「貴族が何のために存在しているか、その原点を知ってるか?」

上機嫌そうな男の声、白のルークを動かすのと同時にのキャッスルが一つ奪われた。それに眉ひとつ動かさずに置いたのは我ながら上出来だと称賛したくなる。目の前に対峙し、今なぜか白黒の盤の上をそれぞれの知識や策略、披露する始終。なぜこんなことになったものかとはため息を吐きたかった。それと同時に、聊かの驚きさえある。人には必ず何だってとりえがあるものだと、以前誰かが言っていた。だが、まさか無能であることがキャラクターなんじゃないかと思われるエニエスの主、スパンダム長官が、まさか、チェスの腕がずば抜けてすぐれているなど。

は辛抱強く防衛し、スパンダムの、好戦的な攻撃をかわしつつ活路を探していた。基本的に、はこの男をよくは思っていない。家柄だけで上り詰めたような、野心の塊。どう考えても嫌悪すべき対象であり、普段から見下しているところすらある。

だが現在、盤上でを翻弄しているスパンダムの目は、策士・有能な文官を思わせた。は内心舌打ちをしつつ、起死回生になるようにと黒の女王を進めた。にやり、とスパンダムの仮面に隠れがちになった口元が笑むようである。は手を読まれたことに顔を顰めた。それで、一度頭を冷やそうと、先ほどスパンダムに問われた言葉を考える。

「貴族の意味?豪華絢爛、湯水のように金を使い、それが誇りとするくだらん生き物に意味などあるものか」
「おいおい、大将赤犬の気に入りが、なんて反抗的な答えをするんじゃ。そんな“革命家”のような思考は処刑台送りを早めるだけだぜ」

楽しそうにスパンダムが嗤う。それで、一度チェスは止めようとするの意思を汲んだのか、自分は両手を組み、椅子にゆっくりともたれかかる。

「この吾輩を処刑台に?できるものならやってみればいい」
「いつかはそうするつもりだ。だが、そりゃ、今じゃねぇんだ」
「できもしないことを」

小バカにするようには呟き、目を細めた。

の現在の地位は、スパンダムとそう変わらない。青雉補佐の少将。青雉はクザンより圧倒的に地位が上だ。その福官ともなれば、スパンダムが簡単に手を出せるわけがない。は身の守り方に長けていた。世の中は油断をすれば必ず蹴落とされるもの。それを重々承知している。武力だけで身の安全を確保できるのは海賊くらいなものだった。

「できない?見くびるなよ、俺は狙った獲物は必ず首を落とすんだ。お前の白い肌にギロチンの刃が食い込むその様をよく見てやるよ」
「そんな日が来るのなら、どうぞご自由に。スパンダ長官殿」
「ム、だ。スパンダム」
「これは、失礼を」

慇懃無礼に言うと、けらけらとスパンダムが声を上げて笑った。子供のような声である。それで、いったん身を乗り出しての顔を覗き込む。

「貴族の義務を知っているか」

もう一度問うてくる。その目の真剣さ、先ほどまでのどこか無邪気に遊ぶ子供のようなものではない。はぴくん、と、眉を動かした。

「俺が、この、CP9長官が知らねぇとでも?×××伯爵令嬢」
「っ!」

咄嗟に、はチェス盤を蹴り飛ばして、スパンダムの胸倉を掴もうと腕を伸ばした。そのの手がスパンダムの妙な柄のシャツに触れる前に、の体が壁に叩きつけられる。

「お怪我は?長官」
「は、はっははは、よく助けたな!さすがは、ロブ・ルッチ」

素早く表れて、を蹴り飛ばした男は黒髪を後ろで一つにまとめた偉丈夫である。スパンダムのねぎらいには表情一つ動かさず、スタスタとの傍に近づいた。肩の白い鳩さえ無表情である。は低く呻きながら、咄嗟に受け身を取ったおかげでそれほどのダメージはなかった。体を起こそうとすると、自分を蹴り飛ばした男が、ぐいっと、容赦なく、の肩を足で押さえつける。

(ロブ・ルッチ)

良い年して肩に乗ったハトを溺愛している様子から、一種の奇特な人なんだと普段は同情の籠った目で見ているが、しかし、それでも、CP9歴代最強の評価を若干15の時に頂いた人物だ。容赦なく、ぐいっと、を押さえつけ、冷たい、霜の降りた目を向ける。

「あー、殺すなよ。それじゃあ、意味がねぇ。見えるところに傷もつけるな。大将のバスターコールがエニエスにかけられちまったら、笑い事じゃねぇからな」
「心得ております」

言いながら、ルッチはぐいっと、乱暴にの顎を掴んだ。無理やり上を向かせて、の右目付近を押える。息が感じられるほどに近くなって、が身を固くしていると、ルッチの指が、の瞼に触れ、じっと、何かを確認するように動いた。は咄嗟に腕を動かして、発動させた水の刃を向けるが、その前にすぅっと、ルッチが引いた。

