そういう歪んだ関係でいいのかどうか考えろ!
その日は妙にの機嫌が良かった。イっちゃったような発言もあまりなかったし、鼻歌なんぞ歌ってサッチの手伝いをしていたほどだ。真っ白いシーツをきちんとパシンと伸ばして干す姿はまさにまさしく「正常」に見え、いつ何時が「皆死ねばいいんですよ」と鎌を振り出すか見張っていたイゾウが、思わずぽろっと煙管を落としたほどだった。
「やっぱさァ、お前はこういう風に太陽の下が似合うよな!」
洗濯籠を片手で抱えながら、わしわしっとサッチが器用にの頭を撫でる。いつもいつも部屋に引きこもってばかりのを案じるのは何もイゾウばかりではない。サッチなどどうすればが部屋から出てくれるかと、彼女の好みそうな物をせっせと作って扉の前に置き、天岩戸伝説じゃあるまいに、パタパタと団扇で匂いを部屋に送ってみるなど、中々涙ぐましいではないか。
の「正常」な様子にサッチの顔が笑顔になる。笑うと太陽のような男。イゾウは何だか眩しく思えて眼を細め、そして樽に腰掛けたまま二人にひょいっと声をかけた。
「だからって、あんまり日に当たりすぎるのもにゃ毒だろ。肌の白い女は日に弱いのが相場だ」
「あら、イゾウ姐さんだって白いじゃァないですか」
そう言うだろうとわかっていたので、イゾウはきちんと女の肌、と前置いた。「おれはいいんだよ」とそう言えばが不服そうな顔をする。そういう表情が昔のように押さなくて、自然と口元がほころんだ。
「イゾウ姐さん、こんなに暑いのにお化粧ばっちりって、どこの思春期のお嬢さんですか」
「だよな、イゾウの化粧ってどうなってんだ?ナースのねーちゃんたちの化粧だって暑さと汗で時々ちょっと落ちてんのに、おれお前の化粧が崩れてるところなんて見たことねェぞ」
サッチは気遣い深くさりげなくの後ろに立って太陽からの影を作った。そういう気遣いは出来るのに、当人を目の前にして手を握ることすらできないというのはどうなのだろうかと、の気付かぬそのサッチの想いを敏感に感じ取りながらイゾウは再び煙管を咥える。
自分のことは棚に上げて、イゾウはサッチが「不毛な恋」をしているのを呆れてもいた。せっせと日々、サッチはを気遣う。見ていてこちらが苦笑してしまうほど、やれが怪我をしただの、あの崖の上の花がに似合いそうだからちょっと取ってくるだの、その度に周囲に呆れられている。それでもまるで諦めず、隠すこともせず、サッチは「!」とその太陽のような笑顔で呼ぶのだ。
今も、サッチ当人に化粧の話題などあまりネタがなかろうに、が気になっているからと「会話」の形にしようとする。サッチは、自由気ままな海賊の中には珍しく人をよく気遣い空気が読める男だが、に関しては気遣い、というよりも「バカ」という色のほうが強かろう。
(それで、あぁ、なんだったか、そうだ。このおれの化粧の話題だ)
ふぅ、とイゾウは煙を吐いて樽の上で足を組む。
「そりゃァ、そうだろうよ。おれの化粧が崩れたら弾の攻撃力が下がるからな。覇気で必死にガードしてんだよ」
「え、マジでか!?」
「あの、覇気ってそんな都合のいい利用方法があったんですか?」
驚く二人を満足げに眺めてから、イゾウはフゥーっと思いっきりサッチの顔に煙をかけた。
「ウ・ソ・に決まってんだろ」
んな便利な覇気の使い方があってたまるか。
覇気を使えぬならともかくとして、お前まで騙されるってどういうことだ、とイゾウはからかうようにサッチを見上げる。調理中に発生する煙ならなんということもないのに、やはり料理人は煙草・葉巻・煙管の類と縁遠いか、げほげほと咽て混じりに涙さえ浮かべたサッチが、不機嫌そうに眉を寄せる。
「お前、純粋なおれの心を騙して楽しい?」
「すっごく」
「サッチ隊長はからかいがいありますよね。わかります」
騙されたことよりサッチの反応が面白いか、がころころと喉を震わせる。きちんと笑うは久しぶりだとイゾウは気付き、思わず手を伸ばしてくしゃり、と頭を撫でた。
「わたし、よく頭を撫でられるんですけどそんなに子供ですか?」
さっきサッチもしていた。イゾウはどう答えたものかと首をかしげサッチを見る。からかわれた云々はまだ恨んでいそうな顔だが、しかしが笑ったということである程度の怒りは甲斐性されたらしい。現金な男だとイゾウは内心思い、「ノリ?」と同意を求めた。
