アリスのパーティ(アリス編)
「今日は寒いですね」
言えば一緒にいるひょろっと背の高いモヤシみたいな男の人が、心底詰まらなさそうな顔で「暖かい方だ」と言いやがった。それでハルカ、手に持っていたティカップを中身そのままデンジに投げつけてやりたい衝動を、反対の手の指でつまんでいたクッキーを砕くことによってなんとか押さえ込んで(わたしって何て出来た子だろう!)ハルカはにっこりと笑顔。
「そうなんですか、やっぱり、シンオウはホウエンとは全然違うんですね」 「南と北じゃねぇか。一緒なわけねぇだろ」
バキっと、ブルーベリーソースが中央に赤く溜まっていた可愛らしい花型のクッキーが砕けてソーサーの中にぱらぱら落ちる。折角シロナさんが用意してくれた、(と言ってもナタネの手製であるらしいそれをヒョウタが持参してきて、シロナが綺麗に皿に乗せただけだが)お茶請けがもう、台無しだ。
どう見たってサワヤカ、ノドカなお茶会にはなっていないというのに、ハルカもデンジも、この場を立つことがどうしたってできない。だからこそ、デンジは段々と、いや、もう本当に段々ダダダと階段スっとばす勢いで上がりながら、不機嫌になっていっているわけで、そしれ、それに、ハルカにしたって、段々と、緊張していってしまっているのだ。今だって、いっそデンジに話しかけなければいいと思えてしまうのに、それでも、話しかけなければ、動悸・息切れ・眩暈のしてくる、まぁ、いうなれば、不安になってくる己の心、を、どうにかこうにか誤魔化して、いつまでもここにいてくれるようにはなれない、自分。
(だって、あと数分でここには彼らがやってくる)
ちらり、と、ハルカは三十分ほど前に、ヒョウタとシロナが「じゃあ、迎えに言ってくる」と、出て行った扉を見つめて、ぎゅっと、掌握り締めたり、して。どんどんと、自分にも余裕なんてかけらもなくなって、吸い上げられて行くような感覚に抗った。
「さっきまで、ヒョウタさんがいたら、心底びくついてそわそわしてたクセに、何途端クールキャラになりやがってるんですか」
よし、もうこうなったら嫌味合戦だぁ、こら、ばっちこい、とハルカは覚悟を決めて、そういえば確かに自分の性分、こっちのほうが最初から「らしい」のではないだろうかと、免罪符になりそうなことを考えながらぶすっと、デンジを見つめた。
「お前、会ったらどうすんの」
っひゅ、と、ハルカの喉が鳴った。なんだ、この男。この、ヘタレ野郎。ハルカが覚悟を決めて嫌味の応酬でお互いを落ち着かせよう作戦を決行しようとした途端、真剣な、目。
デンジは、よくわからないところがあるとハルカは思った。このシンオウで出会った何人かの「へんじん」の中で、一見はまともそうで、でも本当は一番危うそうなヒョウタのことを心底、怖がっているらしいデンジは、その口調からしてよくわからない。
時々子供のようなものいいをするし、大人びた物言いになることもある。基本的にはどうしようもない、ヘタレであることにかわりはないのだけれど、ハルカは今のところ、デンジと自分がどういう立ち位置を取るべきなのか、実は計りかねていたりした。
「会ったら、ですか」 「今、ヒョウタが向かえに行ってるヤツと会ったらお前、どうするんだ」 「デンジさんこそ、シロナさんが迎えに言っている人と会ったらどうするんです」 「聞いたのは俺が先だぞ」
えぇ、えぇ、えぇ、そうですよね。ハルカはティカップを傾けて随分と冷えた紅茶で口の中を潤した。先ほども飲んだばかりなのに、以上に口腔内が乾いている。カラカラカラカラと音でも立ててしまいそうで、ばぎっと、腹立ち紛れに手元のクッキーをまた砕いた。ナタねえさん、ごめん。
「聞いてどうするんですか。今後の参考に、とか空寒いこと言わないでくださいよ、デンジさん、人の意見なんて従うガラじゃないでしょう。人の言葉聞き入る美徳がある人は停電なんてさせませんよ」
一瞬潤った口内を保つため、舌に湿りを与えながらだらだらと言って、言い切って、お願いだから、嫌味の応酬、それで、いいじゃないか、と、懇願するようにデンジの言葉を待った。
けれど、今まさにハルカが言ったように、デンジは人の意志を汲んでくれる並な芸当、してくれるわけもない。
「なんでこんなことになったんだ」
ぽつり、と、呟いてくれやがったのは、急に冷静になってしまって、あれ、そもそも花火って何のために上げるんだよ、生きてるってなんだよ、なんて、考えたらドツボに嵌るに決まっていることを考える、子供のような目をしたデンジ。
「なんででしょうね」 「いや、お前、お前はそいつを探しにシンオウに来たんだから、これでハッピーエンドじゃねぇか」 「おとぎばなしは嫌いです。そうですね、わたし、一番最初は、見つけ出したら襟首引っつかんで二、三発殴り飛ばしてやろうとか、そういうこと思っていましたよ」
会ったらどうするか、の返答。そのはずだったんじゃないかと自分に聞いて見て、自分、あぁ、そういえばそうだっけ?とそらとボケてくれる。
(何をしようとしていたんだっけ)
本当は、どうしようとしていたのだろう。というか、どうして、あの人を追いかけるためにシンオウに来たのだろう。
「あれ?」
ハルカは唐突に、あっけらかん、とした、随分と間の抜けた声を上げた。
「どーした」
デンジは小首を傾げてハルカを見る。ハルカ、唖然と、デンジの顔を見つめたまま目を丸くした。
(あれ?あれ?あれ?)
