では、こちらにご記入お願いいたします。と、丁寧な言葉遣いと丁寧な笑顔(少なくとも、あの人のように白々しさを感じないそれは、親切があるからだ)に添えて出された赤い線の入った長方形の紙。三枚つづりになっていて、一番上のピンク色はハルカのものに。二枚目の青い紙は笑顔の素敵なお姉さんが戴いて、三枚目は、そのまま荷物に張られてしまう。まぁ、つまり、郵便局での、やりとり。ハルカが託したものは、四角い箱に入った、「ナマモノ」に丸印の入るもの。

 

「お届け先は、ホウエン地方で宜しいでしょうか?」

 

かちゃん、と、荷物にスタンプを押して、確認される。箱の中身のことを一生懸命に考えていたハルカは反射的に顔を上げて、「あ、はい」と、戸惑うような声をだしてしまった。受付のお姉さんはその後に、町の名前の確認をして、それにはハルカ、しっかりと頷けた。何しろ、この一ヶ月ばかり、あの町、あの、島の、彼の部屋のことばかり考えていた。シンオウにやってきて、ハルカ、最初の冬である。こんな気温ありえない!と叫んでしまうくらい、ホウエン育ちのハルカには極寒の日々。嫌なわけではないのだけれど、やはり、あからさまな差異を感じずにはいられなくなると、どうしても、ハルカだって、ホウエンの地が、かつて一年掛けて周った故郷が、懐かしくなる。ホームシック、お母さんの焼いたプリンケーキとか、お父さんの汚れて変色した白衣とか、そういうもの、懐かしくなってしまう。丁度一ヶ月前までは、ハルカ、お正月にも家に帰らなかったことを激しく後悔していた。けれど。

 

「特別料金を含みまして、」

 

受付のお姉さんがカタカタと電卓を打って、提示してくる。少し、高い。速達、にしたのも随分とまずかったのだろう。けれどハルカ、覚悟はあったので、表面上はさらりと、その金額をお財布の中から取り出して、一枚のお札が二枚のお札になって、コインが少し、返ってきた。

領収書と控えを受け取って、ハルカはやっと一仕事を終えたのだと、この一ヶ月ばかり、張り詰めていた緊張を解いた。悩んで、悩んで、悩みすぎて知恵熱まで出たほど、自分を煩わせたものは、もう手元にはなく、全く事情を知らぬ他人が、全く事情を知らぬ他人の手に渡してくれて、それで、最終的な場所に収まる。

 

 

 

腐る

 

 

 

平たく言えば、今日はバレンタインデーなわけで、去年、ハルカは父と、ユウキ、ミツルの三人にチョコレートを送った。ホワイトデーの日、お父さんは定番どおりお母さんの焼いたクッキーをくれて、ユウキくんは流行っていたポケモンと一緒に食べられるお菓子を、ミツルくんは小さな花束をくれた。ミツルくんのくれた花束はピンク色で、ハルカはそれがとても気に入ったので(花束を貰うなんて、そうあるものじゃなかったし)一本を押し花にして、ぼうけんノートのシオリに使っている。

今年は、三人にはあげないで終わるんだと、とぼとぼ、お世話になっているシロナの家まで歩きながらハルカはぼんやり、気付いた。今日の、今の一件のことに頭が一杯になってしまっていて、気付きもしなかった。そうだ、三人に、メールでも、うって置かないと。(でも、あげる気はどうしてか起きそうにない)

 

ホウエンの、あの、島の、あの、家のことを思い出す。暑い夏の日、何度かお邪魔させてもらった部屋は、人らしさがいやらしく人工的に作られていて、ハルカは息が詰まってしょうがなかった。たぶん、最初に訪れた日に、切花が置かれていたのがマイナスイメージの原因だろうとは思う。あの切花、今思えば何の罪もなかったのに、あの人、ダイゴさんは、ハルカが切花が苦手だ、というそれだけで、窓の外から全力投球で葬ってくれた。

 

あの部屋に行くたびに、ハルカはダイゴのことがさっぱりわからなくなってしまった。一体、「ツワブキダイゴ」という生き物は、いや「ダイゴ」いや、「彼」は、何者なのだろう。ツワブキダイゴ、はハルカにもよくわかる人物だ。ダイゴ、も、わかりづらくはあるけれど、わからなくはない。けれど、ハルカには、あの男そのものが、いったいどういう生き物なのか、さっぱり見えなかった。

