(今でもよく覚えている。あの最後の朝をよく、思い出せる。黒ふちの眼鏡にスイスの銀行員のような紳士服と帽子。それに、いつだって硝煙臭い掌。私は彼のベッドに縋り付いて彼が息を引き取ることを全身で拒絶していた)

夢を、見ているらしいとはぼんやりと思い出す。もうずっと前のこと、それが夢の中でありありと浮かんでいる。ベッドになき縋るかつての己を見下ろしながら、あぁあの頃の自分はなんと幼く傲慢なことを喚いていたのだろうかと呆れるばかりだ。

あの頃の己は、死に行く彼にに死ぬなと叫んだ。ゾンビパウダーの試作品を使用しての改造人間である己とそれでもあの手この手を(たとえば成長因子操作薬(フェニキサミン)など)使って気の遠くなるほどの歳月を共に生きてくれたただ一人の恋人が、やっと死を迎えられたと言うのに、己は自分のことしか考えていなかったのだ。

「ごめんね、君を、一人にする」

彼は年老いた体に似合わない、深いアイスブルーの瞳を曇らせて言った。謝るのなら、おれを遺すな。はそう言って泣いた。彼は優しく恋人の頭を撫でて息を吐いた。今ではもう、確認するように呼吸をするしかない彼はゆっくりと口を開いて続ける。

「君が、いつか終われる日は…いったいいつになるんだろう。ガンマもエルウッドくんも、ウルフィーナくんもいなくなって随分と経つ。きみを一人きりにすることが僕はとても恐ろしい。僕の愛しい大切な、」

言葉は切れた。の記憶もそこで途切れる。急速に浮上する意識の中で「あぁ、その時あいつはおれをなんと呼んでくれたんだったろうか」とは思い出そうとし、結局できなかった。





 

 

 



赤い空


 

 

 

 







「博士、博士!博士!」

突然名を呼ばれて現実に引き戻された。はっとして顔を上げるとそこは試験管やら書類やらなんやらと片付ける気力というものを根こそぎ剥ぎ取って行くほど荒れた一室。己の研究室である、とは軽く瞬きをしてから思い出して後ろを振り返る。

「…なんだ、てめぇか。ギルモア」

振り向いた先にいた、先ほど己を白昼夢から覚ましてくれた若い同僚の名を呼んだ。黒髪の瑞々しいギルモア・アイザック博士は不思議そうに首を傾げる。

「どうしたのかね?君がぼんやりとしてるなんて…何か、研究仮定で気になることでも?」

二年前にブラウン(のマッドサイエンティスト)がスカウトしてきたというこの若いロシアの研究者はどこか、ブラウン卿に似ていた。当人自覚があるのかないのか知らないが、ご立派な後継者になれるんだろうとは頭の隅でいつも感心している。

は白衣のポケットからごそごそと煙草を取り出して口に銜える。火を探したがライターは入っておらず、仕方ないので引き出しに無造作に入れてあったバーナーで火をつける。

「別に、ただ夢を見てただけだ」

部屋は暗い。ごしごしと袖で顔を拭い、は浮かんでいたらしい涙をなかったことにした。研究一筋気の利かぬギルモアに気付かれたとは思わないが。

(おれはこの男が嫌いだ)

なんで部屋にいるんだ、とは顔を顰める。はっきり言ってこの男が、ここの研究者がは好きではなかった。もちろん自分自身も含むのだが、このサイボーグ研究所の連中は人間を人間として扱っていない。はブラウン卿に引き抜かれてから嬉々と彼の助手を務めるギルモア博士を嫌悪し、また同僚である自分自身を嫌悪していた。

「そうかね?なら、いいのだが…そうだ、博士!今度のサイボーグ手術では私が執刀することになったんだ。これがその設計図で…従来よりも人間の部分を残した…」
「悪ィがスカール閣下に呼ばれてんた。後にしてくれねぇか」

興奮しながら己の提案を披露するギルモアを一瞥しては研究所を出た。こういうときは、普段は鬱陶しいだけのあの男の誘いもありがたく思える。自分は研究所から出る理由が他にないから口実、というのが少ない。