困惑しているのはハルカだけではなくて、その豹変にデンジだって戸惑っているのに、それをさくっと置いて行くように、ハルカの脳内はぐるぐると思考を始める。あれ、自分、なんだったのだっけ。自分、なにを、思ってきたのだったか。 大体どうして、こうしてじっと、大人しく「彼」を待っているのだろうか。ハルカの時間を「彼」に捧げてしまえている、その、根底はなんだったのだったっけ。
あの人のことを、自分はどう想っていたのだったっけ。
「デンジさん、わたし帰ります」
がたんとハルカは椅子から立ち上がった。少し前まであれほど重かった腰が、重く見えた扉の影が、今はごくごく普通のものに変わってしまっている。デンジがびっくりしたように、目を丸くしてハルカを見上げた。
「帰るって?」 「帰ります。帰るんです、わたし、ホウエンに帰ります」
ガラガラと、シロナの家の一室を借りていろいろ置いてきたものを鞄に詰め込んで行く。デンジは慌てていても、それを止めることはしない。それでも、当惑している。
「わたし、何してたんでしょう。何を考えていたんでしょう。あの人に会って、どうしようとしてたんでしょう。何か、変えられるとか、そんなこと、想ってもいなかったのに、なにをしようとしていたんでしょう」
なんだったのだろう、と、そういう言葉が一番しっくりとくる。なんだかいろんなものがスッキリとしてしまって、ハルカ、ガラガラと崩れて行くように透明になっていく何かを感じながら、扉に手をかけた。
その、肩をデンジが掴む。
「待てって、ハルカ」
ばちっと、触れられた個所から静電気が起こって弾けた。それでもデンジは手を離さなかったので、ハルカは振り返って、眉を顰めようとして、目を、見開いた。
「俺もつれてけ」
振り返った先にいるのは、相変わらず死んだ魚のような目をしている青年。それでも、普段ハルカがよく見たような、どこか投げやりで、けれど何かに怯えていたような色が今は綺麗さっぱり消えてしまっている。 一瞬、ハルカはらしくもなく、シロナを疑った。ひょっとして、自分たちが飲んでいたあの紅茶には何か入ってしまっていたんじゃなかろうかと、あの、エムリットの成分でも入っていたんじゃなかろうかと、考えて、それで、どうした。
「愛の逃避行ですか」 「冷凍ミカン買ってく」 「ホウエンは暖かいところですよ」
空寒い。ハルカ、は、そっと溜息を吐いた。それで、一瞬優しい手つきでデンジの頬に手を伸ばし、て。
「わたしはいいんです」
そのままぐいっと、耳を掴んで引っ張って、油断したために体のバランスを崩したデンジの腹に思いっきり、膝を入れてやった。ごえっと、奇妙なうめき声を上げて、デンジが大きな体、そのまま床に沈めたのを確認する暇もなく素早くハルカ、モンスターボールの中からジュカインを呼んで「痺れ粉」と、容赦のない。
何やら「ま、て」とか言ってくるデンジをそのまま完全に放置して、家を出るとき一度、今は留守の家主にぺこり、とお辞儀をして、ハルカ、シンオウの地面を踏んだ。 「ハルカちゃん?」
上空からかかった、引きつった掠れた声に、顔を上げることなくそのまま、ハルカは全力疾走。ジュカインが気を利かせて煙幕代わりに葉っぱカッター大量版。
走って、走って、ジュカインをボールにしまって、クロバットを呼んで、そらたかく飛び上がった。どう考えたって、エアームドとクロバットならスピードの勝敗は知れているのに、追いかけてくる羽ばたきは聞こえて気やしない。それでも、ハルカ、なんだか本当に、それに、ほっとすることも、残念に想うこともない自分。これをどう、言葉にすればいいのかわからないほどに、本当に、なんともない自分がいる。
「わたし、なにしてたんだろう」
ぽつり、と呟いてぽつり、と、頬に何か当たった。空、見上げれば鉛色。雨が降ってくるようだった。雨、雨、雨。
(大雨のときに、祠の前に座ってじっと、ユウキくんを待っていた。その時、一緒にいてくれたのは誰だったっけ)
Fin
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