高い高い塀の上、ひっそり眠るマレーン姫などとそのような童話、歌を歌う小柄な娘。きらきらと光る金色の髪の美しい。いや、娘や少女の類ではなくて、もう七ヶ月前に夫を迎えたその女性。真っ白いワンピースに薄い色のエプロンをつけ、花畑で近所の子供らと遊んでいる。ふわりふわりと風に舞う真っ白い花びらよりも白い笑顔、美しく、隅のツグミの木の下でそれらの様子をひっそりと眺めていたセンゴクは、先日声変わりの時期に入って掠れた喉をつぃっと鳴らし、眉を寄せる。あの輪の中に入るには少々気恥ずかしい思い、しかし見ているだけでは妙な疎外感。そんな心持、少年時代特有の、それでも当人からすれば、そうとあっさり妥協することのできぬ問題。センゴク、短いズボンの裾を軽く掴んで、興味がさしてあるわけでもないが、しかし将来を考え(実家の家業、商家ゆえ)必要であると思われる分厚い本、膝の上に乗せゆっくりと開く。

 

眼の端に、それでもちらりちらりと見えてしまう、美しいそのひと。北の海の童話には雪で出来た花のような魔女がいると、そのような言い伝え。しかし目の前の現実の人は、まるで花で出来た雪のような美しさがある。直視すればまぶしくてしようがなくて、センゴクはいつも目深に帽子を被る。それをひょいっと取り払って、センゴクの眉間によった皺をからかっていた、年の離れた兄は半年前に戦地へ向かった。

 

「一緒に遊びましょう。いつまでも日陰にいたら身体に悪いわ。お義母さまもご心配なさっているのよ。あなたはいつも本ばかり読んでちっとも身体を動かさないって」

 

兄のことを考えるセンゴクの耳に、彼女の透明感のある、美しい声がかかる。センゴクは彼女の声を聞くたびに春が来たような心になり、一瞬心臓が鳴る。そんなことを彼女はまるで知らず、にっこりと優しい笑顔をこちらに向けている。センゴクはまぶしそうに眼を細め、そっぽを向いた。しゃべれば醜い声が出る。彼女にそんな声を聞かせたくはない。顔を逸らすセンゴクを彼女は困ったように見つめたが、しかし、すぐに気を取り直したか、すとん、とセンゴクの隣に腰掛ける。

 

「いいお天気ね。そう思うでしょう?センゴク、お天気のいい日はピクニックができるわね。よく、あのひとと一緒に小川にバスケットを持って出かけたの。夏の初めには釣もしたわ。あのひと、釣がすごくヘタなのよ?私の方が釣れてしまって、すごく具合が悪そうだった」

 

知っている、とセンゴクは小さく呟いた。何もいわねば彼女は永遠にしゃべり続ける。何が面白いのか、こちらが黙っていてもつらつらと、本当に楽しそうに、何時間でも傍にいる。構うな、と言いたいが、彼女はそうはできないとも知っていた。兄が戦場へ行く前に、くれぐれも弟を頼む、と彼女に言っていたのをセンゴクは聞いていた。健康に恵まれた兄とは違い、センゴクは食も細く、病に倒れがちだった。父はそれでも商家の子なら計算さえ出来れば生きていけると慰めてくれたが、センゴクは本当は兄のように海兵になりたかった。

 

兄のことを考え、センゴクはぎゅっと、手のひらを握り締める。十以上も年の離れた兄は家を継ぐことを否定して海兵になった。センゴクが生まれてからすぐに入隊したというのだから、おそらくは、自分が生まれねば家に入ったのだろうとは思う。責任感のない人ではない。そして同時に、時折センゴクは思うのだ。もしも兄が、実家を継いでいたら自分はただの厄介者だったのではないだろうか。病弱な次男。優秀な長男のもとではただ邪魔なだけ。しかし兄が家督を放棄したお陰で、センゴクは生まれてすぐに家を継ぐ人間であるとされ、大事に扱われてきた。そのことを、最近よく考える。