研究室を出ると廊下に控えている兵士に頭を下げられた。はその兵士に声をかける。

「おい、次から誰かがおれの研究室に近づいたら、おれは研究に忙しく手が離せない、と追い返せ」
「はいっ!了解いたしました、博士」

ビシッと敬礼も込めた軍人らしい返事には目を細めるとまた歩き出した。己がここへきてもうどのくらいの年月が経っているのだろうか。時間など己には関係ないから、詳しくは覚えていない。だからといって、はBGの創立当初からいたわけではないのだ。BGが出来て、その中枢機関が出来初めてからはBGに勧誘されたのだ。誘拐された、というのならまだここまで嫌な思いをせずに済んでいるのだが、はきちんと己の意思でここへ来てしまっている。もちろん、あの時の、甘美な誘い、今もはっきりとこの胸をかき乱してしかたがない。

(そのおれが、まぁ、ギルモアたちを嫌う資格なんぞねぇんだろうがな)

わかっている。わかっていて、嫌悪感が拭えない。は「誰かの為にBGに籍を置いている」のであり、ギルモアたちのように「純粋な知的好奇心と世界の科学力の向上のため」ここにいる、のではない。その違いだろうか。いや、だれぞのために人を切り刻む己の方がタチは悪いのかもしれないが。

目を閉じ自分の思考に一度区切りをつけてから、エレベーターに乗り込んでスカールの待つ最上階へ向かう。

呼び出しの理由はなんだろうか。確か先日は「見てくれたッまえよ博士ッ!この装置があれば全世界のぷっちんプリンのプチッとなる部分を未発に終わらせることができるのだよッ!フハハハハ!これで世界は我がブラックゴーストのものになるのだ!」などとよくわからないお披露目会であったか。

あぁ面倒くさい、だが呼び出しに応じなければならぬ立場。このままエレベーター故障とかで停止してくれないか、いっそ内乱でもおきないか、と物騒なことを考えていると、こちらの願いが神に届いたとか、まぁそんなことはなかろうが、途中でエレベーターが停止した。

ん?と不思議に思って管制室へ連絡を取ろうとしたが、その時突然エレベーターが開いた。

「修理、にゃ早いが、っと、おい」

開いた扉、から侵入してきた人物には壁に叩き付けられ、そして喉に何かナイフのようなものを当てられる。

「アンタ、ここの学者か!?スカールの所に連れてけッ!!!」

侵入者、それはまだ若い少年のようだ。オレンジ色の髪と、アメリカの白人ではないかと推測される体つき。その発音具合から治安の悪いスラム出身の青年だろうと予測できる。この青年、白衣を着ている己を見て科学者であると検討付け、その上で人質にでもしているのだろうか。エレベーターが閉まった。ボタンを押していないので当然エレベーターは動かない。

「で、テメェは?」
「オレはお前等にサイボーグに変えられたッ!!復讐してやるっ!」

の問いかけには答えない。興奮状態にあるらしい。は己を見下ろしている明るい色の瞳をまっすぐに見詰めた。BGにサイボーグに変えられた人間は山ほどいる。その一人一人を覚えているほどは暇ではなかったけれど、それでも、この少年を覚えていた。

というよりも、書類選考に通った優秀なサイボーグくらい覚えている。現在ギルモアやブラウン博士がとりつかれたかのように魅了され、心血を注いでいる優秀な少年。

試作段階ではあるがある一定の成果の見込まれた「加速装置」を内臓したサイボイーグ。001候補として最も有力だと聞いている。

(しかし、だからこそこの少年は地獄を見ているのだろうがな)

己の関与するところではないが、魅力的な披見体はそれだけ機能テストを繰り返させられているはずだ。

それにしても、とは小さく溜息を吐いた。科学者である己を人質に取ったのは運がいいと言えるだろう。己は抵抗する気はないし、他の科学者のようにこうして人質にされたことを恨み、後に報復のためあれこれ実験リストを追加する気もない。しかし「ある意味運が悪い」とも言えた。何しろ己は現在スカール閣下のお気に入り。(笑うところである)監視カメラにこの物騒な映像がうつろうものならとっとと処分されかねない。

「おれは=L.S。テメェは?」
「ここのクソ学者なら、オレを知ってんだろ!?」
「もちろん、おれは無知ではない。だが名乗りもしない無礼者、でもないんでなァ」

のんびりと返せば僅かに少年の殺気が削がれた。戸惑う、その一瞬では首につきつけられたナイフに自ら刺されるため体を倒す。さくっとそれはもう小気味のいい音が耳に入り、そうして少年がさらに戸惑う気配を感じた。

