バタバタと騒がしい音が聞こえた途端、はさっと本から顔を上げ無言で立ち上がると、そのまま部屋の扉が開く、あるいは開かれることなく『訪問者』が通り抜け飛び込んでくるより先にガチャリとドアノブを捻って開けると、勢いよく部屋に転がり込んだ青年天使の背をぐっと足蹴にした。

「ねぇアルマロス、知っていて?わたしのポジションが青い猫型ロボットになりそうなんですよ。そういうの一寸嫌だわ」
「聞いてよ!ルシフェルったらまた僕のことバカにして!!!」

先に言ったのに全くもって聞いてくれない。

期待していたわけではないが予想通であってくれてもちっとも嬉しくないはうんざりしてこのままアルマロスの背骨を粉々にしてやりたかったが生憎アストラル体。いくらヒトに近づいている(当人無自覚)のアルマロスであっても「踏まれて背骨粉砕☆」なんて目には逢えない。いや、たぶん今も全てを見守っておられる全知全能の神(笑/とは付けずにはいられない)が気まぐれでも起こせばそういう奇跡もあろうが、はそれは奇跡じゃなくて珍事だととらえるだろうし、何よりそこまでアルマロスに危害を加えたいわけではない。

まぁとにかく例によって例の如くいつものように仕事をサボってイーノックにちょっかいをかけに行ったアルマロスが(当人は「友情を育むため」とか言ってるが)同じく仕事をサボってイーノックにちょっかいをかけに来たルシフェルにあれこれ嫌味やら陰湿ないじめをされてこちらに泣きつきに来たんだろう。

(本当、お前ら仕事しろ☆)

はどうして天使じゃないイーノックが一番仕事してるんだとどうなってるんだこの天界はと神を罵り一呼吸置いてから、足蹴にしているアルマロスに手を差し伸べた。自分でふんずけておいて何だが、まぁアルマロスはその辺りは気にしないようで素直に礼をいいの手を握り返す。アストラル体なのだから引き起こされる、なんてこともないだろうにすっかりヒトらしくなっている。この天使大丈夫かとが呆れていると、ぐいっと、力強く引っ張られた。

「…はい?」

アルマロス相手なので油断したと思ったときにはもう遅い、引っ張られたの体はあっさりと床にへたりこんだ。何のつもりだと睨もうとしたがその前にの腰にアルマロスがひしっとしがみ付く。

「な、んです、アルマロス。セクハラなんてすると堕天しますよ」

これにはも驚いた。しかもここ数万年ほどこうも誰かに接触したことなどない。瑠璃の目を見開いて自分の腰にひっつくアルマロスの頭を凝視すると、その頭、やら、肩やらがふるふると小刻みに震えているではないか。

「なんです、あなた泣いてるの?」

聞いてはぎょっとした。ひっく、と嗚咽が聞こえてくるではないか!

以前から「泣く」というヒトの技を自然に見につけていたアルマロスだったが感情が高ぶって混じりに涙が浮かんだり悲しみが極限に達して瞳からスッと頬にふた筋涙が走る、というような、ギャグかシリアスか、という類のものだった。

しかし今現在、こちらの腰にしがみ付いて体を震わせ嗚咽を殺しているその様子は、なんというか、本当にヒトが悲しくて、悔しくて泣いている、その自然さがあった。

(今回は重症みたいですね。全くあの大天使様、何をしたのか)

いくら普段外道やらヤンデレと言われるであっても生来の気質は「慈愛」の深い女である。うっとうしいと思っているアルマロスだがこうも泣きつかれては先ほどまでの感情が吹き飛び、つい優しくしてやりたくなった。それでこういう時ヒトなら、とはるか昔の記憶を思い出し母や父がそうしてくれたことをやってみる。簡単に言えば、泣きじゃくってしようのない天使のご大層な頭をぽんぽん、と軽く撫でるという行為だ。

「あー、はいはい。泣いているんですね、面倒くさい話ですよ。どうも涙というものはいけません。好きでもない相手でも泣かれると弱いのです。だからここの神も自分に一番近くにいる天使には泣けるようにしてないのにね、まったく、これって進化なんですか退化なんですか」

悪いがイーノック以外に慰めの言葉など吐く気はない、それで慰めではないがの中では「わりと好意的」だと自信を持っていえる言葉を選んでぽんぽん、とそのアルマロスの頭を撫で続けると、いっそう泣き方が激しくなった。

・・・・・・なぜ?

