*他夢主部屋から移動+後半加筆
幼い頃のように、悪いことをしたら叱る、ということができなくなったのはいつからだろうか。
目の前にいる女を眺めてマルコ、普段のその死んだ魚のような眼とは打って変わり鋭くなった。戦闘の終えた船上は騒然としている。あちこちで負傷者の手当、そして船の破損を調べて回る船大工たちの声がする。ビリリビリリと妙な振動、一番隊の隊長殿のなかなか本気の怒気は(本人隠すつもりであるのに抑えきれぬのだ、未熟故ではなくて、それほどのこと、ということである)大気をも震わせる。
一歩歩くごとに船員たちが慄いた。先ほどまでの戦いではけして見られなかったマルコ隊長のその様子。ツカツカと進む先にいるのは、一人の少女。いや、少女というには成熟しきった体つき、豊満な胸部は薄布一枚に隠されているだけの挑発的な格好、その足下に無残に刻まれた敵の船員、どっぷりとした血だまりの中で心地よさそうに鼻歌を歌っている。その歪んだ鼻歌がマルコの瞼をぴくりぴくりと刺激する。
「」
「折角絶頂を迎えそうだというのに遮るなんて焦らしてるんですか」
声をかければ、くるり、とその白い(いや、今は真っ赤に血がついているが)顔が向けられる。目のある位置には真っ赤な布があてられていて、視界は遮られている。この少女、半年前に海軍本部の軍艦と戦った時に視力を失った。
減らず口、叩いて、煩わしそうな声音。チャプン、と血だまりが跳ねた。血は酸化して黒くなるのが道理というのに、中々黒くはなっていない。それほどの量、である。ゆえになかなか乾かぬらしい。そういう光景、当然と受け入れてしまう己にならぬようにとマルコは眦を吊り上げて、ぐいっと、の腕を取った。そしてその間際に、ぶらんと、揺れて肉、骨まで見えるのもう片方の腕が視界によく入った。
「こんなバカばかり繰り返して、何になるよい」
踊りの下手なサロメ
医者の話によれば、出血が多すぎて輸血をしなければ危うい、とのこと。しかし「この寒気がイイんですよ」などとふざけたことを言い、はふらふら笑いながら医務室を逃げ出していた。そのふらつく足は酒に酔った千鳥足の方がまだましというほどおぼつかぬ。当然、に死なれては困ると思う人間はマルコに泣きつく。なんとかしてくださいと、戦闘終って、己らも安静にしてなきゃまずいだろうに、そう弟分たちに言われればマルコも放っておくことなどできぬ。だいたい、戦闘の後のの面倒を見るのはいつもマルコの役目であったから、それはまぁ、頼まれずとも結局はの部屋に向かうことになっただろう。
とぼとぼとやる気なく歩きながら、マルコは先ほど触れたの温度を思い出す。戦闘の度にはあちこちに傷を受ける。わざと、だということはだれの目にも明らかだ。いくら海賊団の船員であると認められているとはいえ、ほんの小さなころからのを知る船員たち、傷だらけになるのをよしとできるわけがない。
親父が、白ヒゲが一度諭したこともあったらしい。マルコたちは離れて、親父と二人で話していた。その時はまだ、は目が見えていて、あの時はまだ、どこかおかしな言動もそれほどにはなかったと思う。それがいつからか、は少しおかしくなったように思える。
どうして傷をつけたがるのかマルコにはわからない。自傷癖、ではないだろう。前に台所でリンゴを剥かせて(何も食べないというから、自主的にやらせて口に放り込んだ)指を切った時は嫌そうにしていた。
(ならなぜ)
今回、今日の、戦いではついには片腕を失った。冒険の痛手、強者故の、命との代償に失った、というわけでもない。片腕を斬り落とした相手、確かに本部の実力者だったが、先ほどの足元に肉片となって転がっていた。つまりは、そういうくらいの人間だったのだ。
「、入るよい」
コンコンとノックをすると同時に開ける。どうせ答えを返すかわいげなど持ち合わせていないのだ。少々乱暴に扉を開けると、まず咽返る様な血のにおい。
