「あぁ、いらっしゃい、よく来てくれたわね。寒かったでしょう?さぁ、早く中に入って、今紅茶を入れるから」


開いた扉、にっこり笑顔で迎えられデンジひくっと表情を引きつらせた。にこにこにこにこ、可愛らしく微笑むナタネ。その格好、新年だからやはり着物を着ている彼女、そのあたりが常とは違う雰囲気出している、ということは確かにあるのだけれど。


「紅茶よりもコーヒーの方がいいかしら?あなたの好み、そういえば知らないの。教えてくれると助かるんだけれど……」

なんて少し困ったように言って、眉を寄せるナタネ。え、まじでこれ何のドッキリですかとデンジ、かなり身構えている。まさか夢じゃあるまいし(いや、夢にしてはここまで来る道の寒さはホンモノだった。何しろ昨晩から大雪で、ってそういう記憶もしっかりあるのだから、これ夢オチじゃないだろう)しかし、ナタネが、あの、自分にはドSというか容赦ないというか、物凄い、酷いことしかしないような女が、こう、平然と笑顔で自分を家に招きいれてくれている。


冗談じゃなければナタネ、具合でも悪いのだろうかと心配したくなる。それでデンジ、若干声を引きつらせて、玄関の前、(未だなんか怖ろしくて部屋に入れぬ己を黒髪の少女が「どうした、早く入れ」と機嫌悪そうに後ろから声をかけて、げしげし蹴ってくる)に立ったままナタネの白い額に手を当てた。着物姿だから、いつも額に巻かれている黒いバンダナはない。そっと手を伸ばし、叩き落とされるのは道理というはずなのに、すん、と、すんなり触れられる。


「なぁに?」
「いや……熱あるのかと」
「ふふ、ありがとう。心配してくれるの?大丈夫よ、寒いけれど、デンジが来てくれたんですもの」


いや、本当これ誰ですか。

ナタネと出会って随分たつが、未だ嘗てこんなに優しい、というか、何これ本当、優しさかもしれないが、逆に、なんか怖い。去年の夏はナタネと和解、というかせめてマトモに会話ができるように頑張ろうとしたデンジ、いや、でも、実際こうフレンドリーにされると、怖い。怖いというか、なんか、これ、え、本当なんで?


 

 

 

 

お正月ですから!!

 


 


「いや、ありえねぇ。正月とかそんな理由でこんな状況になるわけねぇ」
「デンジ、何独りでブツブツ言ってるんだ」

ついに妙な電波でも受信したのか、と中々どきついことを言うのは、早速ナタネに着付けをしてもらったらしいヒカリだ。去年は大晦日の夜から全員で集まったが、今年は、まぁ、いろいろあって、デンジは元旦を過ぎた今日やっと身動きの取れる状況になった。

どうせ相手にされぬからとナタネの家に行くつもりはなかったのだが、ひょっこりヒカリがジムに現れて「行くぞ」と少々乱暴に手を引いて、今の状況。ヒカリはナタネの家に行きたかったのだけれど、ナギサにいて、少し遠く離れているから一人で行けばコウキが心配すると、そういうことらしかった。

仮にもポケモンジムのジムリーダーを気軽に引率者にするなとそういう文句はヒカリに言うだけ無駄である。この少女、この秋にめでたくチャンピョンになった。

「おかしくねぇか」
「何が」
「いや、なんつーか……ナタネが、」

本当にこれ夢オチとかじゃないんだろうか。怖い、怖すぎる。自分にニコニコ笑顔を浮かべ、優しい言葉を吐くナタネ。本当病気か、それとも今年の初詣にでも「今年は大嫌いなひとほど優しくしましょう」とか出たんだろうか。

何しろナタネ、普段デンジにはきつい眼を向けて「帰れ」オーラ一色か、あるいは完全存在を無視。よくて「死ねばいいのに」なんてにっこり笑顔、その黒い笑顔と、先ほど浮かべられた花のような笑顔、どちらかと言えば後者の方が怖ろしいのは、もう、しようのないことか。

「……」

デンジは先ほどのナタネの笑顔を思い出し、ぎゅっと眉を寄せる。冬の最中、雪の間からひっそり咲く小さな花のように、うつくしく、可愛らしい笑顔だった。ナタネが可愛らしい人だというのは知っていたけれど、デンジ、くそ、と、片手で顔を抑える。

「どうした、デンジ。顔が赤いぞ」
「う、るせぇ」

あー、もう、夢でもいい。というか夢ならいい。夢で、ならあっさり「嬉しいじゃねぇか」と認められる。もう早く、目覚ましが鳴るとかレントラーが電撃かまして起こすとか、そういう展開になればいい。

顔を覗きこんでくるヒカリに少々乱暴な言葉を投げれば、がつん、とヒカリに頭をスリッパで叩かれた。

「いてっ、何すんだ」
「お前こそ人が心配してやってるのになんだその言い草」
「ケンカ、しちゃだめよ?ヒカリちゃん」

ゴォォォオと最強のジムリーダーVSシンオウチャンピョン戦でも勃発するか、とそういう雰囲気、キッチンから戻ってきたナタネの柔らかい言葉に、あっさりヒカリの攻撃態勢が解かれた。デンジも、なんだかどきっとして、腰のボールに伸ばしていた手をテーブルの上に置く。

ナタネはお盆を持ち、その上には暖かそうに湯気の立つマグカップが三つ。一つはいかにもヒカリが使いそうな真っ赤一色のカップだった。

「はい、紅茶でよかったのよね?」
「あ、あぁ……サンキュー…」

まさかナタネにお茶を入れていただく日が来るとは…!!

