何を間違ったか、は大将赤犬、もといサカズキ率いる船に乗ってゆうらりゆらり、揺られていた。
理由はまあ色々あるのだが、が少し調子に乗りすぎたのが大体の原因と言えよう。
いつものように首に絡まった茨の縄で引きずられ、反論も出来ぬままに乗せられた艦隊。
ぼくは戦わないよ、と言えば、もとからそのつもりなど無い、とあっさりどころか刺々しい声音での返事。
慣れたものではあるが、はサカズキに見えぬところで唇を突き出してみた。
デッキブラシも取り上げられた今、航海の途中でサカズキの機嫌を見計らって許可をもぎ取り、例えばウォーターセブンの友人の元を尋ねることも出来ない。
死ねぬ身でありながら、暇すぎて死ねそうだ。
無論、口には出さない。
出した瞬間にの小さな頭にはサカズキの長い脚から繰り出される蹴りが炸裂するに決まっているのだ、面倒なことはごめんである。
それなのにサカズキは帽子とフードで影の濃くなった顔をのほうへむけ、じろりと鋭い視線を向けてくる。
どうやら心の奥深くに仕舞ったはずの本心はお見通しであるらしい。
はあからさまに視線を何もない空中へ彷徨わせ始めた。
そうやって普段と変わらぬやり取りをしていたのが二、三時間前。
面倒になったは船室に籠っていたのだが、それすらも嫌になって甲板へと再び繰り出した。
変わらぬ晴天、“偉大なる航路”だというのに随分穏やかな気候であることだ。
島に着くのなんてずいぶん後じゃあなかったか、とは考えてみるが詳しくは知らない。
別に興味も無かったので誰かに尋ねることもしなかった。
どうせサカズキは己の脱走を見逃したりなどしないのだから知っていても無意味だとは思う。
そんな折、ごく近くから耳をつんざくような大音量が響いた。
大砲の音だとが理解したとき、火薬の詰まった鋼鉄の球は既に空中を横切り、割と近くに見える船へと飛んで行っていた。
ああ、海賊船か、と。
遅れて認識したはようやく周りが騒がしいことに気付いた。
拾った声から察するに賞金はそこまで高くない、の知らぬ海賊団らしい。
ここに知り合いでも来れば面白かったのに、と。
は知った顔を何人か思い浮かべてみた。
海賊である彼らにしてみればとんでもない話である。
達の乗る船は、もう海賊船に追いつこうとしていた。
「……暇、だな」
戦いの行われている船上で、サカズキが耳に入れれば何を言われるか想像もつかないような言葉をは吐き出した。
そもそも戦闘は己の領分ではないというか、サカズキが戦わせようとなんてしないのだし、いずれにせよこれは海軍の戦闘であるから手出しは云々かんぬん。
つらつらと特に意味も無い思考を展開しながらは一度まばたきした。
その間にひとり、海賊が甲板に倒れ伏した。
「ああ、全く…サカズキに出くわすとは運の無い連中だな…」
大将に出くわすという不幸、加えてその中で最も容赦の無いサカズキと鉢合わせてしまうという、不運。
この海を渡っていくには多少なりと運が要る。
世間を騒がせている海賊はそういうものを持ち合わせているのだが、どうやらこの海賊団にはそれが無いらしい。
船長の器もたかが知れる、と。
が思った矢先に目に飛び込んできたのはその船長らしき男だった。
振りかぶった剣の切っ先が貫こうとしているのは、たしか最近サカズキが目を掛けている佐官、だったような気がするが、詳しいことは知らない。
あまり階級の高くない者にちょっかいをかけるとサカズキの蹴りが飛んで来る。
けれどあの佐官が死んだらきっとサカズキは悲しまずとも困るのだろうなあ、とふっと思った、気付いた時には例の船長らしき男に見事な飛び蹴りをくらわせていた。
庇われた海兵は目を真ん丸に見開き、だが取り落としていた剣を慌てて拾う。
彼女に戦わせたとあれば大将・赤犬に何と言われることか!
