「このモニターに表示されている分布グラフをご覧になって頂ければご理解頂けるように、ここ数年でカントー・ジョウトの自然は急激に減少しています」

壇上に立つロリータ服に白衣の少女は、その整い過ぎた美貌を立ち並ぶ各界の著名人たちに向け熱弁を振るっていた。少女の背後にはデジタル画面が控えており、現在の自然状況を解りやすく数値化した映像が映し出されている。

「昨今、教育施設の設置や医療機関の充実により人口は増え、急激な工業化、都市化が進みました。人類の発展は急速すぎ、結果自然減少だけではなくポケモンの生態系にも影響を及ぼしています。こちらの映像…トキワの森のポケモンの総数をご覧下さい」

少女が手元のリモコンで操作すると画面が変わった。言葉通りトキワの森のポケモンの頭数が年代別に表示されている。

「このグラフが一体何を表しているというのかね。数は減少していないように見えるが?博士」

暫く何も言わない少女に痺れを切らして発言したのは中央の席に座っているポケモン協会の理事長だった。アフロヘアに蝶ネクタイの男は顔の前で両手を組み合わせ、心底不愉快そうな顔で、グレン自然研究所の・B博士を見つめる。突如として学会に現れた天才児は学者たちの間では既に名が知れ、敬われるほどの実力者となっている。壇上に上がり発表をするこの研究者を、彼は今すぐにでも引きずり落としてやりたかった。だが立ち並ぶ著名人らの手前その「正当防衛」もできぬのだ。

「自然が減少することによってポケモンの生息に重大な問題が起こる……君はそう主張して今日の学会開催を請求してきたが、このグラフからわかるのは通年変わらず同じ数のポケモンが生息していることではないか」

 なぜ、これを見てわからぬのだろう。素人ではないだろうに、まがりにも「研究者」として協会会長に伸し上がった人物であれば、このわかりすぎるグラフを見て何も見出せぬわけもあるまいに。当初は嫌がらせで言ってきておるのかとすら思ったがどうやら本気らしい。あぁ、と落胆を悟られぬようにリモコンを持った手を小さく握り締め、相手の気に触れぬよう言葉を選びながら回答する。一触即発のこの状況。にしても教会会長にしても、綱渡りだった。他者にはわからぬブリザードさえ吹き荒れる。

「確かに合計数は大差ありません。ですが、ここで問題にすべきはトキワの森と周囲のポケモンの比率、さらにはトキワの森に出現するポケモンの種類です」

この言葉で数名のポケモン研究者が何かに気づいたように顔を見合わせたが、理事長はわけがわからない、と首を傾げる。

「つまり――住処を追われたポケモンがまだ自然のある場所に移動し、これまであった生態系を崩している、ということだね。トキワの森のポケモンの総数は変わらないが、その分周囲のポケモンは減っている」

説明を引き取ったのは一番前に座っていた温和な顔立ちのポケモン研究者だった。はにっこりと笑って頷く。この場にて彼女の唯一の「敵ではない」研究者は娘の研究発表に立ち会うような、顔をしておる。

「はい。オーキド博士。以前トキワの森といえばむしポケモンの多さで知られていました。他にはむしポケモンを捕食するとりポケモンやねずみ系のポケモンです。彼らはトキワの森、緑を崩さずおのれらで生態系を作り上げていました。しかし最近は……」

ポケモン研究第一人者の後押しに気を取り直しては再びモニターに戻り、新しい画像を表示した。先ほどの総数が分裂し、ポケモンの種類ごとの数のグラフに変わっている。虫ポケモンの数が年々減少しているのは明らかだった。

「住処を追われたポケモンたちが住み着き、生態系が崩れています」

トキワの森の緑が失われつつある。大型のポケモンが餌や緑を求め森の中に入り、住み着いて生態系が崩れている。それだけなら自然淘汰の一つであるかもしれない。だが全体的に見て、カントー地方で出現するポケモンの総数の現象とともにカントーの森林も年々減少している、そのことが問題であり、我々が気付かねばならないことであった。

「ポケモンたちは世界を守るために生態系を作り上げているのです。世界の自然が少なくなって住処が失われつつあるのなら、まだ残っているその場所に集まり己らで「森の一定量を維持できるような生態系」を作り上げようとする」

そのために周囲から集まってくる。虫ポケモンは受粉のために、取りポケモンは害虫駆除のために、食物連鎖を作り上げる。餌を求めて、というのは人の見解だ。進化という手段を取れる彼らなら餌が少なくなった場所、環境の変わった場所で適応することはそれほど難しいことではないはず。

ならなぜ彼らが移動するのか。はそれを考え、そして一つの結論を出した。

「森一つを例にしてもわかります。我々が破壊するの自然を、彼らは維持しようと自らの生態系を変えてまで行ってくれているのです」

学者達が息を呑むのを確認して、はモニターを消した。

「十年前より急激に減少した自然の中で、ポケモンたちは移動を開始しました。結果、数の減少、人間の必要な大地の確保、ポケモンたちの食事量は減り、ある程度の自然比率は保たれているのです。今日お集まり頂いたのは他でもありません。ポケモンが、自らと自然を守ったように我々人間も今以上に自然保護に力を注ぐべきだと思ったからです。そのためには……」
「もういい。・B博士」

