「それではこの件はこちらで処理させていただき、その後、管理させていただきます」

静かな声で、先ほどまで縁卓上で繰り広げられていた会話を締め、白い指がトントン、と書類を纏めた。まっ白いケープの脇に揺れる髪は春の若草。ゆらり揺らしてその主が立ちあがる。それと同時に円卓を囲む海兵らが一同立席し、書類を調えて顔を上げた人物に頭(こうべ)を垂れた。海軍将校らの敬意を受けながら、その人物は困ったような小さな笑みを顔に浮かべて丸い大きな目を細める。

「わたしは大佐です。かような扱いはこの身には過ぎたること、どうぞ平素のようにお計らいください」
「何をおっしゃるのです。大将赤犬の特使であらせられる以上、その言葉は大将赤犬のものも同じ」

中でも歳の行った海兵にそう言われ、ますますその顔が曇ったが、忍耐強さがその目に影を作り、緑の目が伏せられた。そして、一度ぐっと何かを堪えるような顔をしてから、若草色の髪の海兵がその場を辞する。緊張の解けた会議室に将校らが残されて、一同どっと、息を吐いた。

「あれが赤犬の特使か?」
「そうは見えないが」
「大佐なのだろう?将位でもない、しかもあれは、少女ではないのか?」
「うちの娘よりも幼く見えたが」

立ったまま、あるいは着席し口々に言い合う中で、先ほど発言した歳の行く海兵がゆっくりと、静かにそれらの疑問を解決してくれる、一言を呟いた。

大佐は、赤犬と同期、つまりおぬしらよりも年配者だ」



 

 

まっすぐに前を向いて、振り返らないで

 

 

 

 



幼くみえる顔を屈辱で赤くし、は唇を噛んだ。手に持った書類を握りつぶさぬように気をつけながら、海軍支部の廊下を進む。

多忙な赤犬に代わって、その権限を代行し支部への会議、あるいは決定をするためあちこち飛び回るのが大佐、海軍本部“特使”の仕事である。最高戦力もともなればそう簡単に本部を離れられるものではない、が、処理せねばならぬ問題は本部の会議室のみで解決できるものでもない。そのための特使という役目だが、任務中は大将と同じ権限が与えられるため、元帥、大将二人以上の推薦がなければなれぬもの。

はつい一年前に黄猿・赤犬の推薦を受けて、元帥の承諾を得、この役目を得た。青雉は書類提出の期限に間にわなかったため名を連ねなかっただけで、事実上、の保証人には大将三人の連名がある。

だが、その「特使」は戦力重視の役目ではなく、あくまで重用視されるのは状況判断能力・情報処理能力といった文官に求められるスキルのために、軽んじる者もいる。これまでは赴いた支部で幾度かそういった扱いを受けてきた。

その中で、この支部はかなり良いほうなのだろう。当然、ここの司令官である、先ほどのあの老人は赤犬、サカズキとがまだ本部の若い海兵であったころを知っている人物だ。出世コースを歩いていた、有能な、将官クラスを駆け上がる、とさえ言われていた方だが、十年以上前に部下の不祥事の責任を取って、この支部へ回されたと聞く。

は窓ガラスに映る己の顔を見て、眉を寄せた。初めて会った人は信じぬが、これでも、とうに四十を超えた身。それでもまだあどけない、13,4の少女にしか見えぬ姿。成長が止まったのは、いつだっただろうか。肌のつやに変化がないと気づいたのは、いつからだったか。は唇を噛む。いつまでもいつまでも、若く美しくいられていい、と人はそういう。けれど時折、たとえばもう随分と前にに会い、そして何十年かぶりに再開したものは、まるで化け物でもみるかのような眼。

そういう生き物であればよかった。なばら、己のこの身の理由もつこう。けれどは別段、世に言う魔女のたぐいでもなかったし、長寿の一族の出でもないのだ。それなのに、なぜ。

(……こういう思考は、よくない)

ふるふると頭を振る。考えてもせんないこと。特に、自分自身のことなど、わかろうはずもない。それが道理だと、以前誰かに言われた。あれは誰だったのか、覚えていない。

「っ!!」

と、考え事をしていたは、目の前を歩いている人物に気付かなかった。どん、とぶつかる。まっ白いコート、仕立ての良いスーツ。

「っと…すまない。考え事をしていた……」
「いえ、私もなので……あれ?」

顔をあげぶつかってしまった相手に謝罪をしようと面を上げ、はきょとん、と顔を幼くさせた。相手の男も驚いたよう、目を開いて丸くしている。その様子がおかしかったので、状況の把握もよそに置き目を細めて笑うと、こほん、と、相手が咳ばらいをした。

