災難に発展するという法則
ドレークが自分の船の、自分の部屋のドアを開けたまさにその瞬間、眉間に手を当てることになったのは、言うまでも無い、目の前のの所業のおかげである。
そう広くも無ければそう狭くも無い彼の自室の床には、奇妙なカラーインクのようなもので描かかれた、これまた奇妙な幾何学模様。
いわゆる“魔法陣”とかいうやつなのだろう、とドレークは思うが、が何故にそれをドレークの自室の床にでかでかと描いているのか、彼には全く見当がつかなかった。
もう少し正確に言うと、どうせ嫌がらせの為とか、そんな理由なのだろうから考えるのも嫌で思考を放棄していた。
「おお、赤旗じゃあないか。いいところに来た」
決して自分にとっては“いいところ”とは言えぬ時に帰ってきてしまった己を心の内で数回罵倒、するとからは「自分をあんまり卑下するもんじゃあないよ」と、慰めとは到底思えない声音で見透かしたような言動。
改めて表情を伺えば意地の悪い笑みが満面に浮かんでいるものだから、これはもうどうしようもない生物なのだ、とドレークは自分に言い聞かせ、全てを溜息に込めて吐き出してみる。
あまり効果は無いように思われた。
「それで…おれの部屋で一体何をしている?」
「何だと思う?」
「碌でもないことだろうとだけは分かるな」
「んん、まあお前にしてみれば“碌でもないこと”だろうよ、赤旗」
笑って肯定したの顔を見て、正直ドレークは思った。
悪魔だ、と。
それは己の実の内に巣食う“悪魔”とは全く関連の無い、至極単純な比喩であったが、の笑みが明らかに“何か”を含んだものであったのは明記しておこう。
今度は一体何に巻き込まれることになるのやら。
ドレークが本日二度目の重い溜息に心が沈むのを感じたとき、はさらりと言った。
異世界へ行くぞ、と。
「………今までも常軌を逸していると思っていたが、ここまでとはな…」
「おい赤旗、その言葉の裏にある心情を全部口に出してみろ。そのときは、犯すぞ?」
何とも言えぬ微妙な空気が流れた。
いやまあ、ドレークはに敵わぬことなど重々承知なのだが、一応女というカテゴリーに属する者に“犯す”と脅されるのはいかがなものか。
しかしならやる。
絶対やるだろう、それも笑顔で。
ドレークがひとまず口を噤めば、は満足そうに頷いて、それからもう一度高らかに言い放った。
「これはたまたま文献から見つけた未完成の術に手を加えたものなのだよ、異世界に行くための」
異世界、と。
ドレークは口の中で小さく復唱して僅かに目を細めた。
そんなもの存在するのか、仮に存在したとしても行けるものなのか、もし行けたとしても帰ってくることは出来るのか。
つらつらと疑問が頭の中で渦を巻くが、そうしている彼のマントをは遠慮なく引っ張った。
―――魔方陣の中心へと。
「待て、お前はおれもその異世界とやらに連れていくつもりか?」
「当り前だろう?何の為にこんな面倒臭い魔方陣なんか書いたと思ってるんだ」
おれへの嫌がらせの為か!、とドレークが顔を強張らせた途端、彼の後頭部に、がつんと重い衝撃。
常人であれば意識を失うほどのそれに体をぐらつかせ膝をつく瞬間、彼の視界の端にはがデッキブラシを優雅に肩に乗せるのが見えた。
本当に油断も隙もあったものではない。
がんがんと痛む後頭部、衝撃で未だ僅かに揺れている脳、それらを感じながらドレークは歯噛みした。
「別にいいだろう?異世界なんてそうそう行けるもんじゃあない、貴重な体験だ」
ふふ、と低く笑うにドレークは戦慄を覚えるのだが、立ち上がろうとした瞬間、今度は背中に衝撃が来た。
恐らく蹴られたのだろう、とヒールが食い込んだらしい痛みに小さく呻いてドレークは他人事のように思う。
もうここまで来てしまったら巻き込まれるしか道は無いらしい。
魔方陣が奇妙な光を放ち始めた。
*****
がたん、とか、どしん、だとか。
そんな音が聞こえてきては読んでいた本から目線を上げた。
一応はドレークの自室であるが、そこにある珍しい本を手に取ってから既に幾許かの時間が流れている。
部屋の主であり机に対峙していたドレークも、何事かと睨み合いをしていた海図から目線を外し、そしてふとの方へとそれを向けた。