 

「まぁ、また何か難しいことを考えてるのね?ダメよ、センゴク。今は自由時間なのよ?一日中、あなたったら難しいことばっかり考えているんだから。こういうときは何も考えないで」

 

沈黙し続けるセンゴクに何か敏感に感じ取ったか、彼女が眉を跳ねさせて、頬を膨らませた。少女のようなしぐさが似合うひとである。センゴクは笑いそうになり、なんとか堪えた。彼女は笑うとえくぼが出来る。

 

「あのひとから手紙が来なくて寂しい?」

 

笑った後、彼女は突然表情を消す。ころころと表情の変わる女性だ。センゴクは一瞬話題に遅れそうになったが、すぐに頭を切り替えて、じっと彼女の顔を見た。真っ白い肌に、ばら色の頬。美しい彼女。その微笑ばかり浮かんでいるはずの貌に、ここ最近翳りが見えた。兄が海軍本部の海兵になった時も、彼女はこんな顔をしたと思い出す。彼女の父親は、確か海兵だったらしい。らしい、というのは、彼女の家はセンゴクの家の向かいだが、センゴクが生まれたとき既に、彼女の父親はこの世におらず、母親と彼女の二人だけで生活していた。戦場で命を落としたのだという話をいつか、誰かから聞いたことがある。本当かどうかをセンゴクは確かめたことはなかったが、あながち間違っているわけでもないのだろう、とはぼんやりと、彼女と、兄の様子を見てわかった。

 

半年前に戦場へ向かった兄から、この三ヶ月何の便りもない。一昔前なら何の連絡手段もなく不安不安というだけで夜も眠れぬ、というものだったが、この時代、通信用の電伝虫だって必ず家にはある。海軍本部に問い合わせもした。しかし、それなのに何の沙汰もない。彼女の笑顔が曇っていく。あれほど固く誓い合っていた中ではないか。何をおいてもお互いの幸福を願うと、そのように誓い合っていた様子、ありありとセンゴクは見てきた。それなのに、なぜと、兄を怒鳴りつけてやりたい。

 

「べつに」

 

しかし、彼女の問いには低く答える。彼女はふわり、と息を吐いた。ため息を吐けば、ふわりと風がやわらかく吹いて綿帽子が飛ぶ。

 

「わたしね、信じてるの。信じることしかできないけど、でも、ちゃんと、無事だって。ご飯を食べて、寝て、笑っていられているって、そう、信じているの」

 

ゆっくりと眼を伏せて、彼女は呟く。自身に言い聞かせているような響きがあった。センゴクは何も言わず、ただじっと、彼女の伏せられた眼、睫が白い頬に影を落とす、その様をありありと見つめる。かすかに震える肩に手を伸ばしかけ、己の小さな掌が視界に入る。兄のようにしっかりとした手を、自分がもつ日はおそらく来ない。大きな兄の掌が、彼女の細い肩を抱き寄せていた日のことを思い出す。あの時彼女は何よりも幸福そうで、その腕の中こそがこの世で最も安心できる場所、と、そのような柔らかな、安らいだ貌をしていた。

 

「兄さんは」

 

ぽつり、とセンゴクは彼女を呼ぶ。喉が掠れて、引っかいたような声だった。家に帰れば母親が大慌てでハチミツの入ったビンを持ってくる。それがわずらわしい。甘いものはそれほど苦手ではないけれど、それでも。センゴクは喉をさすりながら、何とか聴き易い声を出そうと努めた。

 

「兄さんは、義姉さんのことをいつも考えていると思う。義姉さんが自分のことを考えてくれていることを、ちゃんとわかっているから、ずっと、義姉さんのことを考えてるんだ。朝日が昇ったら、義姉さんの髪の美しさを思い出すだろうし、夜が来たら、義姉さんの瞳の色を思い出す。どこにいたって、兄さんは姉さんの幸福を願ってる。だから、義姉さんは笑っているべきだ」

