「ザリエル、侵食するように言葉係が伸びている。最早総ての者達にとって重要と言えるのは神々の恩寵ではなくきらめくばかりの黄金の山。私は悲しい。私は悲しい。プッケシーのラッパが高鳴り響くその時に、人々は洪水の中喘ぐのだ。体中に着飾った悪魔の骨と皮は彼らを容赦なくセレイオスの腕に抱かせ、お優しい兄上の国へと誘う。あぁ、王座に座るエレキュシエルの微笑み、茨の絨毯の上に膝まづいてやっと我々は、」
・S・!」

名前を呼ばれてははっと顔をあげた。ふわりと揺れる猫のような癖っ毛は太陽の光をきらきら受けて煌く。顔をあげた先、が現在いるのは甲板に下りる途中の階段の上。その先、甲板からこちらを見上げてくる真赤な髪の、真赤なコートの男と目が合った。

「読書中なんですよ。邪魔しないでください、お頭」
「この状況の中で読書たぁ、相変わらずイイ度胸だテメェ、コラ!!!」

叫ぶ男。真赤な髪に真赤な唇、真っ赤なコートの全身真赤ッカ。自分がそんな配色なら赤っ恥だとは常々思うがそこはそれ、本人のセンスの問題である。どうこう言う無粋さはない。その真っ赤な男、額に青筋浮かべた極悪面。先日ついに二億を超えた賞金首、ユースタス・キャプテン・キッドと名高い、海賊。の乗船してている海賊団の船長殿。

この状況、と言われては小首をかしげた。キッド海賊団、現在海軍本部のどこぞの准将どのの艦隊と応戦中。ばったばったと倒れるのはどちらが多いかと見れば、それは当然、海兵の方。人数が多いのだから道理だ。キッド海賊団、海賊としての規模はまだそれほど、というところ。それでもひとりひとりが相当な実力者であるからして、敵の数が多ければ、それだけこちらが倒す人数が多くなるとい、そのくらい。

「苦戦してるんですか」
「んなわきゃねぇだろ。おれをだれだと思ってんだ」
「じゃあいいじゃあないですか。私、争いごとに向いてないんですよ」

文士だから、と言いきって再び本に意識を戻そうとすると「ちょっと待て!」と先手を打って怒鳴られた。

「なんですか」
「ナンデスカ、じゃねぇ…!参戦しねぇなら、あれをどうにかしやがれ!」

きつくまなじりをあげた船長の指差した先には、黒い文字。というか、文字たち。船体をぎょろぎょろと移動し、這う。大きさはまちまちだが、どれの文字も黒く発行している。海兵や海賊たちが少しでも触れようものなら無差別に襲いかかって、体中を文字が埋め尽くしている。

「あら、まぁ」

自分、どうやら音読していたらしいと自覚のなかったが「あ」と小さく声をあげてそれだけ言えば、キッドからブヂッ、と何か切れるような音がした。

「あらまぁ、じゃねぇだろ!!!テメェ、声を出して読むなって何度いったら解るんだ!」
「ドンマイ、私。長い人生こういうこともありますよね。私ってドジっ娘ですねぇ」

てへっ、と、全くの無表情。どこまでもどこまでも平板な顔と声でその動作をやる。反省の色は全く見えない。逆光で表情がよく見えないはずのキッドもそれがありありとわかったよう、一度フルフルフル、と肩を震わせてから、その隙をついて自分の背後を切りかかった海兵を一人殴り飛ばす。

ばっしゃーん、と、吹き飛んだ海兵が船から落ちる音。そんなことはどうでもいい。きっ、と顔をあげてキッド、腕を振り上げた。

「何度目だぁあああ!!!テメェのせいでこっちにまで被害出てんじゃねぇか!!!!」

響くキッドの絶叫。が搭乗してからもっぱら突っ込み役になってしまった、南の海の出世頭。磁力の腕をがちゃがちゃ言わせながら、だんっ、との座っている場所に腕をたたきつける。奪ったいろんなものの武器の総攻撃。容赦ない。だがしかし、ぱらぱら、と、瓦礫が上がって下がるころ、傷一つなく、同じ場所で足を組んでいる・S・が読んでいた本を片手にトントン、と表紙を指で軽くたたきながらのたまった。

