僧衣を着ていると会ったのはこれが初めてではなかろうか。

通称「マリア」ことセシル・コルベルは手慰み程度に自分の髪を片手で摘まみ、ドクトル・ジョージの診察を受けているを眺めた。

(こいつほど、聖職者の格好が相応しくないやつはいないだろう)

純白の、シミ一つない「神に仕える者の衣」を纏いそれを当然というような顔でいる生き物。そんなわけがないだろうと指差して笑われるための体を張ったネタなんじゃなかろうかとマリアは本気で悩みたくなった。

が似合うのはどう考えたって××じゃねぇか)

最初に出会った場所は××××だった。ひっちゃかめっちゃか何もかもがでたらめになった酷い場所で、その中で一番イカレていたのがだった。あの頃は、そう言えば違う名前を使っていて、第一今の「」というのが本名なのかどうかも怪しいのだ。けれども「妹」という連中にはと名乗っているそうだから、少なくとも昔使っていた「ドローレス」とか「リリス」とか「クリステヴァ」という名前よりは使用頻度が高いんだろう。そうマリアは判断していて、それなら随分と早い時期に己は「」という名前を聞かされたから、そこそこ信用・信頼は置ける仲間扱いなのかと、思いかけ止めた。そんなことを思っても何の役にも立たない。

「で?―――ドクトル・ジョージ、そいつ死ぬのか?」
「物騒なこと言わないでよね、マリアちゃん」

ぽつりと口に出してみると慌ててが振り返った。青い目に「なんでそうなるの!?」と理不尽さを訴えるような色を浮かべている。よりにもよってパンドラ妃に妹が拉致られたとあってはさすがの魔女も平静でいられなかったらしい。「ジョージ、頭痛薬を」と言った一秒後に倒れたを思い出し、マリアは唇を尖らせる。

「フーン、でも死相、出てたけどな」
「ただちょっと眩暈がしただけだよ。まさか姉さんがくんを誘拐しちゃうなんてねぇ」
「申し訳ありません」

謝罪の言葉を吐くのはアーサー卿、ではなくて壁に背を向けているロブ・ルッチだ。一応治療、というかあれこれ診断するためには上半身、肌を晒している。医者であるジョージや、性別なんぞハナっからないようなマリアはともかく、を崇拝するロブ・ルッチは遠慮しているのだろう。

見当はずれな言葉ではないが咎めるべくはロブ・ルッチではない。その証拠にも困ったように溜息を吐いたのみにとどめ、彼女にしては珍しく労いの言葉をかけた。

「別にルッチくんが悪いわけじゃァないよ。パンドラってば一応お偉いさんだっていうのにちっとも自覚を持たないであちこち飛び回るんだもの。逆にぼくはきみたちに苦労を掛けて申し訳ないと思っているんだ」
「いえ、そのようなことは」

が気遣えばロブ・ルッチの体が強張る。恐縮しきっている。従順といえばここまでに従順な男もいない。敵味方に区別すれば確実にロブ・ルッチとは「敵同士」という言葉がぴったり収まるのに、何があったか知らないけれど、ロブ・ルッチの愛っぷりは互いの立ち居地を完全シカトしている。

それにしてもこのタイミングでパンドラ妃が出てくるとはマリアにも驚きだ。一応現在の雇い主であるアーサー卿がなんぞ企んであれこれしているのはマリアも知っていたが、それでもパンドラの出番は想定していなかったはず。

「つか、お前のねーちゃん何しに来たわけ?」

とにかく今現在の最もな疑問を口に出せば、貧血気味の青白い顔のの顔色が一層悪くなった。





+++




「馬って速いんだ。知らなかったなぁ」
「あら、これでも速度は落としていてよ?あなた、乗馬は初めて?」
「学校の行事で一回あったから初めてじゃないけど、日本で暮らしてると馬に乗る機会はないんじゃないかなぁ…」

というか現代人で乗ったことのある人は一般的にあまりいないのではないかとは思う。の農場も広いが馬ではなく車で移動しているからきっとも乗馬経験はないだろう。

車に比べれば快適無敵、とは言いがたい馬上であるが、それでも想像していたより振動はなかった。リシュファ「おばさん」という人の手綱裁きは絶妙なのだろう。は素早く周囲の景色が動いていく中でちっとも退屈しなかった。それというのもリシュファがあれこれと、馬を動かしながらに話しかけてくれたからである。

リシュファはのことを知りたがった。歳はいくつか、日本の学校はどんなところか、どんな友達がいるか、また普段どんなことをしているのか、家族はよくしてくれているか、あれこれと質問し、そのたびにが答えを返すと楽しそうに笑ってくれた。

