「正直、嫌な感じですよ」
と、イエロー。しかめっ面で折角の愛らしい顔立ちも少々毒を孕んでしまっている。いつものように麦藁帽子を目深にかぶって、それで、右の頬を引きつらせながらじぃっと、ワタルの手元を見ていた。
「そうか」
さして気に留めることもなく、ワタルはフスベからイブキがよこしてきた名物瓦煎餅をぽりっと、噛む。カリカリと音がトキワの森に小気味よく響くと、時々キャタピーやら何やらが、興味深そうにこちらをのぞき込んできたりして、それがまた面白かった。
「さすがに、トキワの森の力もそういうのは治せないからな」
「何を基準に治せるのか治せないのか、誰か調べて紙にでも書いておいてくれないですかね、ホント」
「お前が実験材料になるっていうなら、カツラあたりがやるんじゃないか?」
「カツラさんはしませんよ、そんなこと」
それはどうだかな、とワタルが鼻で笑うと、イエローは心底嫌そうな顔をして、麦藁帽子をワタルに投げつけようとしたのだけれど、ジリジリと先ほどから痺れて仕方のない右の頬が、いっそう痺れて気になったらしい。
まぁ、簡単に言ってしまえば、イエローは普段から真面目に歯磨きを朝昼晩と欠かさずするし、糸楊枝でばっりち歯の間の汚れも取る歯医者にとって手間の掛からない手本のような子供だ。しかし、それにも関わらず今回、あの、件の、遅くに抜けた奥歯のあった場所が、虫歯になってしまったわけだ。
「抜けかけてるところ、あんまりいじりたくなかったから、放っておいたのがいけなかったんです」
ぶすぅっとふくれっ面。顰めて、膨れるのか、とワタルは笑い、先ほどの自分の皮肉がさりげなく方向転換されている心地よさも覚えながら、「そんなに嫌なものか」と小首を傾げてやった。
「嫌な感じですよ。ぼぁわぁっと痺れてるかんじ。知ってました?コップを口につけて水を飲もうとしても、うまくできないんですよ。半分だけ、感覚がないから、唇がうまくしまらないんです」
「麻酔がか」
「そうです」
そうか。頷いてワタルは、イエローが気にして何度も右の手の人差し指で自分の右頬を押したりしているさまを見る。(おもいっきり顔を顰めてさえいなければ、愛らしい様子だと思えるのにな)などと、思いつつ、自分も虫歯になったらそういう仕草をするのだと気付き、トキワの森の力で虫歯を治せるようにならないかと、そのことを少しだけ真剣に考えてみた。
トキワの森の力は、意外にヒトの怪我なんかも治せたりする。けれど、イエローもワタルも今のところ、誰かの怪我を治したことは、お互い意外なかった。ワタルからすれば、ポケモン意外にこの能力を使うことはトキワの森への冒涜だとか、そういう考えが昔あって、今もそれを引きずっているからに過ぎず、イエローの場合は、何か、昔そういうことの、代償のような事件があったからだと、トキワの森のポケモンに聞いたことがある。
「おい」
ふと、ワタルはその事件をイエローの口から一度聞きたくなって、それで、彼にしては遠慮というものが珍しく湧き上がってこなかったようなので、それをそのまま放って、聞いてしまおうと口を開いた。ら、イエローが嫌そうな顔でワタルを見上げる。
「いい加減覚えてください。ぼくにはイエローって名前があります」
「おい、で通じるからいいだろ」
「ヤですよ、なんですか、その熟年夫婦みたいな呼び方」
予備軍みたいでヤです、とイエローは顰めた顔をさらに顰めて、それで、ワタルが「おい、お前」とか言い出したら張ったおそうとする目をした。
「それで、ぼくが麻酔が切れないで食べ物食べれないっていうのに、目の前でおいしそうにフスベ名物なんて食べてる非情で非常識なワタルさん。何の用ですか?」
「ん?」
「今呼んだでしょう」
「あぁ、そうだったな」
けれどワタル、さっきの問いかけをしようという気はもうなかった。けれど、折角なので聞いてみようかなぁ、程度は残っていて、それで。
「お前が最初に怪我を治した生き物を思い出したんだ」
「へぇ」
どうでもよさそうに、イエローは相槌を打つ。のに、その目の温度が下がったのがはっきりとワタルには解った。
イエローは賢い。一つ言葉を投げかければ即座に、こちらの思考を読み取って、相手が一体どういうつもりでその言葉を使ったのか、どういうことを言おう、聞こうとしているのかを悟る。おそらく、トキワの森の能力などなくとも、ポケモンたちの鳴き声でその心を知ることだって、できただろうとワタルはそう、イエローを評価している。
「なんていうポケモンだったんですか」
