大好きだよ

 

 

 

 

 

 


背後から感じた殺意に地面を蹴った。元々気配に敏感な方ではないけれど、避けなければ自分の人生が終わると動物的な本能が身体を動かしたらしい。一寸先まで自分が背を預けていた木が斜めに切り裂かれ、ずしりと葉を散らしながら倒れていく。
命を狙われる覚えがないわけではない。少なくとも、一年前までは戦場にいて、多くの命を奪ってきただったから――やるかやられるかの瀬戸際だったという理由はあるにしても――人間は恨みを買わずには生きられない生き物であることは理解している。
「だれ?」
小さく虚空に向かって呟くが、何かがいるらしい宙に何者かを視認することはできなかった。人間のものではムリか。思考回路をペコポン人のものから、本来の智天使のものへと変換する。水素を媒介としなくて判別できる限界は、うっすらとしたものだった。
(アンチバリア…それも、クルルくんたちよりもずっと強力なヤツだ。これは、特殊部隊の)
 片目しか見えない目で空の微かな歪みを見詰めて眉を寄せた。おぼろげながらであれば、なんとなく、程度には解る相手。しかしこちらからは目に見えないのと、相手には丸見えなのでは戦況は全く変わる。しかも、最初の一撃は偶然回避することができたけれど、相手の力量は明らかに上だ。
 無駄だと解りつつも、一応の保険として校舎の影に身を隠しながらはサバイバルナイフを取り出す。統治国家日本でこんなものは必要ないだろうと思いながら、それでも毎日手放すことが出来なかった武器が役に立つ日がやってくるなんて。
(狙われてるのは、ボクだけだといいんだけど)
 昨日から異変が起きていることは気づいていた。ケロロたちと接触したペコポン人たち周辺の電子機器が一斉にハッキングされて、画面にはKORONの文字が表示されていて、夏美たちはケロロを疑っているようだけれど、ケロロたちなわけがない。彼らが何だかんだと言いながらも地球を間接的に侵略者から守っていることはにはよく知っている。
 では何者か?
 先ほどまで考えられるだけの可能性を頭の中で思い浮かべていたが、その矢先にこの襲撃。考えるよりは、その答えは先ほどからこちらの出方を伺っている透明人間が教えてくれそうだ。
目を閉じてゆっくりと辺りの気配を探る。まるで空気のように相手は気配を消してしまっていて、では居所を捉えることは出来そうにない。
よほどの戦闘…それも、暗部のプロフェッショナルだということか。
(この気配の消し方はドロロくんに似ている)
「……死…ネ」
「!」
 思い浮かべた可能性を思考するまえに、左胸に焼け付くような痛みが走った。
このボクが反応できなかったなんて!
 戦場から遠のいたとはいえ、日々の訓練は欠かさなかった。相手の力量がこちらちより上であっても、ゲリラ戦に持ち込めば引けをとらないつもりでいた。
 だというのに、相手はそんなことなど関係なしに絶対的な素早さで攻撃してきたのだ!
「くっ……」
 それでも第二撃がの首を切り落とす前に走り出す判断は出来た。確実に心臓を狙って繰り出された鋭利な刃は背中から左胸下を貫いて穴を開けている。硬い骨を避けて急所を切り裂いた凶器に身震いしながらも、は走った。傷つけられた肺は凝縮するたびに血を喉に送ったけれど、そんな痛みに苦しんでいてはここで殺されてしまうであろうことはわかりきっている。
 はその一瞬全てに自分の生を賭けた。
 迫り来る相手の方が速いことは明らかで、一瞬こちらが走り出すのが早かった意外にリードはない。もうすぐ背後まで迫りきっているのを感じながら、はフェンスを飛び越えた。着地するより先に、フェンスは切り裂かれて大破する。
 足首がかまいたちに合ったようにパックリと割れた。痛みに顔を顰めるの髪が散らばった。相手は髪を狙ったのではなくて、頚椎を狙い、外したのだろういっそ首を落とされた方がマシだと思った。
ボクの髪!折角伸ばしていたのに!
 飛び込む先には中学校のプールがある。H2Oの容器にこのまま倒れこめば、一気にケロロ秘密基地にまでコレクトして逃げ延びることが出来る。
 は切り落とされた自分の銀髪を目の端に捉え、その場に立ち止まった。

 

++

 

 

