数年ぶりに会った母の顔は記憶のものよりも随分と顔色がよかった。己が知っている母はいつも何かに怯えていて、恐れていて、また何かを恨んで恨んで憎んで憎んで仕方のない、余裕というもの、優しみというものが微塵も感じられない顔であったから、久方ぶりに面し、その白い貌に「解放感」が見て取れては幼心ながら、母が幸福な時間を過ごせていたのだと安堵した。

「おかあ、はん」

おずおず、とは上座から母を呼び手を伸ばした。子供が母を慕い呼ぶにしては聊か遠慮がちな声音ではある。だがそこには血縁者なら感じられる思慕があった。ここへ来てずっと着せられている着物は子供用とてずしりと重い。折檻を受け痣だらけの身体は動かすたびに痛みが走るが、しかし目の前に母がいる。数年ぶりだ。立ちあがって駈けよって抱きつきたい。は焦がれた。けれどそれは「無作法」である。わかっていて、だから手を伸ばすのがにできる(それさえも本来はならぬことではあるが)唯一の母への甘えだった。

は母を恨んではいない。自分をこの場所に投げ込んだこと、これまで一度も会いにきてくれなかったこと、そういうことを「どうして」と思ったことはない。しようのないことだと、わかっていた。だから今はただ、いや、わかっていたからこそ、母に、褒めて欲しかった。この場所に置き去りにされて、逃げ出さなかった己を。母と祖母の確執に巻き込まれても恨みごと一つ言わなかった己を。抱き締めて、ぎゅっと、その胸に抱いて、ただ一言「がんばったなぁ」とそう、言って貰いたかった。おそらくはその為だけに、己はこれまで耐えてきたのだ。は期待と興奮の入り混じった瞳を母に向け、そしてヒュッと喉を鳴らした。

「あぁ、あぁ、ああ、汚らわしい。あの女に毒されおってからに。上品ぶったあのババァそっくりや」

己を見つめ返す母の瞳、嫌悪感と敵意に溢れた、暗い暗い眼が、ずんぐりとまぁるい。顔を顰め、母が子に向けるべきではない種の色を浮かべ、毒々しい言葉を連ねた。






福富が皆に愛され過ぎて世界が円満どころか歪になってる
                                            ハイ!夏祭りに行こうぜ!!(前篇)







ぴしゃり、とバケツの水を浴びせられは反射的に目を閉じた。丸い大きな野暮ったい眼鏡に泥が付く。掃除の時間、床を拭いた雑巾を絞った水だろう。唇に入らぬように気をつけたいが、どうしたって入りこむ。態々放課後までこの水を取っといてくれていたのかと思うと、妙に笑えた。

かちゃりと眼鏡を外し短いスカートの裾で拭く。キュッキュと力を込めたが汚れたスカートで拭いても大して効果はないだろう。元々伊達眼鏡である。は曇った眼鏡を胸ポケットにしまおうとしたが、その手を乱暴に叩き落とされた。眼鏡が土の上に落ち、そのまま足で踏まれてパキッ、と割れる。今月に入って何コ目だったか。ぼんやり思い出そうとして、面倒くさくなって止めた。そのかわりにそろそろと頭を上げると、先ほど突き飛ばされてしゃがみ込んでいる己を見下ろす女子生徒が数人。見覚えがあるようなないような。しかし皆平等に嫌悪の表情を浮かべている。

「あんた、わかってんの?何度言わせんの?人の彼氏取って楽しいの?」
「取ってないわ。は何もしてない。○○くんにしても××くんにしても、あっちから声をかけてきたから、は遊んだだけ」
「この……!!」

ビッチ、ヤリ○ン、なんて品のない言葉が向けられてきたが、は己に掴みかかる女子生徒の顔に寄った皺を「痕になるわ」と案ずるだけだった。それが尚更相手の苛立ちを煽り、パシンと頬を打たれる。勢いよく、そのまま地面に突き飛ばされ、強かに身体を打ったが、しかし、特に何か湧き上がる敵意のような、感情はない。

はっきりと彼女たちは自分たちが「被害者」であり、が「加害者」だという顔をしている。間違いはない。もそれに異論はないのだ。

正直は、彼女たちが可愛らしくて仕方なかった。己に向けられる憎悪や嫉妬、なんて可愛らしい程度のものを、彼女たちは最上最悪のものとしてぶつけてくるのか。腹を抱えて笑いたい。

黙っていると「ぼけっとしてんじゃないわよ!このどんくさいドン子!」と髪を掴まれた。頭皮を引きはがしかねない力である。これはよほど恨みが籠もっている。別にホテルに行ったわけじゃないのに、とは不思議だ。

なぜか学校内で己は「誰とでも寝るサセ子のドン子」と噂されているが、実際のところそれほど緩い股ではない。暇な時やちょっと一人でいるのがさびしい時は、声をかけて来た男、あるいは声をかけて欲しそうにしている男と遊ぶけれど、そもそも男子高校生、まだデート代を親に無心し、車の免許も取れず移動は電車かバスというような子供と寝て何が楽しいのか。

けれど人が己をそう見て、それで固まっているのならそれを解くのは並々ならぬ労力がいる。それは面倒くさい。別にそれでよかった。本当のところを自分が知っていればよい。どうせ三年間の学園生活を終えれば二度と会わぬ人間の、己に対する評価など気にしてどうするのか。

「頭に脳味噌入ってんの?胸に栄養行き過ぎてバカとか、本当呆れるんだけど」

あら、とこれにはは反論したくなった。平均よりも豊かな胸は重いし肩は凝るし階段で足下は見えないしで大変だけれど、は「の胸には寿一への愛が詰まってる」と信じて疑わない。しかし寿一の名前は出せない。世間的にあまり評価の宜しくない自分が、品行方正気真面目真面目堅物…まぁ、教師の覚えもめでたい「優等生」の枠に入る福富寿一に懸想しているなど、知られては福富寿一の名誉に傷が付く。

それであるからが彼女に言えるのはこの一言だ。

「あなたの胸は貧相ね」

さらりと言えば、真っ赤になった女の顔がこれ以上ないほど歪み、肩から下げていた鞄が勢いよく振り下ろされた。

あぁ、これはまずい。

「大人しく被害者になるって気はないの?あんた」
「嫌だわ梓、はおとぎ話ならお姫様じゃなくて魔女がやりたいのよ」

ぱちりと目を開けて見えた顔が心底呆れかえって言うので、はにこりと笑い身体を起こした。あのあと強かに殴られて、罵声を浴びせられ、それからまぁいろいろされて意識が飛んだ。校舎の隙間にあるこの場所は人目に付きにくく、しかし女子生徒たちが「呼び出し」をする有名な場所であったから、滝川梓は「またドン子がリンチされてるのか」と、姿の見えぬ己を探しに来てくれたらしい。

「梓は口も目つきも態度も悪いけど、面倒見がよくて良い人ね」
「褒めてもあたしはあんたの良いとこなんて見つけられないわよ」
は顔とスタイルが良いわ」

笑って言うと梓の眉間に皺が寄った。小難しそうな顔で「呆れてる」というのを現すのは彼女のくせだ。はにこにことした顔のまま、しかし立ちあがろうとして身体にそれ以上力が入らなかった。

「立てないの?」
「大丈夫よ。ちょっと寝たら治るわ。、昔から体力はないけど、回復力だけは人並み以上にあるの」
「思うんだけど、これって立派な傷害罪よね」
「でもはね、いつも殴られながら殴りたくなる気持ちもわかるのよ」

言えばまた梓が嫌そうな顔をした。悪意のない嫌悪感で「あんた、最低」と面罵してくる。確かにそうだった。

は常に「女の嫉妬」の中で生きてきた。生まれた時からずっとだ。自分の最愛の、理想と育てた男をどこの馬の骨かも知れぬ女に取られた女の嫉妬。そして最愛の男が、己を愛していると言いながらも神聖視して仕方のない「母」という、他人の身ではどうしても越えられぬ壁を知る女の嫉妬。それに挟まれ幼年期をすごした己からすれば、たかだが学生の、乳臭い小娘たちが意中の相手を自分のものに出来なかった程度のことをご大層に吠えてくる。まるでそれがこの世で最も惨い絶望であるように。全く、可愛らしくて欠伸が出る。

けれどそれはあくまで己の価値観。彼女たちを小馬鹿にしていい理由にはならない。わかっている。わかっていては、しかし彼女たちに何かしらの罪悪感も恐れも抱けず、寧ろ己の返しの言葉と態度で相手の心がズタズタに引き裂かれるのを眺める始終であるのだ。

(それにね、は知ってるの。嫉妬は女を醜くして、嫉妬される女は美しくなるのよ)

肌身離さぬ手鏡を取り出し、そこに映る己を確認する。顔が腫れ、泥やごみで汚れていても、しかしそれでもはっきりと「わたしは美しい」とは呟けた。



++++



少し眠る、と言った途端、先ほどまで気絶していた友人はすやすやと寝息を立て始めた。どんな場所でも気安く寝れる、というわけではないはずだが、こんな薄暗い湿った場所、それも地面の上で堂々と横たわっていられる神経が滝川梓には信じられない。

