※いちゃいけない人が何か普通に喫茶店にいますが番外編ってことで問題ないですよね
「で?なんでお前はこのおれの娘なのに未だに独身なんだ?」
カウンターの下で長い足を組み換え、退屈そうにあくびをかみ殺しながらのたまったのは紅蓮の髪に瑠璃の瞳の女性。気の強そうな瞳は片方のみで右側はやぼったい黒の眼帯で覆われている。珍しく早朝に起きてきたと思ったら突然何を言い出すのか。は香りのよいアップルティの缶を手に持ったまま呆れるような眼を母親に向けた。
「子供が三人もいて一度も結婚したことがないようなきみにどうこう言われる筋合いはないよ」
「もう適齢期も過ぎただろ、あれか?行き遅れというヤツか」
「ぼくは尼僧だよ。結婚なんてするわけないだろ」
「なんちゃってシスターが何言ってるんだ?」
べぎっ、とはお茶の缶をへこませることこみ上げる怒りを何とかやり過ごした。
そういうこちらの感情の起伏くらい容易く悟っているだろうに、目の前の女性、よりにもよってこの自分の実の母であるトカゲは飄々とした様子で出かけにが出してくれたサンドイッチを摘んでいる。こちらの嫌味に多少なりとも反応する可愛げなんぞこの女には求めていないが、は額を押さえて「イラつくだけなんだから相手にするな、ぼく」と言い聞かせた。
都内某所のそれなりによい場所にある猫目喫茶。早朝とはいうものの時刻は九時を回っている。とっくにもも学校へと出かけ、は普段なら二度目を決め込むのだけれど、トカゲがいる時にうかつに惰眠を貪ろうものなら、気付いたら地球の裏側、という展開だってありえるのだ。
店は閉店中の札が出されているため客もない。接客する気なんぞ欠片もないだが、こうしてトカゲと二人っきりにさせられるよりは適当なリーマンでも招いて相手をしている方がはるかにマシかもしれない。そう思って、それじゃあ店を開ける準備でもするかと思っていると、ぴこぴことスプーンを口に咥えていたトカゲが小首を傾げ再び言葉を発してくる。
「なんだ、お前、その歳になって自分に惚れる男の一人もいないのか?おれがお前の歳には15,6人はいたぞ」
突っ込みたくはないが、一応こういうときは「自分が惚れた男の」とでもいうのが正しいのではないだろうか。
さすがトカゲ。
恋愛≠自分が恋をする、ではなく恋愛=自分に恋をさせる、と堂々と言い放っている。というか15,6人ってなんだ。トカゲが把握している、という意味での人数なら彼女が知らぬ者も含めれば、それは五十を超える結果になるのだろうか。
感心半分呆れ半分では溜め息を吐くと、このどうでもいい話題を終わらせようと口を開いた。
「惚れたはれただなんて面倒なこと、このぼくには、」
「興味ないのか?」
全くない、と言い切ろうとしては眉間に皺を寄せた。
(興味なんて、ない)
惚れる、惚れられた、なんぞというものは己には無縁のもの。少女マンガは好きだ。あのありえなさというか、初々しさ。出会って数秒で恋に落ちて、それが運命の人、いつまでもめでたしめでたし幸せに!の結末を迎えるためにあれこれとライバル出現・浮気疑惑やうんたらかんたらとやる、あぁいう「物語」は面白い。
しかしそれを己に置き換えてみようなどと、そもそも思ったことなど一度もないのだ。
(なのに今一瞬、なんだってあの男のことが思い浮かぶのか)
「どうした?」
「なんでもないよ」
黙ったをトカゲが見つめる。その顔がニヤニヤとでもしているのはこちらの被害妄想だろうか。いや、そんなことはなかろう。トカゲ、この己の母というだけあって人がわからぬ己の思考も、結構筒抜けなところがある。
「まァ、お前も女だ。男に惚れることくらいあるだろうよ」
「そんなことッ、このぼくが…!!!」
どんっ、とはカウンターを叩いた。よりにもよってこの己が誰かに懸想すると疑惑を頂くなど。憤慨して母を睨めば、にやにやとトカゲが笑う。卑しく笑うといやらしさよりも慈愛を感じるというのはどういうことか。は毒気を抜かれかけるが、ここでほらだされてはならぬと掌を握り、一度瞬きをしてからフン、と鼻を鳴らす。
