ミルキィウェイ




がやがやと騒がしい甲板に気付いたか、がひょいっと顔を出した。今日はさして戦闘もなかったもので、は「体調不良」を理由に一日中寝ていた。原因は明らかに最近無茶をしすぎたからだと誰もが思ったが、いうだけ無駄なので誰も突っ込み入れない。エースだけが「無理すんなよ…!女の身体ってのは弱いんだろ…!?」と心配そうにしていたが、それは先日サッチに「女ってのはな…女の子の日っていう拷問があるんだ」と神妙な顔でいらんことを吹き込んだからだろう。

「よう、
「イゾウ姐さん、おはようございます」
「もう夜だよ」

夕食も終わった時刻だ。イゾウが肩を竦めればは見えぬはずの目であたりをきょろきょろと見渡すように顔を動かした。

「姐さん、これは何の騒ぎです」
「よぉ!!起きてきたのか!!」

もう夜も濃くなっているというのに、白ひげ海賊団甲板は真昼のように明るい。いや、普段から宴でも開けばこのように想像しくなるが、今日はそういうものもないことをも承知。それで問うてきて、イゾウは答えようと口を開くが、その前にどばっ、と、イゾウの背にエースが抱きついてくる。

「身体はもう大丈夫なのか?!」
「えぇ。1日ぐっすり寝ましたから、大丈夫ですよ」
「昼に一回様子見に行ったんだけど、返事なかったから。そうか、もういいなら、よかった!」

酔っているわけではないだろうが、夜で妙なテンションになっているエースはイゾウに抱きつきつつ、子犬のような顔をする。ふさふさした犬耳でもついているんじゃないかとイゾウはその黒髪の間を探ってみたくなったが、やると怒るだろうのでやめておく。エースはを案じるように顔を見つめ、大事ないという返答にほっとして笑った。

昼間に様子を見に行った、というのは、まぁ、おそらくも気付いただろうが、絶対無視したんだろうと、経験者であるイゾウは察する。エースが気付けばなんか傷つきそうなので言わないが、嗜めるようにを見て、眼が合った。とうに失明しているはずなのに、なぜこんなにもタイミングよく顔を向けてくるものか。

「それで、なんで皆さんこんなに騒いでいるんです」
「あァ、それは、」
!お前も書けって!な!」
「エース、頼むからおれが説明するまで黙ってくれないか」

先ほどおじゃんにされた解説をしようと口を開けば、再びエースに遮られた。いや、そこでエースが代わって説明をしてくれるのならいいのだが、突然結果だけ出されればとて「?」と首を傾げるしかないだろう。案の定は「……何を書くんです?」と眉を寄せている。必死に何か理解をしようとはしてくれているらしいが、心当たりもないだろうので困惑しっぱなし、という様子が幼くおかしい。くつくつと、思わずイゾウが笑ってしまうと、気付いたがすねを蹴り飛ばしてきた。

「痛いじゃないか、
「痛くしているんです。それで、イゾウ姐さんこれは何の騒ぎですかって、わたし聞くの三回目なんですけど」
「七夕さ。笹に短冊を吊るして願掛けって、随分前にやったんだが、覚えているか?」
「いえ、全く」

白ひげ海賊団、エースはこの船に乗って初めてだろうが、数年前に一度、7月7日の夜は七夕の祭りをしている。そう毎年都合よく笹が手に入るわけでもないので久しぶりに行われるもの。覚えているか、と聞けばはあっさり首を降る。

「でも、あぁ、そうですね。確か、そんなことをする習慣がどこかにあるとか、聞いた覚えが」
「もう殆どの連中は短冊に願いを書いてる。お前も何か書くかい、

盲目になりつつも、は美しい字を書くし、実際のところ書道もやる。イゾウも墨をすって筆を走らせることが好きなのでよくを誘うが、の手で擦られた墨はいい色をしている。女の手で擦ったほうが墨は良いのだという話を聞くが、その中でものする墨は良い。

「エースは何を書いたんですか」
「俺か?俺は、親父の健康と弟が早く海に出るようにって書いた」

エースの弟も海賊を目指しているらしい。暇があれば弟の話しをするエースをイゾウや他の隊長らは、この船に来たばかりの頃と比べればかなり柔らかく人懐っこくなったと眼を細めて眺めるが、は「耳にたこができました」と時折眉を寄せる。