屋敷でメイドに対しての振る舞いを見たはリシュファを警戒していたのだけれど、こうして接しているうちにその心は消え、むしろ彼女に対して親しみを感じていた。

自分に興味を持ち、そして真っ直ぐに言葉を返してくれるリシュファをはすっかり好きになっていた。

しかしそれでも馬が屋敷からどんどん離れて行くことに不安がないわけではなく、馬を走らせて暫く、は周囲に建物が見当たらなくなって、畑というよりは平地ばかり広がるようになったので、それまで話していた「卒業式にあった出来事」を切り上げ問いかけた。

「あの、リシュファおばさん、どこに行くの?」

アーサーおじさんに黙って出てきてしまったのは、やはりまずいかもしれない。は自分がの農場から「飛び出した」ことをしっかり覚えている。その「家出先」まで飛び出してしまうのは、やはり、というか、それはとてもまずいのではないか。

折角アーサーおじさんが自分の味方をしてへの連絡を朝まで待ってくれたのに、ここで家主のあずかり知らぬところで自分の所在を見失ったということになれば、姉はあの親切な老紳士を咎めるだろう。

「その、あんまり、アーサーおじさんの御屋敷から離れちゃうと…皆が心配するかな、って」
「わたくしが一緒にいるのです。あなたは安全よ。一体何を心配するというの?」

後半を小声で言っても密着しているためリシュファには届く。不快そうに美しい顔を顰める麗人には慌て「そ、その、ほら!あたしが朝ごはんを食べない出ててきちゃったから、お腹すかせてないかなって、心配するかなって!」と付け足した。

「あら、そうね。あなたとのお喋りが楽しくてわたくしとしたことが失念していました。このあたりがいいかしら。お茶をするのには丁度いいと思わない?」

きゅっと、リシュファが区切りを付ければ馬が止まった。といって急ブレーキをかけたような勢いはなく、静かにトントントン、とゆっくりと速度を落としてのことである。

馬が止まったのは、いつのまにか来ていた湖畔である。大きな、エメラルドグリーンの湖に森。人気はないが鳥たちの声の響く神秘的な雰囲気の漂う場所であった。

「うわぁ、すてき」


先にリシュファがひらりと馬から下り、に手を伸ばす。上手く乗り降りできないこちらを気遣う仕草には胸が一杯になり、飛び降りたひょうしにぎゅっとリシュファに抱きついた。

「ありがとうリシュファおばさん、こんなに素敵なところに連れてきてくれて!」
「喜んでくれてわたくしも嬉しいわ」

抱きしめるとリシュファの体からは良い香りがした。香水だろうか。のイメージする香水、というのは大人の女性がつけるものは少々臭いがきついものだったのでリシュファの優しい香りにうっとりと目を細める。その様子をリシュファは楽しそうに眺め、とん、とを地面に降ろした。

「あなた、本当に素直で良い子ね。それではお茶の支度をします。手伝ってくださる?」

言ってリシュファは馬から荷物を下ろし「朝食」の準備に取り掛かった。

馬に付けられていたのはバスケットが二つ。一つ目の大きなバスケットにはパンやフルーツといった食べ物が詰まっていた。はふたを開けて色鮮やかな朝食に眼を丸くし、二つ目のバスケットからリシュファがシートやクッションを取り出すのを見て慌ててそれを手伝った。

「草の上ですからそれほど固いということはないけれど、あなたの体を痛めては悲しいもの。きちんとクッションを敷いてね」

リシュファはシートの上にクッションや、馬に積んでいたショールやらを敷き詰めてが快適に過ごせるよう念入りにしてくれた。靴を脱いで底に腰掛けてみると地面の上とは思えないほど柔らかくすわり心地がよくてこれならどれだけ座っていても体が痛くなることはないだろう。

慣れた手つきでリシュファがお茶を入れていく。保温機能のある魔法瓶からお湯を仕込み、暖めたポットで紅茶を蒸らしていた。外での食事なのにきちんとされている。

「ふふ」

とあることに思い至っては思わず笑い声を漏らしてしまった。すると、砂時計で時間を計りつつパンに分厚くバターや燻製肉・レタスを挟みサンドイッチをこしらえていたリシュファが顔を上げる。

「まぁ、なぁに?さん」
「うぅん、なんでもないの」
「笑ったじゃありませんか、なんです?」

不審そう、というほど真剣な様子はないが、一寸気になるという程度の様子でリシュファが問う。隠し立てするようなことでもないのでは話すことにした。

「あのね、ふふ、お屋敷でリシュファおばさんのことちょっと怖いなぁって思っちゃったんだけど、でも、今どうしてそうなのかなってわかっちゃったの」
「わかったって、わたくしのこと?」
「うん、そう。リシュファおばさんって怖いんじゃなくて、たぶん、何もかも「キチン」としているひとなんじゃないかなって、そう思ったんだ」