「尻の軽いきみを一緒にするんじゃァないよ。ぼくが仕えるのは神様だけさ。生臭い男なんてお呼びじゃ、」
「よォ、警視どの。一杯引っ掛けにきたのか」
傲慢そうに言い放つ言葉が最後まで終わらぬ前に、おや、と肩眉を動かしたトカゲが手を上げる。
「っ!!!?」
がっしゃん、と、慌てたがカウンターのコップやらなにやらを盛大にひっくり返した。しかしそんなことに構っている余裕もなく、は地震がきたかのようにカウンターの下に隠れると、きょろきょろとあたりを窺う。
「は、ははは。わかりやすい娘になったよ。嘘だ、嘘」
そういう己の娘の姿を愉快げに眺め、トカゲがまるで悪びれた様子もなくあっさりと白状する。
この女を殺さない方がいい理由を頭の中で必死にリストアップしながら、はイラついたら負けだと必死に自分に言い聞かせ、立ち上がった。先日コペンハーゲンから取り寄せたティカップが無残な結果になってしまったが、自業自得とその辺割り切れるのがの長所でもある。できればトカゲに片付けをさせたいが、この女がそんなことをするわけがない。と言っては割れ物を妹たちに片付けさせる気もない。あの二人の指先が傷つくようなことになったらどうするんだ、と自分に問いかけ、そのまま無言でホウキをとりにいく。
「ふ、ふふ、なんだ、怒ったのか?」
「別に」
「そう拗ねるなよ。今更反抗期なんて面倒なことはしないでくれよ」
育児放棄しまくった女がそんなことを言う権利があると思っているのか。はトカゲに背を向けたままホウキの柄を強く握る。全く、なんだってこの女と暮らすことになっているのか。突っ込みたいことは多数あるが、しかし、トカゲがいれば妹たちが喜ぶ。トカゲと暮らすようになっては毎晩のようにトカゲのベッドで一緒に眠っているし、も時々トカゲが夕食の買出しに付き合うととても嬉しそうだ。スーパーで母親と買い物をする、というその些細なことが楽しくて仕方ないのだと聞いたときにはは、こんな女でも母親なのかと新鮮な思いがした。
ひょいっとしゃがみ込んでは硝子の欠片を拾う。破片はホウキではいて集め、そのあと捨ててもいい雑巾で細かいものまで集めるつもりだが、まずは大まかにあつめるのだ。気に入りであったティカップの無残な姿に一度ため息を吐く。
ロイヤルコペンハーゲンのフローダ・ラニカはが最も好きなティーセットである。デンマークの愛らしい植物が絵師バイエルによって見事に描かれた白いカップはインテリアとしても魅力的だが、は茶器は使用してこそのものと思っているので安くても二十万円以上するカップが百円均一で購入したカップの隣に無造作に置かれていた。
その結果がこれである。
まぁ、自業自得だ。
一つ一つが手書きのため同じものはこの世に存在しない。確かこのカップはコルキスが母の日に贈ってきたものだったかと、割れて初めては思い出した。あまりに趣味にあったものだったので気に入りとして使っていたが、あのバカ息子はこれが割れたと知ったらまた気弱そうな顔をもっと弱々しくして顔を顰めるのだろう。はうんざりとした。コルキスが泣くとが怒る。怒るというか「なんで放っておくんですか」とこちらに声を上げてくる。本来はそういう子ではないけれど、コルキスが関わると己相手であろうと容赦せぬのだ。
全く、だからあのバカが付け上がってあれこれとに相談をする。一々は真剣に話を聞くものだからコルキスは嬉しいのだろう。こちらは出来る限りコルキスなどと関わらせたくないのに、と、はこちらの思い通りにはまるで動いてはくれぬ困った妹だ。
「トカゲ、孫の顔が見たいならあのバカのところにおいきよ」
「何手っ取り早くおれとコルキスをまとめて片付けようとしているんだ」
「おや、てっきりぼくに嫁げだなんだのけしかけるのは孫の顔でも見たいのかと思ったよ」
「ふふふ、このおれにそんな心があるものか。うん?あ、警視どの。なんだ、午前中から、卿は暇なのか?」
またその手か、とは眉を跳ねさせた。二度も同じ手にひっかかるか、と、鼻で笑おうとしたが、その途端、物凄くいやな予感がした。こういうとき、たいてい二度目は本当だったり、とよく漫画でもある展開ではないか。
