おっかなびっくりと伯母の部屋へ向かう息子と新しい家族を見送りながらジョージ・ジョースターは心配そうに眉を寄せた。息子はともかく、はたして彼は無事に帰還できるだろうか。いや、大丈夫だろう。まぁ確かに自分の姉である・ジョセフ・ジョースターは自分に甘く他人に厳しい厄介どころかタチの悪過ぎる性格の人物で、初見の人はとりあえずいびり倒して泣かせないと安心できないという人見知りップリを発揮するが(それは人見知りじゃない!とディオがいたら突っ込んでいるだろう)しかしそれでも、あの子、ディオに限っては大丈夫だろうという予感があった。

「旦那様、ディオ様のお荷物はわたくしがお預かりいたしましょう」

思考に沈むジョージを傍らにいた執事が呼び戻す。主張しすぎない、といって控えめ過ぎない程度の声である。

「ハンス、あぁ、ありがとう。しかしジョナサンには私が運ぶと言ったのだよ」
「ですが……」

そのようなことは屋敷の主人のすることではない。そして何よりも使用人には使用人の仕事があり、主人はたとえ「親切心」であろうと彼らの仕事を奪ってしまうことはルール違反であったし、また侮辱でもあった。ジョージ・ジョースターは貴族として立派な人格者で、人の上に立つに足る器量を持っている。その彼は普段からしっかりとその境界線を守っており、だからこそ使用人たちは「己らにはやるべき仕事がある」という責任感と己に対する誇りを得ていた。

そのジョージが荷物運びのまねごとをする。執事、コルデ・ハンスは代々ジョースター家に仕えてきた執事の家系であるから、それがどれほど「異例」なのか知っており、素直に驚いた。

「いいんだ、ハンス。それに言っただろう?あの子はもう私の家族なんだよ」
「………畏まりました」

驚くハンスの肩をぽん、と叩きジョージ・ジョースターは階段を上がっていく。それ以上言葉を続けることは無礼であり、またハンスは己を恥じた。

最初に「ディオくんは今日から我々の家族だ。息子のジョナサンと同じように扱ってくれ」と言われたではないか。しかしハンスは、いや、これはおそらく他の使用人全てに言えることであるが、己らはディオというあの少年の生い立ちが「貧しい」「下層階級」「自分たちと同じじゃないか」という意識があった。ジョースター卿のお情けでこの屋敷に置いて頂いているのだ。運の良い子供だ。自分たちと何が違うのか、いや、同じだろう。と、そのような思いが頭の片隅に確かにあった。

といって態度に出していたわけではない。軽んじたわけでもない、だが少なくとも「ジョースター卿やジョジョ坊ちゃんとは違う」と思っているところがあるゆえに、その「貴方より身分の低いものの荷物を持つ必要など…!」と慌ててしまった。

「あぁ、そうだハンス。ジョナサンたちが戻ってきたら、おそらく、いや確実に…!と会って疲れているだろうからお茶を入れてあげてくれ」

己の未熟さを情けなく思うハンスに階段の上からジョージが軽い調子で声をかけた。ハンスは直ぐに請け負い、己を気遣ってくれたのだろう主人に胸中で感謝をすると、そのままキッチンへ足を進めた。

「それで!その子供ったらいきなりダニーを蹴り飛ばしたのよ!もうアタシはおかしくっておかしくって!」
「あーあ!あたしは絶対噛みつかれて泣きべそかきながら「こんな屋敷に世話になれるかー!!」って馬車に逃げ込むと思ったのに!!」
「根性あるんですねーそのひとー!!あたしー絶対だめですー!」
「そりゃアンタはダニーだけじゃなくて大奥様に廊下で遭遇しただけで泣きながらキッチンに逃げ帰ってくるじゃないの!」
「…………今は休憩時間ではないはずですが?」

先ほど大広間でディオに紹介されたのは上級使用人のみであり、バドラーであるハンス(ハンスはハウススチュワードも兼任している)に、レディーズメイドのリーナ、女中頭、ヘッドシェフ、ヴァレット等である。フットマンや各種メイドは通常通りの仕事についており、屋敷の規模からいえば少ない方だが、それでも50人以上になる。

キッチンは既に夕食の支度を始めている為戦場のような慌ただしさで、ハンスの訪問には直ぐに気付かれなかった。調理を担当するメイドたちは喋る余裕などないが、下っ端の幼い皿洗い女中たちは作業をしながひそひそとおしゃべりをしている。

ハンスが咳払いをすると、少女たちはびくり、と顔を強張らせ何事もなかったように一心不乱に皿を洗いだす。
皿洗いはキッチンに入る女性使用人が最初に付くポジションで年齢も十代前半の者が多く、「新しいご家族が増えた」という出来事は彼女らの中でちょっとしたイベントなのだろう。

