気に食わないあの松永久秀の三人は「トカゲの娘」の行方を捜していた。
三人の共通点はとある組織に関係したことがある、あるいは未だ在籍している、という点のみだが、裏の仕事とでも表の仕事でも、競争相手であった。
神の手を持つ者とさえ言われたトカゲの能力を、受け継ぐ娘がいるとそう組織のジジィどもが言っていた。そして長い間その行方を追っていたのだが、まずトカゲがのらりくらりと逃げ続けたため、永遠にわからずじまいではないかと思われていた。
少し前のことである。
十数年も行方の分からなかった娘の所在が、突如として発覚した。一枚の手紙に、娘の居場所が書かれていたのだ。娘は全部で三人。それぞれがまるで違う場所で暮らしている。その手紙を読んだのはドフラミンゴ、クロコダイル、松永の三人だけだった。手紙が届いた直後、トカゲがその手紙や、それをもとに集められた資料を盗み逃走している。
トカゲはもちろん裏切り者として組織の人間の手にかかったそうだが、死体はない。けれどもドフラミンゴは死んだと思っている。死体を残さなかったことがあの女らしい、とも思った。
手掛かりが消えたため、組織はゼロから娘らを探さなければならなかった。
しかし、手紙の内容を覚えている三人は、それぞれ「早い者勝ち」で“蜥蜴”の才能を受け継ぐ娘を見つけることを考えた。組織の役に立つ気は三人とも皆無である。神の手を持つ娘を手に入れる事が出来れば、美術品の贋作だけではない。何でも複製できるよう仕込めば、どれほどの利益が生まれるか。
トカゲは公共書類の偽造すら、容易かった。ただ、あの女は扱いにくいところがあり、満足に利用できなかったという点がある。娘は、(当然小娘だろう)若い。手に入れ、自分の良いように仕込めばいい。トカゲのような性格や知恵を持っていれば厄介だったが、そうではない可能性をドフラミンゴは信じている。
もしもトカゲと似た性格であったのなら、トカゲはそこまで必死には隠さなかっただろう。むしろ、自分たちと渡り合えるよう実践を積ませる意味で大っぴらにしたはずだ。そこから考え出せるのは、トカゲとはまるで似ない正反対の性格である可能性が強い。そうでなければ、あの女が守ろうとするものか。
娘たちを探す上で、ドフラミンゴはクロコダイルとある程度の情報交換をしている。もちろん、クロコダイルが見つけ出す前に自分が手に入れるつもりではあるが、手を組まなければならない事情もあった。
松永久秀。
あの男がドフラミンゴにとって一番厄介だった。クロコダイルは、同じくらいのレベルだと素直に認めている。だが松永久秀。日本出身の、あの腹黒さナンバーワン、正直トカゲも松永にだけは愛人発言をしなかったくらい、何と言うか、クセのある男である。
一対一でやり合えば分がこちらの悪くなる相手だと、ドフラミンゴは自覚していた。力量もわからぬほど小物ではない。それであるから、ドフラミンゴはクロコダイルと手を組まなければならなかった。でなければ年中生理のような男、からかうだけで十分楽しめる。
そのクロコダイルはフランスで娘の一人を探しているという。
フランスにいることはわかっているが、どういう娘なのかまるでわからなければ捜しようもない。それで、ドフラミンゴがトカゲの写真から娘を探せるようにと、少し加工したものを、クロコダイルに渡したのである。こちらに借りを作ることになると判っているクロコダイルの、あの嫌そうな顔。それを見れただけでドフラミンゴはフランスくんだりまで来た甲斐があったと思う。
そうしてクロコダイルと別れ、自分も捜そうかというところ、ドイツを見張らせている部下から、青い目の尼僧がフランスに行ったという知らせを受けた。
ただの尼僧、ではない。トカゲの娘のうちの一人、早い段階から「あの辺にいるんじゃないか」と囁かれていた「ホルンベルクの魔女」である。
姿を見た者はいない。けれど、随分とやり手であると聞く。その女が動いた。いや、それだけなら放っておいたかもしれない。けれども、その尼僧が、フランスのとある農場に向かったというのだから、ドフラミンゴは何か、予感がして、珍しくボルドーを仕切るベラミーのところまで足を延ばすことにしたのである。