だからさりげなく、自分の傷口に触れさせないように、イエローはたくみに言葉を使って、檻を作る。ワタルは「生き物」と言った。ポケモンとは限らない、それは、ヒトである可能性もある、とにおわせた言葉を、イエローはあえて、「ポケモン」とくぎって、閉じ込めた。そうすれば、ワタルが最初に力を使った「生き物」が「ヒト」であったとしても、「ポケモン」と聞かれればその問いの答えは、「最初に力を使ったポケモンは何か」の意味に変わる。
それで、なるほどやはり、イエローにとってその問いはまだしてはならないものだったのかと、今度は本人の態度で確認してワタルは、少し考え込む顔をして「何だったんだろうな。よく、覚えてない」とあいまいな返答をした。
「思い出したって、さっき言ってたのは誰ですか」
もう、と、イエローは呆れたように笑ってみせる。
「麻酔はまだ効いているのか」
その笑顔がさきほどの引きつったものとは少し違って、普段よくワタルに向けられるものに近かったから、いつのまにか効果が切れたのかと問うと、イエローは首を振った。
「痺れが、変わりましたよ」
言って、イエローはごわごわと右頬を動かして、笑う。
「ドククラゲのいる海に入ったみたいな感じです」
生憎ワタルは麻酔をしたことも、ドククラゲが大量発生している海に好き好んで入る酔狂さもなかったから、適当に「それは大変だな」と返してみた。
「そういえばぼく、今思い出したんですけどね」
「なんだ」
「ぼくらのトキワの森の力は、ぼくらの寿命を削ってるんだって、言われたことがあるんですよ」
どうして話題が一気に飛ぶのか。一度、イエローの脳内をうかがってみたい衝動に駆られながら、「誰に言われたんだ」とはワタルは聞かなかった。イエローの知り合いで、トキワの森の能力に詳しい人間は、ワタルの把握している限り一人しかいない。(ワタルは脳内に、あの、センスがよいのか悪いのかハッキリしない微妙な格好の中年男性を思い浮かべて久しぶりに、不愉快な気分になった)
「そんな物騒な能力を、トキワの森が授けると思うのか」
「物騒というか、自己犠牲からなる奇跡はそのまま、自虐行為にしかならないとぼくは思って、それは違うんじゃないなぁってずっと思ってました」
「……」
時々イエローは、やたらと難しい言葉遣いをする。別に、それがどうというわけではないのだがワタルは、あの、レッドやグリーンの前ではヒマワリのような笑顔を浮かべている少年太陽のようなイエローが、自分に対しては世を蔑んだ言動をすると、いろいろ思うことがあったりした。
それにしても、寿命を削って他の命を救うとは、よく考えたものだとワタルはあの、ポケモンを利用した悪の組織の頭領を思い出して笑い飛ばしたくなる。なるほど確かに思い当たるところはある。能力を使用した後、ワタルの体は極端に免疫力と抵抗力が弱まるし、頻繁に使用を繰り返すと、段々と命が蝕まれていく感覚がはっきりとわかる。
しかし、それを「等価交換」とは思わない。
「俺は罰だと考えているが」
「罰ですか」
あぁ。へぇ。とワタル、イエローは短く言葉を使って、黙り込む。ワタルは、トキワの森の力を使うから命が削られるのではない。助けられなかったから、蝕まれるのだと思った。償いのために、治す力が備わっていた、それだけのことだとしたら、それは酷く、恐ろしい能力ではないだろうか。
「なんだか、虫歯みたいですね」
ぽつり、とイエローが呟く。けれど、その声音はなんでもないもののようで、ワタルはいつもどおり「そうだな」と頷いた。少しずつ、少しずつ進行していく黒いもの、に、この太陽のような笑顔の子供が苛まれなければいいと願いつつ、虫歯のように麻酔をして、この子の感覚を鈍らせ、狂わせることでしかそれが実現できないことをやっぱりワタルはよく解っていて、それで、「トキワの森の力」が呪いのように思えて仕方のない自分を、哀れんだ。
Fin
(2007/4/2
23:04)
・リクというか、「天に向かって歯を吐く」のワタル+イエローが面白いとメッセージを頂いたので……歯ネタでワタル+イエロー。ハイ、今日麻酔をして家族が寿司食べてるのを指くわえてみてたのは私ですヨ。
日曜日にUPしようと思ったのですが、微妙にテーマが決まっておらず保留にしてました。ブログで「日曜の夜に…」とか言ったのに、スイマセン。
さて問題です。
タイトル「それは○○によく似た」の○に入るのは一体なんでしょう?
1、「ドククラゲのいる海」2、「花瓶の花」3、「歯医者の敵」4、「なんか」