「失礼。しかしなぜ、大佐が」
「特使のお仕事です。えぇ、私も驚きですよ。ドレーク少将。遠征中だったと聞いてますけど」

柔らかい、人を気遣える礼儀のあるドレークの声がは嫌いではない。ゆっくりとこちらを見つめる目に微笑みかけて、はその問いに答えつつ、己の記憶を辿った。海軍本部が誇る、少将。ディエス・ドレークは確か現在××島まで海賊討伐に出ていたはずだ。そう記録にもある。

「グランドライン特有の、突発的なハリケーンに襲われたため、一番近いこの支部での補給・修理が必要になったんだ」
「被害状況は深刻なんですか?」

ドレークの船の海兵は面識がある。彼らに何かあっては、と眉を寄せて心配すると、ドレークが軽く手を振った。

「いや、幸い負傷者は出ていない」
「そう……よかった」
「……」

ほっと息をつくと、ドレークの表情が柔らかくなった。が、それは一瞬で、すぐに何か、心配事があるような、そんな顔になる。沈黙し、じっとこちらを見つめたその目は、揺れている。

「ドレーク少将?」

ここで愛の告白とかされたなら、「ごめんなさい!私ショタコンじゃないの!」とか相手の心に軽いトラウマを作るような発言をしてみるのもいいが、そういうこともないだろう。

何か言いたいことがあるような、けれどそれを口にするのをためらうような、そんな瞳。

はため息を吐き、ついっと、ドレークの手を掴んだ。

「いらっしゃいな。立ち話は足が疲れるんです、この支部は良い中庭があるんですよ、知ってました?」



 


**

 

 



穏やかな春の日差し。そう言えばここは春島だったのだと思いだしつつ、はポシェットから取り出したカップ二つにこぽこぽとお茶を注いでいく。いちいち自販機を探して買うのももったいないと、そういうことではないけれど、つねに常備しているものの一つであった。しかし、まぁ、あいにくとレジャーシートの持ち合わせはなくてハンカチを敷いた芝生の上に座り込むことになった。ドレークはそのまま座ろうとしたのだが、スーツやコートに青草がつくのはよくないとがスカーフを差し出すと、慌てて自分のハンカチを出した。

「……というか、俺は男なんだがな」
「何か不満ですか?」
「……ハンカチを敷いて座るなど、子女のすることだろう」
「偏見です。草の汁って落としにくいんですよ。選択するのがドレーク少将なら止めてません」

はい、とカップを渡すとぐうの音も出ぬドレークががっくりと項垂れた。それで、礼を言って受け取ると、が口をつけるのを待ってから自分もカップを傾ける。

「変なお茶じゃないんですけど」
「……モモンガ中将から、の出すものは警戒するように、と忠告されてる」
「わかりました、モモンガさんですね。ふぅん、そうですか。へぇ」

うっかり名を出したことに気づいたドレークは「う」と、今後起こりうることを想像したらしい、顔を引きつらせ、ごまかすように「美味いな、この茶は」と、妙に不自然な声で言う。ドレークと、年齢は当然のほうが上だけれど、しかし、彼がの階級を越えた日から、己に敬語を使うな、とそうドレークに言い含めている。最初そこは抵抗があったドレークも、今は馴染んでいた。
ころころと喉を震わせて笑いながら、はことり、と首を傾げる。

「何か、私に話したいことがあるんですよね」

昔から、この子(というと、もう十分大きく育っているので変だが、にとってはいつまでも、ドレークは海軍にあがった頃の坊やのままである)は何か悩み事があると、じっとを見つめていた。もともと遠慮がちなところ、人に気を遣いすぎるところがある。人のことを気にしすぎて胃を壊しやしないかと案じていたら、まさにその通りになったので、笑ったが。

ドレークにとって、己は母のような、姉のような、そんな立場なのだろう。それを別段煩わしいと、そう思ったことはない。むしろ出来る限り話を聞いてやりたかった。

(この子は昔から、悪い意味で、まじめすぎる)

素直さ、実直さ、真面目さは美徳であると、そう考えられる世にあるが、しかし、そうではない面もあろう。ドレークのまじめさはまさにそれだった。真面目すぎて、悩んでしまうのだ。だから、いつのまにか、重い荷物が肩にのしかかる。本人はそれをいつも馬鹿丁寧に受け止めてしまっているのだ。だから、はできるかぎり、ドレークの話を聞いて、少しでも、それが軽減されればいいと思った。

「……わからなく、なりそうなんだ」

暫くの沈黙、湯気の立っていたカップから、白く立ち上るものが消えて少し。やっとぽつり、とドレークが口を開いた。ちょうど傍を白い蝶が横切ったところ。目で追いながら、消えて行き、は視線をドレークへ戻した。

