「お見合い?って、誰がです?ヘルメッポさん」
今日も今日とて雑用業務。通常の手段をとんとシカトして連れてこられた海軍本部。いなりレベルMAXのこの場所にはまだまだ早いひよっこの、合わせたってレベル10にもならぬ二人組。桃に近い薄紫の髪に大きな眼鏡の少年と、煌めく金髪は美しいが卑しく歪んだ顔がいろんなものを台無しにしている青年。その二人、カチャカチャと音を立てながら、本日の雑用は食器洗いとそういうところ。
いやいや、ただの食器洗いとバカにしてはならぬ。何せ大所帯の海軍本部。(たった二人で全ての海兵が使用した食器を任される、というわけではないのだけれども、そんなことあったらただのいじめだ。二人が今回担当しているのは「一般食堂」と呼ばれる場所でのこと)新兵から軍曹までが利用する一般食堂は利用者が最多、全体の3分の2をしめる。食堂だって朝から晩までフル回転。腹を空かせた野郎どもの胃袋に活力を!ということで回転回転、皿だってよくよく出る。枚数はもちろん人数以上に用意されていても、10人いるから10枚で足りる、というわけもない。そういうわけで洗うはしから次々に汚れた皿が積み上げられる。まだ「限り」の見える洗濯物の方がマシで、コビーとヘルメッポは朝早い時間からこれにとりかかり、もうかれこれ4時間近く水場にて皿を洗い続けていた。これは軽い拷問、いや、まぁ修行になるといえばなる。
すっかり手もふやけてしまいいつもの通りに最初に音を上げたのはヘルメッポだった。しかし昔はぷかりぷかりと喫煙なんぞしていた青年、今はそんなものには手を付ける様子がない、というところを見ればヘルメッポが少しずつ何ぞ考えているのがうかがえる。といいつつそれでもやっぱりいつまで終わるか知れぬ皿洗いにいい加減嫌気がさし、ガッチャン、と聊か乱暴に食器をシンクの中に押し込んで「そうそう、知ってるかコビー、あいつ今度見合いすんだってよ」とコビーに向って声をかけてきたのである。
「あいつって、まさかガープ中将のことですか?いやいや、いくらヘルメッポさんでもそんな無礼はしませんよね。そうなると最近知り合ったさんでしょうか。ですがさんはまだ子供じゃないですか」
「バーカ、誰がジジィやガキの話なんてするかよ。あいつだよあいつ!俺たちのこといっつも見張ってる!」
「あぁ、ボガードさんですか。って、あいつ呼ばわりしちゃダメですよ!ヘルメッポさん!」
該当者が誰であっても、少なくともこの海軍本部一「下っ端」「雑用」の自分たちには不敬極まりないこと。どこで聞いているか知れぬのでコビーは慌ててヘルメッポの口を押えようとした。がっしゃんがっしゃん、と食器食器が音を立てる。幸い一般食堂で使われている食器は丈夫頑丈なものが大きくて少々雑に扱っても大事はなかった。
ヘルメッポはするりとコビーの体当たりを避けてからあたりを伺う。一応話題を出した時から周りに誰もいないのは確認済み。それでも油断ならぬのがこの海軍本部。うっかり当の本人の耳に入ろうものなら夜の修行が一層ハードになるに違いない。
「しぃー、うるせぇな、騒ぐなって!俺だってさっき知ったばっかなんだよ」
「騒がせてるのはヘルメッポさんじゃないですか…もう、勝手なんだから」
なぜこちらが窘められねばならぬのかとコビーは腑に落ちぬよう顔を顰め、しかし彼も年相応の男の子。ちょっとばかりそういう話題に好奇心が沸いてしまう。
ボガード、というのはコビーとヘルメッポにとって「師匠」と呼んで差し支えない人物だ。この海軍本部、多くいる海兵の中で「尊敬する海兵は?」と聞かれて真っ先に名を上げるだろうとコビーは思っている。未だあの海兵がどの階級にいるのかはわからないが、伝説の海兵とさえ言われるガープ中将の右腕として日々活動し、実戦経験も豊富、さらにはガープ中将に拾われた自分たちに毎晩稽古をつけてくれていて、コビーが憧れないわけがない。
彼はまさにストイック、という言葉が似合う。おおよそ彼には「欲」というものが見当たらない。ガープ中将の傍にいればある程度の権力だって得られているはずなのに、(ヘルメッポには悪いが彼の父モーガンのように)力に溺れることもなく、また物欲や何やらを出しているところコビーは知らない。やや大きな中折れ帽で常にその表情は伺えぬが油断も欺瞞もなくただ真っ直ぐに立っている。コビーはボガードに指導を付けられる時間が現在一番好きだった。辛い雑用も訓練も、ボガードとの時間のためなら頑張れる。まだ一本も取ることはできないし、片手だけで軽くあしらわれてしまうけれど、それでもいつか、いつかボガードから一本取って「よくやったな」とそう、褒められることが目下コビーの目標であった。
そのボガードの話題。しかも「お見合い!」なんて色恋沙汰だ!