ぱちりと合う視線、そして何を言うでもなくは小ぢんまりとした一人掛けのソファから立ち上がった。
「確認してきます」
簡潔にただ一言だけ、それからは静かにドレークの自室を出た。
聞こえてきたのは比較的近くから、更に言えばの自室の方からであったはずだ。
侵入者が入れるほどこの船は隙が多いとは思わないが、全く無いはずもないのでは僅かに歩調を速める。
腰にさした剣が振動とともに音を立てるのがやけに耳についたが、ひとまず流血沙汰にならないことを願っては小さく溜息。
すぐに辿り着いてしまった自室の扉、その向こうに確かな気配を複数感じたは、迷うことなく扉を開けた。
「ああっ、ほらお前がぐずぐずしているから見つかった!」
「おれの所為にするな!大体こんなところに出るなど聞いていない!」
「はん、そんなものおれにだって分かるものか」
「威張れることではないだろう」
はぴたりと、文字通りぴたりと動きを止めて“侵入者達”を凝視した。
片方は女。
一人称は“おれ”だが随分整った顔立ちの、だが妙に老成したような空気を纏った、しかもデッキブラシを携えているという奇妙な出で立ち。
見覚えは、無い。
だがもう一方はどうだろうか。
黒い帽子、黒いマント、顎の傷に、それから胸元に大きく描かれた“X”の文字。
見覚えがありすぎる容貌をしたその男、がおかしくなっていなければ、彼は自室にいたはずなのだが。
「大体お前は些細なことで動揺し過ぎなんだ。もう少し余裕を持て、赤旗」
「誰のせいだと思っている、一々おれを騒動に巻き込んで…」
「それを楽しめるくらいの気概を持てよ」
“赤旗”X・ドレークが、ここにいる。
双子などという話は聞いたことも無い、世界にはそっくりな人間が三人いると言うが、女が“赤旗”と呼んだことで否定。
は“第二の”X・ドレークの顔をじっと見て、それから少しの違和感に首を小さく傾げた。
似ている、だが違う。
この差異は何処から来るのかは分からなかったが、ひとまず彼女は思ったことを口に出した。
「ドッペルゲンガーは…存在するのか…」
目の前の二人がその一言で、の存在を思い出したかのように動きを止める。
侵入者にしてはあまりに無防備なその動作、感じられない敵意などなど。
疑問はいくらでも湧き出てくるのだが、ともかく状況を打開するには何かしら相手について知る必要がある。
そう判断したは再び息を吸った。
「…そちらは“赤旗”X・ドレーク船長とお見受けしますが」
この一言、何でもないはずの言葉にの目の前に二人は真ん丸に目を見開き、それから男の方は戸惑いを露わにしながらも頷いた。
まるで得体のしれない人物に向けたその態度に、は己の従うドレークと目の前のドレークが別人であると確信する。
容姿は全く、同じ。
だが僅かに纏う空気が違う。
なれば、目の前のドレークは一体何なのか。
(何者か、ではなく何なのか、である)
(少なくとも目の前の男はの中で“ドレーク”として認識された)
理由は良く分からないが、困ったことに今この瞬間、“赤旗”X・ドレークという人物はこの世に複数存在しているらしい。
ひとまずそこだけは理解したは、彼らを“ドレーク船長”に引き合わせなければならないことを思ってふっと溜息をついた。
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七海様あとがきです↓
非常に楽しかったです前半部分。嬢にドレークは勝てない、それを書くのがもう楽しくて…!そしてまだまだ続きます。
2008/11/01
ひとはいちか感想です↓
ありがとうございました!!ヒロインのドSっぷりが、もう、ナイス!と画面でガッツポーズをしてしまったほどで…!振り回されてますねぇ…胃薬常備男。サリュー嬢の冷静な対応とドレーク船長との阿吽の呼吸が本当に惚れ惚れします。同じドレーク夢とは思えないですね!何このドレークさんのステキ度の違い・・・!!!ステキな小説をありがとうございました!!
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