己は自然学者である。日々「自然が失われつつあると」危険性を唱え警告する責務があるとはいえ、それでも時折は「自然豊かですねぇ」と呟きたくなる。別に嫌味とか、そういうものではもちろんなくて、本当に、ただ単純に。
統計データによれば確かに全国の平均森林量は年々減っていて、排気ガスによる温暖化、工業汚染など深刻化してはいる。各地方の中心的な役割を果たす都市の発展に伴うヒートアイランド現象やら森林伐採やらなんたらかんたら。しかし、それでもカントーの白い始まりの場所、マサラタウン、太陽の照りつける美しい海と砂浜のホウエン地方、そして現在の立つ自然豊かなフィオレ地方を行き来すればまだまだ自然は当たり前のようにあるのだと、そんな気分になってしまう。
(何しろ目の前に広がる自然、自然、大自然)
ヒトが危機感を覚えないというのも道理。専門世界に身を置いていていても錯覚する。世界が広すぎるから、小さな人間は「まだまだここにはこんなに大自然が残っているじゃぁないか!」と思ってしまうのだろう。
(まぁ、だからといって自分の目的を変えることはないのだけれど)
は久しぶりにフィオレ地方、シンバラ教授宅を訪ねた。初老の教授は“おや”に相応しくないヒトの手からポケモンを保護するシステムを開発した第一人者として知られ、彼の発明品であるキャプチャスタイラーを強化するために、スナッチ技術の発案者であったに連絡を取り、以来親交が続いている。
はシンバラ教授が嫌いではなかったし、またシンバラ教授もまたのことを嫌ってはいない。しかし、もっと北方の地に研究所を構えるナナカマドのような友情が己らの間にあるのかと問われれば、揃って首を振るとは自身、自信を持って答える。
(つまりのところ、己らはお互いの頭脳の面においてはお互いを尊重し、尊敬し合っているものの、決定的な点、たとえばポケモンレンジャーとポケモントレーナーがどうしてもお互いを理解できないように、立ち居地そのものの違いから、もしお互いが親しくなれば確実に、憎みあうのではないかという確信があった)
だからシンバラも、も研究者として以上の付き合い、領域をお互い侵さないようにして、それでなんとか違和感さえ気付かない奇妙な関係を続けていた。
であるから、一通り、今回フィオレに来た目的であるシンバラ教授との共同開発の際の役割分担、事前の打ち合わせが終わり、後はカントーのグレン研究所に戻るまでとなったは、フィオレの地で少々、孤独を感じていた。
(船の出航時刻までまだまだ時間がある)
孤独、だなんてご大層なことを言いはしたが、ようするに暇なのである。
こういうときにシンバラが「研究外でも話をする友人」であれば乗船する船の出航時刻までなんだかんだと話をしたりお茶を飲む、ということもできる。もちろん、モンスターボールにいるカイリューの翼を借りれば直ぐにグレンに戻る事はできるが、寒々しい空を旅行する気にはなれない。第一船のチケットは多忙なダイゴが態々一等船室を自ら確保してチケットをよこしてくれたのだ。無碍にするわけにもいかない。
いや、まぁ、ダイゴはが実際船に乗らなくとも、ダイゴの元に戻ってきてくれさえすればいいわけだから、気にすることなどないのかもしれないが、日々研究費やら何やらで金銭面で苦労しているはたとえ他人の金であっても「無駄」というものを嫌う。
あと二時間、図書館やら施設やらで時間を潰すには十分だ。まだ書きかけの論文や調査データの整理が済んでいなかったものもある。やることは多くある。
しかし、は何をするわけでもなく、ぼーっと一人、船着場のベンチに腰掛けてキャモキャモ鳴いているキャモメの群れを眺めていた。
「何を考えてるんだ?」
「自然が豊かですねぇ、と」
「フィオレは他の地方に比べれば工業が全く発達していないからな」
「いえ、そういうことではなくて」
「じゃあ何?」
「折角来たのに、観測も何もしないで帰ったらもったいないのに緑と海があんまりにも見事だから何もやる気が起きないんですよ」
なるほど、と頷く青年の声。はゆっくりと顔を上げて、今更だが驚いたような顔をしてみた。
「まぁ、ジャック・ウォーカーさん。こんにちは」
「わざとらしくないか?」
「まぁ、一応」
驚かしたかったんじゃなかったんですか?とはさらりと言って、突然現れたリングタウンの制服を着ているポケモンレンジャーを見つめた。
「久しぶりだな、博士」
ジャック・ウォーカー、通称ジャッキーという青年はは緑色の美しい目を細め爽やかに笑った。
「そろそろ、と呼んでもいいかな?俺のことはジャッキーと呼んで欲しいと毎回言うのに疲れてね」
「構いませんが、あなたがわたしを親しげに呼んでも、わたしがあなたを親しげに呼び返す式にはならないんですよ」
にこり、と笑えばジャッキーが肩を竦めた。がこの青年と出会ったのは半年ほど前のこと。ホウエン地方からフィオレ地方にかけての海を荒らすファントム・トループ引き入る海賊団を追ったジャッキーと、ファントムを利用して、がちょっとした調べものをしよう、と潜水艦の中で出会ったのが始まりだ。
そこから起きた事件ではルネシティのアダンの秘蔵っ子ミクリの亡き両親が水の民であったり、過去ミクリの家族をファントムが襲い水の民である資格のブレスレットを奪ったことの発覚、さらには海の皇子のマナフィの伝説などあれこれ長い物語があったのだけれど、それは今は関係ない。
とにかくとジャッキーは深い海の底で出会って色々あって、そうして現在己はベンチに腰掛け、彼はこちらの背後に立っている、というわけである。
