熱い夏、ハイ!デートくらいさせやがれ!

 

 

 

 

 


東京には実は美術館が多い。博物館、と称されるものを含めれば100以上はくだらない。画廊ともなればそれこそ逐一数を把握しかねるほど存在しているのだが、は自身がアルバイトをするこのギャラリーほど居心地良く絵を堪能できる所はないと思っていた。

もちろんが生まれ育ったフランス、芸術の町として世界にも知られるパリに比べられるものではないし、都内で画廊のひしめく土地として有名な銀座と違い、土地の知名度があるわけでもない。しかし日本に来て趣味と実益を兼ねた画廊めぐりをしたが一番良いと思った画廊は、クロコダイルがオーナーを勤めるギャラリーなのだ。

フランスはフィレンツェに建てられた家庭料理の店を持ち主が改造し画廊にしたものを、後にクロコダイルが買い取って、日本に移築した。世界をまたに駆ける美術商のサー・クロコダイルが経営する画廊にしてはこじんまりとはしているがには丁度いい広さだった。都内の周囲をオフィスビルに囲まれた場所に珍しく小さな庭まであり、焼けた煉瓦造りに蔦の這う外観はあのをして「センスがいい」と言わしめたほど。

夕日に染まった店内をぐるりと見渡し、戸締りを確認してからはギャラリーの隣にあるオフィスを叩き、顔を覗かせた。

室内にはいつもどおり仏頂面をしたオーナーのサー・クロコダイルが葉巻を片手に何やら珍しく雑誌に目を落としている。新聞や小難しい本ではない雑誌とはいえ、が読むようなファッション雑誌ではないだろうが、その珍しい姿には首をかしげる。それでつい、声をかけるのが遅くなっていると、クロコダイルが顔を上げた。

「どうした」

普段よりやや気難しい声である。何か気に障ることを己がしたのか、と一瞬考えるが心当たりはない。松永と違ってクロコダイルは自分の感情のみで人の行動をどうこうと嫌味を言ったりはせぬ人だ。心当たりがない以上、萎縮するのはかえって卑屈、無礼になるとそう以前母トカゲに言われた言葉を思い出し、はすぅっと、つい丸くなりがちだった背筋を伸ばす。

「店じまいを終えました。戸締りも後は裏の入り口のみです。今日もおつかれさまです。社長さんはまだ残っていかれますか?」

大学の講義を終えてからは真っ直ぐにこの画廊へのアルバイトへ向かっている。午後の授業がない時は一度坂の上の猫目喫茶店へ戻って姉のがきちんと冷房の温度を28度にしているのか確認したりもするのだが、ここ最近は午後の講義が続いていて、この日もは大学から一直線にこちらへ来ていた。

今日の夕食の買い物を途中で済ませて帰らなければ、と、そんなことを考えながらオーナーの返事を待っていると、クロコダイルの眉間に皺が寄った。

「……」
「社長さん?」
「……腹、減ってねェか」

なぜ胃袋の状態確認をされるのだろうか。首を傾げつつ「いえ、普通ですね」と短く答えれば、クロコダイルの指が掴んだ葉巻がべぎっ、と折れた。

「しゃ、社長さんお腹が空いているんですか…!?あ、そうだ…!あの、わたし、昨日ちゃんが焼いてくれたクッキーがあるんです!よかったら、」
「誰が食いてェっつった?」
「誰も言ってません!」

見る見る不機嫌になるクロコダイルに、は鞄を漁る手を止めた。一体なんだというのだろうか。自身は昼食を少し遅めに取ったため、腹具合は普通だ。これから歩いてバス停まで行きバスに乗ってスーパーに行き夕食の買い物をして家に帰れば丁度いい頃合だろう。今日は三女のが同級生の家に泊まりに行っているため夕食はの好きな時間に作る。(姉のはいつものようにこの時間まで眠っているだろう)