トカゲお母さん04
自分の腹をこれ以上ないくらいに強い力で蹴り飛ばした尼僧の、足首をドフラミンゴは掴む。
こんな小さな小娘によくこれほどの力があったと感心したくなる一撃だ。トカゲの娘に相応しい威力である。だがしかし、倒すには少々冷静さが足りなかった。怒りによって威力の落ちた蹴りではどうしようもないものだ。
ニヤニヤと笑いながら、ドフラミンゴは足首を放し、バランスを崩す尼僧の腕を掴んで自分の懐に引き寄せた。空よりも青い瞳が今は怒りに燃えている。鋭くこちらを睨んでいるのは(今気付いたが)美しい少女だ。トカゲに瓜二つと言えばその通りだが、トカゲにはない完璧な気品があるように思える。トカゲにも上品さや気品はあったが、しかしあの女はどこまでも「女」だった。この少女は、尼僧のナリをしているからか、そういったいやらしさや生々しさがない。
どこか世俗から完全に切り離されたような美しさである。ドフラミンゴは素直に欲をそそられた。こういう、真っ白い女を汚すのはどれほど楽しいか知れぬ。何も知らぬあどけない様子に、男の生々しい姿を付きつける。そうして少女の姿を無残にされた時に、どのような「女」になるのかが面白い。
いや、そうではないと、ドフラミンゴは少女のようなこの生き物の瞳の奥を覗き込んで否定する。今は清々しく、穢れを知らぬような顔をしてこの女。その根底が酷く女臭いのだ。身の内にはドフラミンゴなどには及ばぬほどの肉欲が潜んでいるのではないか。そんな予感がした。当人それをまるで気付いておらぬ、いや、必死に蓋をしているのかもしれない。それが一層、この生き物を際立たせている。
こまるで肉欲など感じたこともないというような少女の顔の生き物を変えるのは面白いだろう。突き上げてやればどんな顔をするのか。そんなことを思い、ドフラミンゴは尼僧の唇に触れた。ふっくらとした、男に奪われるためにあるような唇である。
それにしてもこの小娘は、まさか己に勝てるとでも思っているのだろうか。そうだとしたら、傲慢というよりも無謀である。トカゲに似た顔をしているものの、未だ完全には孵化しきれてない有様が愉快だ。
「フッフフフフ、何キレてんだよ。男に触られんのは嫌か?」
「ぼく、お喋りな男が嫌いなんだ。お黙りよ?鳥」
唇を掠め取れば、その青い目がこちらを「敵」から「ゴミ」か何かと認識を変える。その目つきにドフラミンゴはぞくっと背筋に官能が駆け巡る。
あと、今なんか鳥とか、言われた気がするが、気のせいだろう。きっと。
「フッフッフ。男が女を口説いてんだぜ?素直に耳を傾けろよ」
「ぼくは懺悔室以外、殿方との密会はお断りさ。きみは悔い改めることが多すぎて面倒くさそうだから、出入り禁止にしてあげるよ」
「そりゃねェぜ、シスター」
目線を合わせるように腰を折れば、一層女の目に青が濃くなる。こちらの戯れを一蹴にしながらも、その間にドフラミンゴ、それに女の間では「どちらが上か」という意識下の争いがあった。もっと怒らせればこの女の顔はどうかわるのか、聊か興味を引かれて、ドフラミンゴは口元を歪める。
「トカゲは嬲り者にされて舌を噛んだっつー話だ。尼さんにゃ、ショックな話だ!フッフフフ!!」
尼僧が動揺したのは先ほどこちらが「トカゲの死」を口に出したからだ。表情から知らぬわけではないことはわかる。しかし動揺した。トカゲの娘二人が血の気の失せた顔をしているので、恐らく、二人には隠していたことなのだろう。
他人の秘密をあっさり暴くことほど面白いことはない。ドフラミンゴが笑えば、尼僧がその首に手を伸ばしてきた。弱々しい少女のもの、などではない。強引な力で自分の方に引き寄せてくる。
「お黙りよ」
余計な言葉は一切ない。ただそうハッキリとそれだけ告げる唇に、ドフラミンゴは関心した。
「おれに命令か?おいおい、状況がわかってねェわけでもねェだろうよ。おれは「蜥蜴の娘」を探してる。誰がそうか、それ以外の言葉は聞きかねェんだよ」