「いや、ノリってなんだよ。おれはこう、がちっせぇしかわいいしやわらかそうだしもうこう、ぐりぐりしてえんだけど大人の女だと敬意を払って頭を撫でるだけにしてるんだぜ?」
「イゾウ姐さん、どうしましょう。まるで誠意を感じないですよね、今の言葉って」
「あぁ、ちょっとおちょくられてる気がするな」
「ちょ!?え、なんでだよ!」
きちんと正直に答えたのに!とサッチが慌てる。あれか、こいつは天然入っているのか、とイゾウとはお互い顔を合わせて笑い、肩を竦めた。そういえば、確かにの頭を撫でる者は多い。ジョズやビスタや、それに親父もよく撫でている気がする。ハルタは生憎の方が背が高いので撫でる、ということはできない。サッチはが小さい、とそういうが、しかしはその年頃の娘にしては背が高い方だ。
「いや、ほら、あれだよ!お前の髪が綺麗だからつい、とかさ…!別に子供扱いなんてしてねぇって!」
慌ててに言い訳をするサッチの賢明さは眩しい。イゾウはくつくつと笑い、その様子を眺める。
といえば、見えぬ目をサッチに向けて少し怒ったような表情をわざと作る。「サッチ隊長なんて知りません」とでも言うようにそっぽを向けばますますサッチが慌てた。そういう光景が、イゾウにはなぜかとても愛おしく感じられる。
(多分、はサッチといたほうがいい)
こうしているときが一番、は「普通」に見える。もちろん、マルコ以外であればは正常に見えるようになるのだけれど、しかし、たとえばに惚れてしまっている自分が彼女の傍にいるときよりも、イゾウは、サッチがいたときのほうがはきちんと「幼く」いられているのだと、そのように思うのだ。
サッチには不思議な魅力があった。にかっと笑えばその分だけ太陽の光が増したかのようにその場が明るくなる。白ひげ海賊団、それぞれ個性豊かな連中ばかりで、それぞれ共通しているのは親父命ということだけれど、しかし、そんな個性的で、けれとも統一性もある海賊団の中で、サッチは飛びぬけて「眩しい」男だと、そのようにイゾウは思う。マルコや自分、それにイゾウの親しいビスタはどこか陰りを覚えている。しかしサッチにはそのようなものがない。いや、冷酷さがまるでないわけではない。海賊なのだ。そのような必要性を知り、所有もしている。しかし、それでもイゾウにはサッチは「眩しい」と思うのだ。
がどれほど病んだところで、どれほど狂ったところで、サッチの「眩しさ」には敵わないのではないか。がどれほど暗闇に落ちたところで、サッチがにかっとそのように笑えば、途端を取り巻く暗闇は光に照らされて何の意味もなくなってしまう。そういう気がするのだ。
イゾウはサッチの恋は不毛だと、そう思うし、呆れもする。けれど、けして実らぬとしても、それでもサッチはにとってとても重要なのではないかと、そう、イゾウは感じていた。
「おい、、そろそろ行くよい」
こうして洗濯物が乾くまで三人でこうしていられればいい、とそうイゾウが思った直後、カツン、とあえて相手に気付かせるための足音一つ。イゾウは眉を寄せて顔をあげ、溜め息を吐いた。
「マルコ隊長」
「あ、マルコ」
「そういうことか」
、サッチ、イゾウのそれぞれの反応。イゾウの言葉だけにはマルコは眉を跳ねさせ、しかし何も言わなかった。
なるほど、どうりで本日のの機嫌はよかったわけだ、とイゾウは察する。今のこのセリフ一つで何もかもわかってしまう、その単純さ。
「え、何?マルコ、どっか行くの?」
イゾウと違いまだ合点いかぬかサッチが首を傾げる。本日の隊長らの朝の打ち合わせでは特に何の話も出なかった。しかしマルコはに「そろそろ行く」とそう言う。船の上でどこか行き場所があるわけでもない。どこかへ出かける、というのはすぐにわかるはずだ。
「街に買出しだよい」
「食料なら足りてんだろ?」
厨房管理ではないにしても料理人も勤める稀有な隊長殿、その辺の把握は完璧だった。問えばマルコの眉間にほんの一瞬皺が寄った。詳しい説明を求められているのはわかるが、答えられない、ということ。イゾウにちらりと視線を向け「なんとかしろい」と暗に助けを請われるが、イゾウは自分でなんとかしろ、とにっこり笑顔で答える。ひくり、と今度は明らかにマルコの顔が引き攣った。