「ドンマイ、キャプテン。いいことありますよ。そのうち」







シュロップロッシャー






「今日こそは降ろす!!今日こそは絶対あの女を船から引き摺り下ろすぞ!!!」

乱暴にビール瓶を床に叩きつけたキッドは腹にぐっと力をこめて決意を表明した。戦闘の終わった海賊船。どこぞの誰かのせいで快勝とはいかなかったが、しかしこちらは一人の死者も出さずに何とか勝利した。相手の船は木端微塵。船員たちもみな海に沈め、奪った戦利品は後で山分け、とそういう状況。今は勝利の宴であって、キッドのまわりにはこの海賊団の主力メンバーがそろっている。

「あの女がこの船に乗ってからロクなことがねぇ!!何なんだあの女は!!?」
「詩人だろ」
「あぁ、詩人だってな。吟遊詩人だろ。自称」
「カスタネット叩いてたが、ありゃ聞けたもんじゃねぇな。リズムってもんをまるで無視してる」
「おれの方がうまくぜきるぜ」
「よせよ。お前この前酔っ払って歌って、新米が吐いたじゃねぇか」

キッドの問い、というかもう八つ当たり的な怒声にしっかり耳を傾ける者はいない。口々に、質問に答えているようで、しかしまったくキッドと会話をする気のない連中。しまいには「そういやあこの前立ち寄った坂場のマリーちゃん」なんて話に発展している。

いや、と言って彼らにキッド船長を敬う心がないわけではない。むしろ昨今、最も信頼されている船長は?ランキングでもあればぶっちぎりで一位狙えるかもしれないアンチクショー。彼のライバルはどこその東洋の国の腹筋さらした四国の紫のアニキくらいなものである。そんな素敵お頭人気っぷり。とまぁ、それはどうでもいい。

ただ全員、この話題に真面目に付き合う気がないだけである。

つい半年ほど前にキッド海賊団に乗船した銀髪の少女、・S・。賞金額は4千万ベリーと、単身の女にしては高い。自らを「詩人」というその少女、一応は戦闘要員として船に乗っているが、これまでの戦闘で活躍したことはない。キッド海賊団には彼女のほかに女性もいない。まぁ全員が全員、己自身の強さに自身と誇りを持っているから、女性のが闘わなくても文句の一つもでない。むしろ戦闘が始まったときは「キッドからは離れてろよ!」「巻き添え食ったら大変だ!」と気をもんでさえいる。

その。戦うことはないのだが、妙な力を使うのだ。

「だいたいなんだあの妙な能力は!悪魔の実じゃねぇのか!!!?なんであいつは泳げる!!!」

そろそろ酔いも回ったか、毎回同じ疑問にぶち当たることをまた叫ぶキッドのお頭。もうこうなったら騒ぐだけ騒がせるしかないとキラーたちは目くばせをして「あぁ、そうだな。本当その通りだ」と、全くもって心のこもらぬ相槌を打つ。

・S・。本人が詩人と称す理由なのか知らないが、文字を使うのだ。いや、書くわけではない。声に出して読んだ文章が、生き物のように動き回る。本人は「リリスの日記」と呼んでいる本の内容のみらしいのだが、とにかく、その妙な能力、意識を持って扱えば便利なもの。たとえば動かぬ大きな石にが「詩篇」というらしい妙な文字を刻めば軽々と持ち上がるようになる。砂漠で水を探すときに使えばするするとトカゲのように文字が砂の上を這って、水脈を発見する。そういう用途、便利な能力ではあるのだが、無意識にが音読でもしたら、それはもう厄介なこと。

先ほどの戦場の大騒動のようなことになる。

ちなみにのその能力が最初に発覚したのは真夜中のこと。寝言が詩篇になったらしい、キッドが文字に襲われて大変だった。というか、お前ら何一緒に寝てんだとキラーたちはいろいろショックを受けたが、それはそれ。