「何がです?」
「……正義が」
「ドレーク“少将”」
「……いや、わかって、るんだ」

どちらだ。と、そんな意地の悪い突っ込みはしない。は目を伏せた。正義、正義、正義、正義、それがわからぬ、とドレークが言う。

ドレークは深い息を吐き、カップを床に置いてから、片手で顔を覆う。

「いや、わかっている。わかって、いるんだ。海軍の正義、絶対的正義、わかってる。わかっているんだ。知っている」

話そう、と決めたことで混乱しているらしい。人に何かを語るときは筋道を立てねばならぬ。それで、自分がどうこう話そうとかと、考えてさえらに迷路にはまりかけているらしい。は両手でカップを包み込み、ドレークを見つめた。

「そうですね、えぇ、そうね。あなたはわかっているから、わからないのね」
「……」
「海軍の、この、世界の正義が何かを知っている。何もかも、承知、というほどではないけれど、けれど、知ってしまっている。その上で、どうしても、理解できぬと、そういうことなんですね」

ゆっくり、ゆっくりと噛み砕いて口に乗せる。ドレークが顔を伏せた。真面目な子、とは胸の中で呟いて、眼を伏せた。

「……いや、すまない。忘れてくれ。妙なことを、言った」

その反応をどう捉えたか、慌ててドレークが手を前に出して振った。不安、なのだろうとにはわかる。何もかもが、すっかり、最初のころよりもおもがわりをしてしまう。それが新兵から、将官にまで上り詰めるということだ。当初抱えていた己の正義は、今も変わらずその心にある。それなのに、そうではならぬと、それが正義であると掲げられぬようになる、その歪み。しかしそれは、けして間違えた正義ではないのだけれど、それをそうと、受け入れることが、どうしても、この真面目な子にはできぬのだ。

「忘れませんよ、わたし、記憶力はいいんです」
大佐、」

ドレークの困ったような顔を眺め、は眼を細める。

「背を伸ばして、真っ直ぐ、前をお向きなさい。ディエス・ドレーク少将」

あまやかな少女の声、ではない。はっきりと、朗々とさえある声。ゆっくりと立ち上がるに、ドレークははっとして、反射的に己も立ち、姿勢を正した。普段から姿勢はいいが、意識して正せばぴん、と真っ直ぐに背が張る。は己も姿勢を正し、自分よりも幾分背の高い、けれどもの眼にはどこまでもどこまでも、少年にしか見えぬ、迷うことをためらい、それでも定められた道を行くこともできぬ、ドレークを見上げた。

「あなたのことを助言しても、きっともう答えのでていること。意味はないでしょう。だから、わたしの話をします。いいですか」

ふわり、ふわり、と春の匂い。二人がたたずむ場所、聳えるのは巨木。いや、老木、とさえいえる桜木。散り行く白の度合いのほうが強い花弁がはらはらと二人の周囲に舞いながら、は微笑んだ。

「結論から言えば、わたしは悩まないことを選んでいます」
「……それでも、時折ふと、立ち止まって悩むことは?」
「ないですね」
「……そうか」

きっぱりと宣言する。嘘、をついているつもりではないが、しかし、自分で言いながら、何を白々と、とは思った。時折ふと、恐ろしくてしかたがないくせに、なんでもないふりをする。それを、人は強いとそういうこともあるけれど、違う。自分はただ蓋をしているだけに過ぎない。

「理解しきっている、そんなことじゃあないですよ。そんなことは、無理です。だって、そうでしょう?私はこの世界の正義、正しい、良いもの、と肯定するための海兵なんですよ」

は、自分に疑問を投げかけて、揺らぐことはごめんだった。いや、己は、そうなっても許されるだろう。大佐、なのだ。まだ、まだ、絶対的正義から逃げ出すことはできるし、迷い、悩み、苦しむことが許されている。けれどは、そんなことはごめんだった。

自分が揺らげば何かがかわる、そんな大それたことは考えていない。けれど、ごめんなのだ。

(あの人が、揺らがずにいるのに、どうしてわたしが揺らげよう)

眼を伏せれば瞼に浮かぶ、昔っから、いつもいつも眉間に皺を寄せて、口元を険しくさせていた、サカズキの姿。世間で彼がなんと言われているのか、知っている。本人だって、知っているだろう。けれどサカズキは躊躇わないし、揺らがない。大将だから。

「振り返らないで、前を向いて、真っすぐ、真っすぐ、そうすることを選んだんです」

ぴん、とは背筋を伸ばす。小さな体、幼い顔。人に初見侮られることが常となる。それを疎まぬわけはないけれど、それでも、そんなことで悩み、苦しむことなど、己の矜持が許さぬ。