「……お、親父に渡すもので、ちょっと調達したい物があるんだよい。それで、と街に行く」
「え?親父誕生日だっけ!?おれも行く!!」
さすがにイゾウはマルコが気の毒になった。この鈍さはどうにかならないのか!陰で腹を抱えて笑ってから、イゾウはぽん、とサッチの肩を叩く。
「マルコだってたまにはと二人で買出ししてェんだよ」
助け舟を出せばマルコはほっとし、そしてキキョが嬉しそうに笑った。言えば一瞬サッチは、何か奇妙なものでも見るような顔でマルコを見、そして次にを見て手をぽん、と打つ。
「あー、どうりで、今日はがめかしこんでるなぁと」
「……どの辺が?」
言っておくが本日のの装いは普段と変わらぬ軽装だ。女性らしいかわいらしいワンピース姿、というのならマルコとデートができるとはしゃぐと微笑ましく思えるが、生憎その辺、には当てはまらぬものだろう。小声でサッチに言えば、首を傾げ「だって布に血がついてねーじゃん」とそうあっさり返す。
……のおめかし=返り血の付いてない衣服を選ぶ、なのか?
いや、確かに、目元を覆う普段は血塗れて変色した布も今日はすっきりと清潔な布になっているが。
まぁつまり、本日の機嫌が良かったのはマルコが「買出しに」と誘ってくれたからに他ならない。なんだかんだといいながら、結局はマルコしか見ちゃいないというのが突きつけられ、イゾウは何だか疲れを覚える。その反面、マルコに若干の同情をしなくもなかった。
うきうきと去っていくと、その少し後ろを歩くマルコの姿が見えなくなり、少ししてバサッと鳥が羽ばたく音がした。青い炎を纏い、マルコがその背にを乗せ近くの町まで行った、というのは疑いようもなく、空を見上げその青い尾が見えぬかと思いつつ、イゾウは「やっぱりマルコなのか!!!!」と何やらしょうもないことを叫んでいるサッチの背を蹴る。
「痛っ!何すんだよ!」
「ぼさっとしてねェで、戦闘準備にかかるぞ」
「は?なんで?」
なんでのおめかしには気付くのにこういうところにはてんで疎いのだろうか。イゾウは額を押え、が去ったので今度は堂々と言葉に出す。
「魔女が来る。それなりの準備をしとかねェでどうすんだ」
まぁ、つまりはそういうことなのだ。
魔女がくる。あの、悪夢のような女がこの船に何の用かは知らないが、おそらくは親父が呼んだのだろう。出なければ魔女当人とて赤犬の手前白ひげ海賊団に関わろうとはせぬはずだ。それで、だからこそをその時船においておくわけにはいかない。の憎悪、嫉妬という程度では収まりきらぬ強い感情が対象となる魔女に向けられればどうなるか誰もが案じている。魔女が死ぬだけならいい。だが、確実に死ぬのはの方だろう。
だからマルコがを連れ出す。マルコは、おそらくはこの船で唯一、魔女の訪問を待ち望んでいる男で、それであるのにのためにマルコは魔女に会うわけにはいかない。
結局は、そういうことなのだろう。とて愚かではない。確実に、気付いている。マルコが「自分だけを誘って」くれるなど、何か裏があるに違いない。それは魔女のことだ、と、彼女はすぐに気付く。しかし、はそれを喜ぶのだ。マルコはけして魔女には会えない。その本来なら会えた時間をが全て独占する。これほど愉快なことはないと、は無邪気に笑う。
マルコも、気付いている。それでもお互い表面的には「一緒に出かけることを喜ぶ」仲のいい兄妹のような顔をして、そしてマルコの背に乗って、は船から離れるのだ。
「なんつーか、不健康だよな。あいつらって」
「お前ってそういうのには敏感なんだねェ」
魔女が来る、というだけでそこから先を一切悟り呟くサッチに、イゾウは溜め息を吐いた。
そうして二人で空を見上げながら、いっそ魔女が滅びればいいのにと現実には限りなく可能性の低いことを願ってみる。
Fin
(2010/08/06 17:48)
・サッチが好きです。
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