どくどくと心臓ばかりうるさくて、肝心の心はおいてけぼり
「おい、大丈夫か?」
声をかけられて・S・は己が膝を付いていたことに気付かされた。
「……お頭さん?」
「声が出るなら問題ねぇな。長くは持たねェぞ、これ以上はお前でケリつけな」
そういう億越え賞金首、ユースタス・キャプテン・キッドのその背。見える黒いコートにチューリップなんですかと突っ込みが入れたくなるような頭。燃えるような色は苛烈に極まりなく、はっとはその赤で己が今どういう状況にいるのかを思い出した。
「そう、そうです。わたしは詩編の回収を」
「思い出してくれてなによりだ。クソッタレ、なんだってこんな妙なもんに関わっちまってんだか」
意識をはっきりと戻したに悪態をつきつつ、キッドはその巨大なガラクタの腕で目の前の敵を薙ぎ払う。
ここはどこぞの海賊船で戦闘中というわけでもなく、キッド海賊団には珍しいことにとある島の古びた屋敷。上陸した島にこのような古びた洋館があるのは不気味だ、けれど屋根があるのなら休めるかと、ついでにお宝でもあればいいとキッド海賊団の家探し、いえいえ海賊行為。それにも「これが海賊さんのお仕事なんですね」と神妙な顔で頷いたもの。それはいい。そこまではよかった。
「仕方ありません。わたしは詩人で、ここには詩編がある。回収されることを拒む詩は手ごろな像、あるいは死体に宿って詩人を攻撃するんです」
「だから、それに巻き込まれる理由はどこにあるってんだ」
くそっ、とキッドが再び腕を払えば動き出した石造が崩れる。が、元となる詩編を回収せぬことには石程度なんどでも修復されるもの。幽霊の方がマシだと、そうキラーが呟いていたが、全くもってその通りだ。
巻き込まれている。そうキッドの言葉には少なからず動揺した。この程度はさしたる危機ではない。だが得体の知れぬもの。そして明らかな面倒事だ。キッドが疎むのもわかる。彼らがこうなっているのは紛れもなくの責任であった。
この館に彼らが来たのは偶然、寝泊りを決めたのも偶然だとして、この場にさえいなければこうはならなかった。館はただの館としての顔しか見せず、彼らを受け入れただろう。
しかし己がいた。詩人、・S・がいた。それであるから館はこうして牙を向き、泊りを決めて各部屋へ引き上げた海賊団を個々に襲い始めた。異変にキッドたちが気づいたときには半数以上がどこかに連れて行かれていて、このまま船に戻るなどキッド海賊団の名が廃る。
億の名に恥じぬ決断ではあるが、無謀であるとにはわかっていた。この館に存在する詩編は、はっきりといえばの領分を超えるもの。本来ならこの存在だけを海軍本部に知らせて本人が直々に回収に来るように要請するべき類のものだ。
しかしキッドが「挑む」と決めた。キラーが立ち向かった。そうなればは安全な場所で手紙を書くという選択肢なぞもてるわけもなく、二人がゆ有象無象を相手にしている隙に詩編回収を図ろうと、そう無謀なことを実行し、そして力量をわきまえぬ行いに意識をはじかれていたと、そういうことだ。
「……すいません、お頭さん。わたしに回収は、できないんですよ」
「あぁ!?なんか言ったか!?」
回収のためのリリスの日記を開き、は血に塗れた己の指を抑える。無茶をしてどうこうできる問題、ではない。詩編回収はその力量、階位に相応しい者にしか行えぬ。己は所詮人工的に祭り上げられた詩人であり、そもそも頂いた階位はちょうど中間にすぎぬのだ。できることの方が多い。
それでも、もしかして、もしかすれば、己にも、無茶という奇跡のような行いを起こせるのではないかと、そう期待してしまった。
そんなこと、己には本来抱けるはずもない「期待」であったのに、何を勘違いしてしまったのか。
は己が詩人になった経緯を思い出す。世の中に期待など、他人からの救いなど求めるだけ無駄だとそう突きつけられた幼少期ではなかったか。だというのに「なせば成る」などと、なにを思い違いをしたものか。
(この海賊団に、わたしは長く居過ぎた)
そうとしか考えられない。
