一階に降りれば暖かな明りに満ちた居間。テーブルには豪華な食事が所狭しと並べられていた。軽いアミューズにグリーンアスパラのムース・フレンチキャビア添え。帆立貝のフラン海老添え、ソースは赤ピーマンだろうか。魚の朴葉包み黄金柑風味、ブラッドオレンジのグラニテ、牛フィレ肉のトルネードロッシーニと、フランスを代表するような料理の数々は彩りも豊かに、そして完璧に作られていた。キッチンから居間を行き来するのは品の良いフランス人女性。柔らかな金髪に若干銀が混ざっている。の養母だろう。手紙には「メメ」と書かれていた。

が階段を下りて来たことに気付き、女性が笑顔を浮かべる。

「あぁ、シスター。よかった、気が付いたのね」
「助けに入るつもりが助けられてしまったね。何か手伝おうか?」
「いいのよ。もうこれで全部だから。丁度いいタイミングで起きてくれてよかった。冷めても味に自信はあるけど、やっぱり暖かいものの方が落ち着くもの」

柔らかな物言いである。けれども彼女とて先ほどの一件をまるで動揺していないというわけではないのだろう。その笑顔が若干強張っている。しかし明るく振舞う様子には素直に頭が下がった。自分の役割を心得ている女性だ。家政をつかさどるものとして、こういう場で光を落としてはならぬことを判っている。そういう風に振舞えるのは深い慈悲の心ゆえだ。は、こういう女性がを育ててくれたからこそ、あの子の、奇跡のような優しさがあるのだと深く感謝の念を覚えつつ、あたりを見渡す。

見たところ誰の姿もない。の性格ならこの女性の料理を手伝いそうなものだが。

「ねぇ、メメ。を知らないかい?」






トカゲお母さん 06






農場の片隅。大木の下にある小さなブランコに腰掛ける妹を見つけ、はスカートの裾を掴みながらゆっくりと近づいた。きらきらと空には星が輝いている。ドイツの寺院でもよく星を見た。星はどこでも同じように見えるものだ。夜風がコイフを飛ばさぬように片手で押さえ、口を開く。

「ぼく、来ないほうがよかった?」

こういう声のかけ方は卑怯であると、は判っている。けれども、駆け引きの一つとして出したはずの言葉が、己の本心であることに、出して初めて気付く。

農場であったことを、がどう頭の中で考えているのか、それはまだわからない。けれども、養父の弟がしでかして土地を取られそうになり、そこに飛び込んできたのが実姉。そしてドフラミンゴが登場し、母の死を告げた。己はそれに対して何のフォローもせぬまま気を失って、今の今まで姉の責任を何一つ果たしていないのである。意識のない己の傍らで、と松永がどんな会話をしたのか。己は不安なのだろう。あんなことがなければ、とはきちんと再会できて、姉妹の名乗りも出来たはずだ。

けれども、己が来たことがきっかけで、と、が疎んでいないか、それが妙に心配だった。そういう子ではないと判っているが、この己とて不安になることもある。

……お姉ちゃん」

俯いていたが顔を上げる。灰のような髪をふるふると振ってこちらの問いかけに答えた。敬称とその動作に、少なからずはほっと息を吐く。そうしてに近づいて、はきょとん、とブランコを見下ろした。

「なぁに?お姉ちゃん」
「うん、ブランコ、いいなぁって」
「かわりましょうか?」
「いいのかい。悪いねぇ」

催促したつもりなので、あまり悪びれもせずと位置をかわる。養父の手製だろうブランコ。これで幼少期からずっとは遊んでいたのだろうか。見れば木には成長を刻んだらしい切り傷が付いている。

きゃっきゃ、とが声を上げてブランコを漕ぐと、が膝を抱えた。

「お母さんが死んだって…本当?」

その声は震えていた。を振り返ることをせず、ブランコを漕ぐ。告げるときは二人同時に、と決めていた。それに意味もあった。けれども、今こうしてに問いかけられてしまったのだ。は「今は言えない」とは言えなかった。

ギシギシ、とロープが軋む。風を受けながら、は母との会話を思い出した。

が、おれと同じだった』

雨の酷い日だった。いつも突然やってくるトカゲだったが、その時は本当に何の前触れもなく、そして、人の迷惑も考えない訪問だった。はミサの最中で、聖堂に現れたズブ濡れのトカゲを見て若い修道女は悲鳴を上げた。事情を知る司教はすぐにトカゲとを二人っきりにするため、ミサを中止して、そうしては神に呪われているとしか思えないほど不運な女の呪いのような告白を、神の家で聞いた。