必死に訴えるの言葉を遮ったのはやはり理事長だった。僅かに怒りを孕んだような静かな声で理事長は言葉を続ける。

「研究内容は我々ポケモン協会の研究員と権威であるオーキド博士が引き継ごう。ポケモンたちが自然を守るために自ら退化を選ぶ、などという主張がどれほどばかげているのかキミは理解するところから始めたほうがいい。ポケモンに関する最終的な判断は我々ポケモン協会がすることだ。いたずらに騒がせるように、今日この場で発表すべきではなかったな」
「しかし理事長、この研究成果を見る限り疑う余地はないとわしも断言できるぞ。くんもおった方が研究は捗るんじゃないかね?わしはポケモン研究者じゃが、自然とポケモンの両方を常に観察できる目を持った彼女のようにはいかんと思うのだが」

ぴしゃりと言い放つ理事長に、オーキドがやんわりと主張するが壇上のはすでに片付けを始めている。もともと途中で発表が止められることなどわかっている。しかしこれで、「可能性」として研究者の中に種を落とすことができた。聡い者ならこの発表がどのような意味をもっておるのか、理事長とのやり取りで悟ったであろう。つまり当初からはこの案が受け入れられ、という形を望んでいたわけではないのだ。全てはポケモンのため。誰かがこの研究を引き継ぎ、が既に発見していることを誰かが「新発見」してくれればそれで良い。

「何をおっしゃるのです。オーキド博士。学者気取りの子供より、我々の信頼の厚いあなたの方が世間も信用するのですよ」

に向けていた憎悪の篭った瞳が嘘のように、理事長はにっこりと笑うとが壇上においていったデータROMを手に取る。今にも割り壊したい衝動を理性的に押し込んだ仕草を見せると、理事長はオーキドに向けて言った。

「我々人間も…とは、よく言えたものですね」

事情を知る人間であるオーキドに内緒話でもするかのように声を潜めてはき捨て、理事長はそのまま他の役員達と共に退場していった。重役が退室してやっと他の研究員たちもバタバタと立ち上がる。それぞれ口々に今の発表を批評しながら出て行く。


+++


ジョウトにあるポケモン協会の講堂で発表を終えたは新しい発案を煮詰めるため早々にグレンに帰宅しようと荷造りをしていた。その貌にはポケモン協会に無碍にされたことへの感慨は見当たらない。

それも当然、むしろここに浮かべる感情があるとすれば、己の目論見どおりにすべてが運んだことへの、微笑であろう。だがこれで、協会に恨みを買ったことになる。の価値を既に知る研究者や企業はこの発表で拍車をかけてしまうことになろう。

自然研究の第一人者、と既に協会関係者意外の研究者がを称している現在。そろそろ本格的には有名になってきた。協会がどこまでもを疎遠にするようであれば、そのうちに協会そのものにも疑問を持つものが増えぬとも限らない。ではどうすればよいか。普通であれば、協会がの研究を認めてしまえばよい。そうすれば、協会は優秀な研究者を輩出したということになり、面目も保たれよう。が、それは万に一つもない。何しろを心底毛嫌いし、憎んでいる協会が今更「手に手を取り合って」などと空寒い提案をできるはずもない。

第一に、とて協会と問題は起こしたくないが、かといって仲良くしたくはない。では次に協会がしてくるだろう手は、を始末してしまうこと。だがそれも不可能だ。ヒトなどに殺されるではないし、己が死ねば明らかに犯人は協会であろうと悟れる者が四人はいる。四人が四人、協会に対しても大きな影響力を持っているのだ。敵に回すようなまねはすまい。

ではどうするか。モンスターボールの原理を利用して作られている小さな棺型の鞄に全ての荷物を詰め込み終える。ふと、戻る前に一度グレンのカツラに連絡を入れておいた方がいいかと思いポケットの中からポケギアを取り出す。が、室内は電波が悪いのか圏外になっていた。

暫く充電していなかったのでバッテリーが残り少ない。電波の悪い状況で電話などしたらあっという間に電源が落ちてしまう。何かと身を狙われている己だから、出来る限り連絡手段は万全にしておかなければならないのに。仕方が無い、とはロビーにある公衆電話を使おうと荷物を持って部屋を出た。

「あら、博士。丁度いいところに」

部屋を出たと遭遇したのは理事長の秘書を務めている女性だった。上品な栗色の髪を清潔に纏めて結わき上げ、センスのいい明るい色のスーツ姿の秘書はにこやかに微笑みながらに近づいてきた。