「ど、どこで聞いたんです?そんな噂」
ヘルメッポが持ってきた話だから信憑性というのはいかほどか。それでもやはり気になって、コビー、ついつい洗う手が遅くなりそう問うてしまった。「なんだ、興味あんじゃねぇか」とヘルメッポがにやにやと笑う。(コビーはその顔に雑巾を投げつけたくなったが、賢明な彼は何とかその感情を堪えた)
「噂じゃねぇよ、聞いちまったんだ」
「聞いちまった、って、盗み聞きはよくないですよ?」
「違ぇよ!が青キジと話してるのを偶然聞いちまっただけだ!」
それを盗み聞きというのではないだろうか。いや、ヘルメッポの気配くらい気付かぬ青キジではないだろうから「こっそり盗み聞き」が成立しているのかどうか怪しいが。
、というのは少し前にコビーとヘルメッポが知り合った妙な子供だ。明らかに上等な服を着ていて血色の好い顔をしている「どこかのお嬢さん」と、それはいいのだけれど口を開けばとんでもないことを連発する毒舌…というか外道な子。そういう自由奔放なところをコビーはかわいらしくていいんじゃないかと思っているがヘルメッポとはめっぽう仲が悪い。顔を合わせれば二人、「まつ毛!」「チビガキ!」と罵りあっている。まぁそれはどうでもいいのだが、そういう、なぜか海軍本部の青キジと妙に親しいらしくよく一緒にいる姿が目撃される。なるほどヘルメッポはまずの姿を見つけていつものようにからかってやろうとしたところ、どうもどうやら一人ではなく青キジが一緒、では声をかけられないか、と遠慮したところにこの話を耳にした、というところだろう。
「そうそう偶然だよねぇ、でもあんまりおおっぴろにしていい話じゃないから口封じくらいはしておいた方がいいんじゃないかって、そうぼくなりに気を利かせに来たよ!」
なるほどなるほど、とコビーが一人頷いていると二人の背後から明るい声がかかった。
「!」
「さん!どうしたんですか!?こんなところに」
「今言ったしー、決まりきってるしー」
振り返れば相変わらず燃えるような色の髪に黒衣の少女がちょこん、と洗った食器を重ねているテーブルの上に腰かけている。いつの間に来たのか、という疑問を彼女相手に感じるだけ無駄なのはもう悟っている。
一般食堂の汚れ物を洗う場所、雑用ではないが入ってくるような場所ではない。その綺麗な服に油汚れがつくことをコビーは恐れて、近づく前に丁寧に手を洗った。
「今言った…?って、口封じとかそういう話ですか?」
物騒な単語に眉を顰める。偶然知って命を狙われる、なんて展開は世の常とそれはコビーも知っているが海兵一人のお見合い話でどうしてそういうことになるのか。
「うん、まつ毛が盗み聞きしてたのは知ってるし、折角だからコビーくんを巻き込むまで待って、二人のこと記憶がなくなるまで殴り続けるか、あとはぼくと恋のキューピット役をやるの、どっちがいいか選ばせようと思ってね?」
「はは…さん、相変わらず無茶ぶりを…」
えへ☆と効果音が付きそうなほどかわいらしい身振り手振りで話すだが、言っていることは外道極まりない。コビーはとりあえずに目の高さを合わせるため腰をかがめ、ちょん、とその頭を撫でる。
「悪いんだけど、僕たちはまだまだ仕事が残っているんです。そりゃボガードさんのお見合いっていうのは興味ありますが…だからって仕事をさぼっちゃダメですよ」
仕事、と食器を指でさす。まだまだ大量に残っているし、もうじき昼時だからさらに増えるだろう。ここを開けることはできないんです、とそう幼子を諭すと、はその青い目をきょとん、とさせた。
「お仕事ってお皿洗い?」
「はい、今日の仕事なんです」
「そんなのモモンガ中将とかにやらせればいいのにー。さっき暇そうにしてたよ?執務室で」
「いや!?ダメですよ!?何言ってるんです、さん!執務室にいるってことは仕事中じゃないですか!!」
以前似たようにコビーたちが雑用(その時は草むしりだった)でと遊べないと知るや、やはり今と同じようにが「モモンガ中将とオニグモくんが暇そうだったよ!」と言ったことがあった。その時は冗談だろうと「でも手伝ってはくれないですよ〜」と返したことのあるコビー。その30分後、自分は中将らに囲まれて草むしりをするという恐怖体験をしてしまった。それを思い出し慌ててコビーはを止める。
「ダメです、ダメ!絶対にダメですよ!もう、さん!人の邪魔をしちゃダメだって教わらなかったんですか?」
「教えようと必死こいたヘタレはいたけどねぇ、覚えさせることはできなかったという結果だけが残ったよねぇ」
あぁ懐かしい、よく泣いてたね!ととてもかわいらしい顔で外道極まりないことをのたまうにコビーは苦笑するしかなかった。