まぁ、作業がおざなりになっていたわけではないし、キッチンはハンスの管理するところではない。これ以上の注意は控え、ハンスは自分の訪問に気付き近付いてきた台所の女中頭に向かい合う。

「あらハンス、何の用?」
「そうあからさまに「嫌なタイミングできやがって!」みたいな顔はしないでください」
「してませんよそんな顔。で、何?」

今日はディオを歓迎する意味も含め料理はかなり気合の入ったものがメニューになっていた。食事のメニューは基本的にある程度の骨組を料理長が決め、女主人である・ジョセフに意見を伺う。テーブルマナーに慣れぬ子供だろうからあまり形式ばったものは出さないのだろうとハンスは思っていたのだけれど、予想に反して本日のメニューはナイフ・ホークの使い方からナプキンの位置までしっかりと行儀作法が試される「晩餐会」に相応しいきちんとした内容だ。そのおかげでキッチン内はひっくりかえしたような慌ただしさである。

そんな中ひょっこりとハンスが顔を出したものだから、台所の女中頭の機嫌は悪い。

「お茶の支度を頼みたくてね。ディオ様とジョジョ坊ちゃんにだ」
「そんなこと!もうとっくに大奥様から言われてますよ!お二人が自分の処の挨拶が終わって部屋に戻ったらって!」
「ジョージ様のご指示なのだが、」
「ジョージ坊ちゃんはいつだって一歩大奥様より遅いんですよ!」

中年の女中頭は慌てると昔のようにジョージを「坊ちゃん」と呼んでしまう。あぁもう!と煩わしげに手を振りハンスを追い払う女中頭に肩をすくめ、ハンスは溜息を吐いた。

ジョースター家は本日も、恙無く屋敷内は進行している。



++++++



「ロンドンから遥々ジョースター家にようこそ。あなたを歓迎します」

先ほどまでの甥との強烈なやりとりなんぞ幻影だといわんばかりの淑やかな態度で、・ジョセフがにこりと微笑んだ。いや、今更取り繕われても最早警戒心しか起きないんだが!?とディオはいつその手の扇がこちらに飛んでこないかビクビク(いや!ビビってなんかいない!!警戒しているだけだ!)しつつ、こちらもにこり、と社交的な笑みを返した。

「ディオ・ブランドーです。光栄です。貧しい身の僕を引き取ってくださり、ジョースター卿や貴方には感謝しきれません」
「馬車は窮屈じゃなかった?長旅で疲れているかしら?」
「いえ、御者の対応ともに大変心配りがされていましたので不自由もなく快適に過ごさせていただきました」
「そう、それはなによりです。あの馬車はあなたとジョジョが使うためのものです。厩舎へ行かずとも誰かに出かけたいと言えばあの馬車を出してくれるでしょう。覚えておいてくださいね」

流れるような会話である。あぁそうそう、こういう感じを自分は求めていたんだ!間違ってもハナっから犬に襲われたりそれを逆ギレされたりうやむやにされるような飛んでも展開なんぞいらない!!今のようにこう、上っ面だけで話すなんの面白みもないものが一番だ!平穏大事!!などとディオが一つの真理にたどり着きかけているが、そもそも今回の全ての現況はである。多分さえいなければディオは当初の予定通り貴族の息子のジョジョをビビらせダニーを蹴り飛ばしジョースター卿には猫を被った態度で挨拶ができたことだろう。

まぁ、そんなことはさておいて。

「何着かあなたの服を作らせてもらえればと思うのですが、採寸はこの後でいいかしら。もちろん、今までの服も使って頂いて結構です」

社交辞令の会話をひとしきり終えた後、が切り出してきた。挨拶と、おそらく本題はこれだろう。ディオは身なりには気を使っているが、しかし布地からしてジョナサンたちとは明らかに違う。一応一度は(打算的に)遠慮しておくべきかと迷ったが、の言葉にはこちらの拒否を許さぬ響きがあった。

「ありがとうございます。では、お言葉に甘えさせていただきます」
「よかった。頑なに断られたらひんむいて窓から吊るしながら採寸させているところだわ」
「………」

良かった!選択肢を間違えなくて!!

