オハラにバスターコールを発動させた数日後、コング元帥が円卓会議を開いた。元帥、将官ら、それに政府からはアーサー・ヴァスカヴィル卿を迎えての会議。

 

円卓会議とは出席者の序列を定めぬ会議のこと。上座も下座もない。序列のはっきりとした海軍では珍しいこと、行われるのは二年ぶりだ。

 

着席する一同には動揺の緊張が走っていた。中でも特出していたのは先日オハラのバスターコールに参加したクザン中将であるが、その隣で、格式高い部屋であるというに遠慮なくせんべいに湯のみを持参したガープ中将が豪快な笑い声を上げなんぞ話しているのが目立つため、その様子は薄らいではいる。

センゴクは元帥の隣に着席し、未だこの会議に到着せぬ唯一の中将の存在を待った。

 

オハラ、オハラ、悪魔の所業。オハラの学者たちを根絶やしに。正義のためにとその行い。それは何の間違いも、戸惑いも加算されるべきではないこと。それはいい。それは構わない。

 

しかしそのオハラの、その夜に発見された一人の魔女の存在が、現在海軍本部の上層部を騒がせていた。

 

その魔女が最後に確認されたのは水の都でのこと。

 

司法船がとある造船技師を裁こうとしたその席に現れて、造船技師の提案した何らかの「計画」の保証人となった。その「計画」の通りにことが運ぶことを魔女の存在をかける、とそう明言したその少女。そのまま捕らえられぬようにと逃亡した。数年前のことである。それ以来ひっそりと、息を潜め、どこにも姿を現さず歴史の闇に消えてしまうのではないか、と思われた、魔女。世界の敵。世の悪意の体現者、それゆえに正義の裏面、故の正義の確定人、であるその魔女の存在が明らかになり、そして、先の中将の通信によれば捕らえられたと、そういう報告。

 

この500年というもの、世界政府は悪意の魔女と呼ばれるその少女を観測しつつも捕らえることが出来ずにいた。寸前のところで逃げられる。或いは、その時代の有力者の傍らに控え身を守る、という。その魔女が、捕らえられた。

 

「マリンコードM-92-8753xxx49、サカズキ中将唯今帰還致しました。同時に、20時間前に電伝虫により連絡報告させて頂きました通称“悪意の魔女”を連行致しました」

 

コツンと軍靴、鳴り一つ。円卓の一方に現れたのは長身の海兵である。海軍本部が誇る強力な戦力、本部中将にその名相応しい海兵。冗談など通じぬ生真面目な顔を、円卓の場である故に一層険しくし、背筋をピンと、板でも入れているかのように真っ直ぐにしている。その少し後ろに、茨の縄で手首と首を縛り上げられ、立っているのは小さな少女。いかめしい中将の傍らにおいて、人形のように整ったその容貌は不釣合いで、しかし、一瞬、センゴクはなぜかこの二対がそのようにして傍らにあるのが道理のような、そんな妙な感覚に陥りもした。

 

そしてごくり、と、息を呑む。ゴール・D・ロジャーと戦った時代に、センゴクは何度か嘆きの魔女の姿を見ている。しかしいつも遠目で、その上、魔女は厚手のショールで姿を隠していた。老婆だと、随分と長い間思っていた。

 

しかし、今目の前にいるのは少女だ。

 

(これが、魔女)

 

センゴクは円卓の下で掌を握り締める。




 

 




 

髪の短いラプンツェル

 




 

 


 

体調が悪いという母の言葉を聞き、彼女の寝所を訪ねれば、珍しい寝巻き姿のままベッドに眠る彼女がいた。部屋の中を暖かくするためにカーテンは開けられていて、日溜り、ベッドの白い布団、シーツが光る。センゴクの訪問に彼女はゆっくりと眼を開けて、手招きをしてくれた。

 

センゴクは、らしくなく見舞いの品などあれこれ考えて、しかし結局、何を彼女に持ってくるべきなのかわからなかった。その為に、ここへ来る途中の花瓶に刺してあった小さな花を、無言で彼女に差し出す。真っ白い花だ。彼女には白い花、淡い色がよく似合うと、それだけをなんとなく思う。彼女はやわらかく微笑んでそれを受け取り、上半身を起こし、若干艶の衰えた髪に挿してくれた。それでも美しい彼女の金髪に己の持って来た花が添えられることが気恥ずかしく、センゴクは自分の膝の上に視線を落とす。

 

「義姉さんが、その、具合が悪いって聞いた。大丈夫なのか?」

 

兄の不在が続いて長い。ついに彼女の身に影響が出ているのだろうかそう案じる心でもって言うと、彼女は、病の身とは思えぬほど、嬉しそうに微笑む。

 

「いいえ、違うの。違うのよ、センゴク」

 