 

あまりしゃべる方ではないというのに、言おうと思わぬ言葉までつらつらと出る。彼女はセンゴクが物心付いたときから、彼女が兄の恋人であった。兄が彼女をどれほど愛しんでいるのか、その様子をいつも近くで見ていた。兄の眼の動き、頬の筋肉の緩み具合まで、いつも、いつも見てきた。そして、そういうしぐさをされる彼女の微笑も覚えていた。

 

戦地に兄が行くと、そう父から聞いたとき、センゴクは初めて兄と喧嘩をした。一ヶ月前に結婚したばかりで、なぜ、と。自分たちの住む島が戦争に巻き込まれる恐れがあるというのなら、それならセンゴクも、話はわかる。しかし、そうではない。海兵だから、戦争に行かねばならぬと、そのことがセンゴクにはわからない。彼女を妻として、守ると、ともに歩むと誓った矢先になぜ離れるのか。そして、なぜ、彼女の笑顔を曇らせることをするのか。

 

「あなたは詩人ね」

 

彼女はセンゴクの顔を見つめ、眼を細めて微笑んだ。やっとの、その彼女の微笑みに、センゴクはなぜかきまり悪くなって不機嫌そうな顔になる。

「からかわないでくれ」
「からかってないわ。わたし、詩人になろうかなぁって思ったことがあったんだけど。向いてないって言われてしまって、なれなかったの」

 

そういえば以前、そんな話を聴いたことがあった。兄が戦地に行くと決まって少し、彼女は海軍本部の、兄を招集に来た海兵の(階級の高そうな)海兵と何か話をしていた。海軍には、いや、正確には政府には「詩人」が必要らしい。なぜ政府がそんなものを必要とするのか。歯の浮くようなセリフを並べる吟遊詩人はそこら中にいるのに、なぜ、女性の詩人を必要とするのか。それはセンゴクにはわからぬが、しかし、彼女は政府の詩人になろうとしたのだと、そんな話を聴いたことはある。

「俺は詩人になりたいわけじゃない」
「わたしもなりたかったわけじゃないんだけど、あのひとと一緒にいられるかと思って」
「義姉さんは、海兵には向いていないからな」

 

自分と同じくらいひ弱な彼女だ。海に出て海賊と戦う海兵になどなれるはずがない。けれど、おそらく一度は考えたのだろう。彼女の父親とて海兵、それなら娘がなる道もあった。しかし、あまりにも不向きだ。

「えぇ、そうね。わたしは海兵にはなれないわ。だから、詩人ならなれるかなぁって、そう思ったんだけど」
「義姉さんは、花の中にいるのが似合う。・・・・・そう、兄さんも言っていた」

 

兄が、よく言っていた。彼女は、花のようなひとだ。花畑で微笑んでいる、その姿を心に思い浮かべるだけで、どんな苦難にも乗り越えられる。兄は、その彼女の姿を胸に抱いて、戦地へ行った。

 

ビュウゥと、風が吹く。少し強い。冷たさのある風だ。センゴクは、いつのまにか空がオレンジ色に染まっていることに気付いた。彼女がゆっくりと立ち上がり、センゴクに手を伸ばす。

 

 

「冷えてきたわね。帰りましょうか、センゴク」

 

 

 

++

 


 

硝子窓に自分の顔が写っている。随分と皺が増えた、とセンゴクはため息を吐く。どこかの同僚の所為で気苦労が耐えない、などと責任転嫁のようなことを言うつもりはないが、しかし、いや、絶対、あいつが原因の一つであることは間違いない。それを口に出したって行動が改められることがないのだから、言わないだけだ。センゴクは考えてまたため息を吐いた。

 