「もう我慢の限界だ!!俺は絶対にあいつを船から下ろすぞ!」
「じゃあ今すぐ言ってくればいいだろ。なら自室にいる」

いい加減愚痴を聞くのも飽きてはきたもの。キラーがため息を吐いてそういえば、ぴたり、と、キッドの動きが止まった。急に大人しくなり、乗り出していた身を引いて、座り込む。

「い、今すぐなんて必要ねぇだろ。今は、宴じゃねぇか!」
「俺達はな。は騒がしいのが苦手だから部屋にいるんだ。宴がどうなんて関係ないだろ」

うんうん、と周りの全員がうなづいた。それにキッドが「う」と妙な声を上げる。キッド本人、本気でを船から降ろしたいとかそういうことを思っているわけではないのだ。別に毎度毎度の引き起こす騒動も、まぁ、結果的には海兵も倒しているわけだしキラーたちは問題にしていない。キッドだって普段の性格のままであればそんなことを気にする神経の細さなどないだろう。おおらか、と言えば聞こえはいいが、おおざっぱ、器のでかい男だ。たとえばキラーが同じことをしたところで「しゃーねぇなぁ、おい」といつものあの笑い顔を浮かべて言うだけに違いない。

「この島を出たら暫くは島がない。ログもたまったし、またいつ海軍が来るかわからないんだ。明日の朝には立つんだろう?」
「なら早く言った方がも荷造りができていいんじゃないのか」
「あぁ、そうだな。キッドの頭、それがいい」

口々にいいって、最後の夜に、なんてジョッキを重ねる男たち。キッド、がふらっと立ち上がった。

「頭?」
「そうだな……どうせこの先の新世界、あいつはやっていけねぇ」

まぁ、、弱いからそうだろう。先日も新米と腕相撲をして負けていた。と腕を組んだからとその新米がキッドに逆さずりにされたのは記憶に新しい。まぁいつものことだと、一応皆放って見ていたが、笑いながらつるしていたキッド、あれはかなりマジだったのを覚えている。

「どうせこの先も面倒ばっか起こすにちげぇねぇ…ならいっそ今のうちに……」

ぶつぶつ言いながら消えていく、真赤なコートの後姿。なんか、哀愁漂ってるように見えるとキラーはつぶやき、溜息を吐いた。

「だから、何で気付かないんだ」

ユースタス・キャプテン・キッド。根からしっかり、に惚れているのに気付かないのはとうの本人だけである。













!お前に話がある!!」

ばったーん、と乱暴に扉をけり開けての部屋に入ったキッド。しかし、一歩足を踏み入れた途端、う、と、顔を引きつらせる。

一週間前この部屋に入った時はただのそっけないベッドと机があるだけの部屋だった。
いや、調度品は今も変わらない。ただ、壁にびっしりと、文字がひしめいている。

「その真実と忠誠の名において、私は世界に報復する――あぁ、なんてブリリアント……!!!」

ちょうど本を読み終えたところらしい。パタン、と古びた背表紙の本を閉じて恍惚とした表情を浮かべる。ものすごく幸せそう、楽しそうな表情。まっ白いほほには赤味さえ差している。

「なんて素晴らしい、なんてファンタスティック!!!愛と夢と希望、それと八割の悪意……!!!ロマンチックな死の詩篇……!!!」

ズバコーン、と、キッドは容赦なくうっとりとしているの頭をスリッパでひっぱたいた。どこから出したのかといえばそれはコートの内ポケットからである。と付き合ってから常備しなければなくなった突っ込み道具のひとつ。

「い、いたぁい……何するんですか、お頭さん」
「昼間あれほど言っただろが!!早速何してんだテメェは!!音読するな!暗い所で本を読むな!!しかもいまの詩のどこにロマンがあるってんだ!物騒きわまりねぇだろ!!!」