サングラスを軽く外して尼僧の瞳を覗き込む。お互い脅し以外の何物でもない言葉であるけれど、ただの言葉の脅しでしかない分、尼僧は分が悪い。小さなナリで必死に傲慢に振舞おうとする様子がいっそ哀れですらある。ドフラミンゴが眼を細めると、尼僧が手を放した。何か思案するように沈黙して、くるり、と背を向ける。
逃げる、というつまらぬことをする女でもあるまい。どうするのかと見ていると、尼僧は騒ぎの発端である、この農場の主の弟にスタスタと近づいた。
「きみ、臓器売りなよ」
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ことの成り行きを見守りガクガクと震えている中年男性。の養父の弟だろう。はその男に近づいて、ぽん、と肩を叩いた。
「きみ、臓器売りなよ」
外道!という突っ込みは不可である。何やら「弟」が顔を引き攣らせたが、生憎の一滴くらいしかない優しみは妹のみに向けることになっている。だからどうした、という顔をしては非難の目を向ける弟の頭を蹴り飛ばした。
「がっ!」
「臓器と、眼球も一つあれば十分だろうし。トマトジュースを送ってあげるから、血もたくさん売りなよ?あとは治験とかに積極的に参加してもらっていい実験鼠を一生やっていれば、農場一つ分くらいのお金は返せるでしょ」
指を折ってはあれこれと算段をつける。鬼畜だなんだのと、男が呻いている声は聞こえるが、やはり構う義理などない。というより、状況はさっぱりよくわからなかった先ほどだが、こうして色々情報もわかってきて、としてはとりあえず、このクズ人間は首でも吊ればいいと思っている。
大方ベラミーにそそのかされた何だかで自分の実家を売り飛ばそうとしているのだろうけれど、そういう根性、死んでも直らないのなら、人生売るべきだ。反論など聞く気はない。そもそも自分の実の兄に迷惑をかけてこんな事態にしている分際が、人権などあると思う方がどうかしている。
この男が面倒なことをしでかしたお陰では泣いているのだ。なぜ容赦する必要があるのかとは逆に聞いてみたい。そのまま男の頭を足で踏みつけて、ドフラミンゴを振り返る。
対峙してよくわかる。
この男と己では経験値が違う。一応傲慢なものいいで相手をしてみてはみたものの、ただの強がりにしかならぬ、というのが現状だ。これならドイツでしっかり身支度をしてくればよかった、と聊か後悔する。税関通らないだろうからほとんどの私物を置いてきたのだが、まさかこんなに早く、誰かが挑んでくるとは、さすがのも想像していなかった。
それでも、今この状態であってすら、この男の格下であるとは死んでも思わない。だが、この場の不利を覆せるだけのカードを持っていないことは素直に認めた。
戦えるカードもなく、ドンキホーテ・ドフラミンゴを相手に遣り合おうなどというギャンブル精神はにはない。
「これで借金はチャラにできるとして、やっぱりお引取りは願えないんだろうねぇ」
これで借金うんぬんは解決した。それでもこちらの不利には変わりないことはわかっている。状況が五部と五部になったのなら、あと優劣を決めるのは「暴力」であろう。ドフラミンゴに隙でもあれば、どうにかなるかもしれないが、隙を作るような可愛げのある生き物には思えなかった。
「フッフッフ、折角来たんだ。手ぶらで帰っちゃ寂しいだろ?三人もいるんだ。一人くらいいなくなってもいいじゃねェか」
つい先ほど「腎臓二つもいらないよね」とのたまったである。その勘定の仕方をどうこういうつもりはない。しかし他人から聞くとやはり「外道」と思ってしまうのはどうしようもないことだ。
それにしても、こんな鳥に構っている場合ではないのだとは内心焦っていた。妹たちは今、知らされた事実を頭の中にいれてぐるぐると混乱しているらしい。幸いにはボガードが、そしてには養母がついているため、抱きとめる腕はあった。けれど我に返ったときに、何もかもを説明できる状況にしなければ、混乱は続くだろう。
その為には、この男、はっきり言って邪魔である。
「待ってくれ……!!!」
さて、どうしたものかと思案していると、どう出るかとニヤニヤ待つドフラミンゴの間に、くぐもった男の声が割って入った。