「なっ…!?て、てめぇ…!どういうつもり――ッ!?」

言葉は最後まで続かない。少年は何かに気付いて後ろに後ずさった。その何か、というのはが自傷して明らかにしたかったことなのできちんと把握されたことに満足する。
そして切れた首を少しさすりながら掌を確認した。血は出ていない。

ま、当然だ、己はとっくに人間ではないのだから。

「あ…あ、あんた…サイボーグ、なのか?」
「この身体を見てどうだ。人間なわけねェだろ」

肩を竦めた。そこで急にタバコが吸いたくなったのだけれど、エレベーターで吸おうものなら火災探知機が作動しこの青年がとっ捕まってしまうので諦めることにする。

「だったら…なんでBGの科学者なんかやってんだよッ!!」

先ほどまで向けられていたのとは別の嫌悪をこめた目で非難された。いや、まぁごもっともな反応である。は頭を掻きながらの罵倒を受け「ま、それはさておき」と少年の腕を掴んだ。

「とりあえず、こっから出るぞ。ちんたらして兵士に見つかりたくはねぇだろう?このおれを傷つけたなんて知ったら、テメェ、実験されるよりも愉快な目にあうぜ?」

たぶんミミズいっぱいの部屋に落とされるとか、と思いつく「スカール閣下の御仕置きタイム」を考えて口に出すと、青年が「そ、そんなの怖かねぇッ」と言い返してくる。が、まぁそんな軽口をこの場で叩いている暇はない。少年を無視しては先ほどまで己のいた階のボタンを押した。もちろん、先ほど声をかけた警備兵はいるだろうけれど、あの警備兵ならばなんとでもなるだろうという打算がある。

エレベーターが再び動き出したのでは壁に寄りかかる。少年はこちらが何を考えているのか掴めないのだろう、当然だが、様子を伺うように自分を睨んでいた。

「これからおれの研究室に行く。この辺をふらつくより安全っちゃー安全だろうよ。で、途中廊下には警備兵が一人いるが、お前はおれの後ろを歩いていればいい。何か質問は?」
「アンタ、なんでこんなことする」

得体の知れぬものを見る目である。研究者=敵、とはっきりしていた頃の目とは違う。困惑し、だが「油断はしねぇ」と自身を律するその様子。すっかり人間不信でこちらが「助けてやるんだよ」と申してもにわかには信じぬだろう。

それであるからはさてどう答えたら面倒がないかと一瞬思考を巡らし、口を開く。

「お前は有能な披見体なんだろう?このおれが捕まった所為で処分行きなんてことになっちまったら人類への損失、科学者として見過ごすわけにはいかねぇ」
「っは、つまり。アンタにとって俺はアンタの命以上の価値があるってわけか」

自分に価値がある、と素直に証される。サイボーグとして、という意味ではあるが少年は卑屈ながらも笑って頷いた。長くここで「道具」であると扱われてきたこの少年、自分に慈悲や慈愛が向けられることは嫌悪感、あるいは猜疑心しか生まれぬのであろうが、道具として長く利用されてきたからこそ「価値がある」という言葉は受け取った。

としてはこのままスカールのところに案内してやってもいいといえばいいのだが、まぁ確実に廃棄処分にされるに決まってる。そういう展開は望んでおらず、また昨今組織が熱を入れているサイボーグ計画の成果をこの目でじっくりと見る良い機会であるとも思った。

「と、いうことだ。それであるからてめぇと俺の立場はある意味上下がはっきりしている。格下のおれに名前くらい教えてくれても構わねェだろう?」
「仕方ねェな。ジェットだ。ジェット・リンク」
「なるほどジェット。おれは=L.Sだ」

笑顔ではなかったが、悪い印象ではない表情で答えてくれたその少年には手を差し出す。ぐっと握り返してくれる、なんてことはないが、しかしぱん、と払う程度はしてくれた。それではなんだかこの青年に好感を持ち、やはりこのまま廃棄処分行き、はなんとしても阻止してやろいうという気になる。

そんなことをぼんやりと考えているとエレベーターが目的地に着いた。は何食わぬ顔でエレベーターを降りるとその後ろにジェットが警戒しながらもついいく。

博士?そのサイボーグは…?」

すたすた進んで行くと、サイボーグ計画のための防護服を着ている少年、つまりはジェットを不思議そうに見つめながら先ほどの警備兵が問い掛けてきた。は一瞬視線を向けるといつものように、それこそ本当に普段どおりに欠伸をしながら答える。

