今思い出せば鳥肌が立つほどにおぞましいことだが、そういえば、自分はまだであったばかりの頃は、ダイゴに対して恋心を抱いていたのだとシロナは唐突に思い出した。今でこそお互いどこぞのチャンピョンという肩書きを持って暫く経つ間柄だが(あぁ、そういえばダイゴはもうチャンピョンを辞めたのだったっけか。負けてもいないくせに王座から降りる辺り、この男は世間を舐めている)出会った当時、ダイゴはまるで王子さまのようだと、シロナには思えた。
いのちがけ
「楽しそうね」
珍しい、と小声で付け足すとダイゴは手元の手紙から顔を上げてシロナを一度見た。相変わらず他人に解させぬ鈍い鋼の瞳をしている。けれど長い付き合い、嫌でも気付ける。ダイゴは昨今、何やら機嫌が良さそうだ。 それを指摘してどうなることでもなかったが、興味を持ったのも事実だ。あの、ダイゴがシロナの目にも分かるほどに「愉快」を出している。
「そうだね、久々にいいものを見つけたからかな」 「いいもの?」
この男が機嫌を良さそうにするのは異常なまで傾倒している石の類しかないと、常であれば思い当たるのだが、なぜだかシロナは違うと思えた。それで反射的に問い返して、楽しそうに、右手で頬杖を付き顔を傾けながらこちらに笑いかけてくる。笑顔、などではない。ただ愉快そうに脣を歪めるだけのもの。瞳だって一応細めて笑んでいるように見えなくもないが、ただただ、寒々しい印象を受けるだけだ。 何を言い出すのかと、シロナは身構えた。手に持った白いカップにかける指が僅かに震える。
「ねぇ、シロナ」
ダイゴの声は、声だけはいつも優しい。甘い砂糖菓子のような声。シロナはぎゅっと、眉を顰めた。
「楽しくて堪らないね、彼は」
全力疾走で、シロナは自分の家から飛び出し今もどこかにいてぼうっと空か洞窟の壁でも眺めていそうなゲンのもとへ行きたかった。 長い付き合いだ。ダイゴが「楽しい」と言う感情がどんな種類のものなのか、想像は付く。シロナは一度溜息を吐いて、己のどろどろとあふれ出す想いを吐き出した。早々に諦めてゲンさんには申し訳ないが、この状態のダイゴに対して自分がなにかできることなど、ない。人の話に耳を傾けることは出来ても、それに影響されることのないこの男は自分が飽きるまで一度思ったことを貫く。
「シロナもそう思うだろ?」
同意を求められてもシロナに答えるという選択肢などない。肯定したらどうなるのか、否定してもどうなるのか、知らぬシロナではない。随分冷めてしまった紅茶を口に含み、シロナは一度目を伏せた。
「よかったわね」 「うん?」 「探して、いたんでしょう?」
ちらり、と、ダイゴの顔を覗きこんで自分の言葉の効果を探る。一瞬目を見開いたダイゴは、すぐに口元を歪めて「っは」と、声でも鼻で鳴らすわけでもない、喉の奥から引っかいて笑いが無理矢理飛び出したような音を立てた。
それで、シロナは満足する。一矢報いたと安堵する。このひとでなしという言葉を集めて人の形にしたような男に張り手を決められたようなものだと。
「ミクリだったら、なんていうのかな」
ミクリはシロナにとっても友人だ。この男の無責任なチャンピョン放棄の後始末をしている水のアーティストの名にシロナは目を細めた。ミクリだったら、まずゲンに対してダイゴのような感情を持つことはない、彼は行動がちょっと変人じみたところがあるが、あくまで人間という枠の中から出ることのない常識を持っている。と、そういう突っ込みはするだけ無駄だ。
「ねぇ、シロナ」 「なぁに」 「アーロンは、どうしてルカリオを見捨てたんだろうね」
会話のキャッチボールが出来ない男ではないはずだが、どうやら今は本当に「楽しい」らしい。あれこれと思考が巡って、整理せず子供のように思いつくままにしている。問われてシロナは勇者アーロンのことを考えた。ダイゴほどではないが、シロナも幼い頃憧れた勇者アーロンについてあれこれと調べたことがある。自分が女だからなのか、アーロンに対して淡い恋心、ヒーローに憧れる無垢な少女の感情があった。絶対ヒーロー。実際に会ったわけでもないのに、勝手に想像を巡らせては心を躍らせた。勇者、アーロン。完全無敵で、いつも優しく、強く、気高いひと。思えばシロナにとって、アーロンは一種の偶像ですらあった。
「従者であったルカリオは、戦いの最中に行方不明になったとオルドラン城に残っている文献にはあったわ。確かなことよ」
当時の女王リーンの書いたものだ。信憑性は高いもの。ルカリオは、アーロンの一番の従者だった。それを「見捨てた」と表現するダイゴの辛辣な言葉には些か不快に思って語尾を強める。
けれど、そんなシロナの不快感を思ってどうにかしてくれるダイゴではない、椅子に座りなおし、背もたれに体重を預けてダイゴは目を閉じる。
「彼を見ればわかるじゃないか」
目を伏せて、ゲンのことを思い出しているのだろう。
「ゲンさんは、勇者アーロンじゃないわ」
