空々しい雨に魘されていく
甲板に出ている・S・。その手にはいつもどおり、黒い背表紙の本。苔色、体の線をしっかりと強調するスーツを纏い、癖のある髪がふわふわと揺らしている。太陽の光をきらきらと受けると銀髪のようにも見えるけれど、の髪色が果たして何色というに相応しいのか、時々キッドは生真面目に考え込んで、結局答えが見つからぬ仕舞い。キラーはの髪を「綿帽子みたいだ」と言うことがある。猫のような柔らそうなその毛は確かに、綿毛のようであったので、キッドは「まぁ、そうだな」と、普段は立場が逆になって、キラーのその言葉を肯定した。
「お頭さん。おはようございます、と言うには聊か日も上がりきって少し傾き加減。陸だからと気を抜いているんじゃァありませんか」
こちらの姿を肯定して、が振り返る。白粉を塗りたくっているわけでもないのに嫌味なくらい肌の白い女だ。キッドは、女の容姿が嫌でも目に付く。好色というわけではなくて、そういう生まれゆえのことだった。そういう目を自覚して諦めて、開き直ってしまえば、・S・という、奇妙な女は自分の知る「女たち」にどことなく似た気配がするものと、最近気付く。
階段を降りて来たキッドをが眺め、眼を細める。上等な紫水晶と同じ色をしている。海賊なんてやっているから、自然宝石の類には詳しくなる。「高貴な」と称される色を持つ石である。上等の女の姿をしているのに、まるで酔わせぬ冷静さを突きつけるに、その石はよく似合っていた。以前戯れで仲間の一人がにアメジストがあしらわれた髪飾りを贈った事があったが、余りに似合いすぎて誰もからかえなかった。・S・。その言動は冗談交じりのものが多いというのに、当人にはまるで可愛げ徒言うものがないのが傷である。
キッドはコートを羽織らずにズボンだけで出ていることに今更気付いた。夏島に上陸したためか、気分が故郷にいた頃と少し似ている。キッドは頭をくしゃくしゃ、と?きながが、いつもつけているゴーグルは、そういえばどこに飛ばしたのだろうかと考えた。
二日前からこの夏島の港町に停泊している。ログが貯まるのが一週間。キッド海賊団はほとんど南の海から連れ添った仲間であるから、暑い島は歓迎だった。気心も知れているもので、停泊するなら、と方々に散っている。キッドも昨夜は港町の娼館に顔を出してきた。一番の目的はこの島の前に寄った島の娼婦が、数年前に産み落とした娘の行方を捜していたからである。人の手に渡ったけれども、人並みの生活を出来ているのかと、それを案じる言葉を聞いたからである。
「キラーたちはどうした」
「お頭さんが寝ている間に街に出て行ってます。買出しですよ。お頭さん、置いてきぼりですね」
「お前一日中船にいねェか?暇なのか」
「いえいえ、そんな。お頭さんが一人で寂しく船番するのがかわいそうだという私の優しさの結果ですから」
誰かこの女の頭をこう、スリッパで引っぱたいてくれねェかと、常々キッドは思う。自分がそれをしていた頃もあったが、最近はできない。口を開けば「死ね」と素直に言ったほうがはるかにマシだろう言葉をこの女は平然と吐く。それでいて、殺意は沸かない。どちらかと言えば、イラっとくるだけである。神経には障るが、殺したくなるほどではない。自分が短気ではないということではなくて、そういう、妙なものがこの女にはある。
「お頭さん、今日も出かけるんですね」
「あァ」
短く答えて、キッド、それでは聊か色気に足りぬと思ったのかそのまま着替えを取りに私室へと、スタスタ行こうとした足を止め振り返る。こちらとの会話などもう興味もないのか、全く船員である自覚皆無の・S・。鼻歌なんぞ歌いながら手に持った小瓶。ふぅっとストローを吹けば透明な玉が勢いよく吹き出す。きらきらと光を反射させるシャボン玉。それに囲まれた女を、一瞬本気で見惚れて、しかし、キッド、この毒にも薬にもならぬ女に傾倒することのくだらなさを承知の上。ぐっと、妙に腹に力を込めて、なんでもないような風で声をかける。