いや、でもまさかそんなワンパターンな、とは苦笑いをして恐る恐る振り返った。
「珍しい組み合わせじゃのォ」
「って本物いるしね!!期待裏切らないよね!!」
「なんじゃァ、わしが来るんを期待しちょったんか」
「違うし!!都合のいいように解釈しないで!」
うわ、居たよ、と顔を引き攣らせる余裕もない。
振り返った先、カランと扉のベルも鳴らさずいらっしゃったのは警視庁の上から数えた方が早い地位につく「狙った獲物を真っ赤にして捕らえる」と評判の警視長殿。ダークレッドよりもさらに黒味を増した色のスーツをしっかりと着こなす角刈り姿、どう見たって「その筋の方」と言ったほうがしっくりくるのになぜこの男が正義の警察官なんぞしているのか。この猫目喫茶店の常連と化した人物の登場には一気に顔が赤くなった。
「な、何しに来たのさッ!市民の税金頂いているんだから仕事しなよね!!」
「今日は非番じゃァ。ここんところでかいヤマがあって休みなしじゃったからのォ。久しぶりに顔を出しゃァおどれに憎まれ口を叩かれる。寂しかったんはわかるがたまにゃァ労え」
誰かこの男を黙らせてくれないか。
は口をぱくぱくとさせ、先ほどよりももっと顔を真っ赤にした。いや、先ほどは意味もわからず顔が赤くなったが、今は怒りゆえである。頭から蒸気が出そうなほど真っ赤になってはカウンターから身を乗り出した。
「べ、別にきみのことなんて待ってなんかいないんだからね!!!」
「なァ、。お前それは明らかなツンデレの名言だぞ?ふふ、警視どのこのおれの可愛い娘をこんなに恥ずかしい姿にするなんて、責任取って娶れよ?警視長どのなら収入も安定だしな、おれの可愛い娘の婿に申し分ない」
「貴様に言われずともそのつもりじゃァ。じゃがのォ、いくらこれの実母じゃァいうてもわしはおどれまで引き取る気はねェぜ、老後は一人慎ましく暮らせ」
「ふ、ふふふ、おれだって卿との生活なんぞごめんだ。おい、、ふてくされてないでさっさと子供のひとりや二人作っておれを安心させてくれ」
ふるふると一人が震えているよそでサカズキとトカゲの仲がいいんだか悪いんだか判らぬ言葉の押収。確かにが万が一にでもこのサカズキ警視どのと結婚なんぞした日には、恐ろしいことにトカゲはサカズキの「義理母」という関係になる。トカゲが「婿殿」と言うのはまぁ、何とか想像もつくのだが、あのサカズキ警視どのが(はっきり言って自分よりも若く見える)トカゲを「義理母さん」とでも呼ぶのは、頭に欠片も映像が浮かんでこない。
「って、その前にぼくはこんな人に嫁ぐなんていやだよ!!」
「だ、そうだぞ?」
「だからどうした」
この人最低だ!!なんてこんなのが日本警察の上から数えた方がいい地位にいるんだ!と、そうはこの男と出会ってから何万回も繰り返した疑問を胸中にて叫ぶ。
あえて言葉にして怒鳴らないのは怒鳴ったところで事実はかわらぬという原点。しかし叫ばずにはいられないはそのまま乱暴に手を上げてバンッ、とカウンターに手を叩きつけた。
「ぼくは結婚なんてしない!」
諦めてください、既に確定事項です
「それでちゃん、今日は機嫌が悪いんですね」
時間変わってあっという間に日も暮れ夜。バイトの終わったが帰宅、も店の片付けをして三人+トカゲの一家は夕食をおえめいめい好きな時間を過ごしている、という頃合。トカゲはと一緒にリビングでンバイオハザードというゾンビ撲滅ゲームに興じている。時折「死ぬなァアア!!アレクシアァァアア!」「ってお母さんが倒したんだよね!!?」と叫び声が聞こえている。明日から三連休なので折角だから(には何が折角だからかわからないが)バイオ攻略大会をするらしい。ちなみにこのバイオ大会、というかゲーム大会(コントローラーはもちろん専用物)は時折行われ、実践経験はないはずのが中々やトカゲを苦しめる。シューティングゲームはが一位だが、格闘ゲームは、カーレースはトカゲが一位をキープしていた。このトカゲの腕前について蛇足だが、彼女は以前レーサーをやっていたという過去があるらしく、ゲームセンターでバイク物をやった折にはギャラリーを背負うほどの見事なテクニックを披露していた。