この海賊団、キッド海賊団はキラキラと輝いている。頭、船長、キッドはまぶしい。夏の南国の出身だというが、いつも強く強く、苛烈な男。どんな強者であろうと屈せず堂々とした王者の風格。海賊王を目指すと、ワンピースを手に入れるのだと豪語する。それが「一般的」には夢物語にすぎぬという「常識」を一切認めず、そうと逆らうものには血を見せる強引さ。
世間の常識評価など知らぬ。己の夢、願い、目標、目的、手段に一切の誇りを持つその姿。
は強烈に、引きつけられてしまっていたのだ。
(お頭さんは、わたしを仲間とそう言ってくれる)
今もそうだ。こうしてが大勢を崩しているそばを、離れず守ってくれている。彼は懐に入れたものにはかいがいしい。そのぬくもりをは知ってしまって、そして覚えてしまった。そういう環境が、そしてキッドの、勇猛果敢に無謀・無茶に挑むその姿勢が、諦めることを強要された半生のに「希望」持つことを教えてしまった。
(けれど、結果はどうです)
冷静に、は己を取り戻す。
そうしてキッドに引きつけられて、影響を受けて「なんとかなるのではないか」とそう、前向きな心を持って、それで己は上位の詩編に挑んだ。けれど結果はどうだ。
人には人の領分がある。魔女であればこそそれはよく知ること。なぜ望んでしまったのだろう。恥じ入り、そしては唇を噛む。
「!おい!!お祈りなんざしてる暇はねぇぞ!!立て!立って戦え!」
「違いない。、立て」
を守るように立つ二人、しかし石造らの勢いは収まらず、そして本気になった詩編が周囲にはびこり、いつどんな効果を発動するかわからぬもの。力で押してどうこうできぬこの場をどうこうできるのはであると彼らは考えている。それであるから奮い立たせようと声をかけるが、の体は動かない。
できないと、わかっている。
この上位の詩編を回収できるのはか、あるいはトカゲくらいなものだ。己が回収しようとすれば身を引き裂かれる。それはだめだ。そうなれば、ボルサリーノを、伯父を、誰が魔女の悪意から遠ざけるというのだ。
恐ろしいほど急速にの頭が冷えてくる。
これまでの経験から考えてこの詩編は回収しようとさえしなければ急激な敵意を見せはしない。つまり暫く放っておいても問題はない。
それなら己はこの場から離脱して、そしてにこの詩編の存在を知らせるべきだ。
つまりキッドたちを見捨てて。
「………」
その判断は早かった。だが普段同時にできるはずの決断が、できぬ。は逃げようとするならかまえるべき足をそのままにして、そしてぐるぐると自分自身に問いかける。
なぜ逃げないのだ。
こんなこと、これまで何度もしてきた。
は、・S・は、何もキッドたちの海賊団が初めて接触する「海賊」ではないし、「集団」でもない。これまで接触し、所属したことのある団体はいくつかある。革命軍の支部を根城にしたこともある。けれど都合が悪くなれば、自分の力量以上の詩編に遭遇すれば、彼女は彼らを「餌」あるいは「囮」とするのをためらわなかった。
それと同じことではないのか。
ここでキッドたちを食えば、詩編は一時大人しくなるだろう。
そうなれば悪意として散らばる確率は極端に下がる。どうせ海の屑、海賊風情。利用方法としては上出来ではないのか。
そう思う心があるのに、は行動に移せぬ。
それどころか、詩編の一行に襲い掛かられようとしているキッドを突き飛ばし、己の腕に這わせた。
「!!おい!!」
「大声出さないでくださいよ、お頭さん」
「、問題はないのか」
「えぇ、わたしは詩人ですからね。取り込まれることはどんな場合もありえない」
庇われたことに声を上げるキッドをスルーすれば、キラーがぐいっとの腕を取る。詩編に食われればそのまま肉ミンチになるが、詩人にそういう弱さはない。取られた腕を振り払い、は勝手な行動をした己の体に舌打ちをしたくなる。
何をしているのだ、己は。
戸惑う、混乱する。それでもは、かなわぬと理解しているのに詩編を再度「回収」するべく立ちはだかった。
「こんなの、わたしの性格じゃないんですけどね」
相変わらず声はのんびりとした世界をひそかにバカにするような音ができる。けれど額には油断ならぬゆえに浮かぶ汗、指先は震えていた。
「……おい、キラー!女に庇われる覚えはあるか!?ねぇよな!?」