“蜥蜴の娘”は、である。

神がかった、いや、悪魔めいたと言ったほうが正しいくらいの絵の才能。ただ絵の才能があるだけではない。模写、複製に関してのズバ抜けたセンスを持つのだ。

才能は遺伝しない、というのがとトカゲの、が「そう」であると気付くまでの見解。に絵画のセンスは皆無である。それであるから、蜥蜴の子は蜥蜴、というわけでもないと冗談を言ったこともあった。

それであるのに、は、トカゲと「同じ」だった。

の腕を切り落とす、とさえトカゲは言った。けれど片腕でも、絵は描ける。ならば両腕を義手に、という選択。そうまでしなければ、これから先、がどういう運命を辿るのかトカゲはよくわかっていたのだ。

フランスへに会いに行き、トカゲは「そう」であることに気付いたのだという。そしてそのショックそのままにドイツに来て、「の腕を切り落とす」とに告白した。己に判断すべきことではない。はただ話を聞くだけで、何も助言はしなかった。止めてが辿る運命の責任を取ることは出来ないし、止めずにいてその責任を負うつもりもなかった。そして、翌朝、に別れを告げることもなく、トカゲは再び姿を消した。の腕を奪えたのだろうかとその後少し気になったが、便りはなかった。

けれど、奪えはしないだろう、ともわかっていた。は、が生まれた時のトカゲの様子を覚えている。まるで春のお祭りが来たように大声を上げて娘の誕生を祝福した。幸せになってほしい、とトカゲはその時の彼女が出来る限りのことをした。

のな、小さな手がおれの手を握り返すんだ。わかるか、。あの子は、おれの娘なんだ』

を手放す日まで、電話越しに、トカゲはに嬉しそうに語っていた。トカゲのような生き物を、何の裏もなくただ慕ってくれる小さなの存在。愛を注ぎ、返してくれる小さな命。

そのの腕を、トカゲは奪えやしない。

「死んだっていう可能性が強すぎる。自殺したっていうことになってるんだけど、それがどうかさておいて、生きている可能性は、とても低いよ」

はブランコを足で止め、ひょいっと飛び降りてを振り返った。こうしてみれば、の顔は己とどことなく似ている。これがトカゲの名残というものなのか、と思いつつ、初めてきちんと見る妹の顔に、は知らず、眼を細めた。は自分の写真は送ってこなかった。風景を送ったほうがこちらが楽しめるだろうという気遣いだったのだろう。

「お姉ちゃんはどう思っているんですか」
「ぼくの考えはいいんだよ。くん。ぼくは、トカゲが死んだ今、君を護らなくちゃならない」
「松永さんに言われたんです。お姉ちゃんは、わたしを組織から護るためなら何でもするって」
「あの悪のオッサンの言うことは信じてはいけないよ」

たいそうな嫌味に包んでに告げたのだろう。人の傷口に指を突っ込んで穿り回すことが「暇つぶし」というような男である。がフン、と鼻を鳴らせば、が目を伏せた。

「お母さん、何をしていたんですか」

これまで、はそれを聞こうとはしてこなかった。手紙でのやり取りでトカゲについて触れたことはない。こちらがあまり返事を書かなかった所為もあるだろうが、は礼儀を弁えている。トカゲが話さぬことは、知られたくないことだろうから、という判断。しかし、今、その気遣いのあった心優しい少女は、これから先の自分の運命に立ち向かうために、知らねばならぬことを知ろうとしている。

ただの興味本位での問いならは答えなかった。しかし、真っ直ぐに己の目を見つめるに一瞬呼吸を忘れ、ぎゅっとスカートを掴む。

「ありと、あらゆることを」
「それは、悪いことだったんですか?」
「あの人に善悪の判断はあんまりなかったよ。けれどしていたことは、「悪い事」という方が多い」

は己の知る限りのトカゲの「行い」の種類をあげた。一件一件言うだけで一週間はかかる。それであるから、大まかに「密売」「窃盗」「贋作」などとする。の顔色が、夜の中でもわかるほど見る見る悪くなってきた。がやめようとすると、首を振って続きを促す。それであるからも止めなかった。