はその整い過ぎて不気味な顔を、片頬赤く腫らし、しかしそれでも、たとえ塵で汚れていてあちこち殴られた後があって、髪が乱れていても、しかしそれでも馬鹿の一つ覚えのように彼女は美しい。

(なんだったかしら、そうそう、おとぎ話、白雪姫)

女の嫉妬と悪意を受けて、けれど己の「美」はけして損なわせず眠りにつき一切の傷も苦悩もその身に刻ませなかった、自分勝手なあのおとぎ話の姫君に、は似ている。

梓はその顔を眺めながら、自分はコンクリートの上にきちんと腰掛け、なんで自分がこの女に関わっているのかと今更ながらに疑問に思う。

滝川梓という自分は、客観的に見て「一匹狼」であり、群れることも慣れ合うことも性分としてしない。面倒見がいいとは言うが、気に入った相手には確かに目をかけるものの、を「気に入って」いるかといえば、それは絶対になかった。

(ただを見てると、何かを思い出しそうになる。子供の頃、あったこと。蓋をして、押し込んで、思い出さないようにしている何か、何か、すごく、気味の悪いことを、思い出しそうになる)

それが何であるのかはわからない。わからないから気持ちが悪い。知りたくないのに、気付きたくないのに、しかし、何なのだろうかと、不思議に思ってしまって、だからに構うのだろうか。

「よぉ、滝川。ソイツ運ぼうか?」
「……」

思考に沈みかけ、ずぶずぶと何か、何かを引き上げそうな、そんな一瞬。寸前のところで梓の意識が引き戻された。はたりと、一度自分が今どこにいるのかも思い出せないような、そんな、奇妙な感覚。おぼろげな何かの形がぐっと自分に近付きかけた。だがそれがモヤのようになっていく間、反射的に顔を上げれば黒目の大きい、肉の厚い唇の同級生が独特なポーズと共に自分を見下ろしていた。

「……新開」
「こんなトコで寝かしとくより、屋根のあるトコの方がマシだろ?」
「どうだけど、アンタに運ばれたなんてが知ったら嫌がるわよ。この前なんか、そのまま首でも吊りそうだったんだから」
「あぁ、まぁ、そうだな」

わかっていての提案か。梓は肩を竦めた。新開隼人と己は普段から交流のある「友人」で間違いはない。しかしは、その当人の意味のわからない、意地だかなんだかわからない「ルール」によって、福富寿一と親しい者、または自転車競技部の人間には極力関わらないようにしていて、福富の「親友」であり「部活仲間」そして結果「戦友」である新開は彼女が最も関われないカテゴリーの人間にしている。

新開もそのことは知っているだろう。直接言われたのではなく、それとなく、福富から聞かされている。知っていて、しかし新開は時折の前に現れた。

(好意というよりは、一種の悪意、いやがらせじみたものを感じるのだけれど)

「よいせっと、で、どうする?また保健室でいいか?」
「えぇ。あんたが運んでるところを誰かに見られないようにして頂戴よ。面倒くさいことになるから」
「あぁ、そうだな。それは、そういう展開は御免だ」

軽々とを抱きあげて新開が梓を振り返る。背負った方が楽なのだがが寝ているためそれはできない。仕方ないので横抱きだ。鍛えているだけあって無理をしている足取りではない。塵まみれの女を抱きあげても眉ひとつ寄せないのはさすが。梓は歩き出した新開のあとについていきながら、そういえば、と声をかける。

「あんた、のこと嫌いじゃなかった」
「滝川はストレートだよな」
「まどろっこしいのは嫌いなのよ」

言えば新開が笑った。「ハハッ」と乾いた音だった。梓の質問には答えず、を腕に抱いたまま器用にポケットからおなじみのパワーバーを取り出す。「食う?」とこちらにも差し出してくるが「まずいからいらない」と梓はにべもない。また新開が笑う。笑うと笑窪ができる男は、なるほど女子が騒ぐだけあって整った顔をした、可愛らしさもある男である。

「あ、そうだ。今日の夕方ヒマ?」
「なんで?」
「あのさ滝川、質問を質問で返すなって。それにこの流れだと「デートの誘い?」みたいなのなんとなく察してそれに応じた回答にしてくれよ」
「だから「何で?」って聞いたんじゃない」
「あぁ…なるほど」

なんでアンタと出かけないといけないの、という意味を含んだと新開が察しまた笑った。

「隣街で今日夏祭りがやるんだ。まだ夏にゃちょっとばかし早いけどな」
「部活は?」
「今日の午後と明日は休みだ。インハイ前の、最後の休みになる」

夏休みに行われる自転車競泳部の最大の大会、インターハイ。王者ハコガクは完全優勝のために日々切磋琢磨し修練に余念がない。今日明日は、これから追い込みにかけるぞ、今のうちに休んでおけ、もう立ち止まることはない、というハコガク自転車競泳部の伝統的な大会前の一日半の休みらしい。

「寿一を連れてく。滝川はそいつを連れてきてくれ」
「嫌よ面倒くさい」
「そこをなんとか」
「泉田も連れてきなさいよ。なら行くわ」
「俺はあいつにを会わせるのは死んでもごめんだ」

言って笑う。先ほどまでとは違う笑み。口の形は笑んでいるのに鬼のような暗い目。黒い黒い大きな黒目がぼうっとなる。よろしくない。梓は肩を竦めた。

「なんで?」
「夏祭りとか男子高校生にゃとりあえず抑えときたいポイントだろ。あと海な」
「真顔で言わないで、あたしはまじめに聞いてるのよ」
「だから真顔で答えただろ」

タチの悪い男だ。本音と戯言を同じ顔でいう。昔からこの男にはそういうところがあった。けれど二年のある時からそれは増したように思える。

「夏祭り」
「あぁ。俺と寿一はバスで行く。××神社だ。現地で会おうぜ」
「基本的にあんたらの移動手段自転車だと思ってたわ」
「俺たちだってバスとか電車くらい乗るさ。寿一は……まぁ、前に一人でバスに乗せて青森まで行きそうになったけど……ギリギリのところで荒北が気付いて…いや、笑ったわ」

一体何があったのか。いや、まぁ聞くと流そうなので止めておいて、梓は今日の予定を頭の中で思い浮かべた。別段何か用事があったわけではない。どうせを探しに行こうと思った時点で、自分の午後は潰れるだろうという覚悟はあった。だから新開のこの誘いも断る理由はない。けれど新開の意図がわからなかった。先ほどからのチラチラとした言動から、新開隼人はに良い感情は抱いていない。それは表面的な彼女の評価からくるのではなく、もっと根本的な、たとえば人がを嫌い理由とは全くベクトルの違うものから、新開は彼女を疎んでいるのだろう。それがわかる。なんとなく、ではあるが、梓は人の感情を肌で感じることに長けていた。でなければ一匹狼なんぞやってやれない。

「で、夏祭り」
「あぁ。絶対連れて来いよ。寿一と二人で祭りとか悲し過ぎるだろ」
「いいじゃないあんたら仲良いんだから」

それは否定しないが、しかし新開も男子高校生。女の子と夏祭りの方がテンション上がるだろ、と懐メロ極まりない「き〜みがいたな〜つ〜は〜♪」とか歌い始めた。福富にをあてがうとして、新開と「一緒の女の子」は自分になるのだが、と梓が冷静に突っ込むと一拍の沈黙。「滝川も、ほら、女の子、だ」とやはり妙に真面目な顔で言ってきた。最初から素直に福富とを夏祭りの環境にぶち込みたいと言えばいいのに、直線鬼が妙に回りくどいことをすると、梓はぼんやり思った。



+++



「っつーわけで、行くぞ寿一」
「すまん新開。何がどうしてそうなったのかさっぱりわからんのだが、とりあえず俺はが下駄で足をすりむいた時に対処できるようカットバンを持っていくべきなのか?」
「凄いぞフク!!お前いつの間にそんな彼氏力を高めたのだね!!?」

馬鹿だ。馬鹿がいる。例によって例のごとく、いつものように荒北の部屋に集まってきた(構造上この部屋が一番広い)同級生三人を眺め、荒北靖友は顔を引きつらせた。

インターハイを夏に控え、今日の午後と明日一日が自転車競技部最後のきちんとした休み。この一日半0ばかりはけして自転車に乗らず、練習をせず過ごすのが暗黙のルールとなっていた。この休みをしっかり休んだから、己らはインハイまで全てを捧げる、というような、そんな儀式のような、慣習。去年もその前もそうだった。何をしたのか、と思い出せばやっぱりこの部屋に集まってあれこれくだらない話をしたり、くだらないことをしていた。今年もそうだと思って、野郎が集まればまぁ腹も減るだろと、仕方ないからと荒北はこっそり菓子類を買っていて、己の帰宅後、東堂、福富、と来て最後に新開が扉を開ける頃には二袋が消費されていた。三袋目を出そうと棚に手を伸ばしたところで、新開が福富に「あ、寿一。祭に行こうぜ。連れて来いって言っといたから」と、大事な前振りも何もあったもんじゃなく切りだしてきた。そしてこの冒頭である。