(“言われる”だけで済むのならば随分優しいものだ、と彼は続けて思った)
意外にもの蹴りは痛かったよう、海賊は呻きながら強面の顔を更に凶暴そうに歪めた。
まあ、海軍にも強面の人間はごまんといるのでそれはにとって恐怖の対象以前に恐怖にすらならないのだが。
けれど、である。
は確かに魔法が使える、“海の魔女”である。
それでも少女であることには変わりないのだ。
非力で、力など無い、ただの少女。
の魔法の力は確かに大きいが、今この場で使えば確実に周囲を巻き込むことが目に見えている。
―――全く、運の無いことだ。
剣が振り上げられた瞬間、はぼんやりとそう思った。
それは己に対してのものか、それとも己を傷付ける海賊に対してか。
思った自身良く分からなかった。
(或いは両方に対して思ったのかもしれない)
傾ぐ体に、痛みと血が流れ出る感触。
それを感じながらは小さく呻いた。
全く、あの佐官を庇ったりなどしなければ戦闘に関わることなく、無傷でいられただろうに。
別に自分が怪我をするのは構いやしないが、あの佐官、あとでサカズキに殺されたりしないだろうか。
真正面から袈裟懸けにされたのに、甲板がどんどん近付いて来るのに、の頭の中はいっそ呆れるくらい呑気で場違いであったのだ、が。
突如彼女の体は重力に逆らうことをやめた。
もっと言うと、抱きとめられたのだ。
誰に、と、疑問に思ったはふっと鼻孔をくすぐる鉄臭さ、それに混じるにおいにゆるやかなまばたきを一回。
いつもを殴るか、首に巻きつける茨の縄を握っているか、書類かペンを持っているその手が、どうしての肩を持って彼女を支えているのか。
何でこんなにも、優しい手付きをしてを抱きとめているのか。
「……サカズキ、?」
「何故甲板にいる」
堅い、色の無い声でそう詰られた。
訪ねている声音ではない、それは叱責だった。
はそれに返す答えなど特に持っていなかったので無言を返す。
さすがに“暇だったから”とは言えなかった。
下から見上げたサカズキの顔、フードと帽子の影になって見えぬはずの双眸が見えた気がした。
「…殺さないで、よ」
「海軍に言う言葉ではない」
「違う…彼を、責めるな、と…言ってるんだ」
ちろり、とは結果として庇った海兵を見やる。
サカズキは一度彼を見やったが、興味なさげにとっとと視線を外した。
失血が原因なのだろう、眠気を感じ始めたことには内心舌打ちするが、魔法で傷を癒す余裕も無い。
本当に、運が無い、と。
意識の飛ぶ直前にサカズキの顔を見やったが、フードと帽子の影、その奥に隠されてしまった表情は何も見えない。
ただ唇だけ引き結ばれていた。
ぼくは踊っているのだ
鳴り止まぬ音楽を聞きながら動き続ける足を止めることもできず
キャストが目まぐるしく変わっていく舞台の上で 一人きり
手を取り合う相手も無く 昔から知る人も亡く
足音を聞きながら耳を塞ぎ 姿を認めながら目を塞ぐ
傍らを通り過ぎる心臓の気配だけが 心を震わせるのだけれど
そしてまた自ら己の視力を、聴覚を殺す
そうしなければ ぼくは
くたりと力を失ったあまりに小さい体、それを支えながらサカズキは目の前の海賊の頭を冷え冷えとした、そのくせ無色の目で睨んだ。
尤も、対峙する海賊からは目など見えぬであろうが。
それでも何かしら感じ取ったらしい、彼は瞳孔をかっと開き、じり、と僅かに後ずさる。
握られた剣は血で彩られている。
空気に触れ、少しずつ酸化して黒を強くしながらも未だ目に痛いほど鮮やかな赤。
あれはの血なのだ。
ぐ、と少しだけを支える片手に力を込めて、サカズキは殺気を露わにした。
この海賊は、傷付けてはならぬものを傷付けた。
世界を形作る正義が正義であるための罪人を、傷付けた。
八百年前の記憶を持つ“海の魔女”を、王国の魔術師パンドラ・の影法師・を傷付けた。
を、傷付けた。
相手はもとより海賊、容赦などひとかけらも必要無い。
今となっては塵ほども、そんなものは無い。
消えてしまえ、と。
ただそれだけサカズキは思った。
次いで彼が感じたのは、己の足によって頭蓋の砕ける音、感触。
吹っ飛んだ海賊の体は、その部下を何人も巻き込んで無様に甲板の上に転がった。
血を吐き出しているが意外にしぶとい、まだ死んでいないらしい。