おや、とは片方の眉を跳ねさせる。殴られて多少血の出ている、いかにも人のよさそうな老人である。この農場の主、の養父にあたる人物だろう。立ち上がり、拳を握って、じっと、とドフラミンゴに顔を向けていた。
「農場は、渡す」
「……あなた…!!!!」
苦渋の選択、という様子で搾り出された言葉にが目を見開き、何も言えずにいると彼の妻が驚きに請えをあげた。何を言っているのだ、とドフラミンゴすら眉を寄せている。こちらはその決断への驚きというよりは、「今更何でまぜっかえしてんだよ」という顔である。
「農場は、君たちの好きにすればいい。だが弟と、それに、私の家族に手を出さんでくれ」
その言葉はにも向けられていた。未だにの足は「弟」を踏みつけている。真っ直ぐな目に射抜かれて、は渋々足を退けた。
「こんなのために立派な農場を手放すことはないと思うけど」
「家族よりも大事なものなどない…!」
言い切る老人に、は「う」と小さく呻いた。少し前なら一蹴にしたのだけれど、今は、大変申し訳ないことに、こんな自分でも、その心境はわかってしまっている。は顔を引き攣らせ、ばつの悪い思いをしながら、ぽりぽりと頬をかく。
「フッフフフ、お涙頂戴のメロドラマだな。フッフッフ、その尊い自己犠牲の精神で…俺の金の卵ちゃんも出てきてくれねェか」
「待て…!農場は渡すと言ったんだ!この子らに構わんでくれ!」
「黙れよ、ジジィ」
すっかり毒気を抜かれたと違い、ドフラミンゴはますますおかしそうに笑みを深める。こういう光景を茶番、としか思わない男だ。いや、農場一つで弟の命を助けた、という前提がある故に、ドフラミンゴは「暴力」に出れるわけである。
「おれが探してんのは、トカゲの才能を受け継いだ娘だ。ホルンベルクの魔女、じゃァねぇな。そいつか、そいつ、どっちかが絵を描くだろう?」
は咄嗟に農場主の頭をどつき、地面に落ちていたコイフを拾ってたちのほうに投げつける。察したボガードがを腕に抱きしめたのを確認できた。
ドフラミンゴの言葉に、彼らが少しでも反応し、「誰か」の方を見ぬように、とのことである。だがしかし、あまりにも小細工に過ぎただろうか。咄嗟のことであったため、も稚拙な対応しか取れなかった。悔やんでも仕方ないことだ。
「そこまで必死に守るってのは、あれか?アイってやつか?」
しかし、上手く隠せたのだろうか。ドフラミンゴは妹二人には一瞥もせず、ふいにこれまでとは違った興味を持ったようで、を見下ろす。その目が、先ほどから自分たちを道具の一つとしてしか見ていなかった男とは別のもの。純粋な好奇心であることには眉を寄せる。
今このタイミングで興味をもたれる理由がわからない。
しかし、その一瞬がには隙に思えた。
頭を狙おうと、足をあげ、狂いなく振り下ろす。今度は、最初の時と違って何の妨げもない。農場を手放すという決断を主がしたのなら、もうがどうこう言うべきことでもない。ここで一時でもドフラミンゴをどうにかできれば、彼らから逃げることもできよう。
の蹴りがドフラミンゴの腹に当たった。頭を狙ったのに、腹に当たった。なぜ、とが判断する間もない。の細い首はつかまれて、そのまま地面に叩きつけられた。
「出直しな。小娘」
みしっ、との背骨が軋む。背を強く打ち付けて、は呻いた。首を押えられながらも、頭を打ちつけぬようにと左手を後頭部に回したが、それでも多少なりとも衝撃はあった。ぐわぁん、と視界が揺れる。気絶する、とわかった。昔、まだ母と暮らしていた頃、母の留守中に二階から落とされたことがある。その時の衝撃に似ていた。
ここで己が倒れたら、誰が二人を守るのだ。
そう思うのに、の意識はかすれていく。ボガード一人で全員を守れるわけがない。考え無しにドイツを離れるのではなかった、とは己の行動を悔いる。
パチパチパチ、と、この場にそぐわぬ、拍手の音が耳に響いた。
「いやはや、フランスくんだりまで来た甲斐があった。何、私はただの見物人だよ。ドフラミンゴくん」
Fin
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