突っ込むことは多々あるが、とりあえずそれだけ言って肩で息をする。は「あ、すいません」と今更ながら気づいたのかぐるりと部屋を見渡して手をたたく。

「夢中になっちゃうといつもこれで……いやぁ、困ったもんですね」

全く困ったようには聞こえない声音で言われてもなんの説得力もない。だがしかし、今自分はに引導を渡しに来たのだ、この妙な漫才ともお別れだと、ふるふると怒りというか、妙な感情をやり過ごし、奥歯を噛み締める。

「とにかく、これ、なんとかしろ」
「あ、はいはい。そうです」

、うなづいて机の引出しから何も書かれていない冊子を取り出すと、ページを開いて机の上に置く。そのまま壁に近づいて、人差し指で壁の文字をさっと撫でた。

「えっと、これは第7章、魔帝の剣」

ひょいっと指を振れば、ぺりぺりと壁に張り付いていた文字がはがれる。

ふわりと宙に浮かんだ文字はが開いた白紙のページに飛び込んで消えていく。そのまま「第1章、夏の丘」「夜の帳」などぶつぶつと呟いてが文字を攫っていく。

奇妙な光景だとキッドはいつも思う。この女、。悪魔の実の能力者でもないらしい。その力、ずいぶん昔、まだキッドが鼻をたらした子供だったころ、住んでた港に一度だけ来た海の魔女の使うものと少しだけ似ているような気もするが、は正真正銘、人間である。

何の能力なのか聞いても答えは「詩篇」としか返ってこない。詩篇が何なのかを聞いても「詩篇は詩篇だと」道理であって非常識極まりない回答。便利な力ではある。それに他人の秘密にしたいことをあれこれ聞く気のないキッド、これまで放っておいたのだが、今日この女がこの船から降りるのだから、最後くらい聞いてもいいのではないかと思う。が、いや、最後だからこそ、聞いてももはや何の意味もない。聞くのはただ己の好奇心を満たすだけの、下卑た欲深さだと思いとどまった。

「それでお頭、私に何か用ですか」

文字を封じながら、背中越しに問うてくる。の細い背。薄い肩。触れればたやすく折れてしまうか弱い体を思い出しながら、キッドは、どっかりベッドに腰をおろした。

「船を降りろ。・S・
「はい、わかりました」

あっさり承諾。ちょうど最後の文字が切り離されたらしい。机に近づいて本をぱたん、と閉じる。そのまま洋服ダンスに向かって中からトランクをひとつ取り出す。少々重いのか両手を使ってガコン、と床の上に下ろすと先ほど読んでいた「リリスの日記」と、文字を封じた本を手にとって脇に抱える。

「それじゃあお世話になりました。キッドのお頭」

ゆっくり腰を折って、優雅とさえいえる会釈。帽子でもあれば見事に紳士の礼にでも見えただろうその仕草。しかしあまりにもあっさりとしているもの。キッド、大きく目を見開いて、呑んだ酒など一気に酔いがさめた。

「理由とか、聞かねぇのか」
「はい」
「ここに未練がねぇか」
「“彼は死んだ”」
「あ?」

困惑が、ないわけではないキッド。どうしてあっさりを行かせられぬのかとぎこちない思いを抱きつつ、重ねて問うと、の妙な言葉。

「私の好きな物語です。とても壮大で、名作、歴史に名が残るでしょう、悲劇。その最後を飾る結末は、ただの一言W彼は死んだ”と」

は目を細める。いつものちょっとイっちゃってます☆という目ではない。真剣な顔、真剣な声で語る。

「私は詩人です。言葉は多くあります。けれど、その結末のたった一行に勝る言葉を私は知らない。W彼は死んだ”と、そう読むたびに、彼の人生、彼の物語、彼の全てが思い出されるのです」

だから己の最後は、そうであろうと決めていたと、そういう。。礼儀正しい淑女の様子。教養人の言動で、長いドレスの裾を軽く持ち上げる。

「“彼女は去った”とそれだけでいいのです。ほかのくだらぬ言葉を付随させて、どうか私の、キッド海賊団での物語を汚さないでください」

きっぱり言い切って、そのまま優美に微笑む人。ここまで言われてはキッド、何も言えぬ。黙って、眉をしかめた。

「と、いうことで次はハートの海賊団で物語を始めようと」
「俺が悪かった!冗談だ!!!船にいやがれこの野郎!!!」

ぐっと、先ほどまでのシリアスさやら真剣な表情は見事に跡形もなくなり、いつものイっちゃってます的な恍惚とした表情を浮かべる。すかさずキッドはの服をひっつかんで止めた。