「そうそうジョナサン」

小さくガッツポーズをするディオはさておき、は先ほどから黙って「僕はいない、ここにいないから構わないでこのまま乗り切る!!」と完全に空気に徹している甥に話しかけた。

「は、はい!!」
「初めての屋敷でディオが不安に思わないようにあなたも付き合ってあげなさい。あぁ、折角ですからあなたも新しいコートと、晩餐用のスーツを」
「ば、晩餐用…ですか」
「えぇ」

伯母が笑えばジョナサンは顔を引きつらせた。何だその反応!!?夕飯に何かあるのか!?あれか!?まさかマナーがなってないとか数々の嫌がらせを受けてまともに食事ができないのか!?などとこれまでの経緯もあるのでディオが身構えると、その反応に気付いたジョナサンはこっそりと小声で説明した。

「………うちは晩餐の時は正装するんだけど……僕、堅苦しいのが苦手で…」
「あぁ安心した、お前個人の問題か」
「え!?どういうこと!!?」

思ったより普通の内容である。

そうしてそのままなんとか挨拶は無事に終わり、ディオ(とジョナサン)はお針子たちに採寸されやっと自分の部屋に案内された。

宛がわれた私室はこれまでディオが住んでいた家まるごと入ってしまう広さだ。荷物は既に届けられておおり、荷解きをしようかと思ったが、なぜかジョナサンまで一緒に付いてきたので(自分の私物を見られたくなかった)後にすることにした。

ディオはクッション張りの椅子に腰かけ、ぐったりしているジョナサンを一瞥する。

出会いがしらから調子が狂ってきているが、自分がこの屋敷に来たのはこの家の財産を奪いのし上がるためだ。

………とりあえずなんか厄介そうなとかダニーのことは置いておいて!第一の目標はこのジョナサンにどっちが上かはっきりと思い知らせてやる!!

などと志が低いのか計画的なのか判断に悩む決意をしていると、使用人がやってきてお茶の準備を始めた。

ジョナサンは使用人が入ってきてあれこれ作業をするのは当然のことと生まれてから身体に染みついているらしく、ぐったりとだらけた態度のままだ。音をたてぬようにお茶の支度を始めるメイドの動作を眺めているとディオはちらりとメイドと目があった。

「も、申し訳ありません」
「いや……」

さっと目を逸らされる。だが一瞬会った瞳には隠しようのない「好奇心」が潜んでいたのをディオは目ざとく見つけている。

なるほど自分は物珍しいのだろうとディオは悟った。ジョースター家に引き取られた子供。自分たちと同じ下層階級出身であるのに、と。

フン、とディオは内心で笑い飛ばす。自分たちと同じ、などと思われるのは心外だ。そもそもディオは目の前のジョナサンと自分を比べて自分が劣っている、とは思っていない。生まれなどなんのハンデにもならない。自分は人に使われる連中や、そしてただ生まれがいいだけの馬鹿とも違う!!傅かれて当然なのだ、と目を細めディオはカップを手に取った。

「それにしても、おばさんは随分と君の事が気にいったみたいだね」

温められたカップ。お茶の香りも良い。温度と味、共に文句ない。ディオは素直に感心しゆっくりと味わう。思えばこうしてゆっくりとお茶を飲む、などというのはどれくらいぶりだろうか。熱い液体が喉から胃に収まると知らずほっと気が緩んだ。さすがに少なからず緊張していたようだ。

「こうしてお茶の準備までしておいてくれるなんて、僕は自分の誕生日くらいしか記憶にないよ。あ、これおいしいねぇ」

身体を起こしてジョジョもお茶を飲み始めたが、肘はついているわぽいっと高い位置から角砂糖を放り投げるわで全くマナーなんぞあったものではない。全く紳士貴族が呆れる、とディオは顔を顰めた。しかしジョジョの言葉には反応を返す。

「…そうか?」

気に入られた、と言うがとりたてそんな印象はなかった。ディオは人の感情に敏感だという自負がある。そしてどうすれば人の気を引くことができるか、自分と言う存在を「特別」だと思わせることができるか熟知していた。ロンドンの貧困街でやっていくためには、人の顔色をうかがう、という卑しい技ではなく、機敏に人の感情の変化、抱く感情を悟る必要があったゆえである。

これまで自分を「気に入った」者は皆どこか浮かれたような目で見つめて来た。己に心酔し、敬意を抱き、慕う、そういう目ならよくわかる。

だがにはそういうところはなかった。会話も終始穏やかであはったが、ディオの意思をくみ取ろうという試みは一切なく、自身の決めたとおりに物事が運ぶことを当然であると、それを他人にも強要する貴族的な傲慢さがあった。

ジョースター卿がディオを引き取ったから家族の義務として、また家族の中で唯一の女性として新しい一員であり、まだ子供のディオの世話を引き受けているのだ、とそういう印象である。

「うん。基本的におばさんは初対面のひとには胃に穴があくまで追いつめて泣かせるのがデフォルトなんだけど…」
「おい!そんなことしてるのか!?」
「人見知りの激しい人なんだ」
「人見知りとかそういう問題じゃないだろそれ」

つまりは気に入られなかったらそこまでされていたということか。というかそうなる可能性が高いのに俺(恩人の息子)をそんな危険な人物に会わせるとか…!?ジョージ・ジョースター卿…実はダリオに恩を感じてないのか?などとディオはうっかりジョーズター卿の人格を疑いたくなる。