 

考えれば考えるほどドツボに嵌まってしまって、抜けられそうになくて、それで、自分は今ホウエンを離れてシンオウ地方にいるんだろうと、ハルカ、気付いて溜息を吐く。

 

考え事をしながら歩いていると、とっくにシロナの家に着いていた。シロナは今日はどこぞへ研究発表へ行っているらしくて、留守だ。けれど町の老人が、いつでもシロナに助けを求められるよう、気安く家に立ち寄って待てるよう、この家には鍵をかけたことがない。

 

だから、ハルカも気安くガチャリ、と、扉を開けて、スタスタリビングまで行く。

 

「よぉ」

 

と、当然のように、デンジが机の上のチョコレートの残骸をぱくぱく口に運びながら、テレビを観て寛いでいた。

 

「なに、して、るんです」

 

ひっく、と、ハルカの顔が引きつった。別に、机の上に出しっぱなしにしておいたチョコレート(?)は、捨てるつもりであったのだから、胃袋だろうがゴミ袋だろうが、大差はない。

 

「バレンタインだっつーのに、誰もチョコくれねぇんだよ」

「デンジさん、いっぱいもらえそうなイメージありますけど」

 

この男、顔だけはいいと常々ハルカは思っていた。中々常識を知らない(いや、知っていて、よくよく承知していて、あえてシカトこいてやがるのだ)トリッキーな生活をしているデンジだが、顔はいい。太陽にきらきらと煌く金色の髪も、海みたいに真っ青な目も、ハルカは嫌いじゃない。ただ、性格がどうしようもなく、デンジだということが、絶望的だというだけ。

 

「……」

 

ぷいっと、デンジは拗ねたようにそっぽを向いて、ぎこぎこ、椅子の後ろ足だけでバランスを取る。デンジは、子供っぽいことをする。

 

シンオウにやってきて、一番付き合いがあるのは、やっぱりお世話になっているシロナなのだけれど、なんだか妙な、懐かれ方をしたのはデンジだった。

デンジは気付けばハルカの前に現れる。といって、何かするわけでも、言うわけでもなくて、ただ、いる。

 

今はエネコロロに進化したパートナーも、ゲットしたばかりの頃はつんつんしていて、でも、何をするわけでもなく、じっと、ハルカの傍にいた。その時のエネコの目と、デンジの目は似ていると、ハルカは思う。別に、糸目じゃないのだけれど。

 

「マジでゼロ。っつーか、町ぐるみで「今年はあげるな」って」

「また停電させたんですか」

「今年に入ってからはまだ一回だ」

 

普通、一般人は一生のうちに一度だって、町を停電させる機会に恵まれることはありませんよ。容赦なくハルカは言い放って、デンジの向かい側に座る。ぎこっと、デンジの椅子が軋んだ。

 

「どこ行ってたんだ」

「郵便局」

「にしては、時間かかってねぇ?」

「いつからいるんですか」

「三時間くらい前」

 

それじゃあ、ハルカが家を出てすぐじゃないか。なんとまぁ、タイミングの悪いことだ。デンジは、タイミングが悪いことが多い。今日だって、ハルカが郵便局に行くまえとか、行って暫く経ってからだったら、ハルカだって、マトモに相手をしてやれただろうに。今この、ささくれ立った気分じゃ、相手に何を言ってしまうかわかりゃしない。

 

「ホントですよ。郵便局に、宅配頼んだんです」

「へぇ」

 

ぽりぽりと、デンジは相変わらずチョコレートをつまんで食べる。男の癖に、デンジの指先は細くて綺麗だ。この指が電球とか電線とか、そういうものをつなげたりして、大惨事を引き起こしてしまうのだ。

 

「デンジさん、甘いもの好きなんですか」

「うん。すきだ」

 

だから、今年は誰からももらえなくて、きっとかなり本気で落ち込んでいるのだろう。普段であれば自分で買うのだろうけれど、今日という日、別に、深い思い入れがなくても、チョコレートをもらえれば嬉しいものだ。

