朝食のトーストにバターを塗りながら、は目の前の青年をじっと見詰める。器用なもので、意識をどこに集中させていようと手元が狂うことはない。その視線に気付いた青年、つまりはツワブキダイゴはお決まりのようににこり、とやわらかい笑顔を向けてから首を傾げる。

「えーっと、今朝は何かしたっけ?」

すでに怒られるという前提で問いかけるダイゴには呆れていいものかどうか迷いつつも首を振った。プラチナロンドの青年は意外そうに眉を上げ、ホークに指したレタスを口に入れた。習ってもレタスを口にする。瑞々しい食感が口内に広がり、夏の朝には目が覚める。

「じゃあ僕の顔に何かついてるとか?」

だったら恥ずかしいなぁ、と軽く言って、実際のところそんな気はないだろうに笑う。

「いえ、なぜ貴方がこちらにいるのかと、考えていました」
「カントーにってこと?うん、それはデボンカントー支社で少し修行してこいって親父に言われたからだよ。って、キミにも話したよね」

もちろんその話ならとうに聞いている。は頷き、ホウエンで随分とお世話になったデボンの社長を思い浮かべる。ダイゴによく似た顔立ちの、紳士的な中年男性。若くしてご内儀を亡くされ大企業の社長という重責に子育てと苦労が多かった所為か年齢よりも老けて見えるが、未だ若々しいエネルギーを身の内に秘め、ホウエンだけではなく意欲的に他地方への進出を考えている精力的な人だ。

「問題は、なぜあなたが今ここでわたしと朝食を採っているかということです」

ここは双子島の研究所。デボン支社はタマムシシティにある。一年前に完成した社宅もそこにあるのだから、なぜこの青年はわざわざ毎朝空を飛んで出勤しているのだろうか。

「僕がちゃんと同棲してるから」
「同居です。なぜ、わざわざグレンの双子島なんて孤島に滞在するんです?タマムシに住めばよろしいでしょう」

双子山の噴火以後、グレンと双子山が二つに分裂してしまい、この島に住んでいるのはとカツラだけだった。しかし、カツラがシロガネに修行に行ってしまえば一人になる自分を気遣ってくれているのか、それならいらぬ世話である、と含ませ軽く睨めばにへら、とダイゴが笑った。

「僕はちゃんとと一緒に居たいんだよ」

べたっと、塗ろうとしていたジャムがトーストと融合できずにトーストを支えていたの手に落ちた。ダイゴはにこにこと笑ったまま「普段の積極的な台詞は清々しいほどに効果がないのに、こういう真剣な言葉だけはきちんと受け止めてくれる君が僕は大好きだ」と立て続けにほざいた。

は絶句し、顔を赤くすればいいのか青くすればいいのかわからず硬直する。すつと「はい、手拭くでしょう?」とダイゴがナプキンを取って渡してきた。とりあえずそれには礼をいい受け取って、手を拭きながら、は顔を顰める。

「ダイゴさんがいけません。妙なことを仰って」
「ホントだよ。カントーで暮らすならちゃんと一緒がいいって、これちゃんと親父にも言ったしね」
「承諾したんですか、ツワブキ社長」

常識人だと思っていたのに、とは肩を落とす。

「反対する理由なんかないじゃない」

けろっとダイゴは言うが、理由など腐るほどあるはずだ。

まず自分の大事な一人息子を、どこのウマの骨ともわからぬ女の家に住ませるなんてありえないだろう。(いや、別に自分はウマの骨ではないし、社長とも知り合いだが…)それに、この双子島にはを狙う組織の襲撃がいまだに後を絶たない。ホウエンでマグマ団、アクア団の両組織に追われていた自分を知っている社長が、大事な息子をなぜそんな危険な女のそばに置いてOK,などという判断。ツワブキ社長には失礼だが、寝ぼけているとしか思えない。

「ねぇちゃん、僕はもう未成年じゃないんだし、自分のことは自分で責任を持つよ」
「ですが、貴方はツワブキ社長のご子息です。デボンの御曹司なのです。この双子島で何かあったら、わたしはツワブキ社長になんとお詫びすればいいのですか」

その言い方を彼が嫌うことは知っていた。自分をひとつの個人として扱ってもらいたがっていることを承知で、はダイゴの心情よりジョウトにいるツワブキに迷惑をかけることのほうが重要なのだ。と暗に告げる。

「僕が誰かに負けるなんてあるわけないよ」

答えた声は普段と変わらなかった。はて、とは予想外の反応に小首を傾げる。気分を悪くして、そして口論でもできればいいと思ったのだが。こんなにあっさりと普通の反応をされると、次の手が思い浮かばない。拍子抜けしていると、にこにことダイゴが楽しそうに笑い、頬杖をつく。にこにこ、というよりも意地の悪い笑顔だ。

「きみが僕を怒らせようとするのは無理だよ」
「……」
「っていうか、キミが僕を『ツワブキダイゴ』として扱うなんて妙じゃないか」

確かに、とも頷く。そもそも人間とは立ち居地の違う自分に人の肩書きなんてものはたいした意味や価値を持たない。それは言葉を吐く前に一瞬考えたが、しかし。

「それでも、解っていても腹立たしくはなりませんか」

自分だったら怒ると思う、と考えながら問いかける。ダイゴは緩やかに首を振った。

「それで思い通り僕が嫌な気持ちになったら、そうしたら、ちゃん、それを理由に僕のことここから追い出すでしょう」

そこまでバレてしまっているのか。己は解りやすいのだろうか、と悩み、眉を顰める。

「それで、どうして急にそんなことを言うんだい?」

やはりちっとも気分を害していない。優しい声。寧ろ己がこんなことを切り出したのは「追い出したい理由があるから、今更現状の確認をしているんだ」というのをわかって、それでも「何かあったのか」と気遣う声。あぁ、とは額を押さえた。(たぶん、私が彼に自分が勝つのは無理なのだろう)思い思って、そして首を振る。