とたん始まる自分を置いてのこの漫才のような、いや「福チャンなんでドン子が浴衣着てくる前提?っつーかなんで新開のヤローは福チャンとあの女のデートセッティングするわけ!?馬鹿じゃナァイ!?」と瞬時に荒北も叫んだのでまぁ同罪か。ハコガク3年男子は今日も無駄に仲が良い。

「いつもは格好に気を使う。祭りなら当然浴衣を着てくるだろう」
「いや、まぁそうだろうが。フクが夏祭り=絆創膏は必需品、という王道を知っていた事が驚きなのだよ」

うん、それは俺も驚いてる、と荒北も無言で頷いた。自転車バカのハコガク代表ぶっちぎりなこの鉄面皮がよくぞまぁそんな事を知っていたものだ。あれか?ひょっとして以前祭りに二人で行く事になった時にYah×o知恵袋で「彼女と夏祭りに行くのですが何を準備していくべきですか?」とでも質問でもしたのか。

そんな福チャンは見たくねぇ、ってか認めねぇヨ!と自分の妄想に一人で突っ込みを入れて荒北は勉強机とセットになった椅子に腰かけたままクルクルと回る。

(あーあ、福チャン嬉しそうな顔しちゃってさー)

自分の「福チャァアアン!あんな女と出かけんなって!!」という叫びはいつものようにスルーされる。まぁ元々条件反射のようなもの。たいして効果も期待していない。けれどやはり、いつものような鉄面皮でありながら親しい者にはありありとわかる福富の「嬉しそうな顔」というのは、やはり、やはり、なんだかこそばゆい気持ちになる。

荒北はが嫌いだ。嫌い、といっても別にそれはあの女の素行とか世間の評価から、言ってしまえばあの女個人のことも関係ない。ただ福富に近付くから気に食わない。福富に近付く女は全員、基本的には気に入らない。浮ついた女に福ちゃんの何がわかる。福ちゃんの邪魔すんな、あっちいけ、と噛みつきたくなる。普通の女にはそれだけだった。福富自身が、そもそも女子生徒に対して対応が淡泊極まりなかったから、どんなに顔を真っ赤にして「あ、あの、福富くん…!!これ、あの…!読んで…!」と手紙を渡されようと差し入れを貰おうと「あぁ、ありがとう」と同じ顔と同じ声で言うのみであった。その度に荒北は「ザマァミロ」と内心で舌を出した。福チャンが一番大事なのは自転車の世界。そこにいないやつはお呼びじゃねぇんだよ、と。

だがは更に気に入らない。

性格や容姿ではない。福富にとっては「特別」だった。見ていてわかる。別に荒北は福富に懸想してるわけじゃない(俺はホモじゃねぇヨ!)し、福富至上、というわけでもない。けれど、まぁ、気に入らない。どうしようもない。自分が一番大事なものは孤高でいて欲しいという、いや、違う。もっと単純な、感情だ。

荒北は福富に恩があった。自分がどうしようもない所に巣食っていたときに掬いあげて、救ってくれた。崇拝は、していない。凄いとは思うし、尊敬もしている。だが、盲信ではない。いつか認めて貰って、初めて自分は「あの時の自分」を完全に抜け出せるような、晴れ晴れと、顔を上げて大空を眺めニカッと笑ってやれるような、そんな気がするのだ。

だから福富寿一は己の中に絶対的に必要だった。王者、不動のエース。成績も万能で真っ直ぐ真っ直ぐ、不器用なまでに真っ直ぐ。そうであって欲しい。そうでなければ困る、という身勝手な思いさえあった。

「フク!何を着て行くのだね!?まさか体育ジャージではあるまいね!?」
「そんなことはしない。普通に私服で、」
「ジーパンにTシャツはジャージと大差ないのだよ!!仕方あるまい…巻ちゃんと会う時の為に取っておいた良いシャツがあるからそれを貸してやろう!!感謝するがいい!」
「お前は巻島といつも何をしてるんだ」
「山を登ってる!!巻ちゃんは我がライバルだ!それ以上でもそれ以下でもない!!」

荒北が一瞬なんぞの感情に沈みかけていると、福富と東堂の漫才のような妙な掛け合いが繰り広げられる。こういう時は新開も参加してボケが3人どうしようもなくなって、自分が突っ込みにはいるのが常だ。しかしちらりと見れば新開、無言でそのやりとりを眺めているだけである。なんだ?と荒北は不審に思って眉を寄せ、そこで新開と目が合った。「ん?なんだ、靖友」と気安い声、声音。ゾクリ、と嫌な臭いが一瞬して荒北は身体を強張らせた。あぁ、こいつは。

「しかし、隣街とはいえ祭りとなればうちの学校の生徒も来るだろう…は嫌がらなかったのか?」

東堂の服を借りるのは謹んで辞退しながら、福富が新開を振り返る。途端無表情を止め、新開は「あぁ、嫌がってはいなかったぜ」とにこりと笑う。(あ、多分こいつ確認取ってねぇナ、と荒北は悟った)笑う親友に安堵したのか、それとも「いつもは自分といるのを人に見られたくないが嫌がらなかった」事が嬉しいのか、緩く口の端を上げる福富に、新開が「寿一はに気を使いすぎだって」と肩を竦めた。

「安心するがいいフク!それならばここの生徒、特に女子がその祭りに行かぬようにすれば良いのであろう!?」
「何か良い手段があるのか?」
「ある!」
「ほう」
「よしやめろ、ロクな予感がしねェ。福チャンも興味津津で聞かないで!!?」

自信満々で立ち上がり携帯を取り出した東堂にたまらず突っ込みを入れるが、福富は「打てる手があるのなら打っておくにこしたことはない」と、あぁもう福チャン真面目さん!!と荒北は突っ込みが間に合わない。

東堂は携帯電話、スマートフォンをスライドさせ何やら電話帳から誰かを引っ張ってきて、それをこちらに自慢げに突き付けてくる。見たくないので荒北はそっぽを向いた!だが東堂はそんなことは気にもしなかった!

「これからこの山神、東堂尽八が!この俺が!撮影会を開始する!とファンクラブの会長に連絡し会報として一斉送信すれば全ての女子は隣街になど行かぬだろう!!その間にフクはと逢瀬を楽しむがいい!!」
「おい俺はどっから突っ込みゃいーんだ?」

え?何ファンクラブってマジであんの?いや、確かにわりと東堂の女子ファンは多いし、しかしそのわりに毎回統率取れてんなーとは思っていたが、何だその漫画のような設定は。
あとなんでお前の撮影会でハコガクの女子生徒全員が連れるって考えに行きつくんだ。あと俺は福チャンとあの女のデートなんて認めねぇ…!!

などなど言いたい事は色々あったが、その前に隣の福富が「…そうか!」と深く頷き、がしっと東堂の肩を掴んだ。

「なるほど…悪いな東堂…。貴重な休みを……!!」
「っふ…いいのだよフク。俺もインハイ前にファンの女子たちにサービスできるのは今日明日しかない。丁度いいと思っていたところだ…!」
「え?福チャン納得するの?そこ納得しちゃうノォオ!?」

ピシピシガシッグッグ、と腕を組んで何やら友情を確かめる二人に荒北の突っ込みは完全に追いつかなかった。

そして本気で東堂は「あぁ、ファンクラブ会長の○○くんかね、急で悪いのだがこれからインハイ前の最後の撮影会をだな…」と電話で打ち合わせを始めた。

「真波もいれば集客はかたいが……一年最初の夏だ。あいつは関わらせないでおいてやろう」
「あぁ、そうだな。東堂、本当にすまない。助かる」
「おい寿一、そろそろ出ねぇと間に合わねぇぞ」
「ム…新開。そうか、自転車で行くのではないのだな…バスは時間がかかる」

普通は逆だからな。

自分も自転車バカの気はあるが移動手段にちゃんと公共の乗り物が浮かんでくる脳をしている。時計を見て慌てて立ち上がる福富に「えーっと、福チャン、とりあえず……気を付けて」と声をかけるとそれを合図に三人が部屋からバタバタと出て行った。

「……東堂、マジで撮影会すんのかヨ……」

残されると急に部屋が静かになる。
ぽつりと呟き、誰も答えがないのはまぁいいとして、荒北はぽりぽりと頭をかいた。皆で食べようと思っていた菓子は三袋目がまだ手つかず。自分で食べればいいがそういう気分でもない。

仕方ねェと肩を竦め、机の上の携帯電話に手を伸ばした。




+++




に言わせて。寿一、かっこいいわ」

開口一番にのたまったの目はきらきらと輝いている。結局普段通りの味気ないTシャツにズボン姿の福富を褒め称え頬を蒸気させており、恋は盲目とはこのことかの見本のようなテイである。