しかし現在、はリビングにはいない。場所はの私室。子供部屋というにはの歳は聊か上だが、かわいらしいぬいぐるみや内装の部屋、ふわふわとした寝台は少女らしい雰囲気を作り、子供部屋というのはこういう場所だろうというお手本のような内装。薄紅色のクッションに顔を埋め、ベッドの上にうつぶせになっているはが一階から持って来たティーセットでお茶を入れる音を聴いていた。
「アールグレイ?」
「いいえ、今日はカモミールです。ちゃんが好きだって言ってたから。カヤさんに良いお店を教えてもらって、大学の帰りに買っておいたんですよ」
基本的にが口にするのは王室御用達の茶葉だが、ハーブティも好むと最近が気付いた。それで知人で名家の令嬢であるカヤなら舌の肥えたの満足する品を知っているのではないかと思い、聴いたお店で調達してきたのである。
カモミールの香りが部屋の中にたちこめて、がクッションから顔を上げた。香りで十分リラックス効果があるからか、きつく吊り上がっていた目元が和らぐ。
「うん、いい匂い」
「どうぞ。こういうときはミルクなんですか?」
「ぼく乳製品は苦手でね。ストレートで頂くよ」
ベッドから降りてはが用意してくれた座椅子に腰を下ろす。
差し出されたソーサーを引き寄せてカップを持ち上げれば、満足げにの青い目が細まった。
「いいね。さすがカヤお嬢さまの勧めるだけあって無農薬、土もいい」
「そこまでわかるものなんですか?」
「なんとなくね。ふふ、いいものを飲んだら少し、気分がよくなったよ」
にこり、とが笑えばも笑った。
本当なら休日前の夜は家族4人でテレビを囲む、というのがトカゲ一家の決まりごと。あーだこーだとやっているドラマ・バラエティに突っ込みを入れたり、ニュースを見て「これ実はね」ととトカゲが政界やらなにやらのネタバレをあっさりとする。そういう時間を過ごすのだが、今日はの機嫌が悪すぎたため、察したがを部屋に招いた、という事態だ。
機嫌がよくなってくれてよかった、と思う反面、はこのまま上機嫌でいてもらうことはできないんだろう、ともわかっていた。
けれど話題を切り出さぬわけにもいかない。は自分も一口紅茶を飲んでから、何気なく切り出した。
「それで、ちゃん。明日のサカズキさんとのデートなんですけど、」
「いやだよ!!ぼくは絶対行かないよ!!」
今朝猫目喫茶店で起きたことを、は母トカゲからかいつまんで聞いただけなのだが、まぁ、以前からを嫁にする発言を繰り返しているサカズキ警視さんに、母トカゲの悪乗りが加わったのだ。
が只管拒絶するものだから、トカゲが「既成事実でも作って来い」ととんでもない提案をして、とサカズキに熱海旅行を計画した。だが、さずかにサカズキもトカゲほど非常識+相手の主張無視ではないので「未婚の娘に手を出せるわきゃァねぇじゃろ」と意外にも常識的な発言をし、まぁ、折角なので明日の休日は二人だけでどこかへ出かけ、親交を深める、ということになった。
と、はかなりオブラードに包んで上記をまとめているが、実際のやりとりはもっとアレだっただろうことは賢明な読者の方々にはお分かりだろう。
その結果はブチ切れ、食事の最中も一言も話さず、それでトカゲ一家の母性というか母親ポジションのが(トカゲは母親というより父親役が似合う)の説得を試みているのだ。
「きっと楽しいですよ。サカズキ警視さん、ちゃんが行きたいって前に言ってたバラ園に連れて行ってくれるって言ってたじゃないですか」
デートコースを決めたのはトカゲだが、「の好みの場所に」と提案してきたのはサカズキらしい。そういうさりげない気遣いというのをは気付くたびに、あの人は優しい人なのだと思うのだけれど、はそれが「嫌!」だという。
姉が本気で嫌がっているのならは母を説得して明日のデートを中止にさせるが、しかし、本気でがサカズキを嫌っているわけではないことはわかっていた。
「楽しいと思います。お姉ちゃん、最近ずっと家の中にいるし、たまには外に出てください」