あれだけの威力を持つ蹴りを放ったその衝撃にも目を開けることなく、サカズキの腕の中では眠る。
まるで陶器で出来た人形のような、頑なで深い眠り。
「死んで詫びろ、それが最低条件だ」
絞り出した声、それを聞けばクザン辺りはきっと呆れるのだろう。
そんなに必死になってるのに、どうして、と。
に言ってやればいいのに、と。
まあ、に言ったところで「ぼくは世界の敵、政府の正義が正義であるための存在だもんね」などと棘のある言葉ばかり投げ返すのだろうけれど。
そうやって、近付いては離れていくのだ。
紡がれる時間と世界
それは魔女にとってだけ終わらぬ永遠の戯曲
私はキャストの一人に過ぎず それ以上もそれ以下も無い
踊り疲れても休むことを許されぬ魔女は戯言を口にして嗤う
孤独を恐れ 無関心を決め込み 些細なことで泣く 弱い生き物
その辺りの子供と何ら変わらぬ、生き続けるもの
誰からも傷付けられず 誰もに老いて逝かれる だが私が死なせる、者
そのてをとることなど けっしてないといいきれる
が目覚めたとき、偶然にもサカズキが部屋に入ってきたところだった。
幾本も己の体に繋がれた管を無感動に眺めて、はのろのろと身を起こした。
見る限り包帯だらけのその様にサカズキは顔を歪めるが、無言のままにベッドの傍らに立っているだけ。
何を言うべきなのか特に思い浮かばなかった。
「…殺してなんて、ないだろうね?」
海賊なら全員海に沈めた、とサカズキは言おうと思ったが、そんなものは当然の帰結であるのでが違うことを尋ねたのだと分かった。
遅れて、に庇われたのだと、馬鹿みたいに正直に申し出た佐官の顔を思い出した。
最近サカズキが目を掛けていた彼に、けれどサカズキは何もしなかった。
が殺すなと、責めるな、と。
口にされてしまったから不問とした、というよりは不問にせざるを得なかった。
その分はを傷付けた海賊達に回したので、もう消えてしまった存在ではあるが、彼らは哀れなほどに何も残らなかった。
本当に、何も。
そもそもが甲板にいたのはの責任であり、強制的にでも船室に詰め込んでおかなかった己の責任もある、とサカズキは思う。
傷付けられてはいけないのに、それを隠していなかったのだ。
「何もしていない」
「……本当?殴ったり蹴ったりなんかもしてないだろうね?」
「していない」
正直に、事実のみを伝えたのだが、は何とも奇妙な顔をしてみせた。
あのサカズキが、まさか、なんて思い故なのだが、サカズキはフードと帽子の影で顔を顰める。
けれど次の瞬間安堵したような笑みをが浮かべて、サカズキは何も言わずにおくことにした。
そもそも何を言えば良いかなど、ずっと分からないままだ。
その笑みは随分と希薄で、世に言う“儚い”ものなのだろうとサカズキはぼんやり思う。
だが彼は別にの笑みを欲しているわけではないのだ。
が傷付けられずに在ることが、在り続けることが、彼にとっての正義。
ぽたり。
に繋がれた沢山の管、その先にある点滴のパックの中で雫がひとつ消えた。
ねじれの位置で
踊るふたり
(まじわることなど、とわにしらぬまま)
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七海閃光様あとがきです↓
ひとはいちか様に捧げます、赤犬夢でした。
ひとは様のお宅の子で書かせていただいたのですが、こ、これで大丈夫なのか非常にドキドキです…!ついでにこれをきっかけに世の中にサカズキ夢とか広がらないかな、とか(笑)ひとは様、これで宜しければどうぞお持ち帰り下さいませ…!
2008/11/03
ひとはいちか感想です↓
・・・・・っ!!(あまりの感動に声が出ない)お、落ち着け自分・・・・ハイ、深呼吸。ヒッヒッフーって、これは陣痛の時ですね!!あ、あまりの素晴らしい赤犬夢にドキドキが止まりません!初めて読んだときは手が震えてカーソルが合わせられなかったという体たらく・・・!!な、なんて、素晴らしい赤犬さんをお書きになるんでしょう・・・・!!こういうのを書きたかったんです、という理想の二人がここにいました!!!
本当にありがとうございます!家宝にさせて頂きます!!!!
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