えぇー、とは自分の言動を省みてみたが心当たりはない。天使って豆腐メンタル?と思うことにしてひとしきりアルマロスを泣かせることにする。というかものを食べない、実体のない天使の涙って何が元になっているのだろうか。

「……ル、ルシ、ルシフェルが…僕、イーノックと……っ…」

暫くそのまま泣かせていると次第に感情も落ち着いてきたのか、やはり嗚咽交じりではあったがポツリポツリ、と「事情」を伝えようとアルマロスが口を開く。思念での会話を天使はできるはずだがやはりアルマロスはこうして直接音に出すことを自然に選ぶ。当人選択しているつもりはないんだろうな、と思いながらは「どうしたんです」と今度は自分でも驚くほど優しい声を意識し問うてみる。

「ぼ、僕、イーノックと、話てたんだ」
「えぇ、そうでしょうね。あまり邪魔をしてはいけませんよ」
「わ、かって、る…それで、今日はイーノックが「歌」の話をしてくれて」

しゃくりあげながらの会話は聞きとりずらいが、どうもどうやらいつものようにアルマロスがイーノックの元を訪れ、天使をヒトである己が邪険に扱えるわけがないとイーノックは喜んで彼を迎えた、ということから話は始まるらしい。(いつもこのあたりをは微妙に思う。アルマロスからすると「親しい間柄だから歓迎してくれる。話を聞いてくれる、聞かせてくれる」と思い込んでいるふしがあるのにイーノックがアルマロスを歓迎するのは「アルマロスが天使であるから」という彼の中の神への信仰心の強さからによる絶対的な力が働いているのだ。ヒトであればイーノックの自身に対する扱いに疑問を抱くだろうけれど天使であるアルマロスはヒト同士の本当の付き合い方を当然のことながら知らない。だからこうして勘違いし続けることになっていると思えばなんだか憐れにも思う)そしてあれこれとアルマロスが好奇心たっぷりに問いかけることがらに対して「私の知る範囲で良ければ」と控えめにイーノックが説明をしてくれたそうだ。そうして穏やかな時間が流れてアルマロスが始終笑顔でいると、ふとこの度は珍しいことにイーノックが「聞いても良いだろうか」とアルマロスに問うてきた。イーノックの親友を自称するアルマロスである。彼に頼られることは嬉しかった。イーノックの傍にはいつも黒い天使がおり、イーノックは分からぬことがあると必ずその天使に問うてそのたびに「貴方はものしりだな!」と笑っていたのを知っていた。己がイーノックの役に立てると無邪気にアルマロスは喜んだのだろう。話を聞きながらはその様子がありありと浮かぶようで苦笑し、そして話をつづけさせた。

イーノックはこの天界には「歌」がないのだろうかと当初思っていたらしい。天使たちはイーノックたちヒトと違ってアストラル体で生活している。声を使って話す、ということをしないわけではないが専ら思念での会話をするし、時間というものの概念のない天界には「音」の定義が怪しかった。そしてイーノックは天上というものは神をたたえる歌や音楽であふれているのだと地上にいた頃は思っていたようで、ここへきてまだ一度も「音楽」というものを耳にしたことがなく、歌、というのはヒトだけの習慣なのかと素朴な疑問を抱いたようだった。

「あぁ、そういえばわたしも聴いたことがありませんね。この天界には歌というもんがな……いわけないですね。あぁ、わたしったら」

記憶の限りそう言えばよく想像できる「天使たちの歌声」やら「聖歌隊」はここにはないとそう決めつけようとした自分をは叱責し、アルマロスの頭をやや強めに叩いた。

「あなたは歌うし踊ってる。なんだかもう当たり前にそうと振る舞っているから特別なことをしているというイメージがありませんでしたよ」
「うん、イーノックもそうみたいで、聞いてから「……あなたは歌っているが…」って付けたしたよ」
「ヒトへの興味があるあなたですからね、イーノックはもしかしたらあなたがヒトの歌や踊りを覚えているという可能性も考えたんでしょう」
「そうみたい」

はイーノックの時代にムーンウォークがあってたまるかと思ったがそれは口にしなかった。

「それでね、僕、イーノックが天界の歌を知りたいって言うから教えてあげようと思ったんだ。ほら、イーノックの前にいたっていう書記官のヒトが確か歌を色々書き残してたと思って、それで書物が残されてる所にイーノックと二人で入ったんだ」

イーノックは何も天上初の「召し上げられたヒト」ではないらしい。もこの世界に来たのはイーノックが召し上げられる直前であるから詳しいことは知らないが、近年ではイーノックの「前任の書記官」というものがおり、その人物もヒトであったそうだ。

なるほど天使が書物を書き残す習慣を持っておらずとも、書記官なら残っていよう。は感心し、二人が出かけたというその書庫を想像した。

「最初は見つからなかったんだけど、イーノックはどれがどこにあるかっていう見当をだんだん付けてきて、それで「讃美歌」ってヒトの字で書かれてる本を見つけたんだ」
「天使文字ではないのですか」
「うん、僕には読めなかったけどイーノックには読めてたよ」

前任の書記官が書いたからだろうか?は疑問に思ったが大した問題でもないだろうと頭から払い続きを聞いた。二人はその本をイーノックの執務室に持ち帰り、開いてみたそうだ。ヒトの字で天上の歌が描き残されているというのは奇妙だが、さらに奇妙なことに文字は読めるがイーノックにはどう歌って良いものかわからない。

「天使の歌ってヒトの文字じゃ描き表せないのかもしれないねって僕が言うとイーノックはとても残念そうにしてたんだ。それで僕はね、どうして最初から気付かなかったんだろう!ってそこで気付いたんだ。イーノックに僕が歌ってあげれば天界の歌を教えてあげられるじゃないか!」
「えぇ、まぁ…きっと盲点だったのでしょう」