今もエースが「弟」と発言して「またですか」というような顔をするが、何か言うつもりはないらしい。

「イゾウ姐さんは?」
「そりゃもちろん、親父の健康」
「他にはねェのか?」
「ないよ。まぁ、洒落っ気を出して織姫と彦星が会えるように、ってくらいの心はあるけどね」

空を見上げれば見事な天の川が流れている。これなら一年会えずにいたという夫婦も無事再会できようもの。煙管を吹かせば、エースが火を貸してくる。

「気が効くようになったねぇ」

わしゃわしゃと髪を撫でて褒めればエースが笑った。そして笹の設置された甲板で仲間に呼ばれたらしくそのまま駈けて行く。イゾウはその背を見送り、短冊片手に真剣に悩んでいるを振り返った。

「何を書くか迷ってるのかい」
「はい。親父殿のご健康は確実として、その隣に1日1殺と書くのは何か不健康な気がして」
「いや、書くなよ、そんな物騒なこと」

織姫と彦星がドン引きする、と突っ込めばは「じゃあ何を書けば…?」と心底困った顔で言う。いや、他に願いは無いのか。もっとこう、何かが欲しいとか、何かをしたい、とかないのか。問えばは数秒沈黙して、ぽん、と手を叩く。

「サッチ隊長の髪を下ろしたところが見たいです」
「風呂上りを狙え、それか朝」
「ステファンと散歩を」
「いつでもできるだろ」
「ビスタ隊長のシルクハットから鳩を出して親父殿を笑わせたい」
「宴のときにやってくれ」

どれもこれも日常で叶えることができる。イゾウは苦笑してあれこれと、が口に出すたびに解決策を答えた。一つ言えば一つ答える、というそのテンポが出来てきて、それが面白いのかがころころ、と喉を鳴らす。が笑うので、イゾウも何やら可笑しく思え、それで喉を鳴らして笑う。

「あ、ありました。願い事」
「今度は少しは叶えにくいんだろうな」
「もちろん、えぇっと、」


いくつか出して、暫く、やっとが「あぁ」と何か思いついたようではしゃいだ声を出す。どうせまた些細なことだろうというのはその様子からわかったが、そのもったいぶった様子にイゾウは便乗するように「へぇ」と期待してみせた。それで、が何か言う前に、二人の間に声がかかる。

「マルコ」

その一瞬で、すぐにの表情から正気が消えたのをイゾウは間近で感じた。袖に隠れた掌を握り、に近づくマルコを振り返って、気楽に見えるように構える。

「どうした?」
「いや、そいつだけ短冊が出てねェからよい、親父が『書くことが決まらねェなら一緒に考えてやる』って、呼びに来たんだよい」
「それなら、今丁度考えてるところだ。なぁ、

呼べばイゾウの背に庇われるような位置になっていたが「えぇ、丁度」と静かな声で答える。先ほどまではあんなにはしゃいだ声を出していたのに、なぜこうもあっさり墓場にいるような声になるのか。

「そうかよい、なら親父にはそう言っておくよい」
「あぁ、そうしてくれ」
「マルコ隊長」

イゾウとマルコはそれぞれ顔を見つめあい、お互い何を伝えたいのかよく、互いにわからぬのに、妙に生真面目な顔でそう交わす。それでマルコがひょいっと、背を向けようというのに、何事もなく、何の問題もなくしようとしている、その二人の努力を、があっさりと無駄にした。

呼び止められて、マルコが足を止める。

「なんだよい」
「マルコ隊長は何を書いたんですか」
「親父の健康」
「基本ですよね。わたしも書きます」

他には?と、そこで止めればいいのには問う。イゾウは眉を寄せて、マルコに目配せをした。マルコは眠たそうな瞼を2、3度動かして、少し考えるようにしたあと、ゆっくりと口を開く。

「世界平和」

なんで七夕の願い事の話をしているのに、こんなに緊迫しなければならないのか。イゾウは額を押さえたくなった。といえばその答えに満足しているようにも不満だと思うているようにも見えず、ただじぃっと聞いている。マルコの答えはいろいろ突っ込みが入れられるだろうに、生憎そういう空気ではない。イゾウはここでを無理やりにでもマルコから引き離すべきだとはわかっているのだが、こうなるとわかっていてに近づくマルコが、もう少し困ってもいいんじゃないかと思わなくもない。

そうして黙っていると、同じように黙っていたはずのが口を開いた。

「それじゃあわたしは、本心を書かないマルコ隊長の代わりに、がまた来てくれるようにって書きますね」

いっそ落雷でも来て短冊が台無しになってくれとイゾウは心の底から思った。


 

 





Fin