「手厳しいな、は。ひょっとして君は俺のことが嫌いだったりするのか?」
「いいえ」
一見すれば、好青年のダイゴのようにジャッキーも「一見すれば」好青年で「夢を追っかけどこまでも!」というフレーズの似合いそうなポケモンレンジャーではある。
だがツワブダイゴの例があるようにやはり一癖二癖ある男。だからはわりと、ジャッキーのことを気に入って、はいる。
だがシンバラ教授からの使いだとか言って、カントーに彼がやってきたのは一週間前のこと。フィオレとカントーの距離を考えれば、久しぶり、という単語が出てくるはずもない。
それでもは「お久しぶりですね、ほんとうに」と返してやって、ジャッキーがごく自然にの隣に腰掛け、さらには肩に手を回してきても眉一つ動かさなかった。これがダイゴなら「なんですか?」と、ドドセルガも住めぬほど凍りつく声音と眼差しを相手に投げるのに。
「愛の差ですか」
「うん?」
「いえ、こちらの話。わたし、ダイゴさんのことをとても好きなんですねって」
あなた相手には社交辞令もしますが、ダイゴさんにはしようとも思えない。これって素敵ね、と続ければジャッキーががっくり、と項垂れた。先ほどのように気取った態度、ではなくて「あぁ、もう君は!」と頭を抱えたそうな、素の彼である。こちらのほうが好ましいのに、とは胸中でのみ呟いた。
「それを俺の前で言うかぁ?」
「嫌ですよ、本人の前で言うなんて」
は鼻で笑ってポケナビで時間の確認をした。まだまだ時間がある。退屈、ではないが暇ではあった。
さてどうしようか、と一瞬の巡回。は空を飛ぶキャモメの嘴の色とジャッキーの金髪、どちらも似たような色だなぁ、とぼんやり思ってから隣の青年に声をかけようとし、その前に彼の方が口を開いた。
「」
「はい?」
「その、良かったら、お茶でも飲まないか?いい店を知ってるんだ」
地元だから、とその良い店が期待に沿える確立の高さと詳しさの保障をぼそっと付け足すポケモンレンジャー。は「まぁ、残念」と眉を寄せた。
「ダメか」
あからさまに落胆、ではないが少しは堪えたような笑顔で笑って、そして肩に触れていた手が離れる。は落ち込む青年をそのままにぽつり、と声をかけた。
「今、わたしが誘おうとしたんです、どこかお茶を飲めるいい場所に案内していただけますか、って」
「あぁ、それは、残念だな、君から誘われるなんて、ダイゴでもそうそうないだろうからな」
と、ジャッキーがやけに神妙な顔で言うものではおかしくなって笑う。笑うとジャッキーがほっと息を吐く。そうしてじんわりとお互いの胸に妙な居心地のよいものが浸透して、しん、とうとう、と、した心持ち。ジャッキーが立ち上がって、エスコートするためにに手を伸ばした。
「このタイミングでダイゴさんがエアームドに乗って向かえに来るというのが王道なんですが、どうです?ジャック・ウォーカーさん」
「不吉なフラグを立てないでくれ。羽音が聞こえてきそうだ」
言われても耳を済ませてみるが残念ながらエアームドの独特な羽音はもちろん聞こえてこないし、青空には鋼の鳥ポケモンなど一羽も見当たらない。
(まぁ、船を手配した本人が、台無しにするようなマネするわけないんですけど)
第一ダイゴは多忙だ。ホウエンのポケモンリーグチャンピョンの座を、結局一度も敗北することなく辞めてしまってミクリに押し付けた。それで彼がやったこと、といえば「そろそろ自分の責任を果たそうと思ってね」などと言い、これまで好き勝手させてくれた父への恩返し、つまりはデボンポーコーポレーションを継ぐために本格的に「御曹司」としての振る舞いを始めた。
手始めにカントーのシルフカンパニーと提携を取り付け現在はの住むグレン諸島を拠点に日々デボンカントー進出、のため飛び回っている。
カントーで活動するならグレンでは色々と不便だろう、なぜヤマブキにしないのかと問うたに彼は「移動ならエアームドに助けてもらえば問題ないし、ぼくはちゃんといたいんだよ」などと堂々と答えた。
(……何もない、そら)
その彼が、このフィオレの空に現れるなどありえない。ありえていいはずもなく、自身そんなことは望んでいない。来たら「仕事しろ」といつものようにつめたい声で言うはずだ。
今はもうダイゴはストーンゲッターなどと「ニートと何が違うんですか?」と突っ込みたくなる身分ではなくなって、だから、ホウエン地方にてが旅をしてきたときのように「ストーカーですかあなた」とジュンサーさんに通報する必要性があるほど頻繁に姿を見せられるわけがないのだ。
それなのに。
「……」
「まいったな」
「はい?」
じぃっと空を見つめていると、ジャッキーが苦笑した。逆光でよく見えないが、にへら、と、傷ついているのに笑おうとしているような、そんな気配がする。
「の横顔を見ていて、そんな顔をされて、俺はどうして今この場にダイゴが来ないんだって、腹を立ててしまって、そういう自分に落ち込みたくなる」
真面目くさった顔で言う。そのポケモンレンジャーの青年に、は笑って、シンバラ教授とは無理だった関係を、彼となら築けそうだと、そんな予感がしてきて、こみ上げてきた思いをそのままに、一度目を伏せた。
Fin
夢主とジャッキーさんは親友になると思う。
(2007年1月13日 0:52:00)
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