しかしなんの嘘偽り世辞も含まぬ、という素直な目。福富は居心地悪そうにチラリ、と視線を反らした。言葉だけに照れているわけではなく、自分を見上げてくるは予想通り浴衣姿。布地は淡い紫、襟は時雨、唐草模様の緑の帯の、プリントではなくきちんと仕立てられたものと福富の目にも直ぐにわかる。普段は下ろされている髪も高く結いあげられており、銀細工の簪。露わになった白いうなじが見てとれた。

「……」

何か気のきいた言葉が言えれば良いのだが、福富にそんなスキルはない。ムッと眉を寄せて黙っていると隣の新開がさらりと褒める。

「よく似合ってるぜ。特に帯がいいな。滝川もかっこいいぜ?」
「なんか私がついでっぽいんだけど。あとそれそこでバキューンポーズする意味は?」
「お前のハートを打ちぬk」
「張り倒すわよ」

どうやら新開は滝川梓にを連れてくるように頼んだらしい。滝川は福富が知る限りの数少ない「友人」の一人で、己との交流はそれほどないが、時折食堂で顔を合わせ、新開と滝川が言葉を交わすのを眺めたことがある。

「滝川も浴衣を持っていたのか」
「は?あたしがわざわざ持ってきてるわけないでしょ。ドン子のよ、これ」
が一人で浴衣だとさびしいから梓にも着て貰ったの。梓は大人びてるから白に墨色の水連が似合うと思ったのよ」
「あぁ、そうだな。よく似合っている」

が見立てたのなら尚更間違いはないだろう。頷き滝川を見下ろすと「ちょっと、止めて。あたしの死亡フラグ立てるの」と真顔で返された。



+++


「それにしても、小さな祭りだって聞いたけどな。結構いるぜ、こりゃ」

祭りは神社の入り口から屋台が並んでいる。集まったのは日が沈む少し前、空がまだ茜色で互いの顔が見えるという頃合いであるのに、神社の前には人が多く集まっていた。新開と福富は結局自転車で来ていて(バスに乗ろうと思った新開だが、福富が「たとえばもし…このバスが青森に行ってしまったら、俺はと会う事が出来ない」と深刻な顔で只管心配していたので「あー、もういいぜチャリで」と部活の競技用のではなく遠乗り用に二人が寮に置いている(それでもウン万円相当の)ロードバイクでやってきた。

「自転車はこのあたりに止めとけってことか」
「そのようだな」

普段は参拝者用の駐車場になっている一角が、赤いコーンで仕切られて駐輪場になっている。新開と福富は自転車用の鍵を一つづつ付けた後、チェーンで互いのロードを繋げた。それをが不思議そうに眺める。ロードは転売目的での盗難に合うことが多い。ので、有料駐輪所に止める際でも固定具にチェーンを通しておいたり、あるいはこういう無料駐輪場ではどこかに固定しておくのが予防策の一つだ、と慣れた手つきで自転車を固定させている寿一が答える。

「そう。そうね、、寿一のジャイアントを他の人が乗っていたら嫌だわ」
「あんた荒北が福富のビアンキ借りパクした時やらかしたわよね。あたし、リーゼントってあんなことになるんだってちょっと驚いたわ」
「俺は笑った。んで、そのヤンキーがうちの部室来た時に指さして「おまwwあの時のwww夏ミカンwww」って爆笑した」
「嫌だわ梓に新開くんったら。寿一の前でそんな話しないで」
「………俺の知らない所で荒北に何が…?」

ぽっ、と顔を赤くさせ頬を抑えるは恥じらっているのだろうが、滝川の言ってる「荒北ヤンキー粉末事件」は新開も知ってるので全く可愛らしい仕草、と思えない。

置いてけぼりをくらっている寿一に「まぁ、ほら、はお前に何かあって自転車が盗られたんじゃねぇかって心配したんだよ」とフォローを入れておくと「そ、そうか……」と眉を寄せたが、あれだろ、内心心配してくれたことが嬉しいんだろうと新開は突っ込みたい。

「これでいい。そろそろ入るか。あまり混まない内に周った方がいいだろう」
「えぇ、そうね。……?寿一?なぁに?」

立ちあがり神社の方に向いた福富スッとに手を差し出す。

「……下駄では足下が危ない。転ぶだろう」
はこういう格好慣れてるから平気」
「………人が多い、逸れないように、」
「小さな神社だし、携帯電話も持ってるから大丈夫」
「…………お前と手を繋ぐ理由は他に何かないか?」
が寿一に手を繋ぎたいって言い出せないから寿一がの手を掴んでくれた、っていうのはどうかしら」
「ム…そうか。では手を借りるぞ」

他所でやれよこのバカップル。

声に出して突っ込めばまた面倒くさいことになるに決まってるので、新開はにこにこと「仲いいな」と眺めるだけにして胸中で物凄く突っ込んだ。滝川を見れば「また始まった」と呆れた顔をしている。無事に手を繋ぎ始めた福富とに溜息を吐き、新開は冗談交じりに滝川に「おめぇさんの手は空いてるか?」と聞いてみると氷のような目で一蹴にされた。

「……祭りか…ウサ吉にも見せてやりてぇな」
「いや、迷惑でしょ。特に兎なんて大きい音とか駄目なんだし。っていうかあんたのその兎愛時々心配になるんだけど」

賑やかな音と光で溢れる光景に目を細め今頃小屋の中で一羽眠っているだろう兎のことを思えば真顔で突っ込まれた。いや、本当、滝川は容赦ない。

「っていうかこの場にあたし必要?帰っていい?」
「待てって滝川。それだと俺がこのバカップル(無自覚)どもにあてつけられるだろ」
「巻き込まないで」
「そこをなんとか。あ、イカ焼き買ってやるって」

まぁ確かに「ミッション!を連れて福富・新開と合流せよ!」は達成できたのだ。これ以上ここにいるのはいろいろ面倒くさいのだろう。しかし新開はそうなると自分も邪魔者カテゴリーに部類されて福富とを二人きりにしなければならなくなる。それは御免だった。

鳥居をくぐってすぐにある、ソースの匂いの香ばしい焼きそばの屋台やスーパーボール救い、フランクフルト、わたあめの出店。その中からジュウジュウと音を立てイカを焼く店を指さす。

「最初からイカ焼きとか重いわよ」
「俺は食えるぜ。寿一も食うだろ?」
「あぁ。そうだな。は一本は食べられない、滝川と半分にしたらどうだ」
はできれば寿一と半分コがいいわ」

ちくいちバカップルネタを挟むんじゃねぇ。

「新開、新開、アンタ今すっごい顔怖い。お面買いなさいよ、マジで」
「あ、悪ぃ。そういや弟がこういうお面好きで家に結構あるわ」
「そう。もう仕方ないから付き合ってあげるわ。あんた一人だとなんか最終的にドン子とやらかしそうで怖い」

はぁと滝川が溜息一つ。バカップルどもはイカ焼きの店に行って店主に一つ買い求めている。まるまる一本を串に刺して売っているものと思ったが、今はニーズがあるのか発泡スチロールの小さなトレイに輪切りにしたものにしてくれるようだ。

「まぁ一本まるまるの方がロマンがあんだけどなぁ。歳よりや子供は喉を詰まらせちまうだろうし、何より女の子はカレシの前でまるかじりなんてしたくねぇだろ?折角の口紅が取れちまうわなァ」

商売大変だなぁ、と新開が水を向けると屋台の禿げた頭にはっぴの似合う店主がニカッと笑って答える。「丸かじりはロマンがあるの?」「林檎は皮つきのままかじっても美味い」「寿一が風邪ひいたら林檎兎作るわ」「お前に風邪がうつる危険がある。そもそも俺は強い、風邪などには負けん」となぜかそういう会話に発展しているバカップルどもはやはり放置する。

新開は二本分買い、一本はそのままもう一本は半分にしてその半分を輪切りにして貰った。

「ほいよ、滝川」
「ありがと。あんた結構食べるわよね。まだ他にも屋台あるじゃない」

小さな祭りのはずだが、出店は妙に多い。新開はこういう祭りの場合屋台制覇!は半分義務だと思っているのだが…。

「やれるか…?寿一はを気遣って本気でこねぇ……やれるか、俺に……いや、俺はやる……!!」
「いや、そんなシリアスな顔で呟いてから決意されても、突っ込まないわよ、あたし」

ここに総北の田所がいれば!!などとは叫ばないが叫びたい。

「…あっ、おい……!!!まさか…」
「ん?」

とりあえずペース配分を考えるか、と新開が真顔で屋台を見つめていると、そのうちの一軒、若い(多分スジモン)出店の店主がこちらを見て驚いた顔をする。なんだ?と新開が首を傾げた次の瞬間、ズサァアアアとガラの悪いにーちゃんたちが集まって囲んできた。

「ム……?なんだ?」

途端素早くを庇う寿一マジ彼氏力高ぇよさっきからなんなんだよ俺の知ってる自転車バカの寿一何処行ったんだよ、と新開は本気で突っ込みたいが、そういう新開もすかさず滝川を背に庇っている。