さて、ちみっこどもの話はさておいて、本編は三日前に遡る。
とある日のとある午後、海軍本部奥、という毎度おなじみの場所ではなくて、ガープ中将が来客用に使っている、わりと「表」に近い庵。その和室での出来事である。
「ガープおじいさん、あたしはね、おじいさんに恩を感じているし感謝もしているのでございますよ。いろいろあって留置所に入れられていたあたしをおじいさんは何も聞かずに助けてくださった。えぇえぇとても感謝していて今だっておじいさんのほうに足を向けて眠れません。実際の位置は知りませんが、そんなことはどうでもよろしいのでございますよ。とにかくあたしはおじいさんを恩人と思ってそりゃあできる限り尽くさせていただきたいという気持ちはございましたよ」
にっこりにこにこと穏やかな顔でつーっと続けたのは柔らかな貌の女性。年のころなら二十の半ば、ふっくらとした血色のいい顔に、栗色の髪。髪は量が多いのか左耳の後ろで一つにまとめていてもほつれて何本が出てしまっている。一見すればどこか天然っぽ、ふわふわとした印象を受けるだろうその女性が、現在額に青筋を浮かべ海軍本部「伝説の海兵」と呼ばれるガープ中将の前にきっちり正座して、散々嫌味皮肉を言っている。
「そりゃ大層じゃな。別にわしは恩を着せようと思ったわけじゃないぞい」
「存じておりますよ」
「悪い話じゃないと思ったんじゃがのう」
ガープは煎餅をべきり、と固い前歯で砕いて飲み込む。二人が囲むちゃぶ台の前には湯気のたつ湯呑が二つに、茶請けの煎餅。しかし女性の方は茶にも煎餅にも手を付けていない。
失敗だったか、とガープは内心ため息を吐きたくなった。
この目の前の女性、いや、歳は確かに二十そこそこだがガープには「娘さん」と見えるこのお嬢さん、ガープの将棋仲間の孫娘で、1年前に亡くなった。寿命である。もともとガープやセンゴクよりずいぶん年上で元海兵。センゴクやガープの上官だった時期もあり、将棋仲間というよりは恩師に近いのかもしれない。10年前に孫娘を引き取って育てるために隠居した。それでもちょくちょくガープは顔を見に行って交流を続けていた。センゴクも何か腹にため込み過ぎるとご隠居のところに足を運んではすっきりした顔で帰ってきた。そういう、二人にとって「恩のある人」であった。
その孫娘、名前は・というのだけれど、とにかく手を焼く娘だ。ご隠居の死後は(特に遺産らしい遺産もなかったので)住んでいた島の小料理店に住み込みで奉公に上がり、一悶着起こしてクビになり、その後素行が悪かったらしく留置所にしょっ引かれた。普通何日か拘留されるだけの場所に一か月以上厄介になり、その後もあれよあれよと問題を起こし続けたという。
一見は穏やか気質のお嬢さんに見えるだけ厄介だ。うっかり油断すればあっという間に騒動が起き、収拾をつけられなくなる。
ガープは一応身元引受人として彼女を引き取ったが、正直自分とて24時間彼女を見張っていられるわけでもない。
男尊女卑の考えがあるわけではないが「家庭に入れば少しは大人しくなるのでは」とそんな考えがふと過り(それに自分だって歳だ。いつまでも彼女を見守ってやれるわけでもない。誰かに彼女を任せられれば安心できる、というそういう思いもあった)今回に「お見合い」を提案したのだ。
「一番目の商人さんから猟師、海賊、とよくもまぁあたしのために揃えてくれましたと感謝してございますよ」
「そういうなら写真をきちんとちゃぶ台の上に戻してくれんか」
「二度と視界に入れたくございません」
にっこりと、再びの恐ろしい笑顔。彼女は少々妙な口調で喋る。それが愛嬌であるのだが、怒っているとわかるときに使われると迫力が増した。
ちゃぶ台の下には見せるなり速攻が叩き落としたお見合い写真の山があわれ無造作に転がっている。どれもこれもガープがきちんと考えて選んだ相手だ。自分の独断ではまずかろうとセンゴクにも意見を聞いた。それで3人選んだ。もちろんおつるさんにだって相談した。その上でのことなのに、は写真を一瞥するなり「ありえませんでございますよ」と容赦なく却下したのだ。
一体何が気に入らないのか。見合いさせようとした相手は見た目も収入もいい。性格だって悪くないし、ガープは彼らなら誰でも信頼してを任せられるとそう思っていたほど。それであるのにこの対応。せめて理由を聞かせてくれればいいのだが、彼女は「ありえませんでございますよ」としか答えない。
暫く沈黙が続き、ガープの眉間に皺が寄る。するとがため息を吐いた。
