アリスのお茶会・青ムシ編

 

 

思えば恥の多い人生を送ってきました、なんて名言を吐けるほどダイゴは自分というものを自覚してはいないのだけれど、それでも、今それを言ってしまって、これまでの一切をそれで全部、チャラにできればそれに越したことはないと、真摯に思った。

 

「どこへ行くんだい、ハルカちゃん」

 

エアームドから降りてボールに戻し、追いかける。何度も何度も葉っぱカッターをくらって立ち止まりかけたが、それでもダイゴは追いかけた。何故か、などダイゴは知らぬ。ただ、ホウエンの地からシンオウまで、ただ自分に会うために来た少女が消えてしまうことが、認められなかった。

 

「待って、ねぇ、ハルカちゃん。話をしよう」

 

今まで散々逃げ回って、話をしても大した言葉も吐かず中傷的過ぎたお互いであるのに、それを主とした張本人、そんな事実は一切ないとでも言うような、白々しさで、真剣に言う。

ぴたり、と、ハルカの足が止まった。付き従ったジュカインが一瞬何か言いたそうな顔でハルカを見たが、キッとダイゴを睨みリーフブレードを構えるだけで、何も言わない。

 

振り返ったハルカの顔は、普通だった。いや、ダイゴが知るハルカの顔は、いつも困ったような、けれど優しい笑顔だ。しかしここで浮かんでいるのは、何の表情もない、目を開いているだけで眠っている時と変わらぬような、そんな顔。

 

「ダイゴさんを追いかけたのは、ダイゴさんのためじゃなかったんです。気付いてしまった、私は、私が少女であるために、ダイゴさんを追いかけていたんです」

 

流れる時間が止まらぬ以上、ハルカは大人になってしまう。どれほどハルカが今のままでいようと心を尽くしたところで、刻々と時が過ぎれば、当たり前のようにハルカは大人になるのだ。

 

「ダイゴさんじゃない。逃げていたのは、私だったんです」

 

気付いてしまった。デンジと二人でお茶を飲んで、気付いた。エムリットの所為などではなく、もしも何か、他人の所為に出来る要因があるとすれば、それは、デンジの存在くらいだ。

 

シンオウで、ハルカはホウエンにないものを多く知った。この極寒の地でハルカの知り合った人の殆どが心に何かわだかまりを持っていた。風習なのかと、そういいたくなるくらい、誰も、彼もが幼い頃のトラウマを抱えて、後ろを向いて全力疾走で走っているようだった。

 

ホウエンにいて、ただ「ダイゴを思う少女」を続けていれば、分からなかっただろう。いや、きっとホウエンにだって悲しみはあるが、少なくともハルカの知った世界ではなかった。被害者面をして大手を振って歩いて、周囲から「かわいそうに」と言われて当然だというくらいのものが、ハルカの世界にはあったのだ。

 

しかしこのシンオウはどうだ。被害者は加害者であり、加害者は被害者であった。

 

ハルカはデンジを哀れだと思う。直接的に聴いたわけではないが、彼は昔「このまま」でいようとして、変化を追い出し、しかし結局、己が無理矢理世を悟らねばならぬような現状に追い込まれた。

 

ぎこちない生き物になってしまったのだ。変態(メタモルフェーゼ・脱皮・変身)を遂げられず、繭の中で見ていた夢が覚めぬまま外界に投げ出された蛹は、蛾にも蝶にもなれはしない。

 

シンオウには、ハルカの知った人物たちは、そういう生き物ばかりだったのだ。

だから、ハルカは気付いた。自分もそうなろうと。自らハルカはそれを選択し、穴の開きかけた己の繭に内側から歪な蓋をしようとしていたのだと。

 

その行為虚しさを、その結果の、歪みをハルカは理解した。そして、再び選んだ。

 

「さようなら」

 

手を振って、笑顔でバイバイ。それでしまいだ。己を自覚したハルカは、最早、春を待つだけの蝶である。迷いも綺麗さっぱり消え、あるのはただはっきりとした、自覚だ。

 

己は、ダイゴのことを好きでも、なんでもなかった。ただ、ダイゴならよいだろうと、そう選んだのだ。己が少女でいるために、大手を振って「少女」の顔をしていられるに値する人物は、ダイゴしかいなかった。

 

恐らく、ハルカと同じように少女でい続けたい人間がいて、その対象とするに最も相応しいものは、誰であれダイゴしかいないのだろう。自分というものが存在しない仮面性、己がないからこそ、変わることのできない、確実性。憐憫をもって、ハルカは今ダイゴに謝罪でもしてやりたかった。

 

ダイゴに巻き込まれたのではない、ダイゴは、ハルカの「願い」の犠牲にされた。いや、互い様、かもしれない。このシンオウに置いて、被害者は加害者でもある。

 

「ボクは、ハルカちゃんが好きだよ」

「白々しい嘘を平気で吐いてくれるんですね」

 

傷つけあうこと事態、狂言だ。この地は、そういう風になる。ハルカは笑って、ダイゴから一歩下がった。ああ、そうなのだ。

 

「もう止めましょう。ダイゴさん。お芝居は嫌いなんです。映画はちょっとは好きですし、本も、嫌いじゃありません。でも、お客さんのいない、全員が出演者だなんてお芝居は、止めましょう。お芝居が終わらなくても、私は、舞台を降ります」

 

だから、自分に対するダイゴの役も終わってくれと、そう言う。

 

「どれほどに冷たい雪で死体を覆い隠したところで、それは溶けも消えも腐敗もせずにありありと残ってしまう。だからわたしはホウエンに帰るんです」

 

その言葉の二重の意味を、はたしてダイゴは悟れるだろうか。悟っても、それを自覚することができるだろうか。

 

じっとハルカはダイゴを見る目、瞬きもせず見詰め。小さく卑怯者、と呟いた。

 

 

 

Fin