今もこうして態々の目の前でサンドイッチを「作って」くれている。サンドイッチならできあいのものでも構わないだろうが、出来立て(パンにバターがしみこまずサクサクとした感触を楽しめるなど、新鮮さを味あわせるため)のものを用意してくれている。

真っ直ぐに背筋を伸ばし、服には皺一つなく、乗馬をしたのに汚れもない。きっとリシュファというひとの周囲はいつも「きちん」としているのだ。

メイドへの厳しさも、それは「屋敷」の中であるべき「常識」を「きちん」と行うためなのかもしれない。そう考えれば「怖いひと」ではなく「厳しいひと」であると思え、そしてこうして今もに向けてくれる親愛から、はリシュファを「厳しいけど優しいひと」とそう理解したのだ。

「だから、あたし、リシュファおばさんのことちっとも怖くなくなったの」

むしろ可愛いと思う、と言えばリシュファが赤い目をパチリ、とさせた。驚くその表情、誰かに似ている。誰だっただろう。思い出せない。しかしはそのリシュファの顔が「麗人」というよりは子供のようで、それでにっこりと笑った。が笑うとリシュファもにっこりと笑ってくれて、そしてにティカップを差し出す。

「お茶が入りましたよ。一杯目はストレートで、二杯目からミルクを入れてね」
「おばさん、ひょっとしてテレてる?」

顔色は普通だが、突っ込んでみるとリシュファが僅かに眉を顰めた。「テレてるんだー」とは一寸意地悪く笑って、カップを受け取る。

それを合図に朝食がスタートし、はややリシュファのすすめるサンドイッチや珍しいフルーツの味をしっかり楽しみながら馬上での会話の続きを話した。

「それでね、日本の卒業式は卒業生が歌を歌うんだけど、去年は「おもいでのアルバム」だったから今年は「蛍の光」だったの」

ほ〜た〜るの、ひ〜か〜り、っていう歌、とが1フレーズ歌ってみせると、リシュファが首を傾げた。

「あら、その歌なら知っていてよ」
「え?!」
「原曲は「Auld Lang Syne」といってスコットランド、わたくしとトカゲの故郷の民謡ですもの。幼いころ、わたくし、リリスによく歌ってあげたものです」

え!?と再びは声を上げた。

「どうかして?」
「リシュファおばさん…って、え、もしかして、お母さんの妹なの?」

卒業ソングと母の出身地が意外なことから判明したことも驚きだが、それよりもは今更ながらに目の前の女性が「親戚かもしれない」という疑問に気付いた。

そういえばこのひとは何者なのだろう。すっかり忘れていたが、のことを「リリス」と呼び、に自分を「おばさん」と呼ぶように言っている。そこから考えられるのはの母トカゲの姉妹であるという可能性だった。

「あら嫌だ…わたくし、あんな女と血のつながりなんてこれっぽっちもなくてよ」

リシュファおばさんが血の繋がった親戚ならにとってこんなに嬉しいことはない。しかしその期待は即座に打ち消された。期待に顔を輝かせるにリシュファは首を振る。そしてが「でもお母さんを知ってるの?」と話を続けようとするのを視線で黙らせた。

優しい雰囲気が一点して厳しいものになる。は叱られたわけではないのに似たような心境になり俯いてしまった。

(でも、リシュファおばさんはお母さんを知ってる。それに、お姉ちゃんのことも知ってるし…それならひょっとして)

ふと、の心に浮かぶものがある。リシュファは不機嫌になってしまって、空気は重い。だがは心に浮かんだ「リシュファおばさんに聞いてみたいこと」を諦めることができず、ぎゅっと、膝の上で手を握りながら顔を上げた。

「あ、あの、リシュファおばさん、その、聞きたいことがあるの」
「なんです」

リシュファは邪険にこそしないものの「トカゲのことなら答えない」と顔に出ている。は今すぐ先ほどのような楽しい雰囲気に戻すには自分が先ほどのように「他愛ない話」をすればいいとわかっていた。わかっていて、それではない話をするために口を開く。

お姉ちゃんは、いつからあぁなったのか、教えて」
「子供の姿をしていることですか。それならわたくしの口からではなく、」
「違うの。うぅん、違う。そのことじゃないの。あたしが知りたいのは、そうじゃない」