「……ちゃんと自分で洗濯しろよ、わかってんだろうな」
目の前、まっ白いベッドの上にドス黒い血の塊を抱いて横たわっている細い姿。医者の言うとおり出血の多さで、普段以上に肌が白い。の部屋は女の部屋とは思えぬほど簡素なものだ。大きな姿見とベッドがあるのみで机も椅子もない。衣装棚さえ置いておらず、服はどうしているのだと思えば部屋の隅にまとめられている。エースの部屋だってもっと生活観がある。昔はこうではなかったのに、とマルコはため息を吐いた。
マルコが部屋に入ったことに、いや、部屋に近づいて来ているころから気づいただろうに、は黙ったままぴくりとも動かない。マルコはベッドに近づき、そのの抱いている塊を見下ろした。
腕である。
の、腕だ。
真っ白い腕、ほっそりとした蝋のような指先。爪先は丁寧に手入れされていたはずだが、戦闘の最中になんぞあったか、所々歪な形になっている、その、腕である。先ほど切断されたもの。生々しい断面は隠されることなくあらわになっている。もちろん、残った二の腕はドクターの丁寧な治療によって今はきちんと包帯が巻かれている。それでも医者の満足するほどには手当をさせなかったのか、白い包帯から血がにじんでいる。そんなに血が好きなら首を斬れと、以前エースがキレて口論(一方的にだが)になっていた。あいつはが心底心配なのに当人はそんなことは構わないからだ。
(確か、そのエースのセリフを受けてこのバカは「自分の首を切ってあふれる血の音を聴けるのならやります」と白々と答えたのだったか)
マルコはベッドに腰掛けて、の頭を撫でた。
(なんで、こうなった)
昔はよく笑う子供だった。
エースがこの船に来るよりも前、まだマルコも一番隊の隊長になる前、は白ヒゲに拾われてきた。赤ん坊だった。どこぞの島の風習で、流行病を終わらせるために、海神へ生まれたばかりの赤ん坊を差し出すとか、そういう儀式の犠牲者だった。何も積まぬ、しかしご立派な船に赤ん坊一人が乗せられて、波の運ぶまま海へ出されたのだという。そこを、親父が拾い上げたと、だからは白ヒゲ海賊団の家族だった。
小さなころは、マルコのズボンに掴まってなぜ海は青いのかと問うようなあどけなさを持っていた。カモメの鳴き声を誰よりも早く聞きつけて、同じように敵船を発見するのも早かった。マルコはを妹のように思っていた。かわいがっていた自覚もある。悪い虫がつかぬようにと新入りには必ず「手ぇ出したらどうなるか知りたいかよい」などと脅しをかけた時もあった。
今は、そんなものは無駄になった。
触れたの髪は、血がべっどりとこびり付いて触り心地が悪い、普段さらさらと海風になびくままになっている、長い髪。耳から項にかけて撫でていると、ぴくり、と、が動いた。
「どうした」
「泣いてるの?」
「おれが泣くかよい」
否定する、しかしむくり、とが身を起こして、マルコの頬に触れてきた。やはりどっぺりと血はついていて、マルコの頬にも容赦なくついたが、振り払わなかった。
「怪我、したんですか?どこか痛いんですか?」
「そんなわけあるか」
不死鳥の能力を知っていてなぜ「怪我を」などと問うのだ。マルコは否定しながら、のこの怪我を自分の青い炎で消すことができればと、そんなことを思う。不死鳥、不死鳥。幻の鳥の能力。マルコはどんな怪我を負っても必ず再生する。付いた名が「不死鳥マルコ」そのままじゃねぇかよい、などと言ったことはあるが、だがしかし、事実である。その青い炎、その能力を使うたびにマルコは、なぜ自分以外を癒せぬのかと、悪魔を罵りたくなる。
「怪我してんのは、お前だろ。」
名前を呼べば、がうれしそうに笑った。嫌な笑顔だ。目は布で覆われ、血のけの引いた口元ばかりが笑みの形を作る。マルコが名前を呼んだことへの反応ではない。
「とても気持ち良かったです」
