激しい雨で周囲の視界も、音も遮られていた。荒れ狂う波に、打ちつけられて悲鳴のような残照。世界の終わりのようだ、と隣で只管祈りを捧げている老人が呟いた。祈りなど何の役に立つのか、普段であれば優しく見守ってそっと、その老人を慰めるくらいの性分はあったはずなのに、今はその、無意味さに怒鳴り散らしたくなった。しかし幸いなことに、注意を他人に向ける余裕がなかった。
ボクは嵐の中心である洞穴に目を向けて、必死に耳を済ませていた。とめどなく聞こえる、小さな綺麗な歌声。
考えてみれば、とても不思議なことだった。暴風で全ての音が遮られているというこの状況で、はっきりと聞こえてくる彼女の声。透き通るような綺麗な歌声は洞窟内に響いてこちらに帰ってくる。嵐が止む前に歌が途切れれば彼女は死んでしまうのだ、とボクはそれを恐れた。あの子が、世界からいなくなってしまうことが、どうしてこんなに恐ろしいのだろう。
(どうして一緒に行けないんだ)
今もボクを見張っている協会の人間を、振りほどくだけの力はもちろんあった。けれど、自分が彼女のもとへ向かったところで、何も出来ないことを、誰でもない、彼女本人から嫌というほどに知らされてきた。
ちゃんと出会ったのは、三ヶ月前のことだ。アクア団に狙われている、不思議な少女という以上の印象ははじめなくて、それで、父によって彼女の見張りを任されたときも、子守以上の感慨はなかった。確かに綺麗な子で、真っ白い花嫁衣裳のようなワンピースがよく似合っていた。歳は十歳そこそこといったようなのに、時折大人びていてで、結構博識だと思っていた自分以上の聡明さを見せる彼女を、ボクは年下の少女という目ではなく、一人の人間として尊敬するようになった。彼女と一緒に旅をして、自分のことをよく考えるようにもなった。
自分で言うのもなんだけど、ツワブキ・ダイゴという男は、チャンピョンで御曹司、という人のうらやむ地位をおおよそ、持っている恵まれた人間だ。けれど、それだけではなくて、きっと純粋に育つ子供たちよりも多くの苦労と、悲劇を見てきたのだと自負いてきた。それは傲慢ではなくて、自分という人間を作るうえでの自信でもあったのだ。だから、他人を見るときに慈愛の篭った目を向けることが出来た。君たちは幸せだね、と微笑んで、救いの手を差し伸べることができた。(それはきっと、突き詰めてしまえば酷い優越感を)それで幸せだった。世界は恵まれていると、それを知ることが出来た。
『あなたはヒト、ここから先はわたしの領分です』
強い瞳で、普段はぼんやりと濁った瞳をしている彼女が、はっきりと言った。
ボクが好奇心で彼女に近づいても、利用するからね、と酷いことを言っても何の反応もしなかったちゃんは、めざめの洞穴に向かうちゃんと共に行こうとするボクに言った。
(ボクは今まで自分が世界で一番不幸だと信じてきた。だから、何の苦労も知らない、愛されて育ったちゃんに憧れて、それで近づいて、彼女を守ることで、彼女の白さを守ることで昔の自分を救う気でいたんだ)
はめざめのほらあなで、カイオーガとグラードンを沈めている。彼女にしかできないことだ、と誰もが言った。彼女はヒトではないから、だから、という。そんなこと。
(ちゃん、ちゃん、ちゃん、ちゃん)
祈るように繰り返す。傍らの老人を罵れやしない。他力本願は、人間の業なのだと彼女が笑っていた声を思い出す。その声は、今歌う声と同じ、綺麗な声だった。どうして、どうしてボクはここにいるんだろう。唇を噛む。噛み切りそうなほど、と焦っていたら本当に切れていたのを数分後に気づく。
「ダイゴ」
共にいるミクリに声を掛けられても、振り返る余裕がなかった。一瞬でも目を離してしまえば、彼女を失ってしまうかもしれないと。それを恐れる。
(どうしてこんなに怖いんだろう)
Fin
ダイゴさんはちゃんが好きだって気づいていない。
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