「おはようございます!!!滝川の姐さんッ!!!!!!」

なんだこれ夏祭り恒例のヤンキーに絡まれる事件勃発か、と身構えていたら、集まったにーちゃんたちが一斉にこちら、というか、新開の背の滝川に向かって90度腰を曲げあたりにビリビリと響く声で挨拶をしてきた。

「……は?」
「おはようございます!!!こっちに顔を出されるとは聞いてませんで!!すぐに気付かずに申し訳ありません!!!」
「そのイカ焼き…!!代金を頂いちまいましたか!!?すんません…!!すぐにお返ししますんで…!!!!あのジジィ、姐さんのツレから金ぇふんだくるたぁ……!!!」
「え…?え?」
知らなかったわ。梓、そっち系だったのね」
「違うわよ!!!」

完全に状況の付いていけない新開達を放置し口ぐちに何か言ってくるそっち系のにーちゃんたち。混乱からいち早く立ちあがったのはだった。のほほーんとした口調であえてボケたことを言えば、我に返った滝川が珍しく怒鳴る。

しかしそれで調子を取り戻したのか、ぐっと顔を上げてこの場で一番偉そうな(一番最初に口を開いた)男にツカツカと歩み寄り、ぐいっとその胸倉をひっつかんだ。身長差はかなりあるのだが、迫力が尋常じゃない。

「っつーかアンタ何!?いきなり何よ」
「へ!?あ、あぁ〜…すいやせん!!俺です!俺!前に××で姐さんにボコボコにされた…浅井ですよ!!酷ぇっすよ!舎弟にしてくださいって言ったら「好きにすれば?」って言ってくださったじゃねぇですか!!」
「同級生と祭りにきて一斉に頭下げられたあたしの気持ちを三文字であててみろ」
「嫌ですねぇ、姐さん。俺に学があるとでも?」
「腹立つ!!」

胸倉を掴まれてもはははーと笑う浅井に滝川がふるふると震えるが、新開達は完全に状況に置いてけぼりだ。いや、まぁ、なんとなく事情は察したが。

「なんだ、滝川の知り合いだったのか」
「福富あんたなんでそんな冷静なの!!?っていうか多分こいつボコったときドン子もいたわよね!?なんであたしだけあんたを舎弟にしないといけないのよ!!」
「梓の人徳ね♡」
「煩い!」

エキサイティングしてる滝川というのはかなりレアだが、まぁ、蓮っ葉に構えていてもさすがにスジモンに一斉挨拶されたらそりゃ動揺するだろう。可愛いところあるな、と新開は思ったがこの場で口に出すほどアホではない。

「…とにかく、今日は普通にお祭り楽しみに来たのよ。邪魔しないで頂戴。ちゃんと屋台もお金払うわ」
「で、ですが…」
「子分の前でぼこられたいの」
「……はい」

ぴしゃりと言えば浅井がしゅん、と頭を下げた。当人が嫌がろうが完璧に主従関係が出来ている。滝川カッケーと新開は口笛を吹き、その間も食べていたイカ焼きを完食した。

そしてゾロゾロと去っていくにーちゃんたちを見送り、パン、と手を叩く。

「よし、次は焼きそばな」
「早いわよ。とりあえずイカ焼きを食べさせて」



+++



福富に貰った半分のイカ焼きをじぃっと見つめ、はきょとん、と首を傾げた。先ほどの騒動の最中もずっと疑問だったのだが、ひょっとしなくてもこれはいわゆる「立ち食い」をするというイベント(?)なのだろうか。

コスト削減のためか箸ではなく楊枝である。店主がの分は気を利かせて輪切りをさらに細かくしてくれた。「おねーちゃんはこんなん普段食べないだろ」と笑われたが、どうしてわかったのか。

歩きながらぱくぱくと食べている福富を眺め「寿一は食べているところもかっこいい」などと真剣に思ってから自分もぱくり、と一口食べる。

「うまいか」

やっと口にしたのに気付いて福富が問うてくる。が食べるかちょっと心配だったらしい。口の中に物が入っている間は喋るのはよくないので、きちんと飲みこんでから「初めて食べたわ」と答えた。そうか、と懐かしいものを見るような目で福富が頷く。「?」と一瞬何か違和感があった。は首を傾げ、しかし前を歩く梓と新開の背に視線を戻す。

(新開くんがどうしてこんなことしたのか、にはわからないけど。でも、梓と新開くんには感謝だわ)

放課後色々あって、起きたら保健室。それでは梓から新開がここまで運んでくれたこと、そしてこの夏祭りに誘われたことを聞いた。当然激怒した。自分に対して、情けないと。福富と祭りに行けるチャンスがあることを喜んだ自分を心底恥じた。

けれど来てた。浴衣に袖を通して、そしてここにいる。福富と一緒に同じものを食べている。

「?どうした」
「なんでもないわ。寿一」

ちりちりと何か、胸の中がざわつく。顔を顰めると「具合が悪いのか」とすぐに福富が気付いた。首を振って、物を食べているから放した手をちらりと盗み見る。新開はわざとだろう。何か食べている時は、手を繋がない。前からあの男にはそういうところがあった。

(新開隼人は寿一のともだち、中学校からの大事なおともだち。しんゆうだって、いってたわ)

だから嫌わない。嫌ってはいけない。うん、よし、ファイト!と自分に言い聞かせ、頑張って食べ終えたイカ焼きのトレイを近くのゴミ箱に捨て、そうそうに食べ終えていた福富の手に狙いを定める。

「寿い、」
「寿一〜、あれやろうぜ、射的。景品にVitaあるぜ」
「俺はそういうのには明るくないぞ」
「他にもいろいろあるって。やろーぜ」

手を繋ごう、とした途端するり、と下がってきた新開が福富の首に腕をまわし、そのまま肩を組む。男子生徒らしい自然な仕草。そのままスタスタと屋台の方に行って、新開が店主と2,3言やりとりをしている。二人がゲーム用のおもちゃの銃を受け取った。

「………」
「ドン子、ドン子。あんた笑顔のまま固まってるわよ。怖い」
「梓、ね、あのパーマを殴りたい」
「思うつぼだから、それ」

素直な感想を貰えば梓が溜息を吐く。はたり、とは真顔に戻った。

「気付いてたの」
「そりゃ、ね。っつーか、福富争奪戦に巻き込まないでよマジで」
は争う気はないわ。寿一は寿一だけのものだもの」
「問題です、今あたしたちから離れてゲームに勤しんでいる福富と新開を二人だけだと思った他校の浴衣の女子二人組が声をかけようか迷っている光景が目の前にあります」

ほれ、と梓が指さす方向には、真剣な顔で銃を構え姿勢を低くする福富と「バキューン、物理」と言いながらふざけて撃つ新開。その少し離れた所に「あの二人かっこいい」ときゃあきゃあ騒いでいる新品の浴衣を着た同年代の女が二人。

は無言で手鏡を出して自分の身なりを確認してから、からんころん、と下駄を可愛らしく鳴らし、梓を片手で引っ張って二人の元へかよける。

「ねぇ、寿一っ、あれが欲しいわ。あのキーホルダー。猫で可愛いもの」
「ム……わかった」

射的の景品はオモチャレベルで簡易なものだが、その中でまともそうなものを素早く選んで指さす。位置的に少々難しい所にあった。しかし福富は狙う目的が出来たからか一度狙いを定め、一呼吸置いてからスパンッと容易くコルク玉を当てる。

「おぉ、にーちゃん上手いね」
「俺は強い」
「寿一かっこいいわぁ」

ぱちぱち、と手を叩いて素直に賞賛し、店主から景品を受け取った福富が「これでいいか」と渡してくれるので、これは計算なしに笑顔になった。

「ありがとう寿一、凄くうれしい」
「そうか」

受け取る手でそのままぎゅっと手を握ると、福富が目を細めた。ふわりと一瞬空気が柔らかくなる。あぁ本当に寿一は素敵…!と心底感じながらも、はそのまま福富が「新開は滝川に何か取るのか」と視線を反らしたのを確認し、「え?彼女連れ?」「友達じゃないの?」とこちらの様子をうかがっている女たちを振り返り、「引っ込め、どブス」と目で訴えた。「はぁあああ!!!?」とこちらは目ではなく声でその女の子たちが反応し顔を引きつらせる。しかしだからといって声をかけてくる根性まではないようで「何あの女!!」「何!!?」とぎゃいぎゃい言いながらも去っていく。よし、とはガッツポーズをした。


「あんた性格悪過ぎ」
「寿一に群がる雌猫は全部嫌い」
「新開目当てだったかもしれないじゃない」

それにはも少し考えてから「寿一が隣にいるのにどうして新開くんの方がカッコよく見えるの?馬鹿なの?目が悪いの?」と首を傾げた。梓は何も言わなかった。ただ溜息を吐いて「新開、あたしそれ欲しいわ。それ、一等のヤツ」と二人の話に入っていく。