顔色は悪い。センゴクは自分もよく寝たきりになるのでわかる。血が足りていないのだ、とわかる。それでも彼女は幸福そうに微笑むのだ。なぜ、と不思議に思っていると、ふわり、ふわり、と羽がゆっくり野原に落ちてくるような笑顔のまま、彼女は緩やかに、瞼を閉じて自分の胎を撫でた。

 

「子供がね、いるの」

 

あのひととのよ、と、言う彼女の淡い美しさ。センゴクは驚きで眼を見開き、そして一瞬、ほんの一瞬、妙な胸の痛みを覚えた。バカな、と自分で自分を謗り、そして、義姉を見上げる。

 

「そうか…そうか、よかった。兄さんも、喜ぶ。母さんも、父さんだって、喜ぶ」

 

そうだ、嬉しかった。素直に、嬉しいことだ。義姉の幸福、兄の幸福のその結晶のようなもの。子供が生まれてくるまでに兄は帰ってくるだろうか。少し遅れるかもしれない。悔しがるだろう。生まれるその時を見れないかもしれないのだ。センゴクは自分の気分が高揚していくのを感じた。彼女の子供が、生まれるのだ。自分が憧れる兄と、彼女の子供が生まれる。

 

「貴方の、甥か姪になるのね。でも、年が近いから、お兄ちゃんになってあげてね」

 

そんなセンゴクの気持ちを察したか、彼女の声も弾む。秘密にしていたわけではないだろうが、話題の共有者。センゴクは義理姉の顔と胎を何度も交互に見つめて、力強く頷いた。

 

兄が戻ってくるまで、彼女と、その子供を自分が守ろう。そう、強く思った。自分は兄のように強くはない。だから、完璧な彼女と、その幸福の申し子を守ることはできないだろう。けれど、兄が戻ってくるまで。せめてその間だけは、何にも負けず、彼女を守ろうと、そう、強く決意した。

 

ぎゅっと、彼女の手を握り、センゴクは彼女の美しい瞳を見つめる。

 

「義姉さんと、お腹の子供を、兄さんが帰ってくるまで俺が守る」

 

相変わらず海軍本部からも、そして兄からも何の便りもない。生きているのか死んでいるのか、それさえわかればいい、いや、わからないからこそいいのかもしれないとセンゴクは思った。死んでいる、とわかってしまうよりは、まだいいのかもしれない。そう思う心、もしや己は既に兄がこの世におらぬと思っているのかと、責めた。まさか、兄が、彼女を残して行くはずがない。そんなこどが起こるはずがないではないか。そんな展開は認めない。絶対に、あってはならぬことだ。そうと思う自分を責めた。センゴクは、彼女の軽い、柔らかな手を握り締めたまま、奥歯をかみ締める。

 

「絶対に、兄さんは帰ってくる。一緒に、待とう」

 

 


 

 

 

++

 

 

 

 

 

円卓会議のあった日から数日後、センゴクはサカズキ中将の執務室を訪れた。部屋に入るなり、悪意の魔女の身体から滴ったらしい血溜りが靴を濡らす。顔を引き攣らせて、扉から少し離れた壁に視線を向ければ、茨の縄と銀の杭で磔刑にされた少女がやる気なさそうな顔をして「おや、大将殿」と軽く眉を跳ねさせてきた。

 

「………この状況は何なんだ?」
「見苦しいところをお見せして申し訳ありません。大将センゴク、何か」

 

何か、ではない。何をしているんだ昼間っから、とセンゴクは額を押さえ、しかし何も言わなかった。円卓会議のときから、サカズキ中将が悪意の魔女に対して、それは容赦ないことはわかっていた。口を開く代わりに蹴り飛ばし、名前を呼ぶ代わりに殴り飛ばすような対応だ。無理からぬこと、とコング元帥が笑っていたのを思い出す。何しろサカズキ中将、将官クラスに上がるより以前に悪意の魔女、当時ロジャーの船にいた嘆きの魔女により、当人にとって最も耐え難い恥辱を受けたのだ。その上、絶対的正義をどの海兵よりも噛み締めすぎて、味ないんじゃねぇの?とクザンに陰口さえ叩かれる海兵の中の海兵。悪の定義たる魔女が平穏な時を一秒だって味わうことが許せぬのだろう。

 

センゴクが入室したのを機会に、どさり、と魔女の身体が床に落とされる。魔女は「おやまぁ」と血が足りなくなって真っ白くなった自分の腕をぼんやりと眺めてから、ずるずると、取れかけた足を引きずって部屋の隅に移動した。何もないスペースだが、そこがどうやら彼女の居場所らしい。

 

「確か一昨日、アーサー・バスカヴィル卿より揺り椅子が寄贈されたはずだが」

 

円卓会議の折にリノハの椅子が燃やされたのを見て、政府高官であるアーサー・バルカヴィルが魔女に椅子を贈った。センゴクがその書類に判を押したのだからよく覚えている。しかし見る限りどこにもない。いくらサカズキ中将であっても、バスカヴィル卿からの贈り物を無碍には出来まいと思うて問えば、サカズキの視線が窓の外に一瞬向けられた。

 

「えぇ、頂きました。随分と軽い椅子でしたが」

 

遠い昔のどうでもいい記憶でも掘り返すような口調でサカズキ中将は答え、首を傾ける。

 

(こ、こいつ…窓から投げ捨てたな……!!!)

