『おかけになった電話番号は、遠方地方の番号です。専用の通信機器をご利用ください』
「なんで全国ネットワークが確立されてないんですか」
電話の機械音に向かっては悪態をついた。場所はハギ老人の小屋。とりあえずカントー・グレンのカツラに自分の状況をようと思い電話を借りたのだが、通信できないとは思わなかった。
この世界は中途半端に科学が進歩していやしないか?衛星やら宇宙ロケットやらがあるのに、どうして全国ネットで通信ができないのだ。やっぱり自分は自然研究をする前にそのあたりから改善したほうがいいのかもしれない。
「大丈夫かね」
ちゃぶ台にお茶とせんべいを置き、ピーコちゃんとこちらの様子を伺っているハギが心配そうに問いかけた。はため息を吐いて首を振る。
「だめです。大きな町に行けばなんとかなるかもしれませんが…」
不満はあるが、まぁ、少し前までカントーとジョウトだってポケギアでは通信できないエリアがあったのだから、まぁ当然といえば当然かもしれない。なら大きな町で企業用回線のある場所なら遠方との通信手段はあるだろう。
「大きな町か…ならあのトウカの森を抜けた先にあるカナミズシティに行けばいい。あそこはデボンの本社もあるしな」
デボンコーポレーション。カントーのシルフカンパニーのような大企業だ。この地方のトレーナー用品の80%以上をシェアしているというその会社なら、なるほど期待できそうだ。
「行くためにはトウカの森を抜けること、ですか」
は窓からうっそうと生い茂っている森を眺めた。今自分は一匹もポケモンを持っていない。電撃しか使えない状態で、森のポケモン…しかも見たことのない種類を果たして相手にできるだろうか。
(わたしの手持ちを危険な目にあわせないために先にグレンに転送し、こうして厄介事に巻き込まずに済んだけれど、「旅」をするのには不利ですね)
「まずは、ポケモンを一匹捕まえたほうがいい。ここからすぐのトウカシティのフレンドリィショップに行けばボールもあるだろう。ワシも一緒に行くぞ。最近ピーコちゃんの具合が悪くてな…薬を買っておこうと思っていたんだ」
それに自身もトウカシティにある病院で検査を受けたほうが良い、というハギの申し出をは拒んだ。怪我などしていません、と言い張るその言葉に確かに嘘はなさそうだが、海に長時間さらされていたのである。
自然を見縊るなとハギの熱心さに何か感じるものがあったのか、はしぶしぶと「わかりました」と承諾した。しかし、トウカシティまでの道のりは、先の地震によって土砂崩れが起きており、暫くは通れず、結局二人はその日は小屋に引き返すことになった。
「土砂崩れは明日トウカシティのジムで人出を集めてなんとかするそうじゃ。まぁ、今日はわしの小屋に泊まっていけ」
ハギの言葉には素直に頷いた。身体を少し休めなければならないということもあるし、この初めて訪れる地方の天候になれなければ、これからの活動にも影響が出てしまうだろう。とりあえず、今は落ち着かなければ。
小屋までの道を引き返す途中、そういえば、とハギが口を開いた。
「あぁ、そうだ。大事なことを言うのを忘れておった。トウカの森の近くにな、グラエナというポケモンがいるんじゃが、あれには気を付けなさい」
はホウエンのポケモンには明るくない。グラエナ?と単語を拾って問うとハギは「黒い毛並みの、犬型のポケモンでな」と簡単に外見の特徴を説明する。
あくタイプの「かみつきポケモン」という部類。はジョウトで見られるヘルガーのようなものか、と見当付け話の続きを聞いた。
「随分前からトウカに住みついとるんじゃが、どうもただでさえ「獰猛」と言われるポケモンだというのにそいつは輪をかけて気性が荒く激しい。いつもトウカの森の入口付近にいては、通りかかる人間を襲ってるんだ」
「野生のポケモンですよね?」
はハギを見上げる。彼らの本能は「人間を襲う」というものではなく「敵を襲う」というもの。しかしハギ老人の言葉は「人間が通る場所にあえて陣取り故意に害を加えている」というように聞こえる。