「理事長から、博士にお手紙を預かっているの。もう帰ってしまったんじゃないかって心配してたんだけど、間に合ったみたいね」
「手紙、ですか?」

の虹色の瞳が微かに細められた。無表情ながらにも警戒心があることに気づいたのか、秘書は誤解を解くべく保育士が園児を宥めるように屈んで目線を合わせる。

「えぇ。理事長はブラッド博士との関係を修復したいのよ。お手紙と、それとクチバまで行く豪華客船マーメイド号の一等旅券が入っているわ」

関係を修復したいのなら自分が提出している研究結果を隠さず公表してくれればいい。というか、そんな胡散臭い手で来るなど何を考えているのか。

はいろいろ言いたい言葉をなんとか押さえ秘書を見つめた。ここで気持ちだけ頂く、と言う手を使えればよいのだが、まず在り得ぬと思えた「共同」をここで提示され巧い手が思い浮かばぬ。

無碍に退けてはこちらに非を作るようなもの。空寒いこの見え透いた「ご好意」に乗ってやらねばならないのだろう。

全く卑怯な手を使ってくる。

「ありがとうございます。理事長にお礼を、とお伝えください」
「いい船の旅を。楽しんできてね。・B博士」

礼儀正しく一礼し、ロビーへ向かうを笑顔で見送って、秘書も自分の持ち場へと戻る。秘書の歩き出した音を確認しては立ち止まると、その後姿を見つめる。秘書の態度に怪しむところなど何もない。何も知らされていない可能性もあるが、自分が疑い過ぎているのだろうか?いや、理事長が己を憎み、恐れる心は本物。簡単に懐柔できぬものであるとわかっているだろうに、一体これは何のまねか。

「…………」

は渡された船のチケットと、同封された理事長からのうそ臭い美辞麗句を見つめ、眉を顰めた。船の出向時間を確認してあと一時間もないことに気づく。(急がせるのは判断力を鈍らせるためか)しかし考えてもこちらにカードは少なすぎる。

これ以上推測することは諦めてロビーの公衆電話に向かった。閉館時間の近い講堂は人気も少ない。電話を利用しているものはなく、はすぐに電話を取ることができた。よく知る十桁の番号を押して受話器に耳を当てた。

<――はい? こちらグレン研究所>
「カツラおじさま? こんにちは、です」

聞こえてきた声にの口元に笑みが浮かんだ。やはり敵陣に乗り込むということで緊張していた神経が癒されるの感じる。

<あぁ、か。研究発表は上手くいったかね?>

カツラは少し心配そうに問いかけてきた。本当なら彼も同行したかったらしいが、まだ研究者の間では悪名が完全に消えていない彼が同行しても事態は悪化しても良くなりはしない。であるからカツラは今回の同行を控えた。それでも今まで心配してくれていたのだろう。その心にはささくれ立っていた神経が癒されるのを感じる。

「反応を見る限りは心配はなさそうです。決定権は協会にある、と言い切られてしまいましたが、元々そういうつもりで今回は望んだので、概ね想定内の結果でした」
<やはり協会は認めないか…>
「解りきっていたことです。それでも発表の場を設けたのは、これでわたしが直接協会に申請したって却下されていただけですから、収集が付かないくらい大勢の前で発表して認めさせたかっただけなんですよ」

は自分の研究成果が協会に奪われることを全く気にしていなかった。恐れるのは、発見をなかったことにされること。気づかなければならないことを、否定されることだ。それが認められるのであれば誰が発表したってかまわない。明るく言ってみせるに、受話器の向こうのカツラは沈黙した。落ち込ませたかったわけではないのに、とが眉を寄せる。どうも自分はうまく言葉を選べない。ストレートすぎるということではないのだけれど、本当に大切にしたいひとを大切にするという、ヒトであれば当然にできることが、やはりできていないらしい。

「あの、畳み掛けるようで申し訳ないのですが……実はちょっと困ったことが起きまして」

言ったらさらに心配をかけるのだが、黙っておくのも気が引ける。第一カツラとてに遠慮してもらいたくはないのだ。は虹色の目を伏せて言葉を続けた。

「ポケモン協会にクチバまでの旅券を頂きました。マーメイド号のです。明らかに怪しいので一足先に手持ちの子たちを転送して置きますね」
<船に乗らずファイで戻ってこないのかね?>
「そうは行きません。不興を買うわけにはいきませんし、船の上でできることは精々暗殺くらいでしょうが、もう何度も返り討ちにあっているのでそろそろ学習していてもいいでしょう。ただ疑わせるためのものだとは思います。大事をとってポケモンたちだけは巻き込みたくないんです」

旨を告げるとしばらくカツラが沈黙した。しかし小さな声で「わかった」と承諾するまでそう時間はかからず。は感謝の言葉を告げ、電話を切ったのだった。ワタルにも知らせたほうが良いだろうか、と浮かんだ。だがただでさえ、自分と同じように協会に対してよい感情を持っておらぬあの男に、この「罠」を知らせてしまえばカイリューにて乗り込んでくるやもしれぬ。(それはそれで面白いが)時間もないことだし、とは考えを振り払った。




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