は、がサカズキ警視といる時だけは他の人間といる時とまるで様子が違うことに気付いていた。いつも口元にうっすらとした笑みを引いて他人を小ばかにすることに人生をかけているような姉が、サカズキさんの前では赤くなったり青くなったりしている。
そういうことは良いことだと、そう思うのだ。自分だけではなく、おそらく母トカゲもそう考えているのだろ。あの人は、それは確かに破天荒なところがあるけれど、しかし、自分たち娘のことをいつも一番に考えてくれている。母がのことを気にかけているのは一目瞭然だ。二人とも、お互いが似すぎているため顔を合わせれば嫌味の押収だけれど、それでも誰よりも、お互いの幸福を願っている。
だからは、今回のデートを成功させたいのだ。
「そんなにあの警視殿がおすすめなら、くんが行けばいいじゃないか。っていうかそうすれば?」
「ちゃん、怒りますよ?」
にこり、と笑えばが沈黙した。
言うに事欠いて代役を立てようとするに、さすがのもお説教をしたほうがいいかと思い腰を軽く上げただけなのだが、は何かとても恐ろしいものでも見たように身を引いている。
「……くんって、時々すっごい怖い顔するよね?」
「気のせいです。それより、ちゃん!明日は何を着ていくか決めました?」
そんな怖い顔などしていない。はの戯言(何気に酷い)と切り捨てて、テーブルの下からファッション雑誌を引っ張り出す。どちらかといえばはス◎プ系の服装が好みなのだが、はス◎ディなんかがいいとトカゲの助言。しかし急に服は手に入らないので、どういう格好がいいかとに選んでもらい、やの服でコーディネートしようと思うのだ。
「ちゃんは細いからふんわりした服がかわいいと思うんです」
「ぼく、尼僧服で行こうと思って、」
「ダメです。デートなんですから可愛くしなきゃ!」
自身はデートの経験はない。いや、まぁ、松永が突然大学の出口で待ち伏せ「ラーメンが食べたいと思わないかね」と北海道まで拉致られたり、「高いところに卿を置き去りにしたい」という一言でみなとみらいの観覧車に真夜中連れ込まれたりと「男性と二人っきりでどこかへ☆」という経験はないわけではないが、あれをデートとは…も女の子なので正直よびたくはない。
「着飾るなんて面倒くさいよ」
「ちゃんの好きな少女マンガはどうです。デートの前の日の女の子はどうしてました?」
面倒くさい、との口から出たら要注意だ。面倒くさいという理由で息をすることすら躊躇ったこの夏のぐだぐださをは忘れない。(笑うところ)すかさずが興味を持ちそうな例題を出してみれば、少し考えるように唸って、がぽん、と手を叩いた。
「あれこれファッションショーして結局寒くて決めてた服が着れなかったり、必ず靴擦れが!あと雨が降るんだよね!」
「できればわくわくしながら考えていたとか、そういう前向きなところに注目して欲しいです」
いや、確かに少女マンガのデートといえば必ず定番の事件が起きるが、そこを嬉々をしてピックアップしないで欲しい。指摘すればはきょとんと小首を傾げる。
「別に体験なんてしなくてもマンガで読んで楽しめればぼくはそれでいいよ?」
「何事も経験だってちゃんいっつも言ってるじゃないですか。ちゃんがサカズキさんとデートしてくれたら、私やちゃんは嬉しいですよ」
こうなったら最終手段である。
卑怯な手ではあると思うが、妹の名を出せば、結構は融通が効くようになる。押し黙ったに畳み掛けるようには続けた。
「尼僧服とか着物もすごく似合ってますが、私とかちゃんみたいな格好をちゃんがしてくれたら嬉しいです。サカズキさんと出かけるためだけじゃなくって、三人でまた新宿とか行きたいですね」
日本に着たばかりの頃、の服がないということで三姉妹はの案内の元新宿へ買い元へ出かけた。とりあえずの好みを考えればルミネよりは高島屋か伊勢丹だろうということであれこれ服を見た。その帰りに三人でお茶をして、プリクラを撮ったりと、もう随分前のことだが懐かしい良い思い出だ。
思わず口元を綻ばせていると、が居心地悪げに顔を背けた。
「ちゃん?」
「だってぼく、似合わないもの」
「はい?」