「お前も来るか」
「お頭さん、二言目にはそう仰る」
「あン?」
ころころと鈴を鳴らすような、猫の目に似た顔でが笑った。笑うと少女のように見える。キッドは言われた言葉が思い当たらず首をひねるけれど、それがいっそう、の笑みを深めた。
「なんだっつーんだよ」
「だって、あぁ、おかしいひと。あなたいつもそう仰るんですよ。来るかって、そう。忘れました?」
「あぁ。最初の時か。あん時ァ、お前が付いて来たそうな面ァしてたからだろ」
この女が乗船するきっかけを、キッドはありありと思い出す。どこぞの小さな島でのことだ。・S・は流れの詩人。酒場を回るわけではないけれど、それなりに吟遊詩人のような真似事。と言って、キッドと出会ったのは酒場ではない。キッドが、その島を襲い、街を焼いた。海賊の振る舞いに相応しいことである。炎に包まれる瓦礫の下で、・S・という女がいた。泊まっていた宿に荷物を置いていて全て台無しになったのだと、後ほど嫌味を言われたが、その時、あの時、目を合わせた時は、ただ「せめてあと一時間遅かったら、わたしは無事だったんですけどね」と、そう、図々しく言い放ってきたのみである。
情のない女だと嗤えば、・S・は腰の鞭をピシリ、と撓らせてキッドの頬を裂いた。「それなら正義のヒーローのようにここで貴方のお仲間連中にお悔やみを言う結果にしましょうか」そう、言う声は静かなもので、別段興味もなにもないけれど、その選択肢も「まァよかろう」という程度のもの。それがキッドには不愉快だった。
そういう、出会いはお互い「良い」とはいえぬもの。それであるのに・S・はその後キッドの船に乗った。そうして毎日、同じベッドで寝るハメになっている。
「で、付いて来んのか」
「娼館にですか。女が言ったら嫌味ですよ」
「おれの仲間なんだ。問題ねェだろ」
おや、と、が少し驚いたような顔をする。この、人を食った言動ばかりする女のこのような顔を、時々ではあるが見ることができる。そのたびににキッドはしてやった、という妙な満足感を覚えた。はすぐに不機嫌そうな顔になって、キッドから顔を逸らす。
「自覚あって、ではないから嫌ですよ。全く、お頭さんって人たらしで困ります」
「仮にも海賊団の頭張ってんだ。そっちの才能が皆無じゃァしまらねェだろ」
はシャボン液の小瓶に蓋をして階段の上にコツン、と置くとそのまま、ひょいっと、手すりの上に上る。バランスが上手く取れるもので、ひょいひょいっと戯れる姿にキッドは顔を顰めた。
「おい、落ちてェのか」
「落ちたらどうしましょう。わたしも海だと泳げないんですよね」
「おれをアテにすんじゃねェぞ。知ってんだろ」
「わたし、自分の弱点をお頭さんがちゃァんと自覚している時の顔が一等好きです」
「そのまま落ちて溺れちまえ」
風が強くなればふらり、ふらり、との体が揺れる。そのたびにキッドは、一歩踏み出しそうになるのを堪えた。出会った当初は風呂にじっくり浸かるを見て能力者ではないと判断した。その後立ち寄った島でも、そこにプールがあってクルー全員(キッド他能力者除く)がさんざん遊んだもので、その中にもいた。(紅一点である自覚がまるでないのか、全身くまなく隠された水着を着てきた時は、涙を呑むクルーがいたけれど、それはキッドは、本当どうでもいい)それであるから、この女は、泳げているから能力者ではないのだと思った。
それであるけれど、最近知った。この女、魔女らしい。
「わたしが落ちたら、お頭さん助けてくれないんですか。仲間だって言ってくれたのは嘘なんですね」
「お前…何堂々と嘘泣きしてやがる…!」
は手すりの上に器用にへたりこんで、「よよっ…」としおらしい仕草をした。キッドはぶじっと額の血管が切れそうだったが、との付き合いがそれなりになって、血管が強化されたのか、中々切れない。人間誰しも環境には慣れるものだとでも呟こうものならキラーが「違いない」と肯定するのだろうか。