「………まぁ、変わった人間だというのはわかる。ジョースター卿の姉と聞いたが……とりあえず色々突っ込みたいのは置いておいて一つだけ確認させてくれ……彼女は実は君の妹の間違いじゃないのか?百歩譲ってジョースター卿の歳の離れた妹とか……」

不思議なことに彼女と面しているとあの外見で「伯母です」と言われても違和感を覚えぬのに、こうして離れて、冷静になって考えれば明らかにおかしい。

ディオは脳裏に、先ほど会った・ジョセフ・ジョースターの姿を思い浮かべる。

ブルネットの髪はジョースター家特有なのだろう。ジョースター卿もジョジョも同じ色だ。イギリス貴族らしい苦労と労働を知らぬ柔らかな表情と白い肌。ディオがロンドンで見たような最新のファッションではないけれど、銀と緑色の絹の羽織ドレスを着たのはどう見ても十代の少女だとしか思えない人物だった。

……伯母?伯母って「父の姉」という意味のはずだ。どうして自分と同じ歳の子供がいるジョースター卿の姉……?

「―――うん、あの若さは脅威だよね!でも深く考えないようにしてるんだ!父さんは「物心ついた時にはもうすでにあの外見のがいた」って言っていたよ!ちなみにおばさんの若さの秘訣というかなんかもうそれ呪われてるんじゃないかっていう程の外見の謎に迫った人間は大抵三日後に廃人になって発見されてるよ!!ちなみに大抵っていうのは逃れられた人がいるっていう可能性じゃなくて、見つかってない場合もあるってことさ!」

いろいろあったらしい。

詳しく知ろうと思う心を根こそぎ刈り取る説明である。ディオはもう素直に頷いておいた。

しかし、そもそもこの屋敷の「主人」はジョースター卿の筈だ。いくら…なんか会って即行土下座したくなるような妙な威圧感を発している人物であろうと家の「主人」には従うものではないのか?会った印象だが、ディオははそういった礼儀をきちんと心得てはいる人物、のように感じた。何が何でも破天荒無茶ぶりトンデモ人物、ではないのではないか。

だから最終的なところではこの家のトップはジョースター卿、ということでいいのかと確認の意味も込めて問うと、ジョナサンはうーん、と少し悩むように唸った。

「とにかくうちのルールは「おばさんが正義」なんだけど」

なんだその絶対王政は。
もう十九世紀だろ。

「まぁ社会的な地位のことも一応今のうちに説明しておくと、ジョースター家の当主はもちろん父さんなんだけど、おばさんも自分の爵位を持ってるんだ。ウェントワース公爵っていってね」

領地もあって、大抵は人に管理を任せているけれど時々様子を見に行っているらしい。

「爵位を?女性なのにか?」
「忠告しておくけど、その言葉をおばさんの前で口にしたらいけないよ、ディオ。僕らはまだ若いんだから」
「……」

……まぁ、女性が爵位を持つ、というのもないわけではないはずだ。ディオはその件に関して突っ込むことは控えておいて、ジョジョの話の続きを促す。

が昔「女王陛下のちょっとした問題を片づけた」功績で爵位を得たらしい。ちょっとした問題ってなんだ、と一応聞いておいたが、ジョジョは「なんか色々だって!」と本人も知らないらしい。

そのかいつまんだところが重要なんじゃないか、とは思ったがディオはなんだか嫌な予感しかしないので興味を持つことを諦めた。

ぽつり、とジョナサンが「昔興味本位でちょっとその年代を調べたら、おばさんが爵位を貰った時期に王室を恐喝する事件が起きたみたいなんだよね……犯人は自主したあと自殺したみたいだけど…」と呟いたのは、聞かなかったことにしておいた方がいいのだろう。

しかし公爵、といえば爵位では最高位である。あぁなるほど、どんなにむちゃくちゃな言動をしても、この貴族社会というか階級社会……誰かが文句を言いたくても公爵という肩書きが全てを黙らせ増長していった、ということだろうか……。

誰だそんな厄介な人物にクソ高い地位を与えた奴……!!あ、女王か!!大丈夫なのかこの国!!

