コンビニ天使が泥人形をいびるだけの話
どさり、と道上に落とされた紙袋に一度視線をやって(そして中からごろごろと色の鮮やかなオレンジがこちらに転がってくるもので)坂の下に立っていたアダモ・フォースは腰をかがめて足元のオレンジを手に取った。
「割れ物はないか?私は時間を戻せないからどうしてやることもできないぞ」
そうしてオッドアイを坂の上の少女に向ける。こちらにいてもはっきりとわかるほど少女の顔が苦痛に歪み、アダモの心無い一言に目を伏せた。アダモは何も本気での買い物袋の中身を案じたわけではなくて彼女と偶然鉢合わせ、そして彼女が「どっちなの?」と探るような目をしたものだから、泥人形、といくら創造主、あるいはその左腕に蔑称を頂こうと己で名乗る気はもてないから、だから「時間を戻せない」と彼女が何か言う前に、彼女の心に「ルシフェルかもしれない」とそういう期待が沸く前に宣言した。いや、確か己と同じ顔の男女は現在自分と同じように時間を操る力などないらしいが、しかし「こうして宣言する」ということが「己はアダモである」ということに他ならないのだ。
腕を伸ばしオレンジを差し出すと、坂の上に立ちこちらを見下ろし、微動だにせぬの瑠璃の瞳に一時の失望があることを見止めた。
「、」
「泥人形が彼女の名を呼ぶなんて、そんなに兄さんのフリをしたいのか?寂しいやつだな」
一歩足を動かして坂を上がろうとしたアダモは、の背後からひょいっと顔を出した黄金の天使に顔を顰める。出やがったよ金髪天使、なんて口の悪い突っ込みはしないものの似たようなことは胸中で思った。さて、現れた大天使はアダモの緊張もの失望も気にせずに腰を折って、地面に落下した紙袋の中身を改めた。
「あぁ、酷いな。折角が楽しみにしていた木苺のジャムの瓶が割れてしまってるし、卵も3つ駄目になっているじゃないか。6個入りだったし、これじゃあ台無しだよ」
その白い指をぱちんとやれば「台無しになった」品々の破損をなかったことにするなど容易いだろうに、態々アダモの失敗を突きつけてくる。嫌味といえばこれほど嫌味なこともない。アダモは己がいくらフォース、デビル、あるいはかつて天上界で讃えられた時間を操る大天使と同じ容姿をしていたところでアダモは「無能」だと突きつけられているような気がした。いや、それすらもこの目の前の光の大天使は「被害妄想だよ!」と一蹴にするだろうけれど。
アダモは神や天使というものがつくづく嫌いになったが、未だ一言も言葉を話さぬが気にかかり彼女の顔を見ようと首を動かした。しかしアダモの翡翠の目にの姿が映りこむ前に、ばさりと広げられた純白の翼がその姿を包み込んだ。
「あぁ、すまない。これ以上の瞳にその姿を晒すのは忍びなくてね。ただでさえ最近彼女は不安定だし、その顔と声で彼女に話しかけないで欲しいんだ」
「顔と声ならあなたも一緒ね、ミカエル様」
大天使というのはSが多いらしいとアダモがそんなことをしみじみ感じているとその白羽にすっぽり覆われていたが揶揄するように呟いた。そしてぐいっと自ら大天使の抱擁を押しのけて彼の持つ紙袋の中身を改める。一瞬の眉間が寄り(アダモは叱られるかと身構えた)ゆるゆると首を振った。
「大丈夫よ、問題ないわ」
「私が修復しようか?」
「いいえ大丈夫よ、ミカエル様。ジャムの瓶は元々小さなビニール袋に入れてあったし、この皹程度なら家に帰って移し変えれば大丈夫よ。卵はケースの中で割れてるけど、わたし、今晩はオムレツにしようと思っていたから丁度いいわ」
「素晴らしいよ。君は特別な力などなくても状況を良い方向へ導ける強い女性だね」
「不思議ね、大天使様に口説かれてる気分になります」
微笑むを大天使は賞賛し、彼女に微笑みかけた。先ほどからの態度を見てアダモは一瞬「こいつら堕天しないのか?」と突っ込みを入れたくなったが闇の御子だけではなく光の御子まで揃って堕天なんて展開はきっとないだろう。まぁとにかくアダモはが気にしていないようなのでひとまずは安堵し、さてこの頭上にいる(直接のではないが)上司たちとどうすれば一刻も早くさようならをできるか考える。
アダモ、アダモ、神や大天使からは「泥人形」などと呼ばれている、堕天した元大天使ルシフェルの成れの果てフォースに酷似した姿を持つ妙な生き物。創造された目的はただ一つ。己と同じ顔の男女を探し出すこと。自分のほかにも「泥人形」は複数いるらしいがはっきりとした数は把握していない。もう随分と長いこと「この顔に見覚えはないか?」と尋ねまわって、それでもまだ見つからない。いい加減立ち止まりたい、疲れたと思うのにこの体が自然に消滅することはない。ただフォースとイズメロンを探し出すことだけが「終わり」であるのでこんなところでコンビニ大天使とヤンデレ女子高生に構っている余裕はないのだ。
「じゃあ私はこれで、」
とりあえずオレンジをその場に置いてくるりと踵を返すが、空気を読まずその背にの明るい声がかけられる。
「あ、待ってください。ミカエル様とお茶をしようって、買い物をしてわたしの家でお茶でもどうかって思っていたんです。あなたもよければいらしてください」
彼女は先ほどの私とミカエルのやりとりを見ていなかったのか?アダモはその(大天使の)美しい顔を引きつらせ坂の上のを見上げた。相変わらず美しい瑠璃の目の少女は悪意の欠片もなくこちらを見下ろしている。