また少し離れたので、はぽつんと、今度は梓もおらず取り残された気持ちになる。学校では同級生たちの嫉妬をかわいいと嗤った己であるけれど、福富のこととなると己とて余裕はなかった。

は福富寿一を愛している。好きだという軽い言葉では言い表せないくらいの愛情を彼に一方的に抱いている。福富は、己をどう思っているのかは知らない。嫌われてはいないだろう。こうして一緒に遊んでくれるから、それはない。けれど一年生の時に「好きよ、寿一」と告白した己に対して「そうか、ありがとう」と言っただけだった。福富は告白してくる女子生徒全員にそう返していることは知っている。福富らしい、と思った。気持ちは嬉しい、と言ってくれたようなものだ。断られてはいるが、気持ちを知ってくれた。それだけで、は満足していようと、今日まできた。

(寿一は優しい。自分に厳しくて、人にやさしいひと。皆の気持ちを受け取ってはくれる。でも、受け入れてはくれない。ひどいひと)

だからは、寿一の傍にいるのが自分だけならいいと思った。福富に気持ちを渡し続けるのが自分だけしかいなければ、それは強制的な「特別」にできる気がした。だから、福富に近付く女は全員いなくなればいいと心から思っている。

、あまり離れるな」
「寿一。ごめんなさい、ちょっと考え事をしていたの。……どうかした?」

思考に沈んでいたをぐいっと、福富が手を掴んで引き戻した。反射的に顔を上げると、ムッとなぜか怒ったように眉を寄せた福富と目が合う。機嫌が悪いように見える。先ほどは嬉しそうな顔だったが、いや、傍目には鉄面皮極まりないけれど微妙な感情の変化はわかった。

「なんでもない」
「そう」

問うても素直に答えてくれる人ではない。言いたくないなら聞かないが、察したいとは思う。しかしわからない類のものならどうしようもない。それで、くいっと、福富の服のはじを引っ張って首を傾げる。

「ねぇ寿一、新開くんと梓、なんだか白熱してるから喉が渇くと思うの。まだまだやってるみたいだし、ちょっと何か飲み物を一緒に買いに行きましょう」

屋台では「欲しいものは寧ろ自分で獲るわ…!!」「姐さんカッコイイ!!」「また来たのか浅井!!」「ヒュウ、やるねー滝川。俺も負けねーよ?」と硬貨を傍らに積んでテキ屋のおっさんを半泣きにさせている同級生二人。

あの調子ならちょっと放置しても大丈夫だろう。

誘えば福富は別の方向を見ていた。何かあるのか、ともそちらを向くと祭りの風物詩のような、ハイビスカス柄のジンベエを着た、人工的な色グロに金髪の男が数人いてこちらを見ている。そのうちの一人と目が合ったのでニコリと笑うと「おっ」と手を振られた。

「……知り合いか?」
「知らないわ。寿一のおともだち?」
「違う」
「そうよね」

近付いてきそうな雰囲気だった。は笑顔のまま自分にとって凄く都合のいい展開を考えた。つまりあの男の子たちが自分を見て騒いでいるのを福富が気付いてヤキモチを焼いてくれる、などとそんな少女漫画のような展開だ。

(ばかねぇったら。じゃないんだし、寿一はヤキモチなんか焼かないわ)

けれど楽しい妄想である。福富寿一は真っ直ぐで、すごく気真面目だからそんなことはしないだろう。けれど楽しい。そんなことをしてくれたら、とても嬉しい。うふふ、と口元を押さえて笑うとぐいっと福富に引き寄せられる。

「……なぁに?」
「なんでもない」
「そう」

先ほどと同じ、会話にもならない会話をする。けれど今度は強く抱きしめられている。ので、こちらから福富の顔は見えない。己の肩に当たる福富はどんな顔をしているのか。見たいが見れないのでは自分を抱き締めるため丸くなった福富の背、筋肉の盛り上がった、肩甲骨のあたりに掌を当て「寿一にこんなに長い時間触れるなんてすごく幸せ」と心底感謝した。

冷静に考えて、人ごみのなか学生二人が抱き合ってるなんてすごい光景なのだけれど、は恥ずかしいとは思わないし福富もこういうことは気にしないタチらしい。だからは「あらあらかわいい」と言ってくるおばさんや「いいねー、青春!」とからかってくる半被姿のご老人ににこりと笑う。

「……ラムネでいいか」

そしてゆっくりと30くらい数えられるくらいの時間がたった後、何事もなかったようにパッと福富が離れた。何でもない顔で問うてくるのでもできれば平素で返したいのだけれど、感じていた福富の身体の重みがなくなった身体が、なぜか寂しく感じ、その一瞬バッと顔が真っ赤になって、通行人に冷やかされても大丈夫だった心が急に気恥ずかしくなる。

「ど、どうした…っ…」
「だ、大丈夫……へいきよ…あら、どうしてかしら、なんだかすごく…すごく…いえ、なんでもないの」
「す…すまん……軽率だった……!!」
「いえ!!いえ!寿一はいいのよ!!抱き締められて嬉しかったし…!!!っていうかごめんなさい、私いますごい顔真っ赤だからちょっと待って!!」

あれ?あら?どうしたのだ自分は。は顔を抑えくるりと背を向ける。

「じゅ、寿一!大好きよ!!」
「あ、あぁ!知ってる!!」

けれどこの態度を誤解されて「嫌だったのか」とショックを受けられたくはない。ので、とりあえずそれだけ叫ぶと、ドン、と効果音が付きそうなほどはっきりとした声で福富も答えた。




+++




「このコルク玉って人に向けて撃てねぇの?」

スパァン、と何個目かの景品を落とし新開は慣れた調子でくるくるとオモチャの銃をまわした。いつのまにかギャラリーを背負っていて、新開が振り返ると「キャァアー!」と黄色い声援が上がる。

「気持ちはわかるけど、止めなさいよ」

同じように景品を落とした梓はこちらはストイックに銃を下ろし次の弾を込める仕草のみ。けれどその度に「姐さぁああん!!!」とヤンキーやらチンピラどもの歓声が上がる。

いつのまにか勝負は「どっちが失敗せず景品を落とし続けられるか」になっており、すでに下段から3段目までは制覇されている。浅井の計らいで「失敗した方から10回分のお代を頂く」というものになっているので、小遣いの限られた学生の身分としては必至だ。(一回300円である)

「邪魔しに行っていい?」
「そのためにアタシが今あんたとやってんのよ」
「滝川友達思い〜」
「茶化さないで」

スパン、と滝川がまた景品を落とした。なんでもそつなくこなす女である。背丈はそれほど高くないのに、真っ直ぐすっきりと伸びた背筋と堂々とした佇まい、それに凛とした雰囲気が彼女を長身に見せていた。射的は背が高い方が有利なのになぁ、と目を細めて笑うと「アンタの番よ」と滝川が催促する。

「別にドン子のためってわけじゃないけど、あの面倒くさい二人が面倒くさいながらに恋愛してるのを邪魔するのはどうかと思うって、それだけ」
「恋愛してる、ねぇ」

バキューン、と声に出して撃てばきちんと景品に当たった。せせら笑う。滝川が不快気に眉を寄せた。

「いつだったかな、忘れたけど。寮のさ、談話室でエロ本どこに隠してるって話になって」
「馬鹿男子」
「まぁ聞けって。ただ撃つのももう暇だろ?」

お互い腕は互角だから、なにかない限り失敗しないだろう。わかっている。滝川が顔をしかめながらも一応は聞く姿勢を見せたので新開はニッと口の端を上げた。

「で、その時にまぁ、そういう話になって、寿一はいなかったんだけど、同級生が「福富はいいよなー。いつでもヤらせてくれるがいて」って。まぁ、はできるだけ隠そうとしてて、が寿一を好きだってのは、女子は知らねぇけど男子は結構気付いてる奴いるしな。言って、の話になったんだよ」
「ドン子が男子にあれこれ言われるのは自業自得だわ」
「俺もそう思うぜ。でも嫌だろ?寿一は。で、悪いことにそこに寿一が通りかかっちまった」
「乱闘?修羅場?」
「んや。ただ言った奴の肩に手を置いて「俺はとそういうことはしていない。あいつを貶めるようなことは言うな」って言っただけ」
「よけい怖い」

だよな、と新開も笑ったが、しかし、目は笑えなかった。

バキューン物理、とまた落とす。滝川も落とした。無言で詰めて、パン、パン、パン、パン、と素早く込め、撃ち、込め、を繰り返す。

「ちょ、アンタ……」

続けて撃つなんてルール違反!と滝川が文句を言ってくるがルールはない。滝川も同じ回数撃てればいいだろ?と返した。むっと滝川の形の良い眉が揺れる。

「で、そのまま寿一は出てった。俺は追いかけて、怒ってるかって聞いたら、まぁ「腹が立つ」って素直に答えたよ。当然だよな。でも「よく殴らなかったな」って俺は言ったんだ。俺なら殴ってた。でも寿一は「殴れば部活謹慎になる」って答えた」
「自転車バカ」