「ご会談中失礼いたします。ディオ様、大奥様が晩餐の前に一度お会いしたいと」

何だか自分の想像していたスタートと少しばかり違うのだが…と、どうやって軌道修正しようかディオが思考を巡らせていると、メイドの一人がすっと進み出て伝言を伝えて来た。

「ディオを?なんでだろう」

先ほど会ったばかり、である。訝るジョナサンに、しかしディオはなんとなく検討がついてもいた。

「さぁな。君も来るかい?ジョジョ」

冗談めかして言うとジョナサンは顔を引きつらせて一歩後ろに下がった。臆病ものめ、とディオは悪意ではなく素直に笑い、肩を揺らす。

「おいおい、君は僕の友人なんだろ?何かあったら助けてくれないのかい?」
「も、もちろん…!出来る限りそうしたいとは思っているけれど現実って厳しいよねと思ってもいいかい!!?」

どんだけだお前。

心底怯えまくるジョナサンは「でも…!!紳士として君を見捨てるわけには……!」などと自分の内面と戦っているらしい。別に助けなんぞいらないのだが、面白いので放っておく。

確かに破天荒な人物であるとは思っても、ディオはジョナサンのようにという人物への恐怖心が湧きあがってこない。面倒くさそうな人物、とは思う。だが恐怖心はない。自分が豪胆だからだ、とは思わない。そうではない、のだ。

「それじゃあ行って来る。あの女性をなんと呼べばいいのかも聞きそびれていたしね」

スッと立ち上がると、ジョナサンが意を決したように顔を上げた。

「ディ…ディオ……!!!」
「なんだ?」
「紳士として…実に恥すべきことだが…実のところジョナサン・ジョースターは今!!恐怖心から君を見捨てたい……!」

じっと考えて出した結論がそこなのか。
こいつ本当に俺と友情を築きたいと思っているのだろうか。



+++



「いろいろバタバタさせてごめんなさいね」
「いえ。おそらくは全て僕の為にしてくださっていることだろうと理解しています」

再びの部屋へ行くと、先ほどはなかった長方形のテーブルが設置されていた。深紅のテーブルクロスと、その上にはナイフやホーク等がきっちりとセッティングされている。

あぁ、やはりな、とディオは目を細めた。

この女性、奇抜な言動ではあるが、なるほどと思う部分はあった。貧困街の子供が名門貴族の家にいきなり飛び込むことになるのだ。ディオは自分の頭の良さを自負しているし、下品ではない、とも思っている。しかし礼儀作法、決まりやらなにやらに溢れた貴族社会にすんなり入り込めるわけがない。

急いで服を作らせたのは外見を見くびられない為(これはくだらないが重要なことだ。貴族の連中というのは相手がどのようなレベルのものを身につけているかを一種のステータスにしているし、鎧にもなる)
使用人たちにはっきりと「階段上の人間である」とわからせるためのものだろう。

そして今夕食の前に呼びだしたのはおそらく。

「テーブルマナーと当家の晩餐のルールを、今日の夕食の前に一度一通り教えておきましょう」

人間は育ちが出るのは食事の最中である。ディオはこれまで貧困街で色々な人間の「食べ方」を見て来た。口へ運ぶ仕草だけでなく、肉の切りかたなどでも国や地域が随分と出る。良家の人間、家政を司る「女親」に該当する人物がディオの「世話をしよう」と考えるのならまず教え込んでくるだろうと予想通りのことだった。

「ジョージはあまりマナーを煩くいう人ではないから、あとで使う使わないは貴方の判断に任せます。ただ、知っているのと知らないのでは違うでしょうし、いずれは必要になります」
「いずれ?」
「あなたは社交界へ出入りする人間になるのですよ」

なんでもないことのように告げられ、さすがのディオもこれには驚いた。

「……それは、あなたの名に傷がつくのでは?」

いや、もちろん目的の中には社交界の仲間入りをする、というのは当然あった。貴族の家を乗っ取りのし上がって、金持ちになることがディオの目的である。金持ちになる、金を稼ぐというのはディオにとってそれほど難しいことではなかった。ただ「金持ちになる」だけなら手段などいくらでも思いつく。だがディオが目指すのは成り金、ではない。
金を持っているだけなら娼館や最近流行ってるアヘン窟の主人だってそうだ。

だがディオが目指すのは社会的にも認められた「資産のある優れた人物」である。貴族の家を乗っ取る、というのはそのために都合が良かった。

成り上がりの多いアメリカならともかく、イギリスでは「成功する」ことがどれほど難しいかディオは理解していた。だからこそやりがいもあるし、己ならそんな大それたこと!と人が思うことを可能にできるという自信もあった。

だが今、現時点でその道があっさりと用意されていたことには面食らうしかない。

イギリス社交界への参入は、女性であれば女王への謁見が必須となる。謁見の許可を得るための人脈や衣装を整えるための膨大な費用がかかるものだが、男性の場合はそういった規則・慣習はない。男女差別という以前に、男性はマナーや基礎教育を少年期から施されており、パブリックスクールで「紳士」の教育を受けている。それであるから、社交界へ出ても何の問題がないのだ、とそのような暗黙の了解である。

ディオもそれは知っている。だから、まずは周囲に「自分」を認めさせ、徐々に徐々にのし上がっていくのだという手順を考えていた。でなければ伝統と格式を重んじる貴族の世界からは蔑まれるとわかっている。

だがはそんなことは気にせず、いきなりディオをその場に放り投げようと言ってくるのだ。紳士としての教育も受けていないただの子供を!無謀、いやがらせか?としか思えない。の名に傷がつく、と言ったのは建前だが、事実だろう。仮にも公爵の地位を持っている人間がどこぞの子供をいきなり社交界に参加させる。彼女自身の評判も悪くなるはずだが、そこまで思いいたらないのだろうか?

