「気持ち、悪い」
ダイゴの部屋に入るなり、ハルカが突然蹲った。普段から、ことあるごとに言われてきたセリフではあるけれど、その、いつもの調子とは少し違う声色。ダイゴは先に部屋に入ってふわりと圧迫し続けたスカーフをはずしていたり、したのだけれど、その。ハルカの異変に気付いて、急いで入り口に駆け寄った。ガダン、ガダと途中で椅子をけり倒して、足が痛む。
「ハルカちゃん?」
ハルカは玄関に蹲ったまま、「気持ち悪い」を繰り返す。
「どう、したの?」
ねぇ、どうしたの?
ダイゴの顔を文章でうまく表現するとするのなら(それの描写が正確には不可能だとしても)その顔は、まさに困惑だ。別に、彼はハルカが始めて家にやってくるから三日前からものすごく真剣に掃除をしただとか、ハルカの喜びそうなぬいぐるみをこっそり椅子においているとか、ハルカが退屈しないようにと石のディスプレイだけじゃなく、可愛らしい、珍しい花を花瓶にさして飾っているとか、そういう心配りを失敗したのかと、いう不安もあったのだけれど、何よりも。
普段の「気持ち悪い」は精神的な、ただの比喩であるのに対して、今の「気持ち悪い」は身体的な、反応だったから、その、ハルカの小さな体が何かに侵されているのではないかと、不安になっているのが一番だった。
「だめです、ホント、だめ。気持ち、わるくて、吐きそう」
ハルカはぺたりと、両膝を床につけて、そのまま前に倒れこむ。ぐったりと、伸びた白い両腕は何かを指差そうとして失敗したようだった。
ダイゴはハルカの背中をさすってやるくらいにしか、できそうなことがない。
何が原因かわからないから、下手に動かすこともできやしない。
「ハル、」
「切花が、だめなんです」
かすれる声でハルカが呟いたので、それをしっかりと聞いたダイゴはすぐさま立ち上がり、チャンピョン防衛戦でボールを投げ放つ瞬間以上の素早いモーションで花瓶を窓から投げ捨てた。
そろそろそろそろ
ゆっくりと息を吐いて、ハルカは天井を見上げた。目覚めるといつもこういう光景ばかりでマンネリしそうだなぁと思うのだけれど、寝るのはベッド、屋内には天井があるもので、どこで寝ようと結局、見上げてみれば天井があるのは道理だ。
「大丈夫?ハルカちゃん」
ダイゴが心配そうに顔を覗き込んで、きて、ハルカは「気持ち悪い」と言う。けれどその言葉は、普段つむがれるときと音がなんら変わりないので、ダイゴはほっと息を吐いた。
「ごめんね」
「普通わからないですよ、花瓶の花見て嘔吐しかけるなんて」
「でも、ごめん」
ハルカはダイゴが差し出した兎のリンゴを摘まんで、じぃっと、泣き出しそうなダイゴの眉間の皺を見た。(いっそ泣き出せばまだ笑い飛ばしてやれるのに)
うなだれているわけではないけれど、ダイゴはあからさまに、落ち込んでいる。その基準がハルカには正直よくわからなかった。どうして、ダイゴは普段自分に散々暴言罵倒を吐かれていても落ち込むかけら、も見せないのにどうして。
どうして、よくわからない、たとえばダイゴの知らない、知るはずもない理由だか原因でハルカに何かあれば、この男はまるで自分の影が傷つけられたかのように、沈むのだろう。
「苦手なんです、切花って」
話題を変えたいとハルカは思うが、けれど、この人に、この生き物に、まだ知らない自分のことを、ちゃんと聞かせてやらないことには、なんだかいっこうにいろんなことが前に進まなかったり、壊せなかったりする気がして、仕方なく、口をちゃんと、開いて語ることにした。
「ダメなんですよ。こう、根を切られて、断面の茎だけがソロソロと水をすって、生きているのが」
気持ち悪いの、とハルカは言ってまた、倒れこむ。ぐるりぐるぐると世界が廻るような嫌な感覚がする。これなら、何故だか妙にノリ気になったからとダイゴの家になんて着いていくんじゃなかったと後悔して、どうなるものでもない。傍らのダイゴは今にも自分が倒れそうなほどに青くなっている。けれど、ハルカはそれほど、ダイゴという生き物を「まとも」だと信じ込んでいるわけではなかったから、これがいつもの、あの、吐き気がして仕方のないダイゴの癖なのだと判断して、それで、では、本当のダイゴは今一体、何を思っているのだろうということを、考えることで気分を紛らわせて見ることにした。
ダイゴは、頼んでもいないのに兎のリンゴなんて、用意してくれた。かいがいしくタオルなんて、絞ってハルカの額において、少しでも楽にしてやろうと、してくれる。
けれど、ハルカは今しょうがなく気分が悪いので、その行為好意を全てやっぱり、何か奇妙な感情ゆえの作意だと信じ込んだ。
別に、ハルカは人間不信、ではないのだけれど。この際、ここでハッキリと自分に言い聞かせておこうと必死でもあったのだ。ダイゴ、の好意に行為の意味を探ればそれは、「しなければならないこと」の延長線と大して変わりなく、本質的なダイゴの想いがそこに含まれていることなど、ありはしない、と。ハルカは己に言い聞かせなければならないのだ。
(与えられた水だけを、ありがたそうにゆっくりと飲んでる、なんてわたしは冗談じゃない)
あぁ、そうだとハルカはダイゴが物凄い勢いで遠投した切花の行方を思う。どうしてあんなにアレが気持ちの悪いものだと思えてしまったのか、その切欠なんて、そんな、単純なことだった。つまり。
ハルカはその切花の哀れさと、己を重ねては激しい自己嫌悪に襲われその、感情はそのままに飲み込めずに吐き気となってしまっている、それだけだ。
「ハルカちゃん、ゆっくり休んでね。何か必要なものがあればすぐに言ってね。ボクが用意するから」
へらり、へらりと笑うその顔、先ほどは蒼白だったくせに、もう、新しい何かを発見したのかその顔。
ハルカは先ほど窓から消えた切花と、自分が逆ならいいのにと思いつつも、それでも、吐き気と執着心と、僅かな、哀れにも湧き上がってきている仄かな恋心とやらによって、ベッドに縛り付けられたようにそのまま、動けない自分を享受した。
Fin
・ダイハル。最近ダイゴ←ハルカな気がしなくもない。うちのサイトのダイゴさんは、本当にハルカのことがスキなのか?答えはきっと、藪の中。(2007/4/18
22:46)
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