「普通の格好、ぼくは似合わないって言ってるの!へんな格好して、笑われるのは嫌だよ!」
ばんっ、と顔を真っ赤にしたが自棄になったように叫んでテーブルを叩く。
はきょとん、と普段がそうするのとよく似た顔で小首を傾げた。
「似合わないってちゃんが?そんなことは地球の形が真四角になるくらいありえないことですよ?」
普通の格好をがしているのをは見たことがないが、そんなわけないと太鼓判を押せる。母トカゲと似た配色だが、「美女」とよべるトカゲと違いは「美少女」と言うに差し支えない。どんな格好をしたってかわいいに決まっている、と言い切れば、が眉を寄せた。
「前に一回、くんの制服借りたんだけど…」
があんまりにも「大丈夫です!」と言うものだから、ついにはぼそぼそっと、自分の黒歴史を告白し始めた。
なんでも、やはりの女の子。これまで袖を通したことがあるのが尼僧服か迷彩服だけというのは味気ないと思い、の学生服をちょっとばかり拝借したことがある。
「…似合わなかった…!!心のそこから似合わなかった!!!服に着られているとかそういう次元じゃなかったんだよ!!?」
「でも、それってサイズが合わなかったからじゃ…」
「でも限度ってものがあるでしょ!ぼく思わず自分で鏡割っちゃったもの!!」
そういえば随分前にの部屋の姿見が割れていたことがあったが、あれはそんなことがあったのか。思い出しは何とコメントしたらいいのか躊躇った。とは基本的に背格好が似ているため服の貸し借りもする。だからわかるのだが、は自分たちより一回り以上小さい。元々サイズの小さい服ならまだしも、の成長を予想して大きめに注文された制服が、に合うわけがない。
…それは確かに、服に着られている感はいなめないだろう。
だが鏡を割るほどって、どんだけだったのだろう。
が無言で居ると、が顔を赤くしたままそっぽを向いた。
「つまり、ぼくは普通の格好は似合わないの!尼僧服が一番似合ってるんだから!」
「制服が普通の服かどうかは疑問なんですけど…じゃあちゃんは、自分が一番かわいいって思う格好でサカズキさんに会いたいってことですよね?」
「っ!?ち、ちがうよ!?」
「そういうことじゃないんですか?」
「ち、違うよ!!だ、誰があんな仏頂面の鬼畜のためにおしゃれなんてするものかって、そういうことで…!」
「じゃあ普通の服でいいじゃないですか?」
うぅ、と、が言葉に詰まった。
普段冷静に相手をからかうのはのほうだが、サカズキさんのこととなるとこうも弱くなる。は悪いと思いつつクスクスと笑い、ティーカップを引き上げた。
は墓穴を掘ったことに気付いたのか耳まで真っ赤にしてクッションを抱きかかえ背を向けている。
そうして暫く、時間にすれば十分ほど。紅茶は冷めたのでおかわりをし、はの背をじぃっと見つめているのも失礼だと思ったので雑誌に目を落としていた。すると唐突にが「ねぇ」と振り返らぬまま声を発する。
「なんです?」
「……そういう格好したら、男の人は喜ぶの?」
ぽつり、と小さな声。相変わらず耳は真っ赤で、きっと振り返れば恥ずかしさで涙眼になっているのだろう。か細い、いろんな葛藤を何とか振り払って出された声には何だか嬉しくなって、「サカズキさんは喜んでくれますよ!」とそう何度も頷いた。
「べ、別に、警視殿に喜んで欲しいわけじゃないんだけど…!で、でも、その、ぼくに似合わない服があるなんてありえないよね!」
が「サカズキ」と名を出したので反論しようと思ったのか、くるり、と振り返って一生懸命に弁解するが、何だか本当にかわいらしい。は「そうですね!」ととりあえず相槌を打ち、折角が着る気になってくれたのだからと、クローゼットを開いてあれこれとが着られそうな服を取り出した。
そして次の日、以上に気合の入った格好をしたトカゲお母さんが堂々と「よし、尾けるぞ☆ドレーク、車をまわせ!」とのたまいサカズキとのデートをでばがめすることになり、ストッパー役でも同席させられたのだった。
Fin
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