 無様に逃げ延びる一方だったペコポンの女が突然立ち止まった。相手は戦闘経験があるようで、ゾルルの攻撃を全て紙一重で交わしているからゾルルとの圧倒的なまでの実力差は悟っているはずだ。
 それなのに、立ち止まり挑もうとしているのは何故だ?
 何か罠があるのだろうか。可能性がないわけではない。ゾルルの知る限り小柄で力のない軍人ほどトラップを仕掛け力の差を生めることが上手かった。
 しかし、相手の女はサバイバルナイフを構えているだけで特別注目すべき点は見当たらない。ハッタリだろうか、思案したのはほんの一瞬で、次にはゾルルは左腕のブレードで女の首を切り落とす――はずだった。
「……」
 金属の震える音がして、ゾルルの左腕に皹が入る。地球で精製された鉄ごときではケロン星最高高度を誇る金属で作られたゾルルの外殻を傷付けることは不可能だ。
 しかし貧弱な星の金属は、ゾルルの腕に皹を入れた。
(コレ…ハ)
 アサシンの勘がこの女は危険だと告げた。いや、先ほどまで逃げることに集中していた女であればゾルルの敵ではなかった。だがこの女は、髪を切られてから振り返ったこの女は危険だった。
「……オマ…え…は、何者…ダ」
 ゾルルの狂気に満ちた瞳を真っ直ぐに見詰めているのは、感情の一遍も伺えない黒い海のような目だ。
 鮫が潜んでいそうなほの暗い黒真珠はゾルルのような殺戮者すら身震いさせる闇が潜んでいた。
 コノ女…は、何者ダ?

 

++

 

 

 ずるずると動かなくなった青年の体を引きずって、はプールの淵に立った。
 手に付いた機械油は皮膚に不快感しか与えないけれど、それよりも、は自分自身の所業に苛立ちを覚えている。
(また、やっちゃった)
 舌打ちをして、誰も見ていないのをいいことに思いっきり顔を顰める。
 体の組織同士の間を潜り抜けて貫いた一撃は、いっそ見事と言うほど、惚れ惚れするほどの切り口で、自分ならば止血点さえ抑えればそれほど大事にはならないだろう。ぱっくりと白い骨を覗かせる左足からは思い出したかのように血が溢れてきている。焼け付く痛みにため息を吐いた。
 最近はすっかりとナリを潜めた自分の醜い影を、どうして押さえきることがいつもできないんだろうか。 
「ポイントsda14,323座標3245,3224から接続。目標……」
足を水に付けながら瞼の裏に画面を表示させ、脳内のキーボードを叩く。常人には聞き取れない奇妙な音が小さくの心臓部で響き、何の変哲もない学校のプールに異次元ホールに変化した。
「……まったく、ヤんなっちゃうよね。第一、どうしてほっといてくれないんだろ。あ、ほっといたらダメなのか」
独り言を言いながら、は傍らの青年に視線を向けた。
体の半分が金属で出来た、恐ろしいくらいに強いケロン人。実力は同じケロン人のドロロの方が上なのだろうけれど、この男にはドロロにはある躊躇いが欠片もない。ドロロにはある、守りたいものが感じられない。
それは、生き物が生き物を殺すには一番相応しい状態で、けれど生き物として生きるには最も寂しい状態だ。
「……」
一瞬この男に対して感情を持ち始め、は振り払うようにリヴァリープールに突き落とした。
「まったく、ヤんなっちゃうよ」
 もう一度呟いて、は自らも入水した。
 このケロン人が一体なんの目的でやってきたのか、それを調べなければ。

 

++

 

 