午後の仕事を一区切りし、執務室の椅子にゆっくりと背を持たれかける。元帥の部屋、ともなれば常にひっきりなしに人の出入りがある。センゴクの机から少し離れた壁には秘書官らの控える机が三つほど並び、そこから奥の資料室へと繋がっている。海軍本部、“奥”と呼ばれるこの場所、最も広いのは魔女の隔離部屋だが(ある程度の広さがないと魔女の癇癪に耐え切れない)それに次いでの広さがあるのがセンゴクの執務室だ。しかし資料や報告書、それにどこぞの中将が勝手に持ち運んでくるちゃぶ台やらなにやらの所為で狭く感じる。冬にはコタツを入れようとしてきたガープのことを思い出し、センゴクは額に青筋を浮かべた。仏のセンゴクのその機嫌の変化、敏感に感じ取ったらしい秘書官らが数名、互いに顔を見合わせて無言で仕事を続けた。いつものことである。

 

センゴクは窓に映る自分の顔、その向こうの外の景色に眼を向けた。海が見えるのは当然として、元帥の部屋からは真っ白い白亜の塔が必ず見える。センゴクが私室に使っている部屋からも、必ず見えるようにしていた。センゴクは白亜の美しい建物を眺め、眼を細める。

 

「……少し休む。30分ほどで戻るから机はこのままにしておいてくれ」

 

言ってセンゴクは席を立った。どこへ、などと問う者はいない。控える秘書官はもう十年以上顔ぶれが変わらぬ者ばかりだ。一番の古株は三十年来の付き合いか、とセンゴクは思い出し、年長の秘書に顔を向ける。センゴクと同じ海の出身者だ。入隊したばかりのころ、よく将棋を指した仲だが、戦地でじん帯をやってしまい、戦えなくなった。それでも処理能力と記憶力が優れていたので軍属に回され、センゴクが少将に昇格したとき、秘書に指名した。苦労が多いのか白髪の混じった男だが、酒が強く、先日も赤犬と飲んで潰したという伝説ホルダー。センゴクはその酒豪の秘書に声をかける。

「もしガープが来たらここで構わんので仕事をさせろ。絶対に遊ばせるな」
「心得てますよ。えぇ、いい加減私もねぇ、提出期限を一週間過ぎたものを当たり前のように出されるのは、ねぇ?」

 

にっこりと笑いながらちっとも口の笑っておらぬ秘書。センゴクは自分で言っておいてなんだがちょっと引いてしまい、「いや、ほどほどにしてやれ」とつい言ってしまった。秘書はカラカラと笑い、それ以上は何も言わない。何も言わないからなお怖いのだが、とセンゴクは呟き、部屋を出て行く。パン、とまぶしい光に眼を細めた。帽子が影を作ってはいるものの、それでも、視界の感じる光量の違いに瞳孔が動く。

 

真っ白い大理石の回廊を進めば蔦の這う白い塔へたどり着く。センゴクの執務室から見えた塔である。塔へ行く、その前には7つの門があり声紋、指紋、眼紋など生体的特徴によるチェックをクリアせねばならぬ重度のセキュリティを誇っている。政府にとって最も重要とされる「正義の証明」である魔女の部屋でさえここまで念入りな守りではない。いや、魔女の部屋に入るにはその日の魔女当人の気分と赤犬の嫉妬の加減によるというのだから、そちらもある意味高度のセキュリティだろうか。あの二人のことを考えてセンゴクは胃が痛んだ。先日ドレーク中佐が「魔女の担当から外してください!!!」と必死に訴えてきたが、その気持ちがわからないわけでもない。今のところ代える予定はないが。

よろっと、柱によろめきかけて、センゴクは気を取り直す。まぁ、とにかく。と、足を進めた。



 

 

 






髪の短いラプンツェル






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あとがき
3回くらいで終わりたい、センゴク夢です。ノリと気分です。
前から書きたかったんですが、ついに? 秘書官ズの設定で他家のお話を書こうとかしているんですが、親御さんに土下座をしたら書かせていただけるでしょうか……。

(2010/1/21 17:45←あれ、この時間仕事中じゃね?)