彼女の体のあちこちに、剣での切り傷がある。戦闘が終わればもう慣れたもので、マルコがずるずると無理やり集中治療室に引きずり込んであちこち縫合をさせるが、最近、傷口が重なって縫合しにくくなっていると医者に宣告された。
「バカ言うんじゃねぇよい。わざと攻撃を受けて、死んだらどうするよい」
「あんなに気持ちのいいコト、そう簡単に止められませんよ」
「止めりゃよかった」
静かなマルコの声に、が不思議そうに首を傾げた。
どこまでもどこまでも、悔いるばかりの、普段誰よりも強い姿勢の、白ヒゲ海賊団の一番隊長殿の、その、悔いた姿。見えぬが滅多にない姿、様子はにもわかった。マルコはの右腕に触れる、この船に乗る、家族になるということは「海賊になる」ということだ。それをよくわかっているつもりだった。そして、海賊であることがどういうことか、わかっているつもりだった。だがが傷つくたびに、マルコはなぜある程度の年齢になったをナワバリの町に置いていかなかったのだと自分の判断を責める。
「止めにはいりゃよかった。お前に戦闘なんてさせるんじゃなかったよい。医者んとこに閉じ込めて出れねぇようにしてりゃよかった」
がどこかおかしくなってきていることは気づいていたのだ。
毎回の戦闘で故意に傷を作っているこことも知っていたのだ。だが、命を失うようなことはないだろうと、そこまで正気を失っちゃいないだろうとタカをくくっていた。
「こんなことになる前に、おめぇを閉じ込めておきゃよかったんだ」
どれほど腕の良い医師であっても、神経から、組織からぐちゃぐちゃになった腕を再度つけることはできない。マルコ、長い海賊生活で片腕を失った海賊を多く見てきた。どれほどその後の生活が困難か、そしてこの過酷な海で生き抜くことが難しくなるか、知っていた。赤髪のような男であればまた話も違うが、は女なのである。
取り返しのつかないことになった。どうして自分は、そうなる前にを止めなかったのだろう。
何がを、こんな風にしてしまったのかマルコにはわからない。わからないから、どうもしなかったのか。親父が何も言わないから、「まだ大丈夫」だと思ってしまったのだろうか。
「握る手があるうちに、お前を止めりゃよかったよい」
ぽつりと呟いて歯を噛めば、がぐいっと、左手でマルコの体を押してきた。それで押し倒されるヤワな体ではない。すり寄ってくる身を受け止めて、眉を寄せた。
「」
「なんですか、マルコ隊長」
「どうすれば守れた」
問うた言葉、がキョトンと顔を幼くして、それでふわりと笑った。おかしそうに、最上の冗談を言われたように声をあげて笑い、そのままぐいっと、マルコの唇に己の唇を重ねてくる。女の生々しさを感じさせるような唇で、しかしマルコはまるでを「女」とは認識できなかった。どうしても、どうなっても、自分にとってこの少女は「妹」だ。己を慕い後をついてきて笑った、あの小さな頃の姿しかどうしたって、思い出せない。
あの少女を守りたかった。拾い上げて育てて、海賊が何であるかも教えた。どう生きるべきかも教えた。この船に乗る、マルコが弟分だと思っている全ての人間と同じように育てた。それなのに、は何を間違えたのだろうか。
(必至な願い、それさえももう、届かない)
ぎゅっと、マルコは舌を絡ませてくるの頭を抑えて髪を梳く。血の味と臭いしかしない。こうしている間だけはは自身を傷つける行為をせず、そしてまた孤独にもならぬのならマルコは、その身体を拒めない。
++
「洗うなら湯でやれ、」
「イゾウ姐さんはマルコ隊長が好きなんですか」
夜半、ひっそりとした真夜中。バスルームにてが血塗れたシーツを一人洗う最中、その背に声をかける者がある。振り返ることなくは呟いた。毎夜のことであると慣れたその背を眺めイゾウは舌打ちをした。深夜であるゆえに普段の髪型ではなくて、今は長い髪をさらりと方耳の後ろで結わき胸にかけて流している。着流し姿、は振り返って「こんばんは、イゾウ姐さん」と思い出したようにバカ丁寧な挨拶をしてくる。頭を下げられたのでイゾウも「こんばんは」と変わらず返した。片手に持った煙管をくるりと回し、イゾウは眼を細めての片腕しかないほっそりとした肩を眺める。