「キッドのお頭!なんで邪魔するんですか!!私とトラファルガー・ローとのめくるめくロマンス!!(予定)を!」
「他のどの船でも文句は言うがな、あいつの船だけは絶対許さねぇぞ!!!」
「もうお頭に関係ないでしょう!手配書で一目見たときからきめてました!私、トラファルガー・ローのお嫁さんになります!!!」
「頭湧いてんのかてめぇは!!何がどうなってあんな物騒な悪い噂しかきかねぇ野郎と所帯持つ夢見てんだ!あいつは家庭を顧みないタイプだぞ!」
「夢もつだけなら自由じゃないですか!海賊王目指してるんですからお頭だって夢見る楽しさ知ってるでしょう!」
「俺は実現不可能なことは口にした覚えはねぇ!!!」
「私だって気合いと根性入れればなんとかなるかもしれないじゃないですか!!」

ぎゃあぎゃあと言い合う、なんだこの妙な展開。キッド、なんだかイライラしてきた。自分はいろいろ悩んで結局を船から降ろす決意をしたのに、この女、また海賊をやるというのだ。しかも、どう考えても将来的にキッドの敵になるだろう男のところへ喜々と行くらしい。気に入らぬ。噛み付くように怒鳴れば、も負けずに言い返す。

それにしても、何がどうなったら、死の外科医などという物騒極まりない男に憧れるのだろうか。この女の考えていること、さっぱりわからない。それでも腹は立ち、つい、怒鳴ってしまう。

「お前は黙って俺がワンピース手に入れるのを隣で見てやがれ!」
「はい、わかりました。船長」

先ほどと同じ、あっさり承諾。「は?」と思わずキッドが声を上げれば、今度は先ほどと逆、トランクを洋服ダンスにしまいこみ、机の上に本を置いて、にっこりと、会釈する。

丁寧に頭を下げて、そっとキッドの足元に片ひざをつく。恭しくその手を取って、、騎士が主に剣でも捧げるかのような厳かな表情。

「それでは、またお世話になります。キッドのお頭」

最初に船に乗ったときと同じ、妙な儀式。先ほどまで、この女は本気で船を下りるつもりでいた。そしていまは本気でまた旅を続けるという。その心が、キッドにはわからない。自分の船にいる船員たちは皆、キッドの仲間だ。命を預けて惜しくない連中。だが、だがこうして見て、は違うのだとはっきりわかった。この女、この生き物は、キッドたちが世界を見るようには見ていない。キッドたちが人生を思うようには思っていない。

ぞくり、と、わからぬ恐怖、にも似た何か、寒いものが背筋にあがった。

船長ちしての思考が警告する。今、この時にこの女とのかかわりを一切、捨ててしまわなければならないと。それは、先ほどまでの理由からではない。そうしなければ、いずれ己は、己ではなくなり、何かを諦めなければならなくなるのではないかと、そういう予感があった。それが何なのかは、まだキッドにはわからぬ。わかるにはまだ若いのだ、己はと、そういう自覚があった。

だが、同時に思いもするのだ。そんなことで阻まれる道ではないと。女ひとりにどうこう左右されるような、半端ものではないのだと、自身自身ゆえに揺らがぬ強きの構えがあった。

己はユースタス“キャプテン”キッド。

「よし、それじゃあ付いてこいよ、“文士”・S・。この世の果てを、お前に見せてやる」

ぐいっと、の白い手をつかんで引き揚げ、キッド、挑むような笑みを引いた。ゆっくり、ゆっくりとのアメジストの瞳が揺れる。炎に揺らめく宝石のように、その心がどこにあるのかなど、キッドには知れぬ。






Fin