「確認いたしました。長官、×××伯爵家の紋章です」
「そうか。まぁ、わかってたことだがな。やっぱり確認は必用だろ」

再度耳に入った家の名前には、大切な記憶を踏み荒らされたようなショックを受けた。しかし、無礼なふるまいを許すつもりはない、ときつくまなじりを上げると、スパンダムが目を細めた。

「貴族の義務、それは土地を守ることだ。先祖代代の土地を、ずっと、その一族が管理し続けること。子孫を残すことも、いうなればそれに繋がる」
「いったい何を言いたいのだね?長官殿。この吾輩にこのような振る舞い、許されるものではないのだが」
「あぁ、安心しろ。五老星は俺に一任した。あとははっきりとすりゃ、お前をインペルダウンへブチ込める」

はて、何の事だか、ととぼけようとしたが、それはCP9相手には徒労と知れている。は内心の動揺を、不敵な笑みでうまく隠し、スパンダムを見つめた。

「何が言いたい?」
「決まり切ってることを聞くなよ。無駄な探り合いは時間の無駄だ。はっきり言うぜ?伯爵令嬢、貴族の娘、×××家の生き残り」

完全に、自分の出生がバレているらしい。は不快に思った。別に隠していたわけではないが、もう、誰にも告げていないことである。
幼いころ、は貴族の娘だった。やさしい父と美しい母と、兄弟たち。愛されていたし、愛していた。夢のような日々。こんな毎日が続くのだと信じていた。

幸福の終焉は、とある嵐の夜。激しい雷雨の夜だった。の住んでいた島に、海賊がやってきた。彼らは何の予告もなく突然、領民たちや、の家族を惨殺した。一人が助かったのは、優しい母がを、階段の下に作られた小さな収納棚に隠して前を覆ってくれたからだ。内側からしか開けられぬようになり、はじっと、家族や、使用人たちが殺される声を聞いた。

そして翌朝。誰も居なくなった屋敷に一人残されたは、ただ茫然とし、誰か生存者がいないのかと歩きまわった。歩いて、歩いて、呼んで、呼んで、声が張り裂けるほど、誰か、と、叫んだ。それでも、誰も生き残ってはいなかった。

鳥が死体を啄み、残された家族の体が腐っていくのを目の当たりにする、一ヶ月。こんな目にあうのなら自分も一緒に殺されてくれればと、何度も悔やんだ。は何もできなかった。ひっそり、屋敷の家族の死体にシーツをかぶせ、獣が入り込まぬように固く扉を閉ざし。腐乱する匂いで頭がおかしくなりかけた。は、自分の部屋から一歩も外には出なかった。母が最後に整えてくれたままのベッドに丸くなって横たわり。朝日が昇るたびに、なぜ今日も目覚めず死ねなかったのだろうかとぼんやり考えた。

人の声がしたのは、暫くあとだった。また、幻聴だとは思った。もう何度も何度も、家族が本当は死んでいない夢を見たし、誰かがを呼ぶ声を、聞いた。けれど、それはすべて夢だったし、気のせいだった。

『悪かったな』

もう、何も考えないでいればいいと、ぎゅっと、瞼を閉じたの頭に、ひんやりとした手が触れた。やさしい手だ。父のものよりも、大きな手。

は目蓋の裏にその時の光景を思い出し、一度目を伏せる。そして、さめざめとした目をスパンダムに向けた。

「女の過去を探るなど、褒められた趣味ではないな」
「そう言うな。それが仕事だ」
「それで、この哀れな生き残りの素生を暴いて何とする?言っておくが、吾輩、生まれを知られたからといって何もやましいことも、不都合もないのだが」

あの時に、貴族令嬢のは死んでいる。それからは、青雉に引き取られ育て、鍛えられた、ただのである。

貴族の娘であった過去は、今では不要のもの。知られて困ることでもなかった。ただ、もういらないものだと割り切っていることを、こう無遠慮にズカズカと踏み荒らされるのは心地の良いものではない。

そしてわからぬのが、なぜが貴族令嬢だということが、スパンダムの目にとまったのだろうか。これをネタに処刑台に送ろうという、その理由は?