「なんでもないです」
「僕のこと、鬱陶しくなったとか」

少しだけ悲しそうに言う。そんな顔をされてどうして隠すことができるだろう。は眉間に皺を寄せた。そういう言い方は卑怯だ。演技なのかとも疑いたくなる。基本的に人生全部が演技、仮面を被り続けているような男だ。こんな「悲しんでいるふり」なんてお手のもの、とそう疑うだけの理由があろうに、はぐっと言葉に詰まった。

邪推、杞憂、ではない。己は何かしらの理由があって、今朝こんな話題をしている。ダイゴは「自分が何かしたから、ちゃんは僕を追い出そうとして口実を探している」とそう判断した。

間違ってはいない。だが、正しくはなく、はそれをはっきりと告げるのは嫌だが、だが、ダイゴにこんな顔をされて黙っては、いられないのだ。

「夢を見ました」

ぽつり、と小さい声になる。言葉にするのは、本当は嫌だった。夢を見た。その結果、こんな妙なことになっている。自分だってバカではないから、その夢、内容、そして影響、が、一体何を主張しているのか、わかっている。

「わたしはここで暮らしていて、貴方もいます。でも、あなたが急に居なくなってしまうの。わたしは不安になって貴方を探すのだけれど、なぜ探さなければならないのか、と疑問に思うの。でも、あなたがいないと嫌だと思って、貴方を必死で探しました」

声はぼそぼそと小さなもの。だが一息に言ってしまう。言えば喉の奥、空気の固まりが詰まるような、何か、妙な異物感。だが何か詰まっているわけではない。変だわ、とは思い、ぼんやりとテーブルクロスの端を見つめながら語る。スープに映った自分の顔に表情がない。

「僕はいなかった?」
「いいえ、いました。私は貴方を見つけられるのです」
「よかった。夢の中であっても、君を一人ぼっちにはしたくないからね」

グッジョブ夢の中の僕、とダイゴが明るく言った。己を笑わせようとしてくれている、それがわかっては俯く。

「わたしは貴方になぜ居なくなったのかと問いかけます。でも、貴方は」

顔を上げれば、ダイゴが驚いた顔でこちらを見つめていた。先ほどの茶化すような素振りが消え、こちらを見て、目を見開いている。は自分が酷い顔をしているのだと気付いた。夢の中のことを、順を追って思い出していくにつれ、の顔は悲愴なものになっていたらしい。

ダイゴがガタンッと音を立てて椅子から離れ、こちらに目の高さをあわせるため、膝を折って手を取る。

「僕は君に酷いことを?」
「いいえ。あなたはただ『どうして、僕がキミのそばになければならないんだい』と、仰っただけ」
「それは夢だ。夢の中の僕は、僕じゃない。僕はちゃんにそんなことを言わない」
「えぇ、わかっています。ただの夢です」

己は子供ではないのだ。夢と現実の区別はつく。は夢の中でダイゴにいわれた言葉に傷ついたわけではない。

夢の中で考えたこと。「ダイゴさんの傍にいて、わたしがしてあげられること」を考えて、は何も見つけられず、不安になった。己はこの人に何をしてあげられるのだろうと、利を考えてしまった。

ダイゴは「一緒にいたいから」とそういう。だがには、どうもその心が納得できない。いや、もちろんその言葉を嬉しい、とは思う。だが保障、にはならないではないか。

(わたしはダイゴさんの言葉を嬉しいと思った。けれど同じように、たとえば私が、ホウエンの地に言ってトクサネのダイゴさんの家で暮らそうと思ったことは一度もない。わたしはお互いの世界、生活があると割り切って、今だって、別に、わたしはダイゴさんと一緒にいる必要性を感じていないの)

利が見つからなかった。ダイゴが自分と一緒に居る利益が見えないのだ。ヤマブキに自分が住んでいるのならまだ解った。ここが鋼タイプの巣窟なら、石の山ならわかった。

「ダイゴさん」
「なんだい?ちゃん」
「ダイゴさん。わたしはあなたに、わたししかしてあげられないことはありますか」

は一寸躊躇って、だが問わねばならぬ、答えのわかりきっている問いを投げる。見つめる瞳、己が映っているそれを見つめ返し、はダイゴに「こたえて」と懇願する。

「僕は、」

こちらの真剣な眼差し、決意をダイゴは受け取る。だがその言葉を吐いていいのかと自信に問い、覚悟を拾い上げるよう一度目を伏せてから、ぎゅっと、ダイゴの手がの手を掴んだ。いつも通りきちんと嵌められた二つの指輪が手の中でカチン、と音を立て、響いて少しの後に、の心が「やっぱりいいです」と怯え言葉を受け取るのを拒絶使用とする前に、ダイゴが再び口を開く。

「欲しいものは自分で手に入れるし、叶えられる。ちゃんに何かして貰おう、ちゃんにしてもらわないとだめなことなんて、ないよ」

はっきりとダイゴは答えた。の気持ちに応えた。

宣言を聞きは自ら求めた言葉であるにも関わらず事実の鋭さに傷つく。自分勝手な!だがその流れた血の赤さから、気付くものもあった。

「とりあえず、僕は今すぐ夢の中の僕を殴りに行きたいんだけど、スリーパーやメリープに協力してもらえば出来る思う?」

沈黙し続ける己に真剣な顔で言うダイゴの言葉、笑ってくれと言う意味とはわかりつつ、はただ目を伏せてうつむくしかできなかった。

(わたしは彼を愛しているのに、何もできないと、諦めてしまっている)


Fin


 

(人に期待できない二人)