しかし、仲間を助けられぬ、と評価されるのが気にいらない事実は変わらぬもの。キッドはズカズカと大またで手すりに近づき、フラフラしているの細い腕を掴んで引きずり落とした。
「っ、」
「落ちる前に、助けりゃァいいだけだろ」
「うわ、お頭さん、それ言ってくれたのがトラファルガー・ローだったら、わたし惚れてしまいました」
張っ倒したろうか、この女。
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「あら、キッド。今日も来てくれたの?」
真っ赤なドレスの、肉体的な女が煙管片手、同じくらい真っ赤な口元を綻ばせる。・S・を伴ってのことというのに、娼館の女たちはさほども気にしない。キッドは窓から声をかけてくる、昨日知り合ったばかりの娼婦たちに軽く声を返し、真っ赤なドレスの女に向かい合った。背はキッドの方が随分高いが、すらり、とした女である。猫背ぎみなとは対照的だ。背筋の整った女は抱くときに楽だった。
「昨日頼んだヤツだが」
「あぁ、メアリーの娘ね。名前はわかったわよ。スーってらしいんだけど、あたしらの商売仲間じゃないね」
「ということは泥ヒバリですか」
あたりに漂う悪臭にも、昼から混じる嬌声にもまるで様子を変えなかったであるが、赤い娼婦の言葉に初めて、興味をそそられたような顔をする。
泥ヒバリとは浮浪児のことである。孤児、家出の末にそうなる子供。キッドやキラーも、一時はそう呼ばれていたことがあった。それをが知るわけがないけれど、妙に、気を取られた様子がキッドにはカンに障る。そういう連中を、この女は興味の対象、としてしか見ないのだ。
「探し出せるか?」
「アンタの頼みだもの。もう馴染みの連中に頼んであるわ。キャプテン・キッドが人助けなんて似合わないから、アンタの名前は出してないけど」
つぃっと、女の手がキッドの鎖骨に伸びた。昨日随分遅くまで相手をしてきたが、再度の誘いである。別段今日は他にやることがあるわけでもないけれど、キッドはその誘いを断るように、手を押しのけた。
「人助けじゃねェさ。前の島で、」
「お頭さん、ねぇ、お頭さん。これなんです?」
キッドと娼婦の間に流れる空気にまるで気付かぬのか、きょろきょろと辺りを物珍しそうに物色しだしていた、どこから引っ張り出したのか、べっどりと、血のついた布を持っていた。いや、布の塊、ではない。キッドはそれに見覚えがあった。同じものではないけれど、それが「何」なのか、即座に理解した。
『仕方ないのよ、キッド』
赤黒い布。ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐると、包み込まれている。元々は薄汚れたシーツだった。擦り切れている。そんな布一枚でも、スラムじゃ貴重だ。けれども、それを台無しにしてまで、なかったことにしたい。
『だって、どうすればいいっていうの?アンタに、何ができるの』
真っ赤な唇をした女。ハデな色の髪に、いつもハデな格好をしていた。部屋の隅で蹲りながら女が出て行くのを待っていた。そうすれば、窓からキラーがやってきた。同じようにぼこぼこになった顔で、手を伸ばしてくる。
「お頭さん?」
はっと、キッドは意識を戻した。気付けば、の白い顔がこちらを不思議そうにのぞきこんでいる。唇は紫だ。いつも、この女は女らしい化粧をしない。そのの顔に、妙にほっとして、息を吐く。いつのまにか、全身に汗をかいていた。
こういう醜態を曝したことに、聊か矜持が傷つくが、しかし、気付いたのはだけのようだった。娼婦の女は、キッド以上に顔を蒼白にして、じっと、が持って来た布の塊を凝視している。そういう視線、キッドは見たくはなかった。少なくともこの女は昨晩、自分の腕の中にいたわけだ。そういう女が、あの布の持ち主だということを、あまり考えたくはない。
「そういえば、その女、何なの?まさか、キッドの恋人とか?」
