文鳥






「鳥など、囲われては如何でしょう」

その書類を整える指先があまりに白いので聊かの不安を覚えていたセンゴクは一瞬彼女の声を聞き逃しそうになり、眉を顰めて顔を上げた。自然不機嫌そうな顔になった。途端、秘書は恐縮そうな顔をする。そういう意図ではないのだと弁解しかけてセンゴクは止めた。自分の浮かべた表情がそのまま自分の内心を表しはしないことをセンゴクは自身よくわかっていたが、それをこの、まだ若い秘書官に言って聞かせるのは妙に、馴れ馴れしい気がした。別段彼女を疎んでいるわけではない。(確かに常に実務経験が15年以上なければ配属されないこととなっているセンゴクの秘書団の人間には相応しからぬ人物ではある。能力が低いわけではないが、しかしセンゴク自身も聊か若すぎると思わなくはない。いや、そもそも彼女は本来配属されるはずのなかった人間なのだ)理由、単純、いや気恥ずかしい、と。それゆえのこと。己の孫娘か何かと紹介しても通用しそうなほど歳の離れた秘書に弁解など、と、それゆえのこと。それでその秘書の、意思の強そうな柳眉が八の字になるのを見て妙に悪いことをしたような、気になる。それでセンゴクはゴホン、とらしくもなく妙な真の咳払いなどして、視線を下げる秘書、の注意を引いた。

「その、なんだ。あぁ、そうだ。鳥、なぜ鳥の話など」

気を引こうとしたクセに何を話すかは考えていなかった。それでセンゴクは少しまごついてから不自然にならぬような言葉を返す。この己が、と内心舌打ちをしたくなる、ほど苛立ってはいないが、しかし、動揺はしていた。

「お嫌いですか。小鳥など、囲われては如何でしょう」

、先ほど咎められたのではないと、そのセンゴクの口ぶりから察したか、わずかに和らいだ貌で言いキョトン、と小首を傾げてくる。濃い色の目はキラキラと光りが辺り華やいで見えた。けして明るい色、彩の有る色ではないのだけれど彼女の目は輝いている。センゴクがじぃっと目を細めれば、再び、まつ毛を伏せた。彼女はあまり目を合わせてはこぬものだ。それが秘書官としての心得なのだろうとセンゴクは思っている。でなければ普段なぜ自分以外の人間の目は真っ直ぐに見返しているのに、己だけはこう伏せられるのかと首を傾げたくなる。囲うという言い回しが妙に古めかしく耳に残った。センゴクはじぃっとのまつ毛、その長い黒々とした睫毛が下瞼に影を作る様を眺めていたが、問われたのだ、ということにゆっくり十秒後気付く。

「鳥か」

声に出して、顔を顰める。今度は先ほどとは意味が違い、正直に不機嫌になったゆえのこと。いや、鳥うんぬんに文句はないし、囲う、つまりは飼うてはどうかと問うてくる彼女が理由でもない。鳥で思い出すのは厄介極まりない七武海の男である。名前は違うしまるで鳥に見えないが鳥で思い出す男。センゴクから見ればどう考えても趣味の悪いとしか表現できない桃色のド派手なコートを年中愛用し妙な笑い声を響かせる歩く歩くR指定。それが脳裏に浮かんできたわけで、あの男の笑い声やら顔を思い出して顔を顰めずにいられる海兵はきっとおるまいとセンゴクは溜息を吐いた。
「鳥が好きか嫌いか、というのは考えたことがなかったな。この窓から時折鳩は見えるが、別段気に止めたこともない」
「然様ですか」
センゴクのあっさりした言葉に、は短く応対する。耳には平素の声であったが、若干眉が下がった。少し気落ちした様子。センゴクは小首を傾げて自分より背の低い秘書を見つめる。

「どこかで怪我をした鳥でもいるのか?」
「いえ」
「ではどうしたというんだ」

ふむとセンゴクは予想がひとつ外れて己の顎に手をやる。どこぞで怪我をした小鳥でもいて保護のためにかと、そういう考えが浮かんだがすぐに否定されてしまった。それに確かに、何より、連れていくべきなのはその場合医務室だろう。センゴクはじっくり考えつつの答えを待ったが、彼女、中々答えぬで、それで二人暫しの沈黙。トクトク、と妙に心臓が早くなる。センゴクはをどう扱うべきか時々困ることがあった。平素であろうと思うていてもそうはいかぬような、妙な居心地になることが時たまある。別段自身に問題などない。不幸な事故で秘書団に配属されてしまってからこの半年、中々どうして彼女はよくやってくれていた。秘書団長の温和だが棘のあるもの言いにもへこたれることなく毎日しっかり仕事をしている。まだ若い、という点は確かにセンゴクも気にはなっていたが、しかし、センゴクはという海兵を気に入っていた。