あぁ、そういえば私は彼女に会いたいと願っていた時期があったな、などとアダモは自分の黒歴史を思い出す。神に作り出された自分はまず天使長であるメタトロンに挨拶に行ってから地上に送られた。その時にその大天使メタトロンの傍らに控えていた美しいひとがで、まだ今後己がどんな目にあうのか知りもしなかったアダモは「必ず使命を果たしあなたの憂いを絶ってみせる」と誓ったのだ。メタトロンの隣にいる黒髪の彼女があまりに美しく、また憂いを秘めていた。きっと自分が作り出された理由「大天使が反逆し地上を彷徨っている」ことがこの美しい人の心を苦しめているんだろうとかなんとか…いや、本当黒歴史だ。
「残念だがね、。こいつらには食欲やら味覚ってものがないんだ。感じてるフリはできるだろうけど、まぁ所詮は見かけだけ真似て造られたものだからね」
なんであんなこと言ったんだ過去の私、と、それこそミカエルに頭を下げて時間を戻してもらえるのなら修正したい(たぶん頼んでもしてくれないのでしないが)過去だった。ありありと思い出し頭を抱えたアダモを一瞥し、ミカエルが相変わらず「君は私が嫌いだろう?」としか思えない発言をしてくる。
「そうなの?」
「あぁ。まず「欲」というものがないんだよ。肉体が疲れることもないし眠くなることもない。欲の定義を「本能」と仮定して、こいつらにも「欲」があるとすれば、それはフォースを探し続ける、探し出す、ということだろうね」
哀れだろう?とに同意を求める大天使。アダモは「こいつは悪魔じゃないのか?」と神に聞いてみたくなった。しかし言い方はさておき事実であるので否定するのも面倒だった。アダモが黙っているとが小首を傾げ、そしてぱたぱたと坂を駆け降りてきた。
「、走ると転んでしまうよ!君はそそっかしいところがあるから、」
「あ」
ミカエルが腕を伸ばすも間に合わぬ、駆けたの足が躓き体が宙に浮いた。一瞬のことで、アダモはやはり彼女に怪我をさせてはならないだろうと判断し受け止めるべく身を乗り出した。
「私はどんな時だって、お前たちにを触れさせる展開は認めないんだよ」
ぱちん、と指をはじく音がした。アダモが目を見開くと時間の停止したが驚いた顔のまま、やはり止まっている。その後ろからコツコツと足音を立ててミカエルが降りてきた。
「できる限りにはこの力を使いたくないが、まぁ、仕方ない」
言ってミカエルは次に時間を動かしたら丁度しっかりとを受け止められる絶好の位置で立ち止まり、狼のような金の目をちらりとアダモに向ける。
「時間を戻す前にここから立ち去ってくれないか。できれば半径100キロ以内に近づくな。お前たちはフォースを探すのだろう?この付近は私がいるから兄がいればそうと気付く」
「あぁ、なるほど。つまり今後一切彼女には近寄るなと言いたいんだな」
こちらの皮肉にあっさりとミカエルが頷くので「お前私が嫌いだろう」とアダモは寸でまで出掛かって何とか押し止めた。
半径100キロだなどというのはこの大天使なりにこの「泥人形」に気を使ってくれているのかもしれないという気味の悪い予想もある。大天使ミカエルの力を持ってすればフォースがこの国にいるのかいないのか探ることはできるはずだ。たとえフォースがその力や特徴を隠していたとて、天地創造以前に創られた双子の大天使。片割れであるミカエルは誰よりもすばやく把握することができるだろう。神もそれを考えミカエルを地上に光臨させたのではないか。と、そこまで考えてアダモは普段から考えたくもない「疑念」に行き着いてしまった。
(つまり大天使ミカエルが探すのが最も効率がよく、また適任だ。なのになぜ神は私たちを作ったのか。明らかに「愚策」といえるこの手段で反逆者を何百年も追い続けているのか。私の存在は「無駄」ではないのか)
考えてはいけないことだ。自らのレゾンデートルを否定するな。アダモはずきずきと痛み出した額を押さえ頭を振る。考えるなと思うがフォースの他にアダモが考えられることなどない。こういうふうに創り出した神を憎んでも天使でない自分が堕天しヒトになることも叶わぬと、そう突きつけられた気がした。
それなら先ほどのミカエルの言葉は「100キロ以上なら探し続けていい」という彼なりの優しさではなく、やはりただの嫌がらせだったのだろう。
「時間を戻したら、彼女に「すまない」と伝えておいてくれないか」
「あぁ、わかったよ」
天使の言葉を信じられない自分はやはり泥人形なのだろうか。あっさり即答するミカエルに一抹の不安を覚えながらこれ以上ここに長居すると目の前の大天使に燃やされそうだったのでそのままカツン、と踵を返すことにした。
歩き出すアダモの背に、聞こえよがし、というほどあからさまではないにしても聞こえるか聞こえないか程度にぽつり、と「全く、どうして彼はあんなものを作ったのか」とため息交じりの大天使の声が聞こえた。
(そんなことは私が一番知りたいさ!)
Fin
(2011/08/30)
神様がアダモを創った真意はわかりませんが、個人的にはただの嫌がらせだと思います。誰に対しての嫌がらせかいろいろ考えるととても楽しい。
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