己はただの大佐。サカズキのように、その肩に世の正義の最終責任があるわけでもない。それでも、そうだとすることは、嫌だった。あの人と同じ立場になりたいわけではない。けれど、あの人が揺らがぬのなら、自分も、同じように、揺るがぬことを続けたい。

あの人は、躊躇うことも、揺るがぬこともせぬ。だからきっと、泣くこともしないのだろう。だから、はあの人の泣けるところ、に自分がなる必要はないと知っていた。

あの人は、誰も必要とはしていない。自身の考え、主義、思想を貫くことを、悲観せぬだろう。
だから、これは自分の意地だと、は理解していた。

それでも、そうと決めた以上、もう立ち止まらないのだ。

「なぜ、そこまでの忠誠心を?」

暫くの沈黙、の顔を見つめていたドレークが、眉を顰めてそう問うた。いや、問いというよりは、無意識に口から漏れた言葉であったのかもしれない。は首をかしげた。

「忠誠心、ではないですよ。たぶんそんな、素敵なものではないですね」
「では何故だ」
「考えないようにしています。理由は、ないとだめですか?そうしたい、と思っているだけ、それを何十年も続けている。どうして、なんて考えずとも、わたしは構わないのに」

若い時分は、何もかもに理由をつけたがったものと、懐かしむ。どうして、なぜ、なんで、そんな言葉を並べ立てて、暴かずともよいことを暴いた。けれど、突き詰めてなんになるのか。

「これがあの人を愛しているから、とか、好きだから、とか、そういう風に決めてしまうのは、何か違う気がするんです。そうと決めれば、その言葉に相応しい対応をしなければならないような、そんな気。男性としてあの人を愛しているからこうしているのなら、あの人が女性を部屋に連れ込んだら嫉妬しないといけないし、人として愛しているのなら……とりあえず、精神科に行きます。なんであんな、外道さんを?ってね」

冗談めかして言えばドレークがやっと表情を柔らかくした。声を上げて笑うことこそなかったけれど、何か、苦しみのようなものが彼の眼から消えた。それを見止めて、は微笑む。

「だから、わたしは貴方が海軍を辞めて海賊になったら、容赦はしません。慈悲などかけられると思わないで下さいね。わたしは、恋にうつつを抜かし己の身もわきまえず海兵でありながら海賊と親しくするような、そんな半端物にはなりませんよ」
「……さすがは大佐、手厳しい」

冗談を交えた、その次に鋭い剣を繰り出すもの。そうでなければか弱いどこその姫君、そういうものがごめんであるのだから、はドレークの言葉を素直な賛辞と受け取った。

別段、何かを知っているわけではない。ドレークが海賊になる、などとかけらも思わぬのだ。今でさえ、はそうは思えない。たとえ、ドレークは海賊に身をやつしたところで、結局はそうはなれぬのだ。海賊が掲げているのが悪だ、とそんな決まりごとがあるこの世の以上、ドレークは海賊にはならない。

海賊にも良い連中はいる、とそういう話もわかるが、しかし、それを肯定すれば、海兵の正義が揺らごう。ならばは蓋をする。

大佐!」

建物から、自分を呼ぶ声が聞こえた。は振り返り、その腕をドレークに掴まれる。

「何ですか」
「……すまない」

誤られるような覚えはない。なんに対してか、と考えをめぐらせていると、そのの真横を通り過ぎて、さっと、ドレークが言ってしまった。すれ違い様に、僅かに薔薇の匂いがしたもので、は目を細める。世界に疑問を投げかけたところで、黙して世界は何も語らない。だから、人は足掻くのだろうか。そんなことを考えながら、去っていくドレークの、白いコートの揺らぎ、背負う正義の二文字を、じっと眼に焼き付けた。


それが、が見た、海兵としての、ディエス・ドレーク少将の最後の姿である。


 

 



Fin


 

………はいっ、えぇ!!本当!!!ね!楽しかった!そして趣味丸出しですいません!!!いやぁ、ドレークさんを父親ポジション、というのはうちのヒロインで出来るんですが、ドレークさんを子ども扱い、という形で一度書いてみたかったので!!
……いや?別に、少女ヒロインもいい年ですから、できなかないかもですけどね?

……あの子は上目線なんですよΣ 嬢はちゃんと母性!慈愛と慈悲がなんかありそうじゃないですか!!!えぇ、趣味でしたとも!!!!
ドレークを敬語にしようとも思ったんですが、そうすると嬢との会話の区別が一見でできないのでこうなりました。
……ね、赤犬夢主さんなのに、どうしてドレーク書いてるんだろ…。赤犬夢は、個人的には直接本人を出さずに、けれどその深い思いを、というのを書くのがスキです。

とても楽しかったです!!ありがとうございました!!!!

 


 

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