「ガーブおじいさんがね、あたしのことを気にかけてくださっているのはわかってますよ。いくらこのマリンフォード、海兵海軍の街といったって厳しい部分がないわけじゃない。女のひとり身、それもあたしのように学も腕力もない女、心配してくださっているのでございましょう」
「ならわしを安心させると思って一人くらい会ってくれたっていいじゃろうに」
「お店を休む気はないんございまして」
やっとが湯呑に手をかけた。ずずーっと茶をすするその仕草。確かにガープですら感心してしまうほど教養作法を把握している魔女のように「見ているだけで可憐な」という様子ではない。だが渋みをしっかり味わって心底「ほっ」と緑茶を楽しんでいるアナタスタシアのその姿は見ているだけで笑みが毀れる。
ガープは煎餅も食べろとの方に寄せてから、首を傾げる。
「店は忙しいのか?」
「いいえ、相変わらずの閑古鳥。そろそろ潰れないか心配でございますよ」
現在はマリンフォードの裏町にある小さな料理店に働いている。老舗といえば言葉は良いがようするにただ古いだけの店で主に蕎麦を出している。腰の悪い店主がそばを打っているのだから美味いわけもなく客足はばったり途絶えて久しい。それでもどういうわけかはそこで働いていた。
「腕があるんじゃから違う店にすりゃあえぇじゃろう」
の料理人としての腕はけして悪くない。むしろ彼女の作ったものは絶品であるとガープは思っているし、詩人の娘シェイク・S・ピアが偶然の料理を口にした時は「今すぐ私と契約して魔法少女になりませんか?」と勧誘していたくらいだ。味覚のないはずのにも妙に好評である。
それであるのになぜやる気のまるで感じられぬ店に居ついているのか。不思議に思って何度か聞くがまともな答えが返ってきたためしがない。
ガープは大分温くなった茶をずびーっと飲み干す。するとがじっとこちらを見つめていることに気付いた。
「ん?なんじゃ、どうした」
「そういえばそちらの海兵さんは候補に挙がっておりませんでしたね」
見つめているのは自分、ではなかったらしい。ガープの後ろ、正確には入口、障子の前に正座して控えている副官をは見つめているらしかった。
「あぁ、ボガードか。紹介したことはなかったか?」
「いつも祖父の所へ来る折には同行されてましたね。えぇ、それはよく覚えてございますよ」
しかしきちんと名前を呼んで紹介、はそういえばなかったか。ガープはあごひげを撫でて思い返してみる。ボガード、ボガード、この男は己の副官で、実質デスクワークをほとんど引き受けてくれている有能な男だ。実戦経験も豊富で階級こそ「少佐」であるがその実力は将校らと比べても引けを取らぬとガープは常々思っている。しかし出世欲がないのかいつまでたっても少佐のまま、己の副官(というよりもお目付け役のような、そんな半端な身分で)甘んじている。それがガープにはときおり気にかかり昇進するよう、受け入れるよう説得することもあるが、受け入れられたことはない。
『私の希望はこの仕事です。私を有能と、腕を認めてくださるのならどうかこのままで』と、そう言ってそれ以上を話させぬのだ。
そのボガード、普段行っていたコビーたちの見張りはそろそろ必要ないだろうとそう彼らを信頼してきたのでガープの傍に戻ってきていた。きっちりと居住まいを正している実直な海兵をがにこにこと興味深そうに見つめている。はガープの恩師の孫娘である。そのためボガードは無礼にならぬようにと脱帽し頭を下げていた。顔は見えぬはず。だがは顔が見えているように目を細める。そのまますくっとやおら立ち上がって、あっけにとられているガープを後目にボガードに近づいた。
「?」
何をする気だと声をかける。するとはガープを振り返らぬまま、すっと、その場で正座し、三つ指ついてボガードと向かい合った。
「決めました。ガープおじいさん、あたし、この人ならよろしゅうございます」
にこりと笑う、弾むようなその声。思わずボガードが顔を上げ目を見開いた。普段表情の乏しい男の驚いた顔は珍しいが、同じようにガープも目を見開いて驚いてしまう。そういう二人をまるで気にした素振りも見せず、は丁寧に頭を下げて、背中を丸めた。
「・はボガード様の恋女房にならなりとうございます」
言って、そのまますくっと身を起こす。その顔はにこにこと穏やかな笑みが浮かんでいるばかりであった。
next
とりあえず問題提起。
・さんはなぜ他の3人は却下だったのにボガードさんはOKなのか。
・なぜ評判のない店にいつまでも居続けているのか。
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