「いえいえ、わたしはトラファルガー・ローの手配書を見て一目惚れしてるんですよ。お嫁さんになるならあの医療ミスとになります」
「お前いい加減目ェ覚ませ。何をどう血迷ったらあんな悪い噂しかねェ野郎にそんな夢見んだよ」
「何言ってるんです。口が裂けそうなお頭さんと違って冷静沈着で男前じゃァないですか」
やっぱりこの女、一回張り倒していいか。キッドはこめかみを押えた。しかし、先ほどまでの気分が失せていることも確かである。がそうと仕向けた、とは言いがたいが、その点に免じてキッドは何とか怒りを抑えた。
「そう。わかったわ。それはいいとして、それ、返してくれない?」
娼婦はの腕に抱えられた布に手を伸ばした。というよりも、奪うような手つきであるが、ひらり、とはそれをかわして、キッドの背後に隠れる。
「お頭さん」
「……」
アメジストの目がじぃっと、キッドを見上げる。は女にしては背の高い方だろうが、それでもキッドよりは低い。見上げる様子に、キッドはぎりっと奥歯を噛んだ。
娼婦が「キッド」と、同じような顔をしてこちらを呼ぶ。女というのは厄介だと、生まれたときからキッドは知っている。自分の母親もそうだった。女であることを最大限に利用する。どう足掻いてもこの世には男と女しかいないもので(オカマだって元々はどちらかだ)どちらがどういうときに、どういう立場になるのか、判りきっていることだ。
キッドは、というよりも、キッド海賊団の連中は娼婦には甘い。金に汚くて意地も悪い女ばかりだが、それでも殴られた顔を厚化粧で隠していることを、キッドたちは知っている。キッドは故郷のスラムの娼婦たち全員を母とも姉とも妹とも思っている。そういう心であるから、キッド、女の困った顔というのには、弱いところがある。
目の前には昨日寝た女。後ろには、同じベッドで寝ても一度も「寝た」とはない女。女の願いはできるだけかなえてやるべきだと、そう思っている。キッドはの腕を掴んだ。
++
「どうして、わたしを助けてくれたんですか」
甲板の上で、夕日を背に・S・が不思議そうに問いかけてくる。キッドは走った時にコートに投げつけられた酒便の液体による染みを、どうすれば落ちるかなど所帯じみたことを考えていた。
「あ?」
は淵を背に座り込んでいる。足を楽にしたその膝の上には赤黒い布の塊がある。未だ乾ききっておらぬのか、の服を汚したけれど、それを気にしている様子はない。
駆け出したときに、娼婦の女が何か叫んでいたけれど、それはよく聞こえなかった。
「女から逃げるっつーのもたまにゃァいいだろ」
ひょいっとキッドは立ち上がる。の前に立って、その赤黒い塊を見下ろす。の膝の上にあれば、もうそれが「酷い有様」のようには見えなかった。外道なことばかりを口にする・S・だというのに、その膝の上にそれが収まっていれば、きっと悪い夢も見ないだろうと、そう思えた。
「理由が欲しいのでお願いします」
「女の頼みは出来るだけ聞くんだよ、おれァ」
「わたし、お頭さんの女ですか」
が物凄くいやそうな顔をする。本当にいい度胸である。キッドは頭をかきながら、に目線を合わせるべくしゃがみ込み、その真っ白い額を叩いた。
「仲間だろ。女か仲間かっつったら、仲間の方を取るじゃねェか」
昼間のときのような顔を、再びがした。顔を背けることはせず、ただ俯く。そうして見える白いうなじが夕日よりも赤いもので、キッドは大口を開けて笑った。はっは、と声が漏れると、が地を這うような声で「呪いますよ」と言う。可愛げのない女である。
「それじゃあ、敬愛するお頭さんに、わたしが一ついいことを教えてあげます」
笑いをやめて、キッドが隣にどっかりと腰を下ろすと、ふわふわとした綿毛のような髪を夕日に輝かせて、・S・が、やけに真面目な目をして続けた。
「お頭さんが探している子供、「スー」というのは男の子ですよ」
「なんでわかる?」