間髪いれずにシロナは継げて、自分の失言に気付く。ダイゴが低く笑った。
「シロナ、さっき自分で言ったじゃないか。探していたんだよ、ボクは」
そう、だ。ダイゴとシロナが初めて出会った、きっかけはミオの図書館だ。ホウエンにも勇者アーロンの絵本はあるらしい。けれど詳しい文献はオルドラン城が、それかミオの図書館に秘蔵されている。あれは数年前、まだチャンピョンではなかったシロナが、当時既にホウエンの覇者となっていたダイゴと出会った。ホウエンから来た鋼色の少年は、シロナの集めたアーロンの文献を見せて欲しいと、礼儀正しく話しかけてきた。ミオの館長からシロナのことを聞いたのだと、そうも言っていた。
ダイゴはアーロンのことを知りたがった。彼の本質を、特に知りたがっていたように思える。伝説となって偶像化したものや、シロナが独自の調査で象った人物像などには目もくれずただ、アーロンの真理を探りたがっていた。
勇者アーロンがゲンさんだとすれば、ダイゴの長きに渡るストーカー行為はついに報われると、そういうものだと、嫌味のつもりでシロナは先ほどそう返したのだが、自分で言ってシロナ、いつのまにか自分の中でも彼がアーロンであるという、そういう確証を持っていたことに気付く。 そして、かつて自分がダイゴに焦がれた事実と、アーロンに抱いた思いの種類が同じであることにも、気付かされた。ダイゴは、アーロンに似ている。
けれど、なぜダイゴがアーロンを追いかけるのかはシロナには理解するところがない。波動使いのアーロン、勇者アーロン。人間同士のくだらぬ、いや、けれどきっと根底には悲しい真理の隠された争いごとを、命をかけて止めたという英雄アーロンを、なぜダイゴが追いかけたのか。シロナには分からない。もし分かる者がいるとすれば、それは。
「アーロンさん疑惑のあるゲンさんを監禁したって分解したって、ダイゴさんの正体が分かるなんて希望は持たないほうがいいですよ」
すぱっと、ダイゴの真横をジュカインのはっぱカッターが通り過ぎた。はっとしてシロナが扉のほうへ視線を向ければ、ミオの図書館へ調べ物をしてくると、三日は帰らぬつもりであると朝出て行ったハルカが立っていた。
「やぁ、ハルカちゃん」
さして驚いた様子もない、けれどハルカの存在に気付いていたわけではないらしいダイゴは、別れて日もおかぬ、というような堂々とした態度で相手を迎えた。対するハルカもにっこりと、笑ってダイゴに近付く。
「こんにちは、ダイゴさん。相変わらずドSっぷりを発揮しているんですね」 「ハルカちゃんに対してサディスティックな言動をしたことはないよ」 「蝋燭垂らしたり縛るだけがSじゃないんですよ」
かみ合っているような、全くかみ合っていないような会話をしてから、ハルカはダイゴの隣を通りキッチンへ行こうとした。そのハルカを、ダイゴが止める。
「少し痩せたね」 「おかげさまで」
シンオウに来て五キロは落ちたと、以前ハルカが嘆いていたのをシロナは思い出す。元々肉付きの良い方ではなかったハルカだ。今は少し力を入れれば折れてしまうのではないかと危ぶまれるほど、細い手首をしている。 その元凶であるダイゴは白々しいほど気の毒そうな顔をして、ハルカの手首を掴む。
「ホウエンへ帰るんだ。ハルカちゃん」 「あなたに指図されるいわれなんてこれっぽっちもありませんよ。ダイゴさん」 「ボクはゲンさんが「気に入った」んだよ」 「奇遇ですね。わたしもゲンさんのことが好きなんですよ」
ミシっと、シロナの耳に骨の軋む音が届いた。ハルカが僅かに顔をしかめでもしたらすぐさま二人の間に飛び込んでこの寒々しい会話を終わらせるのに、ハルカの表情は何一つ、変わっていない。
「わたし、前に言いましたよね。覚えてますか?わたし、切花が嫌いなんです」 「知っているよ、覚えてる。ハルカちゃんのことは、何一つ忘れたことがないよ」
ダイゴは目を伏せる。先ほどゲンを脳裏に描いていたであろう時とは表情がまるで違う。辛そうな、顔だ。シロナは二人がホウエンで過ごした時を知らない。けれど、この二人の間に確かに存在した蜜月は、その蜜という言葉そのままの甘さはきっと、これっぽっちもなかったのだろうと想像は付く。
「ゲンさんを切花にするつもりですか、ダイゴさん」
寒い、寒すぎるこの空気。シロナはぶるっと身を震わせて、四天王のあのアフロでもその幼馴染の電撃王子でもいいから空気読まずに乱入してくれないかと、そんな他力本願なことを考えた。
Fin
気が向いたら続きます。うちのダイゲンはアロ←ダイみたいです。ダイゴさんにとって、ハルカちゃんはもう「特別」なんですね。 Lumblerのルイさんのステキ漫画から妄想して書かせていただきました! ルイさん宅のダイゲンはもう……鼻血が出るほど興奮します☆
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