例の話をしてみれば、みるみるうちに血の気を無くした顔になってしまった。
それは本当に病人じみていて、今この瞬間前触れなく倒れても不思議に思わないくらいに蒼白であった。
仕方ないことだろう、とクザンは思う。
何せあの リノハが、悪意の魔女が、“赤旗”X・ドレークを半ば(いや、最終的には完全に)本気で、殺そうとしたのだ。
己の口から言うべき事項かどうかも微妙なものではあるが、 リノハ本人から報告をされるよりはマシだろうと考えた結果の行動である。
ドレークの造反後、確かにこの レルヴェ・ サリューは纏う空気が変わった。
普段接していても分からないが、ほんの僅か、一瞬の間、何か柔らかいヴェールが彼女の存在を隠そうと密やかに靡いているように錯覚するのだ。
それが絶望というものなのだと分かったのはいつだったか。
そんなに昔のことではなかった気がする。
だが自分の足でしっかり立っている辺りは流石と言うべきなのか、意地っ張りと言うべきなのかクザンには分からない。
単に不器用なだけなのかもしれない、寧ろそれが一番あり得そうだ。

「それで…どう、なったのですか…?」
「んー、おれが颯爽と駆けつけて リノハ止めて、終わり」
「…一応お聞きしますが、拿捕等は?」
「いんや。それともして欲しかったの?」
「…海兵として、是と答えねばならないかと思いますが」
「あー、言うと思った」

真面目すぎるよ、お前さんは。
クザンの一言に サリューは僅かに眉を動かすが、それ以上の反応は得られなかった。
しかし堅物であるのに頭が回る、それがこの生き物の長所であり厄介な面である。
リノハがそこまで殺意をあらわにすることは滅多に無い、つまり“赤旗”X・ドレークがそれほどまでに リノハの神経を逆撫でするか、逆鱗に触れるかしたことになる。
まず普通に考えて、ドレークの造反は彼にかけられていた赤犬の期待を裏切ったこととなり、 リノハがドレークに手を出す十分な理由になり得る。
しかし リノハはドレークを、良い意味か悪い意味かは別として気に入っていた。
そんな人物ならばいくら裏切りを成したとはいえども本気で殺そうとするだろうか、それも物騒過ぎる彼女の“悪意”を使ってまで。

答えは否。

四百年生きている、永遠少女。
体は死んだ娘のもの故に成長はせず、心すらも時を刻まず変わらない彼女を、 サリューは深く知っているわけではない。
ただ時折感じること。
恐ろしいくらいに、無垢で純粋なのである。
無垢で純粋な悪意、と表現すれば矛盾があるかもしれないが、 リノハの場合は間違いなくそう形容出来る。
恐ろしいほどに純粋なのだ、恐ろしいほどに無垢なのだ、恐ろしいほどに、幼いのだ。
加減を全く知らないはずは無い、知らなければとっくに消えている人間、或いは都市などごまんとあるだろう。
だがそうまでして殺意をあらわにすることは本当に少ないのだ。
それほどのにまで魔女の怒りを、ドレークは買ったのだ。

「… リノハを止めたとおっしゃいましたが、お怪我は?」
「前から思ってたけど、 サリューってそういうの目敏いというか、油断ならないというか…」
「怪我をなさいましたね?」
「あー……まァ」
「医師を呼びますので部屋でお待ちください」
「だーかーら、大したことないって」
「口先に誤魔化されるほど愚鈍になった覚えはありません」
「……あーもう、分かったから!大人しくしてりゃいいんでしょ!?」
「まさしくその通りです」

ああ、寡黙なくせにこういうときは良く口が回る!
苛立ちに任せて半ば叫んだような形になったクザンが、しまった、と思ったのは次の瞬間。
本当に、部下としては随分出来た人間を手元に置いていたじゃないの、ドレーク少将。
心の中で羨んでいるのか詰っているのかよく分からない台詞を サリューの元上司に吐きかければ、ふいと目を背けられた気がした。
余計に苛立ちが増した。