らしいけど、ちょっと引く、と滝川が言う。新開は、それならよかったのにな、と胸中で呟いた。

「違うって。『部活が謹慎になればの耳に入る。俺が、が理由で自転車に乗れなくなったと、あいつが知ったら、それはあいつにとって一番酷く悲しいことだと、俺は知ってる』ってさ、寿一は答えるんだよ。真顔で、でも気配?っての?めっちゃ怒ってるんだぜ?それくらい腹立ったなら怒鳴るくらいすりゃいいのに、それすらもしなかったんだ。寿一はさ」

新開は福富とは中学からの付き合いだ。同じ自転車部をもう5年以上続けて来た。ずっと見て来た。真っ直ぐで真面目で不器用な男。

自分が強くなることしか見てない男で、ライバルは自分自身。孤高で孤独で、強い男だ。その背を眺めること、肩を並べて前に進めることが新開には心強く、頼もしかった。

自分が兎の親子のことで精神が疲弊した時も、ぐいっと背を叩いてくれた。

(荒北の時もそうだ。寿一は苛烈な光で、誰も彼も引きつけて、そして救うことができる。俺も救われた。何度も何度も、だ)

けれど、思ったのだ。

自分がウサ吉を育てて、抱いて、抱いて小屋の前。あの場所はよく福富が女子生徒に呼び出されて告白される場所になっていて、何度か目撃した。その度に、新開は妙な、言いようのない、不安を覚えた。

(お前は皆を救うけど、ならお前は誰が救ってくれるんだ?)

2年のインハイ、広島大会でのことは知っている。巻島や荒北から聞いたし、福富からも懺悔のように聞いた。今もそのことで福富が苦しんでいることを新開は知っている。だから、思うのだ。本当に、心から、思うのだ。

「なんでなんだよ」

パン、と、一等の景品を倒した。おぉお、とギャラリーがざわめく。所業にか言動にか、滝川がこちらを睨んできた。

「寿一の大事にしてる自転車の世界には関わらない。あいつが自分で決めたルールは知ってる。まぁ、ミーハーに騒ぐのもどうかと思うからよ、いいんじゃね?って最初は思ってたし、寿一が部活に女のこと持ち込むわけがなくても、主将の女ならいろいろ面倒なことがあるから、いいって思ったぜ。最初は」
「あんた、何が言いたいの」
のその、自分で勝手に決めたルールを、なんでいろんなことを我慢してまで寿一が守らなきゃならねぇんだ」

福富寿一は、誰にも自分を救わせない。自分でどこまでも苦しんで苦しんで苦しみ抜いて、そこから這い上がる男だ。それが福富だ。それでこそ、だ。確かにそこで誰かが手を差し伸べたり、あるいは「女」が抱きよせて慰める、それは違うだろう。そんなことは望んでいないだろうし、それは福富寿一を愚弄する行為だと、新開も思う。思う、のだけれど。

「なんで寿一が、我慢しなきゃならねぇんだ」

寿一が、親友が「好きなやつがいる」と真面目な顔で自分にそっと教えてくれた時「俺はこういうことはどうすればいいのかわからない」とメールの返し方やら何やらを聞いてきた時、新開はこそばゆい気持ちにこそなったが、しかし本心では寂しさと、嬉しさがあった。

自分は親友で、辛い時に引き上げあうことはできる。互いに心地よい緊張感を持って、時には馬鹿になって笑いあうことはできる。けれど、その「好きなやつ」の話をする時の福富の、あの、鉄面皮ながらもふわりとした空気、にじみ出る柔らかな色は、自分では無理で、そしてそれは、とても良いものだと思ったのだ。

「俺は寿一が幸せなら誰でもいい。隣のクラスの○○○でも、1年の時からずっと寿一に片思いしてる××でも、ならいっそおめぇさんでもいいぜ、滝川」
「死んでもごめんだわ」
「でも駄目だ。、あいつは駄目だ。寿一の気持ちをこれっぽっちも考えない。放課後聞いたよな?のこと嫌いかって、あぁ、嫌いだね。大嫌いだ。でも寿一はがいると喜ぶ。幸せそうな顔をする。だから俺は今日と寿一をここに連れて来た」

インハイ前の最後の休み。福富にとって最後の夏。去年の贖罪を兼ねた、そして自分自身の今後を決める大事なインターハイ直前の、最後の時間。

パンパンパンパンパン、と、滝川も連続して景品を落とした。何のブレもない、可愛げのない女の、しかし好感のもてる横顔。新開は銃を構え、あえて外した。「あぁ!残念!」と状況をわからず声を上げる。店主に3000円を渡そうとすると、滝川がバンッ、と1800円叩きつけてきた。

「男に奢られる気はないのよ」
「イカ代もか」
「そうよ」

ちゃっかりしている。可愛げは、やはりないけれど、新開は滝川のこの潔さとストイックさが好きだった。自分のルールを貫く。それはもそうだ。そう、結局自分のルールを貫く、ということは他人の気持ちを顧みないということになって、滝川には好感を持つ。けれどは駄目だった。そこに多分、踏みにじる気持ちの違いがあるのだろう。滝川は男のメンツは潰しても、のように「自分を気遣ってくれる他人」の気持ちの上に甘えて己を貫きはしない。そこが、あぁ、なるほど、俺は個人的にが嫌いなのかもしれないと、新開は改めて気付かされた。

「っていうかようするにー。新開さんは福富さんがだいすきってことなんですねー。うわー、俺そういうのちょっとすごいなーって思いますー」

ふむふむと頷いていると、思考を読んだわけではないだろうが、絶妙なタイミングで突っ込みが入った。滝川、ではない。見下ろせば、呆れたような顔の、浴衣姿の美しい同級生と、くせっけの髪を跳ねさせた、部活の後輩、真波山岳が両手にラムネの瓶を持ってにへら、と笑ってこちらを見上げてきていた。






++++



「あ、あ、あの…!!ほんと、すいません!!すいません…!!あの、すいません!!!」
「気にしないで、こういうの得意だし」

神社の喧騒とは離れた場所、準備やこれから神輿の出動だ!とあれこれしている「裏方」に位置する場所からも少し離れた、ベンチの上で真波の幼馴染、一年生委員長はひたすら恐縮していた。

「寿一が絆創膏を持っていてくれて助かったわ」
「下駄に絆創膏は必需品だと聞いた。は大丈夫なのか?」
は慣れてるから紐で擦れたりしないのよ。でもありがとう、を気遣ってくれて、うれしい」
「使わないで済めばそれが一番いい」

状況の説明をすれば、委員長は現在喋ったこともないハコガク三年生二人に挟まれていた。ベンチに座ったまま。右端に先輩、真ん中に自分、そしてその隣は山岳の所属する部活の主将さんだ。

なんでこんなことになったのか。

(わ、私は…!!毎年ここの神社のお祭りは行ってるし…山岳が…今日は部活ないっていうから…自転車に乗らない日なんだって言うから……!!じゃあお祭りに連れていって上げるって……言って)

浴衣なのも、折角だから着ただけだ!山岳が小学生の頃浴衣を見て「わー、似合うねー」と言ってくれたのを思い出したとか、そういうわけじゃない!!

「あ、あの……本当すいません!!お二人の、邪魔して…その…!!」
「いや、気にするな。ラムネを買っている時に真波が横から突然「絆創膏持ってません?」って聞いてきた時は驚いたが、だいじにならずよかった」
「女の子は足を怪我したらだめよ」

浴衣姿で出かけて。山岳と二人で。お祭りに着て、山岳はちょっと寝むそうだったけれど、あれこれやたいを面白そうには眺めていて、だから委員長はなんだかほっとした。昔と同じ。自転車に乗ってどこか遠くへ行ってしまったような山岳だったけれど、昔と同じ顔でお祭りを眺めている。自分も昔と同じ浴衣を着ている。そのことがなんだかとても嬉しくて、歩くたびにだんだんと痛くなってきた足のことを、どうしても言えなかった。

けれどいつのまにかフラリ、と山岳が消えてしまって、一人で心細くなっているところに、なぜだか「委員長―、福富さんが絆創膏持ってるって。あと福富さんの彼女さんが下駄見せて欲しいってー」と帰ってきた。

「市販の下駄は、あなたの足に合わせて紐を結んだわけじゃないからきちんとなおさないと怪我をするわ」

きゅっきゅ、と委員長の下駄の鼻緒を組み直しながら先輩が呟く。その紐は元々山岳のハンカチだったものだ。このベンチに委員長を座らせ足の怪我の具合を確かめた後、この、1年の自分も知ってるほど(あまりよくない意味で)有名な上級生は、聞いた噂からイメージしていたのとはだいぶ違う雰囲気で、ほぼ初対面だったらしい山岳に「ハンカチ」と強制して、そのままビリッと破いた。簪を引き抜いてちょいちょいっと下駄をいじって分解したかと思うと、そのまま気安くあつかいはじめたのである。