「あら、おかしいわ。あなた、目の前にいるのは誰だと?」

相手の意図を判じかねているディオを、がころころと笑い飛ばす。笑うと彼女は猫のようである。

あぁ、そうか。彼女は公爵様なのだ。誰も彼女を貶したり、意見したりすることはできない。貴族、伝統と格式を重んじる者であればあるほどそうなるのだろう。自分の好きなようにできる人間。なるほど、とディオはを見つめる。

この屋敷にきて、ディオは三人の貴族と出会った。

甘やかされたお坊ちゃんそのものという自分と同じ歳のジョジョ…ジョナサン。
人に与えること、施しを美徳と心がけ精神的に高潔であろうとするジョージ・ジョースター。
そして、自分の思う通りに振る舞い、そこに他人の感情を挟ませない絶対的な強者、・ジョセフ。

前者二人から「奪う」ことは難しいことではない。けれどこの・ジョセフはそうたやすくはないだろう。

ぎらり、とディオの中で野心が鈍く光った。この屋敷に来てから驚かされてばかりで、いや、本当来る所を間違えたかとあれこれ思いはしたが、なるほどなんだかんだと、チャンスを認める。

どういうわけか・ジョセフが自分をプロデュースする気でいるのなら、あれこれお膳立てをしてくれるのなら、せいぜいそれを利用させてもらおうじゃないか。

「ありがとうございます、ミス・・ジョセフ・ジョースター」

にこり、と頬笑みを浮かべ感謝の念を告げると、・ジョセフが目を細めた。ディオの反応を当然と受け止め、口の端を軽く上げて一度微笑んだ後、ゆっくりと口を開いた。

「わたしのことはと呼びなさい」



++++




「全く気に入りませんね。あの子供、まるで獲物を狙う狼か何かみたいな目でお嬢さまをご覧になっていましたよ!」

マナーのレクチャーを終え、自室へと戻っていくディオを見送れば控えていた女中頭のリーナが声を上げた。中国から取り寄せた真っ白い茶器を手にしたは中で咲く美しい花の蕾に目を細め、香りを存分に楽しむ。

「あら、別にいいじゃない」
「もうお嬢さまったら!あの子供がこの家に何が目的で来たのかわかっていらっしゃるのにどうしてそう悠長なのか……!」

子供の頃からの傍に仕えて来たリーナは遠慮がない。責めるというよりは呆れている故の言葉であるのではにこり、と微笑みディオの出て行った扉を見つめる。

平たく言えば、・ジョセフ・ジョースターは退屈していた。

彼女は生まれた時から自分が人とは違うということをわかっていた。恵まれた環境、有り余る財産、優れた頭脳に、申し分のない美貌。己はおおよそ人が望むものを全て持っている。人が五体満足で生まれてくることを当然とするように、は自分がそうであることが当然だった。

だが同時に、それらが全て、結局は「無価値」であることもわかっていた。

「あの子、ディオ、可愛らしいわ。猫を被っているけれどまだまだ子供ね。もう少し自分の感情をコントロールできたらいいのに」
「お嬢さまの前じゃ百戦錬磨の弁護士だって赤ん坊みたいなものじゃァありませんか」

ふん、と鼻で笑うリーナに苦笑を返し、は思考に沈む。

人が羨む何もかも、には全く意味がない。金があるから何だ?身分が何だというのか?

(どんな人間であれ、結局はみんな平等に死んでいくのよ)

は自分が他人と違う、と思う一番のこと、それは自分が「子孫を残せぬ身体」であることだった。

まだジョージも生まれていない昔、はとある出来事があって、医者に「子供を産むことはできないでしょう」とそう宣言された。十代の頃だ。その時の周囲の同情めいた顔、貴族の女性にとって子供を産めない、ということは役立たずのレッテルを張られることだった。

財産はある。社会的地位もある。人脈も多くある。だがそれら何の意味があるのだ?