自分より年上のはずのがなぜ幼い子供の姿なのか、そのことも確かに気にはなるが、が「今一番知りたいこと」ではない。

は自分を見つめるリシュファの赤い瞳を見つめ返した。

「あたしやちゃんと同じように、お姉ちゃんだって「普通」だった時があるはず。それなのに、どうして今はあぁなったの?どうしてなったの?どうやって、なれたの?」

問う。聞いて、知りたいことだった。

は確かにのことを知らない。何も知らされていない。けれど自分にとっての「あの夏の日」のように、にも何か、ある決定的なことがあったはずだ。そしてそのことからはガラリと変わってしまったのではないか。

お姉ちゃんが冷たいのはどうして?普通じゃないのはどうして?どうして変われたの?あたしはどうして、あの夏の日にあんなことがあったのに、あたしは変われなかったの?」
さん、あなた…」

一度口をついで出てしまうとあとからあとから感情が溢れてくる。はいつのまにかリシュファに詰め寄ってそのシャツを掴んでいた。

リシュファの瞳が細められ、そして何か探るような色を浮かべる。

身の内にある感情なにもかもを暴いてしまう強い色であるがは躊躇わず「お願い、教えて」と強請った。

「あなた、先ほどわたくしを理解したと言いましたね。わたくしを恐ろしいと思った心を、けれど「理解」して「違うのだ」と見方を変えられた。それと同じように、リリスを「理解」したいと、そう言うように表面上は聞こえます」
「リシュファおばさん、」
「でも違うのね。あなた、えぇ、とても素敵だわ」

ふわりとリシュファが微笑んだ。柔らかい慈愛に満ちた笑みである。そっとの両頬に手が添えられ、顔が近づいた。は睫の本数まではっきりとわかるほどに接近したリシュファの顔と、その美しい笑みに目を見開く。

「あなた、リリスを理解したいんじゃない。あなたは自分も「特別」になりたいだけなのね」

何か言おうと口を開きかけ、その唇にそっとリシュファが指を押し当てた。

(あたし、もう自分だけ仲間はずれは嫌なの)

どさり、とはそのまま押し倒された。視界が回り、柔らかなクッションに頭が埋もれる。ダン、と鋭い音がそれと同時に響いた。映画で聞いた覚えのある音。銃声だった。

「そのままじっとしていなさい」

を押し倒したまま自身も身を低くしていたリシュファは小声でそっと耳元に囁く。銃声、という驚くべきものが聞こえたのには妙に冷静で、こくこくと頷くと「いい子ね」とリシュファに頭を撫でられた。

リシュファはどこから取り出したのか銀色の銃を手に持ち、タンタンと軽い音を3発させる。それを開始としてパンドラが身を起こすと再び大きな銃声が響いた。

クッションの上で寝転がりながら、は起き上がって片手に一丁ずつ銃を持ちゆっくりと周りながら四方を撃つリシュファを見上げる。湖畔の森の中、緑を背にしたリシュファの青い髪がゆらゆらと揺れているのが、まるで映画のワンシーンのように「できすぎて」いて印象的だった。

どさり、どさり、と何か落ちる音がする。うめき声のようなものもあったが、はそれよりも踊るようなリシュファの動きが気になった。

「もういいでしょう。さん、ついていらっしゃい」

そうして暫くしてあたりが再び静かになった。リシュファは汗一つかかず、また魔法のような鮮やかさで銃をどこかにしまうとに手を差し出した。起き上がるよう言われているとわかりは手を掴む。

リシュファはそのままを裸足のままシートの外に連れ出した。ゆっくりとした足取りで近づくのは樫木だ。たちのいた場所から死角になっているだろうその木に近づいて立ち止まった。

「ねぇ、さん、あなた変わりたいと、そう言いましたね」
「リシュファおばさん?」

優しい声で言ってリシュファがそっとの肩を叩く。

樫木の裏には両手を撃ちぬかれ血を流した黒服の男が息を荒くして倒れていた。このひとは誰なのか、この怪我はリシュファがやったのかとそんなことを考える前には「怪我をしている!」と驚き止血しようと身を乗り出すが、ぐっと、強い力でリシュファがそれを留める。

「リシュファおばさん!!!」
「大丈夫よ。まだこの程度じゃ死なないわ。手と、それに足を撃っただけですもの。このわたくしを狙ってこの程度で済ませるのは嫌だけれど、役に立ってもらうのだから仕方ないわね」

その細腕にどうしてこんなに力があるのか。リシュファに軽く押さえ込まれているだけのような体勢なのにの体はピクリとも動かなかった。

リシュファは足元に横たわる男を一瞥してからゆっくりとに視線を戻し、再び取り出した銀色の、細工の美しい銃をそっとの手に握らせた。

「あなた、わたくしたちの世界に来たいのでしょう?今いる世界に居続けるのが嫌、自分だけ「特別」ではないのが嫌。ねぇ、そうなんでしょう?」

撃ちなさい、とその赤い唇が囁いた。





Fin