いや、好感というものなら出会った当初から持っていたと思う。不慮の事故により能力者となってしまったその身において、素直にその悪魔の力を恐ろしいと口にした。その言葉を聞いた瞬間、己は彼女に好意を持った。世に悪魔の能力を欲する声は多くある。海賊連中も声高く叫び、そして海兵らもその力を求める。しかし、まがりにも「悪魔」の実とつくその能力。口にすれば呪われる。呪われたその身。いかようにも利用でき、それは確かに、望む力を、知らぬ世界を教えてくれよう。だがしかし、呪いなのだ。

能力者が増える。能力を欲する声が増える。海も空も陸地も、何もかも、呪われてしまえばいいと、そう願う者が増えたのではないかと、センゴクはそう思わずにはいられないことがあった。未だ解明されぬものではあっても、しかし、なぜ「奇跡」や「神の実」などではなく「悪魔」「呪い」と呼ばれるのか、考えるだけでもおぞましい。

呪われ者などこの世に一人もいなければいいのだ。誰も、そんな力を欲することのなく、そして、そんな力など必要ない世界になればいい。センゴクの脳裏にちらり、と随分昔に見た己の兄夫妻の姿が浮かんだ。今はもう二人ともこの世の人ではないけれど、悪魔の実のことを考えるたび、二人の姿が思い浮かぶ。

その、センゴクは己自身とて「そう」であるのに、腹のうちは嫌悪しきっている悪魔の能力を、人は手に入れて喜ぶものを、「恐ろしい」とそう言って瞳を揺らしたを、好ましいと思った。彼女自身に対しての感情ではなかったのかもしれない。たった一人でも、「そう」いう人間がいてくれて、そして自分がその目の前にいれたことが、何か、救済のようなものがあったのかもしれない。悪魔の力が世に必要なことを元帥として誰よりもよくわかっている己。それでも能力を嫌悪する己などふさわしからぬという自己嫌悪、それゆえ、の存在により、その発言により「自分の憎悪は肯定されるに足る」可能性が芽生えたからかもしれない。

「いえ…大したことではないのですが」

だからこそ、センゴクはをどう扱って良いか判らぬのだ。年頃の娘の扱いならある程度は判る。若い海兵の扱いも、当然判る。だがという人間はセンゴクにとって「娘」「海兵」という枠に納められぬ、いや、納めずに居続けたいのだった。それでも、彼女には海兵になるようにと指示を出し、見守る。その奇妙な差異、歪みがセンゴクを戸惑わせた。

「昨晩本を読みました」
「本?」

じぃっと見つめるセンゴクの目に居心地が悪くなったか、ちらり、と顔を背けて口を開く。別段言わぬまで何も言わぬつもりだったわけではないが、口を開くのをためらった、その理由を話そうと言うのでセンゴクは黙って聞く。

「短い、小説です。先日偶然出会った少女から借りたのですが、文体が難しくひとつ読むのに時間がかかってしまいました」

偶然出会った少女、のあたりでセンゴクはものすごく嫌な予感がしたが、聞いている限りは被害もなかったようでほっと胸を撫で下ろす。あまりその辺は考えない方がいいだろう。

しかし本を読んだことと鳥がどう繋がるのか。さすがの知将と名高いセンゴクでも結びつけるのは難しく首をひねった。すると、少し気恥ずかしそうに耳を赤くする。

「子供じみているのですが、話の結果に不満を覚えまして」
「どんな話だったんだ?」
「作家が知人から鳥を、とりわけ文鳥を飼うようにと勧められる話しです」

あぁ、なるほど、とセンゴクは頷いた。も頷き、言葉を続ける。

「文鳥を、作家は飼うのです。最初は餌をやり気を使うのですが、次第に仕事が忙しくなって構わなくなってしまって、最後は餓死して死んでしまうんです。餌壺は殻だけになり水入れは底に僅かに光るほどという有様で止まり木の下に冷たく硬くなった文鳥が死んでいるんです」

文章を思い出し、その光景を思い浮かべたのかの声に力が籠った。センゴクは珍しい彼女の熱の籠った目に丸メガネの奥の目を見開いて、そして、細めた。

「作り物の話だ」
「わかって、ます」

礼儀正しくあった彼女の口調が一瞬崩れた。センゴクは目を細めたまま、の頭に手を伸ばす。開いた額から前髪を少し梳かせば、僅かに下がった。能力を得て彼女は人と接触することを遠慮していると、クザンがこぼしていた言葉を思い出す。拒まれたことには気付かぬふりをしてセンゴクは手を放した。強張っていたの体から力が抜けた。

「なるほど。だが、それなら鳥を飼うべきなのは君ではないのかね」

つまり彼女は、その小説の中で作家の一時の好奇心、その後の無関心により冷たくなった文鳥を哀れと思い、そうではない文鳥の結末が欲しいのだろう。それなら己自身で飼うべきところ、そう指摘すれば、見るこちらが罪悪感を覚えるくらいに困ったような顔をした。