なぜクロコダイルがこんなに不機嫌になるのか、一度はないと思った心当たりを真剣に考えるものの、やはりには思い当たらない。

睨み飛ばされておろおろ、と慌てていると、そういうの反応に何かしら思うところがあるのか、クロコダイルが深い溜め息を吐いた。

「あ、あの…えっと…私」
「別にてめェにキレてるわけじゃねェ。オドオドしてんじゃねェよ、みっともねェ」
「…す、すいません」

素直に謝れば、また僅かにクロコダイルの眉間に皺が寄る。一体、なんだというのだろうか。は自分がことあるごとにクロコダイルをいらだたせてしまうことを自覚していた。だが特にクロコダイルに対して他の人と態度を変えているわけではない。に対するようにクロコダイルにも接しているはずだ。なのに、、それに猫目喫茶店に来るほかの人間はの態度に苛立ったりせぬのに、クロコダイルは苛立つ。困惑して顔を俯かせていると、クロコダイルの舌打ちが聞こえた。簡単に挨拶だけして早く帰ればよかった、とは後悔し、ぎゅっと目を閉じる。

「……腹減ってんなら、飯でも連れてってやろうと思っただけだ」

いっそ怒鳴ってくれればいいのに、とがそんなことを考えていると、ぼそっ、と、ばつの悪そうに呟かれた言葉。

「……はい?」
「…どうせ、いつも自分で飯作ってんだろ。たまには外で食った方が楽じゃねぇのか」
「えっと…?いえ?お料理は嫌いじゃないですし、今日はいませんけど普段はちゃんも手伝ってくれますよ?」
「……さっさと帰れ」

呟かれた言葉に驚いて間の抜けた声を出してしまったが、続いてクロコダイルがぶつぶつと続けた言葉に、はキョトン、と首を傾げる。学業に忙しいや、女王様気質のが家事をするよりは自分がやったほうがいい、とそれがの考え。料理洗濯家事+の健康管理はしっかりとの中で「自分のすること」と認識されている。苦だと思ったことはなく、寧ろなぜ苦だと思うのか。料理を作れば姉と妹が「おいしい」と褒めてくれ、喜んでくれる。洗濯物を干せば姉妹で仲良く畳める。(は滅多に手伝わないが)それがには嬉しいのだ。

真っ直ぐに答えれば、クロコダイルが「もういい」と言うように手を振った。

本当に、わけがわからない。食事に、と思ってくれたのは嬉しいのだが、家のことをすることを自分が苦だと思っている、と思われるのはあまり嬉しくはない。は釈然としないものを抱えつつ、ぺこり、と頭を下げて部屋を出て行こうとした。すると、ガチャリと扉が開いて、クロコダイルを向かえに来たのだろうか、運転役が板についた黒服のダズ・ボーネスが姿を現す。

「…?、まだ支度していないのか?」
「あ、ダズさんこんばんは。…支度って何ですか?帰る準備はもう出来てますよ?」
「ダズ。余計なこと言うんじゃねェ。そいつを店まで送って来い」

を見るなりダズが不思議そうな顔をするもので、はますますわけがわからない。しかしダズが何か言おうと口を開くと、それを素早くクロダイルが遮った。そうしてダズはクロコダイル、そして首を傾げているを交互に眺めた後ほんのわずかに眉を動かして、そして結局「送っていきます」とそう、短く答えるのだ。

時々ダズはを車で送ってくれる。クロコダイルの指示で、は恐縮してしまうもので、今日も失礼にならぬよう断ろうと思い、ダズを見上げる。

「あの、」

と、口を開いた途端、室内に「はじめて〜のぉちゅぅきみとちゅう〜」と、それはもう有名な着歌が流れた。サビのあとの「ふふふ」という笑い声までリアルに再現された着信メロディ。念のために確認するが、ダズやクロコダイルの携帯の着信音ではない。

見れば目の前のダズは顔を赤らめている。こういうイレギュラーな事態にはどこまでも弱いのだ、とそんなことを思う余裕はにはない。慌てては顔を鞄を漁り、放っておけばいつまでも鳴り続ける携帯電話を取った。

「も、もしもし!!!?」
『あ、もしもしー?くんー?ぼくぼく〜』
ちゃん!!?なんですかッ!!?」

通話ボタンを押せば、聞こえてくるのは間延びした姉の声。ブゥウンと後ろの方で音がしているのは扇風機の音だろう。最近は扇風機で声を変えるのが楽しいらしい。一応弁解しておくが、この着信音、の趣味ではない。昨日猫目に来た松永が勝手にの携帯をいじくり「突然鳴ったら卿がいたたまれなくなるようなものを態々探すのは苦労した」と恩着せがましいセリフと共に設定したのだ。解除するという方法は当然のようにできない。