 リヴァリープールを抜けると、見慣れた地価秘密基地に足を着ける。すでに先に送り込んでいた金属の殺戮者は着地点に倒れている。
「サララ少尉」
懐かしい声に、最も嫌悪する名を呼ばれた。の瞳が猫のように細くなり、振り返った。
「……やぁ、久しぶり?ガルル中尉殿」
「ゾルル兵長を倒したのは君か」
「倒したんじゃないよ、彼がボクの髪を切ったからスイッチ入っちゃっただけ」
キミの部下だったんだ?と問いかけて相手と距離を取る。ガルルの手に握られているのは彼の愛銃。ケロン軍最高精度を誇るこの男に銃を向けられて、対抗する手段は思い浮かばない。
「ここ、ケロロくんの基地なんだけど。あぁ、そっか。大佐が本腰入れようとしてるのかな。それでいまだに充分な戦果の上がらないケロロくんに代わってキミが来たと」
 興味のない声音で言いながら、は周囲を見渡した。接続先を地下施設メインルームの下に向けたのは皆が非難しているならここだろうとふんだからなのだけれど、見る限り仲間の姿はない。
「聡明さは相変わらずのようだな。サララ少尉。だが、君は一つ間違えている」
 ガルルの言葉に眉を寄せるのと、の目が少し上がったステージの上にガラスドームを発見するのは同時だった。
 薄暗い明かりの中、二つのガラスケースがこぽこぽと泡を噴きながら薄っすらと浮かんでいる。のよく知る光景だった。
「動くな」
 がゆらりと体を揺らしてサバイバルナイフをガルルの首に押し当てようと足を踏み出したが、すでにガルルの銃がの眉間に狙いを定めていた。
 ガラスケースの中には、同じ姿の緑の幼態をしたケロン人が目を閉じて逆成長を続けている。
 十五年前、がまだ地球に来る前に何度も見たものと同じだった。あの忌まわしい設備を、この地球に持ってきたことよりも、その中に入るケロン人には恐怖を覚えた。
「ケロロくんを、どうするつもり」
「愚問意外の何者でもないな。サララ少尉。君の間違いは、私がケロロ軍曹殿の代行として派遣されたという指摘だ。私はあくまで、部隊の隊員に過ぎない。地球侵略の新部隊隊長は、ケロロ軍曹に変わりはないのだよ」
 生真面目に言葉を紡ぐ紫の軍服を纏った軍人が、の手に握られたサバイバルナイフを剥ぎ取った。
 ケロロが「隊長の資質」を持っていることは知っている。そのため、その稀な遺伝子のためにコピーを用意されて、何か不都合があればオリジナルの記憶を消去し、コピーが代行させられ、オジリナルはコピーの予備として卵まで戻される。
 今回の地球侵略は、あの大佐の艦体が指揮するものだから、先行部隊の隊長は“ケロロ軍曹”でなければならないのだろう。隊長の資質を持つ者が、未開の地を切り開く功績を残すことを上層部は望んでいるのだ。あの狡猾な大佐がクルルの情報操作に気づかないはずがない。いや、クルルのデータ改竄は完璧だろうが、あの男は誰も信用などしてない。地球のメディアを少し傍受すれば侵略が全く進んでいないということは一目両全だ。それを、いつまでも放っておくわけがない。
 となれば、いつかケロロが処分されて、コピーに取って代わられてしまう可能性がある。それはケロロと同じく、ケロン星の不条理なシステムの犠牲になってきたには手にとるようにわかった。
 けれどケロロは地球を侵略することよりも、自分が消されてしまうことよりも、ここでの生活を守ろうとしていたから、はいつかこんな日がくることをわかっていて何もしなかったのだ。
(でも、まさか、キミが来るなんて)
 いっそ腹が立つほど丁寧に、膝を折ってゾルルに負わされたの負傷部分を観察している男を見詰め唇を噛んだ。痛々しい傷口を眺めるその金色の目が痛ましそうに僅かに細められたのはほんの一瞬で、は気づくことはなかったけれど。
「治療を受けたまえ。そのままでは、いくら君でも命の保障はない」
「ボクの命の保障なんて必要あるの?死体さえあれば本部はいいはずだ。むしろ好都合だろ」
 銃口はもう向けられていない。けれど逃げ出そうとすればすぐにこの男は、なんの躊躇いもなく自分を撃つだろうと思った。
「キミなんて大嫌いだ」
「嫌いで結構。治療を受けなさい、サララ少尉」
 何度も、忌み嫌う名前で呼ばれて呼吸が苦しくなる。
「……クルルくんは無事なんだろうね?」
 呼吸を整えるために、心の底から大切な彼の名を呟いた。その途端、ガルルの眦が上がる。昔と変わらない、彼が不機嫌になったときの癖だ。それを確認して呼吸が随分と楽になった。
 ざまぁみろ。ボクのこと好きだとか言ったくせに、ケロロくんが精神洗浄されるのを怖がってるの、知ってたくせに。

 

 

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 の体がぐらりと重心を失って崩れた。貧血と精神疲労で気を失ったのだろう。
けして軽症とはいえない傷を負って、長距離移動接続を二人分も行えば当然だ。
ガルルは、おそらく先ほどまで徹していた冷徹な軍人とは思えぬほど幼い顔でを見下ろし、そっと抱き上げた。
、君は私を憎んでいるだろうけれど、それでも私は君が心配なんだよ。いつも、いつまでも」

 

 

 

Fin