「これでいいわ。きつかったら言ってね」
「…あ。いえ、大丈夫です…あの、ありがとうございます」

とん、と足ではいてみれば絆創膏をしているからだけではなく、先ほどまで感じていた心地の悪さが嘘のようになくなっている。

「そう、よかった」

先輩はふわりと笑って、そのままちらりと委員長の浴衣を眺めた。一瞬委員長は身構える。話に聞いた先輩は、とりあえず性格が悪く「容姿は整っているのに性格ブス」というのを人の形にした見本のようだと聞いた。女子に厳しく、とにかく二言目には「あなたブスね」とか「貧乳」とか平気で言う人だと聞いた。噂はうのみにはしないけれど、しかし、上級生ということもあってどうしても緊張と、そして恐怖がある。

顔を引きつらせていると、また先輩が笑った。笑うと花の匂いがするような、そんな人である。

「かわいい浴衣。大事に着てるのね。とても涼しそう。寿一の後輩の子はちゃんと褒めてあげたのかしら。女の子が浴衣を着ているのに褒めない男はだめよ」
「え!!?え!!?あの、え、あ、ありがとうございます…!!」
「真波ならさらりと言うだろう」
「あ、いえ……残念ながら…まだ何も」

唐突に、予想もせぬ世辞の言葉。委員長が只管驚いていると、隣で腕を組んでいた主将さんも便乗してくる。しかし山岳からは何の言葉もないのだ、と告げると「ム、そうか」と眉を寄せられた。これはまずい、と委員長は慌てる。

「あ、でも、あのですね!山岳はそういうことを言わなくてもいいっていうか、別にわたしも期待してないっていうか…!!主将さんが気にすることじゃないんです!!」
「ふふ、そうね。寿一が言ったら最終通告みたいになっちゃうものね」
「そ、それに、山岳とは幼馴染だから…その、今更そういうことを言うような関係じゃないっていうか……今だって、お祭りに来たのも…山岳に他にやることなかったから…あいつ、自転車に乗れないとほんとう何にもやる気ないっていうか……!!!」

あれ?と委員長は自分の視界がにじんできたので首を傾げた。わたし何言ってるんだろう、とも思う。けれどあれこれ、と、たとえば部屋の窓、カーテンが閉まっている日々とか、朝おはよう、と言って一緒に歩くことがなくなったとか、そんな、色んな事が急に思い出された。

「だが真波はやることがなくとも自分の興味のないことはしない奴だ。この祭りにしても、俺や部活のやつが誘っても騒がしいからとついて来ないだろう」

じわり、とにじんできた視界を自分からぎゅっと閉じて遮ると、ぽん、と強く背中を叩かれる。その力が強くて、びっくりして「ひゃい!!!?」と妙に大きな声が出た。

「明後日から自転車競技部は全力でインターハイに向けて始動する。ロードレースは、インターハイは過酷な競技だ。真波がお前をどう思っているのか俺にはわからないが、しかし、お前は真波を見ているのだろう。ならば、俯くな、前を見ろ」
「は、はい!」

なぜだか驚き過ぎて涙が止まってしまった。そして力強く向けられた言葉に、委員長は反射的に大きく頷く。全力の言葉だ。自分はこの人とは初対面なのだけれど、何でこの人は全力なのだろうか。不思議に思う、けれどもっと不思議なのは、その初対面の人から唐突に言われたこの言葉が、どういうわけか委員長の心の、沈澱していたものをぐいっと強引に消し去った。

「あの1年の子、あなたを心配してたわ。でも心配したらあなたが余計意地をはっちゃうからって何も言わないでいたのね」
「さ、山岳はそんなに聡くないですよ…!」
「男の子はバカだけど、馬鹿じゃないわ」

ふわり、とまた笑う。やわらかい、ふわふわとした人だ。委員長は妙な心持になった。隣にはハコガクでも有名な自転車競技部の主将さんと、噂のさんがいる。二人とも纏う空気も性格も違うようなのに、その二人に挟まれたこの空間、ふんわりした空気と、ぴりぴりとした緊張感が、交わるこの真ん中が、妙に安心する。

(??)

なんだろう、これ。と首をかしげていると、先輩が「あ。梓たちも着たわ」と顔を上げる。

「委員長―!!大丈夫?」
「お、おめぇさんが真波の彼女かー。やるねー、真波!」
「っつーか1年が女作るとかお前マジで生意気だろ……!!」
「福富さんこんばんは!ご一緒させて頂きます!!―――というか、ユキもモテるだろ」
「そこで会ったのよ。なんか黒田が、スイカ持ってて」
「くじ引きで当てたんスよ。大玉1個って、普通これ持って帰れませんよね」

なぜかぞろぞろ、とやってきた上級生たちに委員長は「ひっ!!?」と顔を引きつらせる。同時に右隣のふわふわとした空気にピシリ、と亀裂が入ったような気がした。

「さ、山岳―!あんた…え?!なにがどうしてこうなったの!!?」
「うんー、あのね、福富さんに言われて射的してた新開さんたち呼びに行ったんだけど、そしたら途中で泉田さんたちに会って。スイカ食べようかってことになったんだよねー」

わかるんだけれどさっぱりわからない。頭を抱え「私は帰ってもいいってことよね!?なんかもう部活モードになっちゃいそうだし…!!知らない先輩しかいないし…!!私いらないよね!?」とがしっと、福富先輩が肩を掴んできた。

「いてくれ」
「え?でも」
「お前がいればが逃げない」
「はい?」

ぞろぞろとやってきた自転車部の部員達に慌てたのは自分だけではないようだ。見ればベンチから軽く腰を浮かした先輩が、ぎゅっと唇を噛んでいる。

「え?え?あの……?」
は帰りたいわ、寿一」
「真波の同級生を頼む」
「卑怯だわ」
「わかってる」

委員長にはわからない会話をして、またすとん、と先輩が座った。なんだか辛そうな顔をしているので、委員長はたまらず先輩の顔を覗き込む。

「あ、あの、大丈夫ですか?具合悪いなら……私の家近いんで…休んでいきますかっ?」
「…違うの。大丈夫。あなた、あの1年の子とスイカ食べたいでしょ」

え、なんでここでスイカ。いや、確かに2年の先輩らしき人がスイカ持ってるけれど、状況がわからない。

「委員長、ごめんね。血が出る前に気付けなくて」
「さ、山岳…べ、べつに…あんたの所為じゃないわよ……!あんたに心配されなくたって…」
「うん、そうだよね、委員長はひとりでなんでもできるから」

混乱している委員長に真波が近づいてくる。にへら、といつものように笑って、そして少しだけ顔を顰めた。

「あのね、委員長。福富さんの彼女さんとか、滝川先輩とかも浴衣着てるんだけど、俺、委員長の浴衣が一番可愛いと思うんだ」
「は…!!?はぁ…!!?何言ってんの!!?皆の前で…あ、あんた…本当恥ずかしい奴…!!!」
「はは、そうかな。うん、でも、本当その金魚かわいいよ」

委員長の浴衣は金魚の柄である。子供のころからのものなので、子供っぽい可愛らしい柄だった。
可愛いのは金魚の柄のことかもしれないのに、委員長は真っ赤になって仕方ない。後ろで先輩たちが「若いなー」「青春ですね」「あー、腹立つ!」と言っているのも聞こえない。

「ところでこのスイカ、やっぱスイカ割りでもして、」
「おい!!!てめぇヤスシ!どうしてくれんだぁああ!!てめぇ!!忘れてきただとぉお!!!?神輿の中に神様がいねぇで何が神輿だぁああ!!!」

さて、人も集まったしこのスイカをどうしようか、と新開が切り出そうとすると、裏方の方で何やら大声が上がった。

「ん?なんだ?」
「どうかしたんでしょうかね?新開さん」

ひょいっと泉田が率先して様子を見に行こうとする。黒田もそれに続いた。真波が「あ、俺も〜」と好奇心いっぱいで行こうとしたので「お前はここにいろ」と福富にひっつかまれた。

「どうやらおみこしの中のご神体?ですか?のようなものを、一度職人さんのところに手入れに出して、その回収をしていなかったようですね」

戻ってきた泉田が報告する。

「道が渋滞で今から車で取りに行っても間に合いませんし…神輿の中になにもない状態で始まることになってしまうようです」
「なるほどな。よし、行くか」

バキューン、とポーズを決める新開に「あぁ、そうだな」と福富が頷いた。
なにがよし、なのか委員長と滝川、それに黒田と泉田、はわからなかったが、真波はわかったようだ。

「福富さんたちロードで来てたんですか!?」

先ほどまでの寝むそうな様子が嘘のような輝いた顔。

「自転車馬鹿……」

滝川が呆れたように息を吐き、が「じゃあ梓、さっきの浅井さんにちょっと話てきて場所聞いてきましょう」と立ち上がる。

かくして、緊急ミッション!ハコガク自転車競技部レギュラーに次ぐ!神輿ご神体を回収せよ!!!が始まるのだった。


続くよ



※梓さんはちわさん宅の泉田夢主さんです。サポートキャラとしてお借りしました。ありがとうございました!

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