(わたしは一人で死んでいく。自分のやりたいようにやっても、何をしても、結局何もかわらないのよ。嵐のように周囲をひっちゃかめっちゃかにしても、一瞬人の記憶に残っても、あぁ、大変だった!とそう意識に残っても、でも、それでも嵐の跡をなんでもないように人が復興するように、わたしのことも忘れられていく)

人には生まれた意味があるという。はジョージとメアリーのことを思った。ジョージとメアリー。メアリーはにとって特別な人間だった。

弟の妻となった女性。さまざまな美徳を兼ね備えていた。ジョースター家のしきたりを教え込みながら、は彼女を妹のように思った。彼女は素直で、とても可愛らしく、ジョースター邸の女主人となるに足る器量もあった。

メアリーと出会って、はほんの少し自分が人間らしく慣れるような、そんな気がした。メアリーを立派なジョースター夫人にすることが己の使命のような、そんなつもりになった。メアリーはを実の姉のように慕ってくれた。

ジョナサンが生まれた時、は満足感に包まれた。ジョナサンが生まれたことに対して、ではない。嫁いできた女性が立派に役目を果たしたこと。それが自分の手柄であるように嬉しかったのだ。あとはジョナサンの成長を見守り、育てるメアリーの良き相談相手となり、彼女が自分の役目をジョナサンの妻になる女性に引き継ぐ。そんな未来を描いていた。

(でも、メアリーは死んでしまった)

馬車の事故に遭った。メアリーは命をかけてジョナサンを守った。彼女はジョナサンを生み、守るために生まれて来たのだろう。そしてジョージは、その息子を愛し先祖代々がそうしてきたように彼にジョースター家の精神を受け継がせるために生まれて来たのだ。

だが、は取り残された。己が手塩にかけて育てていたジョースター夫人は、死んでしまった。そう、彼女の死を嘆くよりも、は失望し、そして自分という人間がいかに自分勝手であるのかを理解し嫌悪した。己は所詮、そんな程度の人間なのだ。

他人を自分の代用品にして満足しようなどと、浅ましい。そんな己の浅はかさを越え、メアリーはきちんと自分の使命を全うしたというのに!

ジョースター家でなぜ自分だけがこうなのか、疎外感もあった。弟のジョージや、甥のジョナサンはまるで当たり前のことのように「愛」を口にし、得ている。

このまま己は死んでいくのか。
何も得られず、何にも感動することなく、心が生まれることのないまま死ぬのか。

「でもあの子供、本当にお嬢さまの思い通りになりますかね?」
「あの子の目には野心があるわ。他人を利用することに躊躇がない。だから素敵なのよ」

数ヶ月前のことである。弟が「恩人」が亡くなり、その息子がいる、と彼の援助をしたいと話してきた時にはまたジョージの奉仕の精神かと呆れた。ダリオ・ブランドーについてはも調べて知っている。メアリーの指輪の件も知っている。卑しい男の卑しい行動をジョージは許した。メアリーの死体を漁ったこと、は報復すべきだと主張したが、ジョージが強く反対したのだ。あの弟が自分に意見したなど後にも先にもそれっきり。全くもって理解できないが、ジョージはそういう人間なのだと諦め、はその「恩人の息子」を調べた。

貧困街に、は足を運んだのだ。もちろん正装などしない。その当たりにいて当たり前の、薄汚れた格好に変装し死にかけたダリオとその息子を探った。

ブランドー家は手紙の住所から直ぐに見つけることができたし、中で寝たきりの、病床のダリオもいた。遠目からでも「長くはない」とわかる死相があった。

あぁ、あの男、とはダリオを思い出す。

はダリオと言葉を交わした。

『あなたがダリオ・ブランドーですか』
『そういうあんたは、・ジョセフ・ジョースター』

卑しい男だった。病であっても酒を止めぬのか、悪臭を放ち、下卑た笑みを始終浮かべた下品な男。だがは一つだけ判らなかった。ダリオが人間としてどうしようもない男であることはわかっていた。だから、なぜ、その男が自分自身のためではなく、息子のために、ジョージを頼ってきたのか。

『あなたの息子のことをどうするかはまだ決めていませんが、けれど、それでもあなたの現状に変わりはないのですよ』

自分の病が治るわけでも、こんな場所で死ぬことも、変わらない。ダリオのような男なら、自分の最期の時をめい一杯贅沢に過ごすことを望むのではないか。卑しい男ならそうするのが当然だろうと、そういう決めつけがにはあった。

だがダリオは、の言葉を鼻で笑い飛ばした。

『俺はもうどうしようもねぇ、わかってる。自分が死ぬってのがわかるように、自分がどうやってもこの場所から出られねぇってこともわかっちまってるんだよ』

チャンスは多くあったとダリオは言う。自分はツイていないと口には出してきたが、実際のところかなり運がいいのだ、とそう言った。

だが自分自身がクズなのだ。もうこればっかりはどうしようもない。だからそれはもうしかたがないと、ダリオ・ブランドーは認めることにした。

『だがディオは違う。あいつは成功できる人間だ。そして、あいつの中には俺がいる。まぁ、あいつは認めねぇだろうがな。あのデキのいいディオの中に、確かにこのクソったれた俺様がいるんだよ。あいつは頭がいい、きっと金持ちになるだろう。ただの金持ちなんかじゃねぇ、あんたやあのジョースター卿をあごで使えるような人間になるのさ!』
『どうやって?』
『そんなのは俺が考えることじゃぁねぇ!だが間違いなくそうなる!俺はこのままこんなクソみてぇなところで死ぬが、ディオは違う!あいつは成功する!あいつの中の俺と一緒にな!!なぁ、オールド・レディ、あんたにはわからねぇだろ?だがガキってのはそういうもんなんだよ!親を幸せにするために生まれてきたんだ!!』