「だから言ってんだろ?貴族は土地を守るために存在してる。お前の親父、伯爵が守っていた土地は、“何”だと思う?」
「答えをご存じなら、あえて問うのは嫌がらせですか」
「いいや、趣味だ」

同じじゃないのか、とは胸中で毒づいた。

「あいにくと、存じ上げない。私は娘だったし、兄が二人もいたのだ。伯爵家の義務など、父が教えると?」
「答えは簡単だ。ヴァナ島の土と、ひとつの棺。今はインペルダウンがある海上に昔は存在していた島の、そこには魚人の混血のガキがいた。名前は、まぁ、なんだっていい。そのガキは、許されざることをした。ガキの死体を収めた棺桶を、世界政府は手に入れなきゃなんねぇ。お前は、世界の敵を知ってるだろう?少将」

聞いた島の名に覚えはなかったし、そんな棺桶の存在も知らない。だがスパンダムが最後に問うた言葉には思い当たるものがあった。このエニエスに封じられている、世界の敵。正義の証明者。准将にあがった時に、はその「世界の果て」への謁見を果たしている。薔薇と蔦で覆われた白い扉の向こう。光をその身に受けた、夢のように美しい、生き物。パンドラ、と呼ばれているものだ。目覚めてはならぬ。古から、何一つ変わらずに存在しつづけるもの。彼女こそが悪そのものなのだという。彼女が悪を肯定し、悪が定まるからこそに、正義が確立しているのだと、そう、教えられた。

の生家と、その、世界の敵がどう関係しているのか。

「これ以上は、知らねぇってお前に言う必要はねぇ」
「申し訳ないが、吾輩にはその島も、少女の名も、棺の場所も一切、心あたりがないのだが」
「その様子じゃ、そうだろうな」

だが安心しろ、と、全く持ってなんの慰めにもならぬ声が続けられた。は、自分が追い詰められているのか、それとも自分の知らぬ家の情報を手にいれられてラッキー、と開き直るべきなのか迷った。

「お前の眼球に刻まれた紋章に答えがあるはずだ。何、目玉は二個あるんだから一つなくたって平気だろ」

物騒な言葉。本気で言う、正気の目をした男の笑顔にはぞくり、と身を震わせた。スパンダムは、にとってなんら取るに足らぬものだった。が、わからぬ。今とて、ルッチとスパンダムを合わせても、は負けぬ自身があった。なのに今、取るに足らぬ、と判じたスパンダム一人に、はどうしようもない恐怖を覚えている。

(逃げなければ)

そう判じた瞬間、がっしりと、後ろ手を押えられ、の体が壁に押し付けられた。がっしゃん、と金属の重なる音。はっと目を開く前に、の全身から力が抜けた。手錠、海楼石。小さく呻き、は荒く息をした。数年前、赤犬に貰ったミズミズの実の能力者になってからは海に落ちたことがないが、なるほどこれでは沈むわけだと思うほどに体が重くなった。

「安心しろ、医療チームはそろっている。麻酔もしてやる。お前は安心してその目を俺に差し出せばいい」

崩れ落ちたをつめたく見下ろすロブ・ルッチの背後で、スパンダムのせせら笑う声が聞こえた。ぎりっとが歯を食いしばって、ルッチを見上げると、ほんのかすかに、ロブ・ルッチの黒い目に動揺が走った。なぜ?とが驚くと同時に、突然、窓の外から明るい声がかかった。

「おや、まぁ。サカズキの言ったとおりだねぇ。長官、遺書の準備はできてるかい?」

窓の枠に腰かけた、赤い髪の少女。は目を見開く。時々、サカズキ殿と一緒にいる、幼い子供だ。がクザンに引き取られた時からその姿の変らぬ子供。ぶらり、と足を楽にして、スパンダムをにやにやと眺めている。

なぜ、彼女がここに?

周囲の疑問など知らぬ様子で、少女は楽しそうに続けた。

「あのね、長官、サカズキがすごく怒ってるんだ。その少将はクザンくんのところの子らしいんだけど、サカズキが、とても大事にしているんだって。傷一つ付けていたら、許さないって。伝言ね?あ、でもやっぱり直接話したいって」

言う途端、スパンダムの机に置かれた電伝虫が鳴った。「ほらぁ」と、目を細めて仄暗い色をした少女が追い打ちをかける。びくと、スパンダムの体が震えた。何度めかのコール。恐る恐る、スパンダムが受話器を取った。

その様子を眺めて、少女はそれからは興味を失ったよう。すてん、と床に降りてそのままとルッチに近づく。

「お久しぶりです」

ルッチは少女に膝をつき、畏まった。少女はそれを無視して、壁に背をつけるを見上げる。

「へいき?」
「……君は?」
「ぼくが誰か、っていうのはどうでもいいよね。問題は、君が苦しい思いをしているかどうかってことだよ。サカズキがね、怒ってるの。すごくすごく、怒ってるの。君が何でもない風に笑って戻ってきてくれないと大変。本当は直接来るって言ってたんだけど、そうしたらパンダの長官は窓から投身自殺するしかないよね」