「判っておかなければならないことはね。くん、何もかもトカゲは無理強いされていたわけじゃァないんだよ。あの人はきちんと自分の意思で、何もかもを犯したんだ」

話し終えて、は呼吸を整える間もなくはっきりと告げた。トカゲはけして被害者ではない。彼女はいつだって、加害者の側だった。哀れまれるべき要素など何一つ持っていない。彼女に同情すべき点があるのなら、それは生まれてきてしまった、というそのことだけだろう。

「犯罪だって、わかっていても自分でしたんですか?どうして」
「ぼくはトカゲじゃァない。どうして、なんて答えられないよ」

あの人のことだから、と予想が付かないわけではないけれど、は口に出さなかった。そしては、己自身綺麗な人生だったわけではない。なぜ、そう選ぶのか、の己の答えもある。しかし、それはあくまでの己の考えだ。が「どうして」と考えて出す答えは別にあるだろう。

「今、ぼくが君に伝えなければならないことは。トカゲのその才能で得をしてきた連中がいるっていうこと、トカゲが死んでその得がなくなってしまったこと。けれど、簡単に諦められる程度のものではないから、同じだけの得をくれる人を探している、ということだよ」
「それがわたしなんですね」

ゆっくりとが頷いた。も肯定の意味を含めて、眼を細める。の目は何かを考えていた。企んでいる、というよりは、必死に、必死に、考えている、答えの出ぬものを、何とか答えを出そうとしている色だった。はじっとそれを待つ。ゆっくりと百数えられるか、というくらいの沈黙の後、が顔を上げた。

「その組織をなくすことって、できますか」

はっきりとした意思のある言葉だった。は顔を顰める。手紙ではただ心優しい、優しすぎる子であると思っていたけれど、松永に何を言われたのだろうか。はその瞳を燃えるように輝かせている。組織を潰す、というが、それはトカゲの敵討ち云々、というつまらぬことではないだろう。

(松永どのに、責められたのか。自分の所為で、こうなっていると、そう、教えられたのか)

はもう知っているのだ。

が両腕を持って生きている限り、の周囲の人間は「平穏」ではいられない。が生きている限り、組織はを執拗に狙い続ける。この農場が狙われたのは本当に偶然だが、その、偶然の「奪われる恐怖」が、にこれから自分が「いる」ことで怒る何もかもの可能性を気付かせた。

死を選んでお終い!というような子ではない。は、もう判っているのだ。

(戦わなければならないことを、もう、知ってしまった)

はぎりっと奥歯を噛む。松永を恨むのはお門違いと判りつつ、内心罵らずにはいられない。あの男が吹き込んだ、わけではない。ただ、どういう道があるのかを、教えただけだ。選んだのはだ。いつもトカゲが、どんな事にも自分の意思で関わったように。

組織がなくならない限り、の周りの人間、もっとわかりやすく言えば、の姉である己は、止まらない。どんな犠牲を払ってでもを護る。が嫌がろうとなんだろうと、どんなことでもする。

はじっと、を見つめた。そしてうろたえる。この、己を、気遣っているのだ。は目を見開き、一歩後ろに後ずさる。は「どうしてお姉ちゃんが私たちを護らなければなならないの?」という疑問を抱き、そして、それを自分の中で噛み砕いた。それゆえの決意に、はたじろぐ。

「一人で戦わないで」

が静かに続ける。静かに、静かに、風が吹いた。のコイフが飛ばされる。ぱしん、とそれを取って、の頭に被せた。

身動きできず、は真っ直ぐに妹を見つめ返す。

トカゲは、ついに己を省みてはくれなかった。固い石の壁に閉じ込めて、一度も母親らしい言動を、己に対して吐きはしなかった。自分は彼女に期待をしていたのだ。愛情を返してもらいたかったわけではない。けれど、世界でたった一人、己の「母」であろうあの人が、ほんの少しでも、こちらを気遣ってくれるのではないかと、そんな、小さな期待をしていた。

トカゲが死ねば、その何もかもの負担はこちらに来る。トカゲはそれを知っていた。だからは、トカゲが死なない限り、トカゲは、自分を一人きりにして何もかもを背負わせるつもりはないのだと、気遣ってくれているのではないかと、そう、心の底で思い上がることができた。

