一階ロビーのソファに頬杖を付いて座って、ハルカはじぃっとその光景を眺めていた。カナミズシティにある三大企業の一つ、デボンコーポレーション本社にハルカはいる。待っている間は暇だろうと受付のお姉さんが出してくれたオレンジジュースを半分ほど飲みきり、そして一緒に置いていってくれた絵本には(申し訳ないが)全く手を出さず、ただじぃっとエレベーター付近にいる集団を眺めていた。
「眉、寄ってんぞ、ハルカ」
向かい側のソファに寛いだユウキは雑誌から顔を上げぬまま呟く。普段から完璧な平静の笑とやらを浮かべているハルカであるから、実際は何の変哲もない普通の表情のままなのだけれど、なんでかオダマキ博士と父センリ二人から「ハルカちゃんと旅をするんだぞ」とのお達しで、自分はポケモンジム制覇、ハルカはホウエンの自然研究のために一緒に旅をする事になって、それで嫌でも毎日ハルカの傍にいるユウキは表情の些細な変化にしっかり気付く。嫌でも、ではなく、結局ユウキはその、いつも笑顔だからこそ安心できない微妙に変化ばっかりしてるはずのハルカの表情を見抜けるようにならなくては、自分が不安で仕方なかったわけで、結局それは、ハルカのことは自分が一番知ってれば良いなんていう感情からなわけだ。人間は自分が安心するためならどんな能力でも身に付けられるらしい、つい最近になってやっとユウキはハルカの表情ではなく気配でハルカの心情を測れるようになってきた。
「そんなに気になるなら、声をかければいいじゃんか」
呆れたようにため息を吐いてユウキはページを捲る。注意されて始めて、ハルカは自分が彼を凝視していたことに気付いたのか、慌てて座りなおし、ユウキに向かい合う。
「仕事中なのにそんなこと、できない」
っは、とユウキは笑って肩を竦めた。ハルカだって自分と同じだけしか生きてないくせに、にどうしてこう、冷静なのだろうか。仕事なことは解っているが、子供なのだし、少しくらい乱入したってあの男は困らないだろう。(というか、むしろ大歓迎しそうだ)
「ん? わぁぉ、なぁ、ハルカ、あの美人のねーちゃん、ダイゴに急接近」
「ユウキくん。私を焦らせて楽しいんだ?」
実況中継して見せると、ハルカが穏やかに微笑んだ。
「焦ってたんだ」
意外だ、そっくりそのままの口調で驚いてみせるとハルカはため息を吐く。
「言葉のアヤだよ、ユウキくん」
果たして嫉妬はしているのだろうか、とユウキは考える。気にはなっているようだが、ハルカの場合その対象が「話してる内容に参加したい」という理由も十分ありえて、その場合はユウキとしては心底嬉しい結果だけれど、でも、そのハルカが興味を惹かれて仕方ない話題を話せるダイゴに自分は嫉妬するわけで。ユウキは自分のことを多少は冷静だとは思っているけれど、そういうところで、嫉妬をしないハルカと、してばかりいる自分の差に落ち込んだり、する。
「私、何も知らないんだね」
「何を」
「ダイゴさんのこと。石マニアで、自信家で、いい加減で、ちょっと変態ってことくらいしか知らないよ」
いや、あの変態っぷりはちょっとどころではない。ユウキはそう思ったがとりあえずは突っ込まず、別のことを言った。
「それにデボンの御曹司でチャンピョンだろ」
「あぁ、忘れてた」
けろっと言うハルカ、本気でコイツは忘れていた。ユウキはホントにダイゴに興味があるのか、もしかしたら全くないんじゃないか、と淡い期待を浮かばせる。
「一番忘れない肩書きなんじゃないか?普通」
どうなんだろう、とこの際根掘り葉掘り聞いて、それで、その期待を確かなものにできたら自分は物凄い人生ばら色で、この後のジム戦なんか楽勝で勝てる(まぁ、言葉のアヤだ)くらいの気合が手に入るのに、ハルカは早々にその目を潰してくれた。
「別に、他人の地位なんて、どうでもいい。私は自分が世界チャンプなら絶対忘れないけどね」