「違いない」
勝算はまるでないが、逃げられぬ以上「なんとか」しなければならぬ。そういう完全に不安要素しか見当たらぬ状況で、それでも前を向けば、ぐいっと、その肩をキッドに掴まれ再び後ろに回された。
「お頭さ、」
「クソッタレ。だから、なんだってテメェがこんなことに関わらなきゃならねぇんだ。巻き込まれる理由があるってんだ」
「あぁ、違いない。キッド、もっともな意見だな」
なぜ挑むのだ、とそうが問おうとすればその言葉を発する前にキッドとキラーが詩編に向かう。この世で最も理不尽なことを軽蔑するように言われた言葉にキラーが同調し、そして双方が再度武器を構えなおした。
「おれらはいい。おれたちはいいんだよ。海賊だ、無法者だ。敵なんざできるだけ多くくりゃァいい。どいつもこいつも叩きのめして、つるし上げて進めばいい。だがこいつは違う。こんな目に合う理由が、誰が何といおうと、おれが「ねぇ」とそう決めたんだ」
何をバカな。
は目を開いた。彼らにはきちんと説明をしている。この世に散らばる詩編のこと。はそれを回収する者。己といれば詩編に遭遇した折に、ロクでもない目に合う。そうきちんと告げた。
クソッタレと、そう先ほど言った言葉の意味はによって巻き込まれたからではないのか。こんな、海賊らの強者強者の争いではなく、まるで無縁な、魔女の器物によるものと、そのような理不尽さによるものではないのか。
なぜ今、まるで己を庇うようなことをいうのだ。
どくどくと、の心臓が激しく脈打つ。キッドが、キラーが目の前で戦い、押しては押し返されていく。そういう光景を、彼女は呆然と眺めた。
思えば、彼らだってきっと、逃げることはできたのではないか。
仲間が行方不明になったといっても、そうだ。きっとその行方不明になった彼らだって、逃げることはできた。でも逃げずにいた。
なぜだ。
「…………わたしのため?」
まさか、という思いがに巡る。
彼らが「戦って」いるのは、が、この詩編を回収しなければならないと思っているからなのか?
自分たちが集団でも手こずるもの。一人にさせていいのかと、そうはできぬだろうと、仲間なのだからと、そういう、そういう、つもりなのか?
アメジストの瞳を見開いたまま、は石造に殴り飛ばされるキッドの赤を目で追う。
本心から彼らは、キッドは、自分を「仲間」であると、そう思ってくれているのか。なぜ。油断ならぬ生き物であることは理解しているはず。いつ裏切るのかわからぬと、そうキラーに言われたことだってある。魔女とはそういう生き物で、そして貞操を貫かねばならぬは女としてキッドの役に立てることもなかった。
目に見える全てが真実ではないと、彼女は幼いころに突きつけられてきた。
絶望を、絶望と思わぬよう、理不尽な世界に慣れ親しんできた。
(それであるのに、どうして今、目の前にある光景はこんなにも)
戸惑う。困惑する。
戦うキッドの背、己に破片の一切も飛ばさぬよう徹底するキラーの姿、それをどうして疑うことができるのだ。
「………!?どこか怪我を!?」
ぽたぽたと、の白い頬に大粒の涙が伝う。
傍らにいたキラーが異変に気づき、を伺う。
「いいえ、いえ。いいえ。そんなことはありません、そんなことでは、ないんです」
首を振り、幼い子供のように埒もない言葉をつづけ、は乱暴に涙を拭う。あとからあとから出てくるこの涙の理由は、今は考えるべきではない。
己が最後に流した涙は冷たかった。けれど今は、暖かく心が苦しくはなるけれど、それでも、不幸な気分ではなかった。
溢れる涙をひとしきり拭い終えてから、はスッとキッドたちの前に出て、相対するべき詩編の場所、大広間の暖炉の上に高く掲げられた肖像画をまっすぐ見つめる。
「詩人としてかなわぬのなら、わたしは魔女としてあなたに報復します」
宣言し、腰に差した短剣をそのまま首筋に宛がった。
Fin
(2011/01/31 17:32)
リハビリ小話。さん自覚症状が出てきました。
タイトルは瑠璃音さんからお借りしました。
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