けれど、トカゲは死んだ。

三姉妹の、とりわけ、二番目、の人生を護るために死んだ。

を護らなければならなくなる。今の自分を捨てなければならなくなる。それが、判っていて、トカゲはを護るために、死んだ。

そのことが、の心臓には痛かった。

(それなのに)

「私は、ちゃんに初めて会って、こうしてお話してます。私は何も、知らないんですね。でも、ちゃんが私を護ろうとして飛び出してくれた、背中がとても、」


どん、と、の胸を押した。それ以上の言葉を告げられるだけの心構えが今はない。

(なぜ、この子は己を案じてくれている)
(どうして、この子はこんなに優しい)
(なんで、この子は……!!!)

の胸を乱暴に押しながら、は俯き、首を振る。カタカタと体が震えているのが自分でもよくわかった。

自分は、妹たちを愛してはいない。「溺愛」はしているだろうが、それは猫可愛がりのようなものと、そう分類されるもの。情はある。見知らずの他人よりは、情もある。けれど、こうしてに心配してもらうほどの、感情を向けているわけではない。

「黙って、黙って…お願い、何も、言わないで…!!!!!」
ちゃん…?」

は可愛い、も愛らしい。けれど、は「大切な妹」ではあるが、しかし、そこまでのつもりだ。己が護らなければならないらしいもの。庇護する対象。言ってしまえば、自分より下のものだ。弱いから、自分ひとりで生きられないから、が護ってやらねばならないもの。

「君も…も……!!!!!優しすぎて吐き気がする……!!!!」

ぐるぐると頭の中が回り、眩暈がした。フランスに車での飛行機やホテルの中でのとの時間をありありと思い出す。不慣れな自分をはよく気遣ってくれた。が一緒にいてくれたから、は慣れぬ移動手段もなんとかこなせた。の柔らかい笑顔を見るたびに、心が妙に温かくなる。

けれど、そんなものに意味などない。

己は、ドフラミンゴに遅れを取った。準備が足りなかったからだ。に引きずられるようにしてあっさりドイツから離れてしまった。何の準備もしなかった。一週間前までの自分なら、そんな醜態はない。きっちりと準備をして、万全という状態で外に出ただろう。のあの涙に、負けてしまった。

それだから、農場でドフラミンゴに負けたのだ。

なぜ、農場でさっさとベラミーの首を落とさなかったのか、なぜドフラミンゴを斬らなかったのか。普段の自分なら確実にそうしていた。けれど、しなかった。が、が見ていたからだ。そんなことをしたら、二人が苦しむのではないかと、そう、思ったのだ。

(何を…バカなことを)

常々トカゲが言っていたではないか。自分たちと、二人はまるで違う場所にいるのだ、と。は、こちら側ではないけれど、こちらがわに引きずりこまれてしまうかもしれないから、必死に護らなければならないと。水の合わぬ場所で生きることほど辛いことはないと、そう、言っていた。何も教えぬ母だったが、それは、唯一に「教え込んだ」言葉である。

「君たち二人が優しいのはいい…!!それは構わない…でも、ぼくは…!!!ぼくは、そんなのあっちゃ、迷惑なんだよ…!!」

かがり火は遠目で見ている限りがいい。己がその輪の中に入ったところで、何をすればいいのかわからなくなるだけだ。輪の中にいれば、外が見えなくなる。二人が安心して暖かさを求められるように、己は外にいなければならない。

声を上げるを、は驚いたように見つめ、そして、眉を寄せる。

「私たちはちゃんが護ってくれる…それなら、誰が、ちゃんを護ってくれるんですか?」




+++





農場を走り去る小さな姿を窓から眺めて、松永は溜息を吐いた。早々にホテルに戻ろうと思ったのだが、なにやら面白そうな展開になっているので、つい野次馬根性で立ち聞きしていたのだ。

それにしたって、あの「魔女」とさえ呼ばれたが、あそこまで感情を露にしたのは珍しい。

「いやはや、まるで生娘のようじゃあないか」
「…ま、松永さん…?」

ひょいっと、木の後ろから現れた松永には声を上げる。幽霊にでも合ったような反応だが、まぁいいだろうと松永、何様のつもりか上目線に判断し、腕を組んでを見下ろす。

「追いかけんのかね?」

夜目にもわかるほど、の姿が小さく、消えていく。あの魔女のことだから夜盗に遭遇したところで返り討ちにするだろうが、この周辺で人が死ねば農場主にも迷惑がかかろう。

「追いかけても…今の私にはかける言葉がありません」
「いや、ここはこう、『それでもおねえちゃんがすき』とかなんとか言ってみたらどうだね?精神崩壊を起こすだろうが、大人しくはなるだろう」
「あの、松永さん、説得しに来てくれたんですか、それとも、嫌がらせをしに…?」