「新薬の実験で勝手に連れてきた。まだBGに報告してねェ新薬だ。おれはアンタを信頼してるから言うが、勝手にサイボーグを人体実験になんかしたと知られたらおれもただじゃすまねぇ。もちろん黙っていてくれるよな?」

気安く言う。まるで友人にでも接しているかのように。しかし、はこの兵士が己に敬愛を抱いていることを知っていたし、どちらかと言えば良い人間(BGに入ってさえいなければ)の部類に入ると解っている。

「はっ!もちろんであります!!博士がなさることはBGのため、今は秘密だとしてもBGにはなくてはならないことなのでしょう!!」

は笑った。あぁなんともまぁこんなに人がいいのに、BGの信者なのだ。どういう経緯でこの組織に就職(?)したのか知らないが、全く持って気の毒に。そうしてジェットを振り返ると今にも殺したいような顔をして兵士を睨んでいた。注意するのは簡単だが、こうして「反抗的なサイボーグ」であるのは兵士の目には良いだろう。「博士が気まぐれに連れ込んだ」というのがよく伝わる。は研究所のロックを解除し(ギルモアが出ていったと同時に自動的にロックされた)中に進んだ。

「…汚ねぇ……」

入室したジェットの素直な感想がぽつり、と聞こえる。

「そう言うなって。なかなか便利なんだぜ?欲しいものが手の届くところにおいてあるから」
「散らかりすぎだろ…アンタ、まじで女か?」

とりあえずジェットが座れる場所を作らないと、と親切心からその辺のものを乱暴に退かしていると、ジェッが呆れたような視線を投げてくる。

「まァ、一応な。女を捨てちゃいねぇよ。多分」
「なんだよ、多分って」
「自分の身体をサイボーグ化したからな、まぁ、性別なんてあってねぇようなもんだろう」

適当に言っては存在をすっかりわすれていたソファを発掘するとそこに座るよう指示する。ジェットはこの荒れまくった部屋で警戒心を強く持つことを馬鹿らしいと思ったのか特に逆らうわけではなく大人しく腰掛けた。

とりあえず客であるので何か飲み物でも出そうかと思ったが面倒だったし、ジェットの胃袋に異物が残されていたらいくらバカな学者たちでも気付いてしまうだろう。そういうわけではポケットをあさってタバコを取り出すと火をつけ、己もパソコンの前の椅子に座る。ギシリ、と安楽椅子を軋ませて黙っていると、さすがにこの状況のおかしさを今更気付いたのかジェットがおもむろに口を開いた。

「なぁ…アンタ…これからオレをどうすんだ?」
「別にどうもしねぇよ。助けられねぇし、見捨てられねぇ、だから、テメェが研究室に戻るまで一緒に付き合ってやるよ」
「オレはあそこには戻らねぇよ!!」

タバコを吸いながらゆっくりと答えたにジェットが吼えた。折角脱走したのに自分から戻るなど冗談ではない。そう反発する少年をは見つめ返し首を傾げる。

「そぉか、んで?それじゃあ、どうする?ジェット・リンク。言っておくがスカールは学者を人質にとっても意味がねぇし、アイツをぶっ殺したってBGから出れるわけじゃねぇんだぜ?」

現在のトップはスカールではある。だがたかが一人を殺したからといって破壊できるほどちんけな組織ではない。第一スカールはサイボーグ化しているのだからジェットが殺せる、とはは思っていないし、たとえ破壊されても予備があるのできっと無駄なのだ。

「ま、おれもあの妙な発音の閣下はイラっとくるからな。後ろからなんかこう硬いモンで殴り飛ばす手伝いならしてやってもいいが、それでお前の状況は変わんのか?」
「……」

まぁ、変わらないだろう。もう改造された身。人間に戻れるわけでもないし、なによりそもそも、サイボーグとなったジェットはここから逃げ出しても人間社会では生きていけない。月のメンテナンスも必要であるし、エネルギーとて一般社会では手に入らない。(一応人間の食事からエネルギーを補給できるよう改造計画、というのも出ているがまだ完成されてはいないのでジェットに搭載はされていないだろう)

反乱などしてももう意味はない。そんなことはジェットも解っている。言葉に詰まってうつむいた。別にいじめたいわけでもない。は目を細めてその様子を見守りながら静かに続けた。