あっさりと言ってハルカは紅茶を飲む。ちくしょう、とユウキは心の中で落ち込んだ。ハルカはつまりそういう、他人に対しては物凄く興味が薄い生き物で、いや、薄いわけではなく、その基準が普通と言われる部類に属さないだけだ。まぁ、確かに、別にダイゴがデボンの次期社長になろうがユウキの人生には関係は全くない。今はとりあえずそこに納得することにして、たとえば、そんな興味が薄いハルカがダイゴを待っていることとか、ダイゴが自分にだけアイテムをくれると物凄く不機嫌になったりとか、そういう点は気付かないことにして、ユウキも出されたコーヒーに口をつけて、ダイゴとそれを囲む集団を眺めた。
「いつもとは違う顔してるね、ダイゴさん」
「仕事中にいつもの緩みきった情けねぇ顔はできないだろう」
「バトルのときとも違う顔だよ」
「好戦的な顔してたら、まとまる商談もまとまんないからじゃねーの」
ハルカが立ち上がった。
「ハルカ?」
「私、先にトレーナーズスクール観光してくる。ユウキくんは、ここでダイゴさんを待ってて」
以前カナミズに来たときに散々トレーナーズスクールは見てきたし、あそこの優等生さんが正直ユウキは苦手だったので、ハルカの指示には反論しなかったが、内心不服ではある。本意ではない。折角ハルカとふたりっきりでのんびりゆっくりできたのに、なぜ自分がダイゴなどを待たなければならないのだろう。
ハルカはそう決めるとさっさと絵本をカップを受付に返して出て行ってしまった。後に残されたユウキはため息を吐いてにこやかな笑みを浮かべているダイゴを睨み付ける。
「あれ…?ハルカちゃんは?」
「帰った。長時間待たせるからでしょう」
「先にどこか見て回っててって言ったのに…ユウキくんは伝言役?」
「それもあるけど、ちょっと文句言っていいっすか?」
うん?とダイゴは話しを聞いてくれる優しいお兄さんの顔をして、首をかしげる。
「ハルカは悲しんでたぞ」
嘘、ではないと自分に言い聞かせてユウキは本気の言葉に聞こえるように、声音を低くしてダイゴに言った。けれど、ダイゴがそれで簡単に、ユウキの言葉を信じてくれるような優しい生き物ならきっと、ハルカはダイゴに惹かれなかっただろうし、ユウキはダイゴのことをここまで嫌悪することもなかったに違いない。
「どうして?待たせてしまったけれど、傷付けるようなことはしていないよ。君、僕に八つ当たり?」
さすがはダイゴ、半分は当たっている。他人の言葉を鵜呑みにせず自分の真実を信じるさまはすがすがしいとユウキですら思ったけれど、ここで引くなら、いっそここに残らなかった。ユウキはふん、と鼻で笑ってやって、ダイゴを見上げる。
「心当たりがないんだったら、まじで、これから到底ハルカを任せらんないな。ま、いいけど。忘れんなよ、俺はハルカのオヤジからハルカを任されてんだから」
「うん、キミがハルカちゃんを本当に大切に思ってくれているのは嬉しいけどね。でも、まぁ、ちょっと待ちなよ。どうしてハルカちゃんが悲しんでるの」
「教える筋合いはないですよ」
「そうだねぇ。でも、教えてくれないと…コンクリートで足固めて、海に突き落とすよ」
この男なら本当にやりそうだとユウキは思って、それで、すごんだのに自分は結局、ハルカが悲しむのが嫌だから、ダイゴを傷つける事はできないし、その前にダイゴに勝てるだけの何もないことに改めて気付かされてそれで、ダイゴの脅しに負けたふりをして(まぁ、半分以上は本気で恐怖を感じたせいもあるが)素直にハルカの居場所を教えた。
(いっそお前らくっついちまえよ!!)
羽でもついてるんですかというくらい、軽い足取りでダイゴがトレーナーズスクールに向かっていくのを見送って、ユウキは帽子をソファに投げつけた。
Fin
・帽子は投げるものだと思っているフシがあります。(ワタイエ小説参照)