いつか肢体をやるとは思ったが、存外早かった。の腕が切り落とされたとき、イゾウは少し離れた場所にいて、今すぐ飛び出してを傷つけた者を撃ち殺してやろうと思ったが、斬られた直後のの顔にただ呆れた。
「っは。なんでおれがマルコに惚れなきゃならない」
扉に背を付けて煙管を咥える。何をバカなことを、と続ければはその白い顔をきょとん、と幼くさせる。この少女の歪さは戦闘時、あるいはマルコを前にしたときのみだ。普段はこのように、歳よりも若干幼い顔をする。イゾウはその度にの幼い頃を思い出し、そして、結局のところは彼女、何も変わっていないのだという確信を覚える。
それにしても、妙なことを言うとイゾウは首を傾けた。女形の装いをしていようとイゾウはれっきとした男。趣味趣向も男そのものだ。そっちの気はないとも承知のはずだが、なんだその言いがかりは、とそういう顔をすると、がおかしそうに眼を細めて笑う。
「だって、姐さん。わたしがマルコ隊長とする度に部屋の外にいるじゃないですか。マルコ隊長のこと好きじゃなかったらあんな生々しいもの覗いて楽しいんですか」
「見たくてみてるわけじゃない」
「じゃあどうして」
知りたいなら教えるが、知りたくないだろう。それで「こっちにも事情がある」とだけ言えば、へんなところでは遠慮する。「そうですか」と物分りのいい妹の顔をして、それっきり、再び血に染まったシーツを洗ってしまおうとタライの中に手を入れる。ばしゃばしゃと水の音。それにシャボン玉が飛ぶ。その背を眺め煙管を吹かしながら、イゾウは再びぽつり、と声をかけた。
「なんで腕にした?」
「斬った当人に聞いてください」
「自分で選んだだろ。どちらの腕にするか。足でもよかったはずだ。なんで腕なんだ」
「イゾウ姐さん、夜更かしは美貌の敵ですよ。わたし、イゾウ姐さんの顔が理想なんですから皺なんて作らないでください」
「会話のキャッチボールは?」
「する気があると思いますか」
ぱしゃん、とタライの中で水が跳ねる。赤が滲んだ泡がふわふわとイゾウの前に飛んできて、煙管でこつんと叩けば割れた。イゾウは何度目かのため息を吐き、壁に寄りかかったまま腕を組む。
(なんだって、おれはこの女に惚れたのか)
結局のところ、思う所はそこである。どうしたって「マルコ隊長」のことしか頭になくて、それが一杯になったばかりにどこかおかしくなってしまった白ひげ海賊団の狂い咲き姫に、この自分は惚れてしまっているらしかった。その、魔女の実なんぞ口にして、魔女の能力を手に入れてからいっそうおかしくなったとイゾウは思う。それでもその狂気は幼い頃から確かにの中にあって、年々歳を重ね「大人の自覚」を嫌でも持たねばならなくなったからこそ芽吹いたのだとも思った。
「マルコが好きなら、あんまり追い詰めてやるなよ」
片腕だけでは荒いにくかろうとそう思って、イゾウはの隣に腰をかがめる。タライの中は真っ赤になっていて、新しい水、いや、湯を入れなければただ染まるだけだ。
イゾウは煙管をにぐいっと押し付けて、自分の袖を捲くる。
「イゾウねェさん」
洗濯を代わるという意図には気付いたか、がやや驚いた顔をする。自分のことは自分で、が白ひげ海賊団の基本的な考えだ。の血で汚れたものはが自分で洗う。困ったような顔をしているのはわかったが、イゾウは取り合わなかった。
「汚れ物の洗濯は昔見世でよくやった」
「姐さんは花魁だったんですか」
「男に太夫もあるかよ」