「なぁ、ジェット・リンク。テメェの望みはなんだ?」
「…ここから出ることだ」

迷いながらもはっきりと答えたジェットには「へぇ」と関心した。この子供、この、少年。わかっているのだ。もう人間に戻れないと。願いはなんだ、と聞いて、それでも「人間に戻ること」などと答えたらは「ロマンチストめ」と笑っただろう。だが彼は、この哀れな実験動物は「外に出たい」とそれを望んだ。

「なら、まだ待て。BGを憎んでいても、利用しろ。嫌かもしれねぇがここまで改造されたら、その能力を利用してヤツ等から逃げればいい。加速装置を使いこなせるようにして、あいつ等に信用させてエネルギーを常に満タンにさせるようにしろ。そうすれば、空を飛べるお前を誰も捕まえることはできねぇだろう」

はそこで言葉を区切った。元に戻す、そんなことは不可能だ。だがジェットは「この身体のままでも外に出たい」とそう望んだ。出てどうするのか、それはきっと考えていないのだろう。だがこの牢獄から出る、それを諦めてはいない。

そのことがを妙な気にさせた。

「仲間を作れ、ジェット・リンク。お前と同じサイボーグの仲間だ。それと、科学者を良く観察しろ。おれがこの組織で変わり者の科学者であるように、おれのような、お前に協力的になれる変わり者が他にもいるかもしれない。その判断はおれではなく、お前をいじくり倒す目で見る連中をお前が観察して見つけるべきだ」

一気に話しすぎている気はするが、今伝えなければならないことだ。そうでなければ、次いつ会えるかわからない。は己の知る学者たちを嫌悪している。だがジェットはそうではない目で見ることができるかもしれない。それであれば、そうするべきである、とそう諭すとジェットが驚いたようにを見つめ返した。

「アンタ…まるでオレ逃がす手伝いをしてくれるように聞こえるぜ…?」

そんなわけはないだろう。アンタはブラックゴーストの科学者で俺の敵だろう?と確認してくる子供の目。は答えるべく口を開きかけ、が、廊下で人の話す声が聞こえた。一人はあの警備兵のもの。もう一つは、認めたくなどないがよく聞き慣れた声だった。

はイスから立ち上がる。

「とにかく、今日は大人しく帰れ。いいな?」

言い切りジェットを立たせ後ろに庇うのと、扉が強引に開かれるのはほぼ同時であった。

「無ッ事かね!?我がブラックゴーストの有能なる頭脳博士ッ!!君が逃亡したサイボーグ披見体に脅されているのではないかと駆けつけたわけだよ!!」
「もうしわけありません博士…お止めしたのですが…」

バーンとスカール閣下のご登場。相変わらずの妙なアクセントで話す黒尽くめ。どくろの仮面はどう贔屓目にしてもセンスが悪いのにどうしてこの男はそのセンスのなさを恥じて首を吊ったりしないのかは常々疑問である。と、まぁそんなことはさておいて、スカール閣下、妙なことをほざきつつドスドスとこちらに近づいてくる。その後ろでは警備兵が恐縮しながらも健闘してくれたことを物語っていた。つまり、顔が変形している。

「おいこら骸骨閣下、てめぇその兵士を殴りやがったな」
「一介の兵士の分際で、私を止めようなどとするからだよ。殺さなかったのは私のせめてもの慈悲だ。それくらいわかるだろう?君の反感を買いたくはないからな」
「なら手を上げることもすんじゃねぇよ、中途半端な」

淡々と言葉を交わしながらはため息を吐き、目で兵士に救護室へ行けと促す。兵士は頭を下げて去った。たいした怪我ではなかろうが、仮にも「総統閣下に殴られた」というのはブラックゴースト信者の彼には深い心の傷になるだろう。は後でフォローを入れてやらねばと一応上司らしいことを思いつつ、まずは現状に向き合った。

「で、何のようだ?まさかこのおれがマジで人質にされたり脅されたりしたとか寝ぼけた妄想をしたわけじゃぁねぇよな?」
「まぁ、つまりこのサイボーグを連れ込んだ言い訳を聞かせて貰いに来たわけだよ、博士」

さすがにスカールもほどの生き物が試作品サイボーグごときの手におえるなどとは思っていないらしい。なら放っておいてくれと思うのにそうはいかないのか。さて、ジェットを見ると哀れな被害者殿は加害者である親玉、スカールを今すぐ殺したいという目をしている。折角説得しかけていたのに台無しだ。ここで大人しく研究室に戻れ、などと言っても聞かぬだろう。