 

ここは四階である。おそらくこう、手が滑ったとかそういう動作で、投げ捨てたに違いない。罪人風情にそんなものは必要ないとそういう心だろう。それはわかる。わかるのだが、それがバスカヴィル卿に発覚した時に色々面倒なことになるとは思わないのだろうか。政府高官でありながら、けして政府や海軍に対して友好的ではない優秀な血統、膨大な財力を持つ昔からの貴族であるアーサー・バスカヴィルの穏やかな笑顔を思い出し、センゴクは顔を顰めた。

 

「何かご用向きがあったのでは?大将センゴク」

 

この話題を続けるつもりはないらしい。サカズキが軌道修正を図った。センゴクはとりあえずこのことはあとで考えることにして、と自分に言い聞かせ、こほんと咳払いをした。

 

「悪意の魔女に話がある。少し、席を外してくれんか」

 

サカズキは一瞬何か探るような眼をしたが、すぐに上官に対する礼儀を弁えた部下の目に戻る。そしてカツン、と軍靴のかかとを鳴らし、背筋を伸ばした。

 

「何か小生意気なことをあれが申した際にはすぐにお呼び立てください」
「……一応聞くが、何をするんだ」
「地の果てまでも蹴り飛ばします」

 

大将閣下に反論するなど、と苦々しく言うサカズキ中将。いや、まだ何も言ってないだろう、と既にそれがあるという前提で話を進める中将にセンゴクは色々突っ込みを入れたかった。

 

「立ち会ってくれても構わんが、少し個人的な話になる」
「では私は退室しましょう」

 

公私のうちの、「私」の部分がほとんどないサカズキは、そうセンゴクが前置けば即座に返してきた。きっちりと一礼して部屋を出る、しかしおそらくは扉の前で立っているのだろう。それはわかった。ここはサカズキ中将の執務室であるのだから、遠慮することはないといえばないのだが、律義者である。センゴクは部屋の隅に視線を向けて、眼を細めた。

 

「それで、大将どのがこのぼくに、一体どんな用件だい?」

 

話はしっかりと聞きていたらしい。擦り切れた衣服、ぼろぼろに焼け爛れた肌をぺりぺりとはがしながら問うて来る。センゴクは己の身の内の悪魔の声に耳を傾けるような、そんなことはなかったが、しかし、凄惨なこの魔女の様子に聊か気分も悪くなる。といって別段、どうこうしようとは思わぬわけで、そんな様子に気付いたか、魔女が面白そうに喉を震わせる。センゴクは魔女に悟られぬようにつとめて平素のような面をしながら、ゆっくりと一歩、魔女に近づいた。

 

「詩篇、その呪いについて知りうる限りの情報を話せ」

 

おや、と、魔女の目が歪な月のような形になり、その赤々しい唇がゆっくりと、不快を表すように引き結ばれた。

 

「おや、まぁ、大将閣下ほどのご身分なら色々ご存知だろうに、その上このぼくに何を?」
「何もかも。その毒性、呪いの種別、発動条件、それに」
「呪いの解き方かい?」

 

何事か思い立ったのか、魔女が面白そうに笑う。弾んだ声、鞠でもつくような、軽快な声。

 

「へぇ、面白い、話してごらんよ。この魔女に、キミの見た悪意の果てとやらを」

 

はしゃぐ子供の声など久しく聞いておらぬと頭の隅で思いながら、センゴクは長年隠し続けた心の奥の、深い、暗い、激情と憎悪がふつりふつりと湧き上がってコトコト、その存在を主張するのを、ゆっくりと自覚していった。眦を上げて、もう一歩魔女に近づく。焼け焦げて腐る肉の匂いが一瞬で消え、後にあるのは珠のような白い肌、薔薇の香り、瞬きをするのも忘れるほどの美貌の少女、センゴクは荊の伝うその細い首を掴み上げ、壁に押し付けた。

 

 

 

 

 

+++

 


 

 

義姉の胎はあまり大きくならない。少し膨らんだ、という程度。大丈夫なのかといつも案じていたが、経験のある母は「そういう女性もいるもんだ」と笑う。それなら大丈夫なのだと、まだ幼い自分素直に信じた。

兄からの便りがなく、兄が行ってしまってから八ヶ月。センゴクは義理姉の傍にいることが多くなった。

 