昔の話をすれば、が興味深そうに瞳を輝かせる。マルコのことさえ話題にせねば、は正気になる。あまり思い出したいことでもないが、イゾウはごしごしとシーツを洗いながらシャボン玉が飛ぶのを眺めてぼんやりと、あの頃のことを考えた。何かしらの思い出を語るつもりはないけれど、思い出し、華やかな太夫の姿は好ましい。ゆっくり、ゆったりど道中を行くその姿をイゾウは昔格子の内側から眺めたものだ。その華やかな姿の裏を知らぬわけではないが、あの格好はよかった。
「生業はともかく、、お前が花魁の格好をすりゃ、中々見れるだろうな」
「重たそうですよ。それにイゾウ姐さんみたいに綺麗な黒髪ならともかく、わたしの髪色じゃ、簪は似合いませんよ」
「お前もたまには女らしく結ってみりゃいい。少しはしとやかになるんじゃないか」
の髪は随分と長いが、手入れをしていないため痛み放題だ。目が見えぬから省みないのかとも思うが、色は綺麗なのだからきちんと手入れをすればいいのにとイゾウは思う。泡のついた手でなければ自ら触れて梳いてやるところだ。
「簪ですか」
「興味あるか」
「目とか抉るのに便利そうですよね、こう、ぷすっと」
「聞いたおれがバカだった」
やけにうっとりと「簪ですか」というものだからてっきり色とりどりの美しさが目で見えずとも女心に好ましいのかと思って問えば、のそのあまりにもあんまりな回答。イゾウは一瞬でも脳裏で自分の秘蔵の簪コレクションをに贈呈しようと思った自分を罵った。
狂い咲き姫、極度の戦闘マニアというか、いかに血を大量に流させる殺し方ができるかと日々熱心に研究する(嫌な研究だな)女だ。確か以前サッチが「女の子なんだからリンゴの皮くらい剥けないとな!」と果物ナイフでするするリンゴの皮むきを実践した後日、「あの要領ですね」と敵の頭の皮を剥いだトラウマメイカーである。
思い出してイゾウは、だから本当、なんで自分はこんな女に惚れているんだと突っ込みを入れたくなった。
は見えぬ目を布で覆っているものの、その顔をイゾウの煙管に向けて、くるくると器用に回す。
「親父様、何か言ってました?」
「気になるならあとで顔出してきな。きっと、お前が行くまで起きてるよ」
が自分で決めたことだ、とある程度親父は理解を示している。だが娘が壊れていくのをただ眺めている気はないのだろう。が身体に傷をつけるたびに、白ひげはきちんと、を叱る。怒鳴るわけではないが、きちんと「悪いことだろ」とそう叱る。が悪い、という言い方はしないのだろう。が怪我をすれば悲しむやつがいると、そういう諭し方をするらしかった。他の人間が言えばはころころと歪んで笑って終いだが、親父に言われれば聊か答えるらしい。マルコの心が傷つこうとそれは構わぬのに、親父が悲しんでいる、という事実をはっきりと伝えられることが、には辛いらしい。それも親父はわかっている。だからこそ、もう誰もを叱れなくなったから、だから、親父は最後まで「が正気である」という可能性を諦めないのだ。
「……イゾウ姐さん、ついてきては、」
「一人でいきな」
「酷い」
恐る恐る、という様子のを一蹴すれば、が唇を尖らせる。イゾウは笑って、泡のついた手を腰で脱ぐってからくしゃり、とその頭を撫でる。
(お前は不毛なことをしているよ)
はマルコが好きだ。それは誰の目にも明らかで、マルコ自身わかっている。それでもどうしようもないほど、マルコにとっては妹で、にせがまれて抱くたびに、その「妹」だという思いが濃くなっていくらしい。罪悪感と自己嫌悪で一杯になる二人の様子を扉越しに聞くたびに、イゾウは煙管を吹かしつつ、いっそどちらか頭でも打って記憶をなしてしまえばいいのにと、そんな非現実的すぎることを思う。
「親父に叱られたら食堂に来なよ。サッチがお前に夜食を作ってるはずだ」
血が足りないだろうから、レバーとほうれん草の雑炊、といえばが嫌そうな顔をした。
Fin
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