それはさておき、聞こえてきた姉の声。はこの場の妙な空気を払拭するためについ大声を出してしまった。が、それは電話越しの姉には無関係だろう。「テンション高いねぇ」とのんびりとした言葉の後、が用件を告げてくる。

『大○越前のDVD、観終わっちゃったから続きを帰りに借りてきておくれよ』
「って、それ昨日5本借りてきましたよね?もう観ちゃったんですか?」
『やっぱり雪絵は良妻だと思わないかい。ぼくは伊織の奥方がいきなり死んだ設定にされたのは納得いかないけど、雪絵がレギュラー化しているからまぁいいと思うんだよねぇ』

は漫画は少女マンガを好むがドラマは時代劇を愛好している。最近は水戸○門より大岡○前に注目しているらしく、はよく家の近くのツ○ヤでDVDを頼まれた。元々時代劇の品揃えはなかったはずの店なのだが、ここ最近は妙に品揃えがよくなっている。

今日もDVDのお願いだったようで、は苦笑しながら珍しくこの時間が起きていることを素直に喜んだ。なるほど部屋から出ないのは変わらないがDVDをそろえておけばは日中起きているのかもしれない。そうなれば次に取る「ちゃんひきこもり解除計画!」は、とあれこれ考えていると、ぐいっと、後ろから誰かに腕を引かれた。

「え?あっ」
「貸せ」

腕をつかまれバランスを崩しそのまま背から倒れる、かと思いきや、鼻をつく葉巻の香りと僅かに混じった砂の匂い。衝撃はなく、そのままは引き寄せた相手、クロコダイルに背後から首を掴まれその身体に押さえつけられると、手に持った携帯電話を奪われた。

「てめぇはてめェのことくらいできねェのか。一々妹をパシってんじゃねェよ。何様だ」
「ちょ…!!!!何してるんですか!!!!」

クロコダイル、を押さえ込んだまま携帯電話を耳に当てると、そのままとんでもないことをに向けて言っているではないか。

「いくらこいつがのほほんとしためでたいやつでも、甘えすぎなんだよ。ちったァ自由にしてやったらどうだ。幾つだてめェは!?――あ?知るかンなこと!大体なんでてめェがそんなこと死ってやがる!!――煩ぇ!はこれから俺と飯に行くんだよ!てめェの我侭に一々時間なんて使わせんじゃねぇ!!!!」

は驚いて目を見開き、クロコダイルから電話を奪い返そうとするけれども、普段のクロコダイルからは想像も出来ないほど乱暴で強い力がその身体を押さえ込んでいる所為で片腕を伸ばすのがやっとだ。

からは聞こえないが、電話越しではが何か言っているようだ。大声、ではない。それがには気になった。自分はアルバイト先の雇い主であるクロコダイルの言葉になれている。だがあの姉は人に攻撃的なセリフを吐かれる事に慣れていないはずだ。傷ついてしまっていないか、それが心配になり、ぐっと、眦を上げてクロコダイルを睨みつける。

ちゃんに、わたしの大事な家族に酷いこと言わないでください!!」

滅多なことではは声を上げぬが、しかし、クロコダイルの言い方は嫌だった。自分は好きでやっている。姉に強制されたわけではない。それなのに「やらされている」というような言い方は、あんまりだ。

いや…それは、確かにほんの少しだけ、姉のことを甘やかしている気もしなくはないが、しかし、喜んでくれるし、自分も嬉しいのだから、の中ではOKだ!

「……めでたいやつだな、てめェは」

の訴えを、しかしクロコダイルはまるで気にもしない。携帯を持っていた手の指でぷつっと通話を切り、そのまま携帯電話をダズのほうへと投げ、ばたばたと暴れているをひょいっと担ぎ上げる。

「鍵貸せ、車はおれが使う」





+++




乱暴に通話の切られた電話を暫く耳に当て、はぽつり、と呟いた。

「……大岡○前…」

観たかったのに、と、ちょっとばかりその背に哀愁が漂ってはいる。だが本気で観たかった、というわけでもない。少しばかり落ち込んでから、くるり、とカウンターに身体を向け、今回の共犯者に肩を竦めて見せる。

とっくに閉店の札になった猫目喫茶には、現在ドフラミンゴとが二人。身の危険なんぞ感じるではないから、それはどうでもいいのだが、しかし、今回こんな鳥に借りを作ってしまった、ということは少々勘に触っている。