「いや…元はトレーナーがいたらしいが、捨てられて人間を憎むようになったそうだ…何とかしてやろうと近づいた保護団体の人間が何度か病院送りにされちまっててな。どうしようもないと放っておいとるんじゃが」
もとを辿れは人の身勝手さ、酷い話だ、とハギは呟いた。も眉を寄せてトウカの森のある方向に視線を向ける。
「けれどいずれ、このままではポケモン協会がそのグラエナの処分を決めるのでしょうね」
「……」
ポケモン協会、とは何もポケモンの保護団体というわけではない。人間に害をなす、と判断されたものは駆除される。数・縄張りのコントロール。「人間の生活のため、一般市民の安全の為」という大義名分。
は嫌な気持ちになりながら、辿り着いた小屋、ハギ老人に続いて扉をくぐった。
(明日になれば、動き出さなければ)
とりあえず今日はハギ老人のご厚意に甘えることにした。用意してもらった寝所に体を横たえても、あれこれ考えてしまえば中々寝付けない。
考えなければならないことは多くあるのだ。やらなければならないことも。体を休めるのが第一と解っていても目を閉じれば暗闇の中で思考が巡る。
寝つけずにいて、暫く。すると、がさごそと騒がしい物音が聞こえた。もう月が真上から随分と傾いてしまっている頃合、まだハギ老人は起きているのか、いや、あるいは眠っていたところを起きたのか。とにかくなんぞありそうで、は起き上がる。
「どうかしましたか?」
「……」
部屋の隅、つづらの中で何かを漁っているハギの背中に問いかけたが、答えはない。眉を寄せて、部屋の中、そういえば何か白いものが置かれている。おや、と覗き込めばそこには昼間にもお世話になったキャモメが一羽。
「……ピーコちゃんが、熱を出した…」
苦しそうに汗をかいているハギの大切なポケモンは、黄色いくちばしでハギの与える水を飲み、また苦しそうに喘ぐ。あぁ、熱だ。それも中々にタチの悪い。まで苦しくなる。
そういえば具合が悪いのだ、と昼間に言っていたのを思い出す。
「一番近いセンターは?」
ポケモンセンターに行けばどうにかなるだろうとは思うが、ハギは首を振る。ここから一番近いのはトウカだが、昼間二人は道がふさがっていたためトウカに行けず引き返している。
崩れた道ではなく遠回りする、という手もないわけではないが、倍以上の時間がかかり、さらに動かせばキャモメの体力が持つかどうか。
また、大切な家族を失ってしまうのか、と呟く老人、恐怖にからか、その背、小さく震えていた。どうすればいいのか、判断に苦しんでいるハギの傍らで、やおらは立ち上がった。ハギは気にする余裕もなく、ただ高熱を出すピーコに冷たい水を与えてやる。
ハギは自分の無力さを痛感した。いつのまにか、人間は医者に頼らなければ何も出来なくなってしまっている。そのことを、今悔やんでも仕方がないのに。思えば、ハギが子供のころはセンターなど大きな町にしかなかった。どう処置をしていたのか、思い出そうとするのに焦っているまでは何も判らない。
あぁ、どうすれば、とただ看病するしかない己。歯を食いしばり、こつこつと時計の針の進む音が響く。
「これを」
と、少し高い声が、泣くハギの耳にかかった。振り返れば、そこには相変わらず無表情なが手に持った草を差し出している。
「お前さん、これは…」
の顔には泥がついていた。いや、顔だけではない。あちこち、腕や足やら体中が汚れている。その視線に気付いたのかは「奥方様の浴衣を、汚してしまってごめんなさい」とすまなそうな顔で頭を下げた。だがハギが言いたいのはそんなことではない。
手に持つ草は薬草なのだろうか。だがそういった薬草の類は高い山の上、あるいは崖など、外敵に襲われにくい危険な場所で僅かに生息しているだけだ。
「一晩程度でしたら、これで十分間に合うはず」
言ってはそのまま小屋から出て行く。あまり慣れぬ気配があればそれだけでポケモンにはストレスになるだろうと、その配慮がわかり、ハギはふかぶかと頭を下げた。
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