 

「全部食べてもいいですよ。どうせ、ゴミバコ行きですから」

「まずいもんな、これ」

 

げしっと、ハルカはテーブルの下でデンジの足を蹴った。自覚はしているが、他人に言われると、腹が立つ。

 

「いいんですよ、元々、人が食べれるものを作ろうとは思っていませんでしたから」

「なにそれ、なんでそんな無駄なことすんの?」

「腐った時、一番いやなふうに見えるものを、作ったんです」

 

これでも、ハルカの料理の腕はよい。ユウキと旅をしていたころ、伊達に料理担当になってはいなかった。ハルカの母も料理がとても上手く、夫も娘も家を空けることが多いから、最近では近所の女性を招いて料理教室を行うほどに、上手い。

 

「なんだよ、それ」

 

ぼうっとした目のデンジがきょとん、と、首をかしげた。目は死んだ魚よりもやる気がないのに、不思議そうにする仕草は、子供のようである。ハルカはなんだかおかしくなって、机の上に置いた掌を握ったり、ひらいたり、した。

 

「どんな気持ちかと思って」

「誰が?」

「自分の家に暫くぶりに帰ったら、随分前に届いていた荷物があって、それが、自分が家にいなかったばっかりに、腐って台無しになっていたら、どんな気持ちがしてくれるのかなぁって、思って」

 

デンジはガタン、と、椅子を直してちゃんと座って、ハルカをぼうっと、眺める。

 

「ダイゴか」

 

シンオウのジムリーダーは、もう誰もダイゴのことを「元チャンピョン」とは言わない。それがどういう意味なのか、トレーナーではないハルカにはわからないけれど、でも、少しそれは、さびしい意味だと思った。

 

「ダイゴさんです」

 

ハルカは頷いて、この一ヶ月、延々と悩んでいたことを改めて、終わったからこそ、再び考えた。

 

正月、シロナの家で開かれた新年会で、ダイゴと少しだけ話した。結局、ダイゴは自分には捕まってくれなくて、自分も、きっとダイゴを捕まえる気はないのだろう。そういうことがぼんやりわかって、それが、ハルカには悔しく思えた。

 

ここ暫く、ダイゴには苛々させられることが多くて、姿はこれっぽっちも見せないくせに、自分にこんなにも、己を刻んでくれたダイゴが憎らしくて、なにか、仕返しのようなものをできはしないかと、思ったのだ。それで、今日この、バレンタインという、女の子にとってはとても大切な日を、女の子だからこその、熱意で利用した。

 

「誰もいない部屋で、誰も見ていない場所で。込められた思いの朽ちたものを見て、いったい、あの人はどんな、お得意の「仮面」を被ってくれるのか」

 

考えるだけで楽しいと、ハルカは頷く。実際どうなろうと知ったことではない。腐る前に部屋の手入れをしに来る誰かに見付かって処分されてもいい。贈り物がどこかで紛失したって、別にいいのだ。ただ、あの人が、どんな生き物になるか想像も付かないところが、ハルカには嬉しい。

 

ぐいっと、デンジの左腕が伸ばされて、ハルカの胸元を掴んだ。引き寄せられ、そのまま、デンジの右手の袖が、ぐいぐいと、乱暴にハルカの目元を拭う。

 

「な、なん、ですか」

「いや、ばかだと思って」

 

些か乱暴な仕草で、デンジはハルカの目元を拭う。別にハルカ、泣いてなどいやしない。泣きたい気持ちにもちっともなれないし、でもデンジの、その、乱暴な仕草は、ハルカの何かを拭おうとしてくれているらしい。

 

「ちゃんと甘いのにな」

 

ぐいぐいと、デンジの手は乱暴で、声は心底、だるそうだ。けれど、その目は、少しだけ、憐憫の込められた色が確認できて、ハルカは目を閉じた。

 

 

(わたしは、ちっともかわいそうじゃないよ)

 

 

 

Fin

 

うおいl。

ハルカにとってデンジさんは、ホウエンでのホカゲさんのポジションだと思います。でも、ホカゲさんは「男の人」だったけれど、デンジは「男の子」のように見ているんですね。まぁ、当て馬なことにかわりはありませんが。(酷)