さてどうするか、とすれば答えはたやすい。はポケットの注射を素早く抜き出してスカールに殺気を向けているジェットの首にポスッと突き刺した。

…ッ、てめぇ…」
「目覚めたらいつもの部屋だ。悪いなサイボーグ、薬の実験はまた今度だ」

短く言い、崩れるその身体を床に転がす。いろんなものを搭載されているサイボーグはの手で支えるには重過ぎる。ジェットは空を飛ぶ能力のため軽量化されてはいるが、それでもまだまだ重いのだ。

どさりと転がる少年を一瞥してからはスカールに視線を戻した。意外にもスカールは最早興味ないとジェットに注意を払っていない。もしやこの男、元々「サイボーグが逃げ出した。博士と共にエレベーターから降りていた」なんてことに興味はなく、ただ(そういえば己はこの男のもとへ向かう途中で)自分からこちらに会いに来て、それを兵士に止められ現在に至るとかそういう状況だったのだろうか。

が思考していると、スカールはゆっくりと趣味の悪いとしか思えない仮面を取り外して書類だらけの机に置いた。金髪の相変わらず変化のない顔がそこにある。

「いつも思うが、無駄なイケメンだなぁ、おい」

BG内でもスカールの顔を知っているのはを含め五人もいない。金髪の、国籍不明の男。短い髪に口髭を携えたなかなかの美しい男である。もちろん作り物だろう。常に最先端のサイボーグ技術で身体を作り変えるスカール総統閣下。もうとっくに顔なんぞ整形しまくっているに違いない。


こちらの軽口を鼻で笑い、スカールはの白衣に手をかけてくる。一瞬、は身を捩る。

「閣下」

制止するように言うけれど、スカールは手を止めることはしなかった。白衣が脱げて床にさらりと落ちるとは諦めたかのように目を伏せる。次に目を開いたときには己は先ほどまでジェットが座っていたソファに仰向けになって横になっており、おそらくは加速装置でも使ったのだろう。

「加速装置の無駄遣いだな」
「女性を素早く寝台に運ぶのは男のマナーだよ、博士」
「ベッドじゃねぇよソファだよ」

言い返しているとスカールの手袋を嵌めた手がの赤いシャツにかかった。ボタンを一つづつ外していこうとしているが、その前にが言った。

「ここでヤるのか、閣下」
「嫌かね?」
「別に」

ただ聞いただけだ、と言うとスカールは笑った。一応己らの足元には昏倒したジェッド・リンクが転がっているのだが起動させるまで目覚めることはまずない。とりあえずはこの研究所に監視カメラがなくてよかったと本気で感謝した。いや、もしかすると、そのために付けられていないのかもしれない。そう思い当たって眩暈がする。「信頼されているのね!」などと寝ぼけたことは思わず「見られて興奮するタイプではなかったんだ!」という安堵感である。イヤ本当によかった!

「何を考えている?博士。」

神様ありがとう!と無神論者のくせに心の中で十字を切っていると思考を向けられておらぬことを不服と思ったか、ぐいっとスカールの手がの首を掴む。

「おれの自由になるのは思考くれぇしかねぇんだろう。考えるくらい自由にさせてくれねぇか。」
「もちろん私といるときでなければその自由を抑制はしない」

当然だろう?と言われ顔を顰めた。あぁ、鬱陶しい。この男がなぜ自分にこうまでも執着するのか、その理由を考えたことがないわけではない。この男ならばBGの女性職員をはべらせることも、セクシャロイドとしてサイボーグを作らせることも可能だろうに。(まぁしないんだろうが)どうもどうやら己ら、とうに人間を捨てた物同士と妙なシンパシーでもあるらしかった。

迷惑な!

「閣下」
「なんだね?我が麗しの博士」

はとりあえずこの状況、折角なので利用しようと思考を切り替え、己の首筋にある男の頭をぺしんと叩いた。

「興味が沸いた。おれをサイボーグ計画メンバーに入れとけ」
「ベッドの中でのねだりごとならもう少しサービスしてから言いたまえよ」
「言い忘れたがおれ、もう二週間風呂に入ってねぇからな」

風呂、入って欲しいだろう?と言えばさすがの閣下も停止した。鼻の強化はされてなくてヨカッタネ、と立て続けに言うと硬直していた男が「……君は本当に女か?」ととっくに知っているだろう男が今更ながらに聞いてくる。

はころころと喉を鳴らして笑い、スカールの首に腕を回した。

(あぁ、同族殺しの浅ましさよ)


Fin

(2006/09/12)