「前の島のメアリーさんは、生んですぐ隣の島の人買いの手に渡ったと。女の子だと思っていたようですが、それなら娼婦のあの人が知らないのはおかしい。男の子なんですよ。上手く、隠れて、隠れて、ひっそり、生きているんです。名前もきっと、もう変えてますよ」
前の島でキッドが馴染んだ女のことを思い出す。ライ病にやられていた。移る病ではないから相手を頼んだ。女は痩せ細った体でそれでもまだ娼婦だった。夜明け前に、が目を覚ます前に船に戻ろうとしたキッドの腕を掴んで、その時、「次の島に娘がいる」と、尋常ならざる力で引きとめてきた。
娼婦は時々子供を生む。産んでも、妊娠中でも客を取るので無事であることは少ない。人間のなりそこないのようなものが、どろっとした血の塊と一緒に出てくることが多い。そういうものは、シーツに包んで、なかったことにされる。多少動いていても、動かなくなるまで、包み続けられる。
そういう女が多い中で、きちんと生まれた子供にキッドは興味があった。それに、その娼婦が、そんな有様になっているのに、未だに己の「娘」を忘れていないことが、妙に、キッドの頭に残った。それであるから、こうして仲間と島を散策するわけでもなく、初日から娼館を訪ねていたわけである。
は膝の上の塊に手を当てて、キッドに小首を傾げて見せた。
「女の子だったらどうする気だったんです」
「お前に預けて、適当な島で降ろすつもりだった」
母親の元に返したところで、どうしようもないことは判っている。それであるなら、自分を誰も知らぬ街にやって、人間の生活が送れるようにしてやろう、程度のことを考えていた。
「わたしに預けるつもりだったんですか」
「お前に任せりゃ、手に職くらいは仕込めるだろ」
「珍しい。お頭さんが褒めてくださってる」
コロコロとが笑う。キッドは鼻を鳴らした。外道で気に食わぬ言動ばかりをする女ではあるが、その生まれが卑しからぬものであることは一目瞭然だった。一人で生きていくに困らぬ振る舞いをは他人に教えられる。そういう確信があったから、キッドは探そう、としていたのかもしれない。助けらもしないものをどうにか預かる傲慢さはない。
しかし、男だったというのなら、話は別だ。
「放っておくか」
「いいんですか」
「娼婦の息子ってんなら、上手くやるさ」
「さっきの娼婦さんは探し続けてくれてますかね」
声をかけてはいたのだから、継続するだろうか。キッドも首をひねり、しかし、見つからないだろう可能性のほうが高いと確信があった。自分を探している者がいる、というのはすぐに耳に入るものだ。その相手が海賊であるのなら、何が何でも身を隠す。
キッドは眼を細めて、の柔らかな髪に指を差し込んだ。
「あとで街に出るか」
「探すんですか」
「メシでもどうだ。たまにゃァ二人で食うのも悪くねェ」
「わたしが食べ終わる前に、酒場で喧嘩しないでくださいね」
以前そういうことがあったので、が釘をさす。キッドは果てしなく難しい要求に「善処はする」と、彼にしては似合わぬ返事をした。がころころと喉を鳴らす。笑ったのだから、実際キッドが食事を台無しにしても、嫌味を言ってはこないだろう。
キラーたちが戻ってきたら出かけることを告げて、街へ出よう。キッドはの頬に触れる。紫水晶の目がじぃっとこちらを見つめてくるが、しかし、けしてその目がキッドを真正面に写すことがない。魔女とはそういうもの。このまま組み敷いて足の間に自分の欲をつきたてれば、は魔女ではなくなるのだという。最初の夜に言われた。それだから、キッドはを抱かない。
なんでこんな女に惚れたのかと、自分を罵りたくなりながら、キッドはの膝の上、未熟児の死骸を撫でる、の手に自分の手を重ねた。僅かに震えるその手を、がもう片方の手を重ね、目を伏せる。
「街に出て、お頭さんの財布を狙う命知らずがいたら、それ、展開的に「スー」さんですね」
Fin
(2010/04/21
20:12)
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