さてなんと答えるのが一番嫌がらせになるか、とそんな外道なことを考えながら松永は小首を傾げる。こうしてみてみれば、この娘はまるでトカゲに似ていない。それなのにその才能を受け継いでいる、というのだから、遺伝子というのは面白い。

先ほど、が気を失っている間、松永は少しだけと話をした。その時から、いやはやなんともまぁ「良い子」であると感心していたのだけれど、あのをあそこまで動揺させるほどの「優しさ」など、それはそれで、暴力なのではないかとすら思う。

さすがはが「自分の取り分の優しさも持ってる」というだけある。偽善的ではないからなお更厄介なのだろう。

「卿の所為でが追い詰められているようだね。いやはや、珍しいものを見た」
「わかりました、嫌がらせをしにきたんですね」

うんうん、と頷くに、松永は眼を細める。どうやら先ほどのやり取りでこちらはすっかりと信用を失っているようだ。確かに、堂々と「卿の所為で農場が狙われたのだよ?悲劇のヒロインのようで面白かろう?」などとそんなことを言ったが。

「卿はいぢめ甲斐がありそうでね、ついからかいたくなってしまうのだよ」
「松永さんって…ちゃんとどういうお知り合いなんです?」
「“世界各国外道の会”の会員でね」
「はい…?」
「いやいや、冗談だよ」

一瞬素直に信じて目を丸くするの様子が面白いもので、松永は喉を震わせて笑ってしまった。冗談と即座に否定したのだが、それがかえって怪しいと思っているのだろうか、疑うような眼差しを向けてくる。

「私があの女性の父親、だなんてオチはないから安心したまえ」
「松永さんって、お母さんに少し似てますよね。兄妹というオチはあるんですか?」
「…卿……この私があのトカゲの血縁者と思うのかね」

言うにことかいてその展開。松永はすぅっと眼を細めて一歩に近づいた。確かに、トカゲの言動は少し己に似たところがあるとは認めている。もったいぶった言い回しや、皮肉めいた口調。だが松永は、あれと同類に見られるのは、不愉快である。

「私は、君の母をコキ使ってきた組織の一員でね」

嫌がらせとしてはこれ以上ない発言である。自覚した上で松永が言えば、が息を呑んだ。つい今しがた、姉の口から母の行いを知らされたばかりだ。「組織」に対してのイメージも悪いだろう。そんな中、その関係者である、と、そしてその関係者が、どういうわけかたちを一時的に助けている、という状況。ぐるぐると、灰と赤の目が困惑するのを、松永はじっくりと眺めた。

「以前一度、“蜥蜴の娘”を探したことがある。その時に、いやはや、恥ずかしながら、卿の姉君、つまりはあのに殺されかけてしまってね」
「……お母さんか…それか、ちゃんの友達だと思っていました」
「私に「友達」などというハエは集っておらんよ」

朗らかに笑って見せれば、がますますわからぬ、というように顔を顰めた。わからずともいいことである。だが、わからぬままでは、それまででもある。

松永はひょいっと、の右手首を掴んで、その掌を自分の頬に当てた。身長差があるのは仕方ないので、腰を少し曲げる。驚いたのか、手を引っ込めようとするのを聊か強く引き、近くなったその顔を覗き込む。

「私がなぜあのハデな男から君たちを助けたと?」
「……わかりません」
「そう、卿はわからない。理解できない。それは、卿が「こちら側」ではないからだ」

ゆっくりと言葉を話す間にも、は松永から離れようと身をよじる。樹にでも押さえつけてやればこちらも楽だが、そのような乱暴な動作をするつもりはない。松永は物覚えの悪い生徒に忍耐強くレクチャーする教師のような表情で、低く言葉を続ける。

「戦うと、そう決意したのではないのかね、フロライン?それなのに、なぜまだ卿は「そちら側」にいる」



 

 


Fin