言って笑う、笑う、ダリオ・ブランドーをは黙って見下ろした。

正論だとは思わない。結局自分自身が幸福になれなければなんの意味もないではないか、と思う。けれど、この男がそう考えて自分の人生に折り合いをつけて死んでいくことにしたのだ、とそれは理解できた。

そして口ではそう言いながら、はダリオ・ブランドーの中に息子に対する「愛」があることを感じとった。

調べた限りではこの男は息子やその妻に暴力を振るうろくでなしだ。

だがディオを自分の息子だと認め、そして「あいつは俺と違って頭がいい」と話す、その時のダリオの自慢そうな顔、子供のことを我がことのように思う、親の愛情がそこには確かに存在していた。

あんな男にも、息子にたいする愛情を持っていた。その事が、にはショックだった。自分はダリオ・ブランドーにも劣る人間であると突きつけられた気がした。

「……ダリオの家を出た後、わたしは酒場で賭けチェスをしているディオを見たわ。一目でわかった。ダリオの言うように頭のいい子。まだジョジョと同じ歳なのに、あの酒場の中で、独自のルールを持った貧困街で生き抜いてきた子供」

あぁ、なるほど間違いなくあの子供は大成するとは認めた。自分の力量を把握しており、それらをどう扱えば最も友好的であるのかを理解している。そんな賢い目をしていた。

そしては、この子供は、いい暇つぶしになると確信した。

「ねぇリーナ、わたし、とっても楽しみなのよ。あの子供には悪党の素質がある。わたし、あの子にわたしが出来る全てのことをするつもりなの。最高の教育に最高の環境。人脈だって物だって、なんだって」
「そうして完璧に育て上げた人間がどうお嬢さまを破滅させるのかを楽しむために、でしょう?」

うっとりと夢見る乙女のように語れば、リーナが心底軽蔑しきった目を向けて来た。

はディオをメアリーにしたように、自分の人生の証にするつもりはない。そんなことは無意味だと懲りている。そうではない。そんなことはもうしない。

「えぇ。今のままじゃだめよ。それに、あの子が考えている程度の代物じゃ、せいぜい貴族の家を乗っ取れるかどうかくらいだわ」
「それでも十分物騒ですよ」

だがには物足りない。そんなものはあっさり潰せる野心だ。

はディオの人生をかけた「略奪」を最高のものにして、それを自分で叩き潰すこと、それを今後の楽しみにしようと、そう考えているのだ。

あの賢く天分もある子供が最高の教育を受けて最高の状態に仕上がった時、一体どれほど巧妙な手段で人を陥れてくるのだろう。

そして同時に、は自覚していた。

(これはウサ晴らしだ)

ダリオ・ブランドーはメアリーの死体を漁った屑である。そのダリオの希望であるディオ。それを叩き潰すことで満足感を?いや、それだけではない。もっと卑しい考えだ。その屑ですらには抱けなかった愛情を当たり前のように持っていた。その事に対してのウサ晴らしでもあった。

「わたしはね、リーナ。このつまらなかった人生を最後に楽しみたいの。誰だってそうでしょう?大丈夫、誰にも迷惑なんかかけないわ。ジョジョには兄弟ができるし、ジョージは自分の信念を通せる。わたしは負けたりなんかはしないのだから、状況は何もかわらないでしょう?」
「ディオは、あの子供はどうなるのです?お嬢さまのお遊びに付き合わされて、最終的にはどうなるのです?」

はきょとん、と顔を幼くさせる。

「どうして気にするの?あの子供だって自分の野心を叶えられるチャンスを得るのよ?自分で手に入れているんだ、と思っているし、何も問題はないでしょう?」

あぁこの方は、他人の気持ちを考えることができないのだ。リーナは腹を抱えて笑いたくなった。昔からそうだ。・ジョセフ・ジョースターは自分が物事の中心で、主人公は自分。他はただの登場人物、思い通りのセリフを言って行動してくれればそれでよく、彼らが何を感じ、何を考えているのか、などどうでもいいのだ。

早く死んでしまえばこの世がどんなに平和になるか!リーナはつくづく呆れながら、仕えて以来初めて生き生きとした表情を浮かべる主人の為に新しいお茶を入れるのだった。



FIN
(2013/11/30 08:20)