とりあえずは無言でティポットを取り出すと、沸騰した湯でカップを温めつつ茶葉を選んだ。

「鳥ってアールグレイとレディグレイだったらどっちがいい?」
「…え、何?お前がおれに茶炒れようとしてんのか!!?」
「きみに借りなんて作りたくない。即行清算だよ」
「フッフフッフフ、こんなことならいつでも協力してやるぜ?」

ぶすっと答えれば、ドフラミンゴの妙に嬉しそうな声。熱湯でも頭からかけてやろうかと、そんなことを考えつつ、は今回の妙なネタを改めて思い出してみた。

「っていうか、ぼくよりクロ子くんのほうがツンデレじゃない?」
「フッフッフ、お前もたまには損な役割すんじゃねェか」

がしたこと、と言えば、まずドフラミンゴにクロコダイルへちょっかいをかけさせる、ということ。その現場は見ていないが、クロコダイルは相当ドフラミンゴを邪険にしただろう。嫌う要素はわからなくもないが、とにかく、そこでドフラミンゴはが猫目喫茶、姉妹の料理洗濯家事+の体調管理など全て引き受けている、ということを面白げに話す。皮肉めいた物言いをさせたら松永の次にすごいんじゃなかろうか、と思えるドフラミンゴだ。それはもう、皮肉たっぷりにの優しさを偽善だのなんだのとこき下ろしてクロコダイルに話したに違いない。

「よく命あったよね」
「フッフッフ、まじで刺されそうにはなったな」

クロコダイルのような男は、確実にの心など理解できない。なぜ自分を「犠牲」にしてまで他人の世話を焼くのか、と、そういう思考にしかならぬのだ。だから、が少しわがままをに向けてみれば、こうもあっさりと、「そんなことするな」とクロコダイルは唇を噛み締めるように、を彼女を取り巻く茨の檻から出そうとする。

普段何にも興味がなさそうな顔をして、あのクロコダイルがに対して何か、特別な思いいれがあることなどとドフラミンゴの目には明らかだ。いつか食事に誘いたい、などと思ってが好む店はどこだ、とあの仏頂面が思案していたと想像するだけで二人には相当に面白い。(「蜥蜴の娘」として価値の高い。ドフラミンゴもその価値を狙ってはいるけれど、を使ってクロコダイルをからかえ、そしての中の自分の株が僅かでも上がるのならを餌にするなど無問題だという)としては松永よりはクロコダイルのほうがマシであるし、それに、いつまでもを純粋無垢で綺麗なお嬢さん、にしてはおけぬという危機感もある。トカゲやアーサー卿の思惑通り(姉)がの「絶対」になれなかった以上、は一刻も早くにとって「かけがえのない人」を作りたかった。

それはドフラミンゴにとっては不利になること。それを判っていて、ドフラミンゴは今回の「ドキッ☆クロコさんを怒らせてデートの約束させようぜ!計画」に参加している。楽しげに笑い、いつものようににいいように使われている、という顔をして。それがには空恐ろしい。

「ふ、ふふふ」
「なんだ?何か面白いことでも言ったか?」

ぞくり、とする感覚には久しくない楽しみを覚える。ここでの生活はにとっては生ぬるい。だがこうしてドフラミンゴのような男との化かしあいは、それなりに楽しめる。

「なんでもないよ。それより鳥、これ飲んだらぼくのために大岡○前のDVDを借りておいでよ」
「いつでも全巻セットで買い揃えてやるっつってんじゃねぇか」
「バカかい君は。あぁいうのは借りるからいいんだよ」

ふん、とは切り捨てて蒸らし時間を十分に考慮した紅茶をティカップに注ぐ。

まぁ、クロコダイルはの「優しさ」がわからないだろう。なぜそんなものを持っているのか、裏があるのではないか、そうと当人が意識せぬだけで本当は嫌なんじゃないか、など、あの男は、人の心が黒くなければ不安になるのだろう。

そして、もある意味ではクロコダイルのように、わからぬものがあるのだ。

「ぼくはさ、どちらがどちら、なんて興味ないんだけどね?クロコダイルくんがくんといて優しさを知れるのなら、やっぱりくんも、クロコダイルくんといて、檻というものがどれほど自然に自分の周りを囲んでいるのか、気付くべきだと思うんだよねぇ」

ころころと喉を震わせて笑い、はさりげなく伸びてきたドフラミンゴの手を払い落とした。



Fin




(2010/08/18 17:57)