「それも、そうですね」

にこりと笑みを浮かべて頭を下げるにセンゴクは眉を寄せた。彼女はけして己では文鳥を飼うまいと気付く。人と接触せぬように素早く後ろに下がろうとするほど、心身ともに、静かに浸食されている彼女がどうしてか弱い生き物を飼えるのだと己の言動を悔やんだ。センゴクは何気なくから視線を外し、ぐるりと部屋の中を見渡す。

「私の執務室は殺風景だと思わんか」
「いえ、元帥殿らしい、実用的な場所だと思っています」
「ガープの部屋を見たことがあるだろう。あれくらいにぎやかにしようとは、まぁ、思わんが。しかし、時々仕事中、息が詰まることもある」

話しながらセンゴクはガープの部屋を思い出し、嫌な顔をした。魚拓やらどこぞの石造やら妙なペナントやら地図やら、ここはお前の私室か!?と何度怒鳴ったか判らぬほど、妙なものが散乱したガープ中将の執務室。当人普段海の上、なのだから物置になっていても構うまいと開き直っているのが尚更センゴクの神経に触る。思い出してひくひく、とこめかみを引きつらせるが、今はの前である。それはとりあえず頭の隅にやって、言葉を続けた。

「ところで、君、文鳥は鳴くのかね」

もちろん知らぬわけではないが、問うてみた。は再び色の濃い目をきらきらとさせて、頷く。

「はい、鳴きます。愛らしい声で鳴くのだそうですよ。千代千代と鳴くそうです」

恐らくはその小説の文中にそういった表現があったのだろう。一生懸命に伝えてくる姿、頬の赤みにセンゴクは目を細め、大義そうに頷いた。

「それならまず籠を用意せねばな。ガープのやつが乱暴に開けようとしてもびくともせんものがいい。大将たちも物珍しくてちょっかいをかけてきそうだ」

喉を震わせて笑えば、が少しだけ驚いたように目を開き、そして口元をすぼめ。小さく笑う。機嫌が悪いという表示ではないだろうとセンゴクは判じ、同じように目を細める。が笑えばぽぅっと春が来たようだった。

「元帥殿なら、と思ったんです。元帥殿なら、きっと忘れることもないでしょう。愛想のないことを言うこともないでしょう。私、元帥殿に文鳥を育てていただきたかったのです」

嬉しそうに、しかしやはりどこか気恥ずかしそうに言い、目を伏せがちにするに、なぜだかセンゴクも照れた。こうもあからさまな信頼を向けられ、居心地が悪くなる。センゴクは本日何度目かの咳払いをした。

「それでは、次の日曜に出かけよう。知人が鳥獣店を開いていた筈だが、まだ生きているのか」
「……はい?」
「あぁ。随分と高齢でな。私やガープがまだ若いころからやっていた店だからそろそろ危ないんじゃないかと思っているんだが」
「……いえ、そうではなくて。あの」

何やらもごもご、と口を動かすにセンゴクは首を傾げて、その顔を覗き込んだ。何か妙なことでも言ったか、と問えば、やはり耳を赤くした彼女は掠れるような声で答える。

「げ、元帥殿に同伴させていただけるのですか………?!」

声は小さいが、後半息が詰まった所為で、妙に勢いを感じた。何を今更、とセンゴクは思う。言いだしたのは彼女であるわけで、その気にさせたのも彼女だ。それなら責任(というほど重々しいものでもないが)を取らせるのは当然だろうと。文鳥を一緒に選び、そして道具を揃えるまで一日かかっても付き合わせるつもりであった。そう答えると、はますます顔を下げ、首を振る。

「予定があったか」
「い、いえ…!!違います。そうではなくて…いえ、あの、あの…!」
「嫌か。いや、確かに私のような老人と折角の休日を過ごさせるのは酷か」

冗談めかして言えば、は必死に首を振り、顔を上げた。

「そんなことありません!!!」

その声の大きさに、聊か驚く。彼女はこんな大きな声も出たのかと新鮮に感じる一方、何をそんなに必死になっているのかと疑問に思う。ははっと我に返ったらしい。己の失態に顔を青くし、そしてまた真っ赤にしてから一歩後ろに後ずさった。止めるのも何なのでそのままにしてセンゴクは腕を組む。ころころと表情が変わるのを見るのも中々面白いものだと感心する。ガープも表情は豊かだが、あれの笑顔を見ていると腹が立し、おつるさんはあまり表情が動かない。

そしての気が済むまで頭を振らせたあと、ゆっくりと口を開いた。

「それなら明後日の朝9時に表の広場で待ち合わせよう。付き合わせる例に昼食は御馳走するつもりだからできるだけ腹をすかせておいてくれ」

後半は緊張する彼女の気を解そうと冗談めかして言ったのだが、は心底真面目な顔をして頷く。それがやはりおかしくて、センゴクは目を細めた。文鳥を飼うつもりなどまるでなかったが、千代千代と鳴くその声を聞きながら仕事をするのも悪くない。そして死なずにいればは少なくともほっとするのだろう。それが何だか妙に、居心地がよくセンゴクは頷くの旋毛を眺めながら、ゆっくりと息を吐いた。





Fin


※参考:夏目漱石「文鳥」








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