差し出された青いマグカップをぎこちなく受け取ってテーブルに置く。ナタネはヒカリにもマグカップを渡し、ヒカリ、ひらひらと着物の袖を蝶のように靡かせてリビングの中を周る。窓の外、昨晩の大雪で一面白銀世界。

「ナタネ、二階に行っていいか?」
「えぇ、構わないけれど、ヒカリちゃん、どうしたの?」
「うん、窓から色の着いた石を投げて遊ぶんだ」

袖からモンスターボールを取り出し、手持ちを全部出すとヒカリ、「いくぞ」とポケモンたちと一緒にわらわらと二階に駆け上がっていく。ナタネの一人住まい、こじんまりとしているが、二階もある。そういえばマトモに家に入ったことがなくてデンジはそんなことも知らなかった。いや、外から見れば判るだろうが、いつもナタネの行動におっかなびっくりしていたので、気付くゆとりもなかった。

「ふふ、元気ねぇ。ヒカリちゃん」
「……」
「どうしたの?さっきから黙って」

ヒカリがいなくなって、しん、とした室内。いや、ヒカリとて騒ぐ方ではないのだけれど、ナタネとデンジとヒカリ、3が2になると、妙に、重い。

「いや、別に」
「そう?」

ナタネは自分のカップにささっているスプーンを手にとって中身をかき混ぜながら、一度ちらり、と二階へ繋がる階段に視線をやった。そして、眉を寄せ、目を伏せて、先ほどとはまた違う、しかしデンジには向けられたことのない、深刻な声を出す。

「ちょっと、真剣な話をしてもいいかしら」

こういう状況もこれまでなかったことだが、妙に笑顔を浮かべられるよりは心は落ち着く。デンジ、こちらも真剣に話を聞く構え、には、性格上ならない、どこかのんびり、というか、怠惰的な調子はそのまま、手に持っていたカップを置いた。

「なんだ」
「ヒカリのことよ。あなた、どこまで聞いてるの?」
「どこまでって……シロナをぶっ潰したんだろ?最年少だってな」
「そうじゃ、なくて」

殿堂入りやうんぬん、での話しではないらしい。ナタネは困ったように眉を寄せ、「ひょっとして、知らないの?」と問う。心当たり、はない。デンジ、ナタネが何を言いたいのか瞬時にはわからず、しかし、本当に、完全にないわけでも、なかった。

「大人しく誘拐されるようなヤツじゃないだろ」
「でも、子供よ」

今年の暮れに、シロナがジムリーダーと四天王を全員集めて語った言葉。このシンオウで密かに暗躍している秘密結社。そこのトップがヒカリを狙っている、と。そういう話。「出来れば年が明ける前に決着を着けてやりたかったのだけれど」なんて薄く好戦的に微笑む元チャンピョン。どうもあやうい光を湛えていると、召集された円卓にやっぱり普段どおりやる気のない顔をしてぼんやり眺めていた。

ジムリーダーが召集された、のだらか当然ナタネもその時その場所にいた。だからデンジが知る範囲の再確認は、さらにその先にも何かある、とそういう意味だろう。

正直、デンジには興味がない。秘密結社がどうこうしようと、そんなことでどうなる世界でもないこと、知っている。何年か前にホウエンで妙な組織が妙なことをしかけたし、カントー、ジョウトでもいろいろあったが、それでも、結局何事もなかったようにこうして年は明けている。相変わらずデンジは町を停電させる。

たいしたことではない、とは思っているが、と言って責任感がないわけでもない。これでもジムリーダー。有事には何事か、はする。それはやるべきこと、ジムの、義務と承知している。だが、興味はない。誰が何かしたところで、そうやすやすと変化があるような、そんな、か弱い世界ではないのだ。この世、というものは。

(あんなに騒がせていたやつが消えたって、普通に、当たり前に日々は流れる)

ふっと、脳裏に浮かぶ、紺色の帽子。

デンジは眉を寄せて、その映像を振り払った。

「ねぇデンジ、ヒカリちゃんは子供なの。女の子なのよ。チャンピョン、にはなったけれど、でも、子供なの。わたしたち大人が、守ってあげないといけないのよ」
「わかってる」