後ろでスパンダムが「ですが……!!っは…いえ、それは…そんなことは!!!」などと口ごもっている。それをコロコロと喉を鳴らして眺めている少女、に手を伸ばした。

「君を連れて帰らないと、ぼくが怒られるの。それはマズイよね?長官の生死より優先するべきだよね?」
「そこはどうでもいいのだが……なぜ、赤犬殿がお怒りに?」

青雉ではないのだから、しっかりとは今日の分の仕事を終わらせている。わからぬという顔をすると、少女がキョトン、と幼い顔をした。

「なんでわかんないの?」
「青雉が仕事をしていないのか?それなら、」
「サカズキは君が、」
「ちょ、ちょっと待ってください!!!!!!!それは…!!!!」

あどけない顔で少女が何か告げようとする声と、スパンダムの大声が重なった。びっくり、と少女が目を見開き、振り返る。つられても顔を向ければ、全身からびっしょりと、汗をかいたスパンダムが、もう何の音もしない電伝虫を呆然と眺めている。

何か決まったらしい。相手の意見を全く聞かず決定だけ下すのは赤犬の特徴だった。はスパンダムに多少は同情しながら、もう一度少女を見下ろす。

「では、帰るか」
「そうだね。少将をちゃんと連れて帰ってくるのがぼくのお使いだから、手、繋がないと」

はい、と伸ばされた小さな手を取れば、少女がにこり、と笑った。

「と、いうことだ。素晴らしいお迎えも来たことだし、吾輩、これにて失礼するよ」

機嫌よく歩きだした少女について足を進める。ロブ・ルッチが扉を開けてくれた。のためではないのはわかったが、一応、礼の意味を込めて頭を下げる。

「これで済んだと思うなよ」

すれ違いざま、ロブ・ルッチの本気の殺意を向けられた。は目を細め、その顔を見つめる。ロブ・ルッチ。闇の正義の執行者。徹底した、悪の駆除を行う青年。なぜそこまで?と疑問に思ったことは何度もある。CP9は幼いころからその訓練を受けていて、洗脳じみた教育が施されているのは知っている。が青雉に引き取られることがなければ、CP9の訓練所へ送られていたかもしれないという事実を知った時には寒気を覚えたものだ。だが、ロブ・ルッチは、けして愚かな生き物ではないだろう。刷り込まれた正義をいつまでもありがたそうにの見込めるのか?そんなわけはないだろう。ではなぜ、そこまでの正義に固執するのかと、疑問だった。

その疑問が、今、あと少しで解けるような、そんな気がした。

は首を振る。だからといって、どうしたというのか。自分には、関係のないことである。息を吐き、扉をくぐった。スパンダムがいまにも自殺しそうな様子だったことを思い出し、もう一度、ほんの少しだけ同情をする。

少女に手を引かれて歩きながら、は、スパンダムの言葉を思い出した。

の生家の義務。ヴァナ島。そこにいた少女の棺。突然様々なピースを投げつけられた。さぁ組み上げろと言われたわけではない。が、しかし、このまま知らぬふりをしていていいのだろうか。

そして、スパンダムの話を聞いての中に浮かんだ一つの疑惑。

(家族を殺したのは、本当に海賊だったのだろうか)

考えて、は即座に首を振った。今更である。もう、何年も前のこと。暴いてどうする。いや、暴いてはならぬような気が、した。

『仇打ちを望まんのか?』

海兵になるか、とに持ちかけたのは赤犬だった。クザンは、そうしようとはつゆほど考えてもいないようだった。その時に、言われた言葉が蘇る。赤犬は、サカズキ殿は、にそう問うて来た。
は緩やかに首を振ったのを覚えている。家族の敵。憎い、という心が、もうどこにも見当たらなかった。おそらく、あの死体と化した村で過ごすうちに、様々な感情がなくなってしまったのではないかと思う。己の不遇を嘆くより、殺した相手を憎むより、は、あの時ベッドで蹲っていた小さな少女は、ただ、朝が来ないことだけを願っていたのだ。

仇打ちを望むか、もう一度は考える。

(答えなど、決まっている)

今更だ。誰が殺したのであっても、その相手をが殺しても。それで、なんになる。
の手にあるものを、すべて捨ててしまうだけの価値があるのか?

はぎゅっと目を伏せて、首を振った。






最大の論点は
いつだって世界の破滅につながる








アトガキ

捏造もここまで来ると開き直っても謝しきれないですネ。いやぁ、楽しかった……!!!心から謝るところが多すぎてアレですが、赤犬出てきてねぇよ
そして、少女ヒロインを出す予定はこれっぽっちもなかったのですが、出てきました。か、帰れ!!
夜花の世界観に合わせていろいろ妄想させていただきましたー。いやぁ、楽しい。本当…いいね、共演って!!←黙れ。
ありがとうございました!嬢の謎、紋章など、何勝手に付け足してんじゃあぁああボケェエ!!と突っ込みが入らないか心配ですが…。とても書いてて面白かったです。本当に、ありがとうございました。









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