「お話をして、センゴク。おとぎ話がいいわ。わたし、大好きなの。王子さまとお姫さまのお話」
「そんな子供っぽい話、俺が知ってるわけないだろ」

 

少し寒くなってきた。夜になれば一層冷える。暖炉の前に揺り椅子、ゆっくりと編み物をしながら彼女が微笑む。机の上に父から出された宿題を広げてこなしていたセンゴクは眉をひそめ、しかし頭の中では必死に彼女が気に入るような物語を探す。が、どうも思い浮かばない。商人の成功談や失敗談、他人を出し抜くすべ、チェスや将棋の話なら出来るけれど、しかし、義理姉と、そしてお腹の中の子供に聞かせてやれるような話の心当たりはなかった。

 

「……父さんの書斎に行けば何かあるかもしれない」
「いいのよ、わざわざ立たなくても。それなら、いいの」

 

彼女の希望に応えられぬ事が聊か不快で低い声で言えば、義姉はとりなすように調子の変えた声でゆっくりと首を振った。

 

「それなら、わたしが話してあげる。聞いてくれる?センゴク」

 

窓の外を風が揺らす木がたたく。少し風も強い、夜。彼女の言葉なら何時間だってセンゴクは聞いていて苦にはならぬのだけれど、しかし、子ども扱いされている、と思って不満そうにそっぽを向いた。

 

「どうしたの?」
「どうもしない」
「センゴクは、お話はキライ?」
「作り物の話は好きじゃない」

 

不機嫌になった理由をそのまま告げることなど絶対にしたくなく、意地を張って言えば、彼女は困ったようにふわり、と笑って、編み物をする手を止め、揺り椅子にゆっくりと背をもたれさせた。きこり、きこりと木の軋む音。

 

「おとぎばなしは作り物だけど、うそじゃないわ。だって、おとぎばなしだもの」

 

義姉さんはおとぎばなしがよく似合う、と、そういいそうになってセンゴクは口を噤んだ。いや、彼女は、夢のようなひとだ。砂糖や宝石で出来ているような、甘い、甘い、うつくしいひと。おとぎばなしの住人だといわれたって、センゴクは信じただろう。彼女にはおとぎばなしのような、愛らしさが良く似合う。しかし自分はそうではないとセンゴクはわかっていた。自分にはいつも惨めな現実だけが突きつけられる。

無言でいるセンゴクを、彼女は優しい眼差しで見つめて、そして、手の中の網掛けの手袋をつまんで見せた。

 

「見て、わたし、上手でしょう?編むのは遅いけど、冬までにはできると思うの。そうしたら、あのひとにあげるのよ」

 

淡い緑の手袋は模様も何もないけれど、一生懸命彼女が本を開いて作っているのを見ている。センゴクはただ頷いて、そして、仕方なく勉強机から離れ、暖炉の前に腰掛けた。

 

「話してくれ、義姉さん、おとぎばなし、あまり知らないんだ」

 

 

 

 

+++

 

 

 


白い塔の扉の前までたどり着き、センゴクは塔を見上げた。白亜の建物を覆うアイヴィー(蔦)を憎々しげに睨んだところでどうなるわけでもない。そんな徒労は十六年前に仕舞いにして、それ以降、ただ見上げるのみ、それだけである。センゴクの掌が触れれば、認証され扉がゆっくりと開く。重厚な音を響かせて、とでもなれば仰々しい禁断の場所への誘い音、にでも聞こえたろうに、しかしこの扉はあっさりと、軋む音すらせずに開く。まるで仕事の合間をぬって茶を楽しみに来たような、そんな、些細な様子。

 

しかしセンゴクの表情はさえぬ、いや、いっそ無表情に過ぎた。何の感情も読めぬ顔、それが真っ直ぐに、開いた扉のすぐ先に見える真っ白い階段に向けられる。古い童話を思い出させるような階段だ。小さな少女が家を飛び出して悪名高い魔女の家に行く、その途中に出てくる階段に良く似ていると、そういつも思う。

 

「マフェットお嬢さんに似てるって、そういえばぼく、言われたことあるんだけど」

 

扉の前に佇むセンゴクの前に影が一つ出来た。顔を上げれば太陽を背にした、デッキブラシに跨る赤毛の魔女が足をぶらつかせて、ぼんやりと、こちらを見下ろしてきていた。

 

「ねぇ、センゴク元帥、いい加減諦めたらどうだい?」

 

細められる青い眼、真っ白い仕立ての良いドレス。お人形のような魔女がこちらを見下ろして、気の毒そうに言って来る。

 





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*うん、やっぱりこれあと一回で終わらないんじゃないですか←
 いやいや、冗談です。後半だけありえない長さになっても終わらせますって。

(2010/2/26 18:06)


 

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