*****



失念していた。
サリューは廊下を早足で歩きながら歯噛みし、そして己の至らなさにきつくきつく拳を握る。
リノハは、見かけこそ少女、だがその実“罪人”である。
サリューにとっても真に罪人かどうかはともかく、 リノハには巨大な力が宿っているのは事実。
それはあらゆるものを跪かせるであろう。
天竜人をも恐れさせ、海軍も海賊も、誰も彼女をどうにかすることは出来ない。

―――ただ一人、海軍大将赤犬の肩書きを負ったサカズキ以外は。

サリューが リノハに出会ったのはクザンの計らいであった。
それまではその存在すら知らなかった、生かすための罪人。
聞いた話では リノハの周りにいる人間は海軍上層部が相当選んでいるらしいが、何故自分が選ばれたのか。

「(…上層部にとっては…単なる贄、か…)」

レルヴェというあの海軍少将が殉職したことが全ての始まりだった。
リノハも サリューも、彼の死を悲しんで、傷ついていたのが最初の共通点。
始めて リノハに出会った時のことを、 サリューは鮮明に覚えている。
身の丈は自分にちっとも届かない、小さな少女。
彼女が向けた目の色が、あんまりにも深い青色であったから一瞬たじろいだ。
それがずっと昔、 リノハがその双眸に映していた古の海の色であると聞いたのはいつであっただろうか。
夜が明ける前、まだ暗い空が世界を覆っている刻限、その目を見て サリューの道は少なからず歪められたのであろう。
それが良い意味か悪い意味か、もっと先でないと分からない。
太陽も月もいない空が窓から見える部屋で、目を泣き腫らした リノハと対峙した サリューは、けれど泣けなかった。
海軍に志願してから、泣いた回数は片手で足りてしまう。
泣き方を、まるで忘れてしまったかのように、涙栓は頑なに水を溢れさせようとしない。

「(一緒に泣けたほうが、良かったのかもしれない…)」

本当は泣きたかった。
けれど泣けなかった。
泣いてしまえば何かが崩れてしまうのが分かっていたし、それ以前に レルヴェの死で感覚が麻痺していたのかもしれない。
それでも リノハは サリューを受け入れた。
流石に サリューもそれくらいは分かっていたし自覚もある、それが意味することの重大さを知ったのはずっと後ではあったが。

かつり、と最後の足音が消える。
自室の前に来た サリューは、ひとつ溜息をついてからドアを開けた。
来客用のソファに散らばった暖色の髪、それを目にした瞬間 サリューは何をするべきなのか分からなくなった。
決して リノハのことは嫌いではない、寧ろ好意を抱いている部類に入るし、可愛がっている節があるのも分かっている。
けれど、 リノハはドレークを殺そうとした。
サリューを置いて行ったという、それだけの理由で。
そう簡単に人の命を奪って良いものではないだろうに、とか、そんな殊勝な思いは湧き上がってこなかった。
単に、どうして、と。
それだけしか思えなかったのだ。

「おかえり、 サリュー」

何でもないように リノハはソファに横たえていた体を起こして、にこりと笑った。
邪気の無い笑み、無垢な笑み、幼い少女の笑み。
その笑顔、 サリューは幾度となく見てきた。
けれど満面の笑みは見せたことがあっただろうか。

「…ただいま戻りました」

小声ながらも返事をすれば、 リノハの目が嬉しそうにすっと細くなった。
可愛らしい顔をしていると サリューは思う。
けれど同じ顔が、ドレークには眦を吊り上げて殺意を向けたらしいのだから驚きだ。
歩み寄った サリューにふっと伸ばされた小さな手が、ドレークを、傷付けたのだと。
そう思うのに振り払えない自分は、甘いのだろうか、それとも寛容なのだろうか、或いは単に優柔不断か。
ソファに腰掛ける リノハの足が、ぶらぶらと所在なさげに揺らされている。

「…大将青雉に、話を聞きました」

ぴくりと リノハの指先が宙で震え、止まる。
頼りない指先は行く先を無くしたまま静止、 リノハの双眸も一ヶ所に止まっていた。
サリューの、目に。

「何故、ドレーク少将を殺そうとしたか、お聞きしても?」

リノハは途端にきつく眉を寄せた。
伸ばされていた手は引っ込められて、ぎゅっとその胸元を掴んで服に皺をたくさん作る。
未だ立ったままの サリューを見上げる青色の両目が、明らかに怒りを呈したように宿す光の種類を変えた。
口を開けば、今まで溜め込んでいた怒りとか、やりきれなさとか、そんなものが一気に噴き出してくるに違いない、事実そうであった。