カップに口をつけ、先日ヒカリの兄が直接デンジを尋ねてきた日のことを思い出した。

シンオウで暗躍する秘密結社の首領に、どうも狙われているらしいヒカリ。あんなおっかない子供をどうしたいのかデンジには甚だ疑問、というか、根性あるなぁ、くらいには思っていたが、どうやら、事態結構、深刻らしい。

『アカギは本気で、ヒカリを手に入れようとしているんですよ』

コウキの言葉。あまりはっきりした物言いをせぬ、社交慣れした青年が、あからさまな嫌悪、敵意、憎悪をあらわにしてそう呟いた。やはりだらり、と其の様子を聞いていたデンジだったが、「なんで俺に言うんだ」と、そう疑問には思い問いかければ、コウキ。

『だって、あなたはゲンさんのことをちゃんと覚えているじゃないですか』

そう、言うのだ。

ヒカリとおんなじ色の大きな目を、子供らしくなく、賢しらに細めて、言うのだ。

なんのことか、判らなかった。いや、このシンオウで再びゲンが消えて(いや、しかし、本当に消えたのか?)彼をすっかり忘れてしまった者もいる。デンジはしっかり、ばっちりはっきり覚えている、そのことは、わかっている。だが、なぜそれがアカギの、ヒカリを狙う男をデンジが知ることで繋がるのか、わからなかった。今も判らない。こうしてナタネが妙に優しいのと同じように、デンジには判らない。

「なるべく、ヒカリちゃんには一人歩きをさせないで」
「俺はあいつの保護者か何かか?」
「似たようなものじゃない。ヒカリちゃんがあそこまで懐いているの、あなたくらいよ」

懐いているというか、なんか妙な、気のかけられ方はしているが。

いろいろ言いたいこと、聞きたいことはあった。大体なんでそのアカギはヒカリを狙っているのか。確かにヒカリ、ポケモントレーナーとしての腕はめっぽう強い。賢い子供でもある。だが、それだけだ。別にポケモンの腕が良い生き物が一人傍らにいたところで世界征服などできるわけでもない(アカギの目的が世界征服なわけないが)し、どうだというのか。

(まさかダイゴじゃあるまいし、ロリコンってわけでもねぇだろ)

疑問、はいろいろある。だが、聞いてそれを理解するほどの、興味はない。そうなら、そうなのだろう。ヒカリがあぶなくて、皆が皆「大人」が「子供」を守ろうとしてくれている、そういう、状況なのだろう。

ふとデンジは、自分がその「大人」の枠に入れられていることに奇妙な違和感を覚えた。いや、というか、ナタネだって、そうだ。そういえば、自分は、自分たちは、ジムリーダーだが、はたして「大人」だろうかと、そんな疑問。

いや、しかしここで大人の定義云々考えて面倒になるのは目に見えている、ひとまず溜息一つ吐いて、ことん、とカップを置く。

「わかった。ヒカリは、俺が守る」

言えばすんなり飲み込める。いや、しかし違和感は、残っている。ヒカリを守る、のは自分ではないだろう。デンジ、いろんなものを終わりにはできるが、しかし、何かを守ることが出来るなどと、思ったことはない。それに、何しろあの少女、デンジ如きにどうこう、できることもない。

だが、ナタネがそれを望んでいるのなら、それで、安心するのなら、頷く。承諾する。認める。以上だ。

「そう、ありがとう。―――それじゃあ、外はよろしくね」
「は?」

にっこり、妙に寒気のする笑顔で言われた。デンジが思わず間の抜けた声を出すと、にこにこと、どこか腹黒そうな笑顔。(それでデンジ、やっと人心地ついたのは無自覚)ぽん、と手さえ叩いて、首をかしげる。

「雪かき、お願いね?よかった、どうしようかと困っていたところに丁度来たんですもの。―――やっていきなさいよ」
「命令形!!?」
「何か不満があるの?デンジ」

一応言葉はそこで止められたが、いや、絶対「デンジのくせに」とか、そう続いただろう、言葉。うっと、デンジは息を詰まらせた。

え、何、今の今まで優しかったのってこういうこと?と、思い当たってもくるが、はたしてそれだけかは言い切れぬ、が、まぁ、今の状況から逃れられるわけでもない。ポケモンでも使って雪を溶かそうかとも思うが、生憎デンジの手持ちに炎タイプはいない。

これならアフロをつれてくればよかったと、本気で後悔したのは、ざっくざっくとスコップに足をかけ雪をどかす真っ最中。その間も、上からナタネとヒカリが仲良く石やら雪の塊やらを投げてくる。

その仲の良い二人を眩しそうに下から見上げ、デンジ、まぁ、しようのないことか、と息を吐いた。

 



 

Fin




お正月、遅くなりましたが明けましておめでとうございます。
なぜかデンナタ。いや、好きなんです最近。デンジに優しいナタネが見たかったんですが、拒絶反応しか出ませんでした☆
ところで、ゲンさんはどうなったんでしょうね?