「だってあの大馬鹿者は サリュー置いて行ったじゃない」
「そうですね、置いて行かれました」
サリューが泣くって分かってたのにだよ!?」
「…そう、でしょうね…」
「でも、死なせたくないからって、だからって置いてくんだよ!?」
「………」
サリューなら大丈夫だって、いつか自分のこと忘れるって、そんなの勝手過ぎるじゃあないか!!」

畳みかけるように次々と、 リノハは サリューに向かって言葉を投げつけた。
それを サリューは、相槌と言えるかも微妙なものを交えながら聞いていたが、耳に入った言葉にふっと目を細めた。

死なせたくない。

そういえばドレークが離反する直前、 サリューが深い傷を負った時、ドレークは酷く怒った様子だった。
それは何に対する怒りか問うてなどいなかったが、或いはドレーク自身に対する怒りだったのだろうか。
もしかすると、その時に彼は決意したのかもしれない。
悲しませると知っていながら、 サリューを置いて、海へ出ることを。

「…ドレーク少将は、私なら大丈夫とおっしゃたのですね」
「言ったよ、根拠も無く決めつけて」
「ならば…私は、それに応えなくては、」
「何で?」

リノハの声のトーンが下がった。
サリューはどう説明したものかと、悩んで口を噤む。
ひとしきり逡巡、それから吸い込んだ空気は随分と乾いている気がした。

「…ドレーク少将が私を置いて行ったのは、私に力が足りないことも一因でしょう」
サリューは十分強いよ、本部の中佐なんだから」
「本部の中佐、その肩書きを背負う者は沢山います」
「そのなかでも サリューは強いよ、ぼくが保証する」
「それでもまだ、足りません」

リノハは分からないという目をして サリューを見据えていた。
分からないだろうと、 サリューも思う。
けれど、どうしようもない。
サリューはドレークの背だけを追っていたし、それはこれからも変わらない、ただそれだけの事実。
だから強くならねば、そして在らねばならない。
きっと絶望の気配は振り払えないだろう、ずっと苛まれるだろう。
眠れぬ夜、優しく頭を撫でてくれた手はもう無いのだから。
それでも、 サリューはドレークを追うし、想う。

「私は、置いて行かれました。その通りです」
「………」
「それでも、私は…」

眠れぬ夜があるならずっと起きていれば良い。
珊瑚にでもなって、海底から夜空の月を見つめていれば良い。
けれど サリューは完全に珊瑚になるつもりは無い、月に手を伸ばすためには翼があっても足りない。

「…ねえ、 サリュー」
「何ですか?」
「愛って、何?」

サリューはきょとんとして、それからゆっくりと腰の位置を落とし、膝をついた。
目線が リノハと同じくらいの高さになって、ようやく サリューは リノハに手を伸ばして、暖色の髪を緩やかに撫でる。
するすると指先を逃れていく髪は、 サリューの痛んだ髪とは手触りが全く違う。
そう、この少女は愛を知らないのだ。

「…かなしいくらい、好きになること」

サリューはやわく、穏やかな、それなのに泣きそうな笑みを浮かべていた。
痛んだ髪が、僅かに揺れる。






想いは珊瑚朱色に淀み


(そして沈澱、沈没、沈黙)







以下 七海様あとがきです!!

 

素敵な共演夢をいただいてしまって、わーっといろんなものが溢れて来て書き上げました。共演ってどうしてこんなにもインスピレーションとか創作意欲が刺激されるんだろうか…

2008/12/20

 

 

以下 ひとはの感想です!

共演「誰にも傷がつかないように」の続編として書いていただいて・・・!!あ、ありがとうございました!いや、本当共演って楽しいですよね・・・同感です。

本当にありがとうございます!!サリュー嬢にはもう、お世話になりっぱなしで・・・!!!