普段歌って踊っているアルマロスであるから、なんというか彼が歌っても違和感がなく言葉のように聞き流してしまう。イーノックはもしかすると気付いていたかもしれないが、アルマロスがその選択肢に気付かないので「アルマロスの歌は天界のものとは違うのかもしれない」と自己解釈したのだろう。

「それで歌ってあげたんですか、ってどうして泣くんです!」

中々ルシフェルが出てこないので話を促そうとするとそこでぶわっ、とアルマロスが再び泣きだした。折角収まってきたのに、もうのスカートは涙で随分濡れてしまっている。アルマロスは水の天使だったのか、とそう思うことでスカートに対する執着を取り払おうと試みるをよそにアルマロスは涙ながらに訴える。

「僕が歌おうとしたら、急にルシフェルが現れて…しかも歌いながら!すごく綺麗な声で…それでイーノックがとても嬉しそうで…!!!そりゃルシフェルは上手いよ!でも僕は、僕は、僕がイーノックに歌を教えてあげたかったのに!!」
「……」

うわ、面倒臭い。なんてそんな失礼なことをは思いはしないが、にこにことしていた顔を一瞬引き攣らせた。

まぁとにかくアルマロスが唖然としている間にあれよあれよとルシフェルの歌が進みすっかり感動してしまったイーノックはルシフェルを讃え歌ってくれたことに感謝し、所在なくなったアルマロスは途方に暮れて、しかしそれでも一瞬は「つ、次は僕が!!」と歌う勇気を見せたらしい。

そして、まぁ、なんというか、歌おうとしたアルマロスに対してルシフェルがちらり、と視線をやり「私が歌ったんだからもういいだろう?」と勝ち誇った顔をしたそうだ。

あぁ、本当、大人げない大天使。とはそのドヤ顔を思い浮かべた。確かに、まぁ、イーノックは天界の歌に興味があっただけだ。それでルシフェルが一曲歌ったのなら「天使を煩わせてはいけない」とイーノックはそれ以上求めないだろうし、何より大天使ルシフェルの「讃美歌」に敵うものがあるわけがない。イーノックがルシフェルの歌声を「天界の天使の歌」と最初に知ったのならその後どんな天使もイーノックの前では歌わぬだろう。

つまり今後イーノックの記憶にはルシフェルの歌声だけが刻まれるわけである。

「………ルシフェルったら本当…」

どういう風に育てたらあんな「ルシフェル」が出来るのかは今度神に聞いてみようと心に誓った。あれこれ色んな世界にこっそり居候をしてきたし、聖書にもじった世界を作った神も多かった。暁の、金星、明星、堕ちた星、なんてさまざまな名称で呼ばれながらもが過去見てきた「ルシフェル」というのは誰もかれも人格者であった。憎悪から神に離反するものもいればそういう契約ゆえ、ということもあった。あれこれ思い出しながら「あ、これって現実逃避ね」と思い当たり、は過去自分の作り出した世界で誕生したサタンのことは思いださぬように蓋をし、泣き続けるアルマロスに意識を戻した。

「それでわたしのところに泣きついて来たんですね」
「僕…僕、いつも我慢してるよ!ルシフェルは神からイーノックの教育係を任されてるから…イーノックにあれこれ僕が教えられなくても、一番傍にいれなくても…!!でも、でも、歌だけは…僕は、歌だけは……!」

あの大天使にも負けない、などとは口に出せぬのだろう。言葉を詰まらせ、それでも「言い切りたい」と苦悩する様子が憐れだ。

天使は嘘を「言えない」口に出すことができない。つまり言葉に出来ないことは「ありえない」ことであるという。たとえば「神は二人居る」や「天界は地下にある」などと言った事実ではないことを口に出せない。天使の言葉は全て事実であり、彼らは実現可能なことしか話せないのである。(ルシフェルは例外だが)

だから天使は進化しない。そのことを改めて実感し、は苦しむアルマロスの頭をぽん、と撫で、その両頬に手を添えるとそっと額に唇を落とした。

?」
「天使にわたしから祝福を、なんて意味はありませんけどね、とりあえずその話題は区切りましょう。起こってしまったことはどうしようもありませんよ」

あの神の作り出した天使の記憶やら感情をが操作するなど不可能だが、まぁ、口づけして一瞬意識を引っ張るくらいはできる。はアルマロスをさとし、そして自分でははなはだ納得がいかないながらも、しかし、それでもまぁ、目の前でこうして泣かれ泣きつかれ、少なくとも己を「頼ってくれている」素直な青年の気持をこのままにしておくのは忍びない。それで、腹にポケットはないがスカートのポケットをごそごそと漁り、2011年のTVで観た様子を思い浮かべながら意識して声を低くした。

「バトミントン〜。って、似てませんね、まぁ、似ませんよね」
「??」
「いいんですよ、あなたは分からなくて。とにかくこれを、イーノックと一緒にやりましょう」

実はポケットから道具を出した途端、ちゃらちゃらっちゃら〜と効果音が付いた。ではない。サービス精神でか野次馬根性でか音を出してきたのは神だ。観てたのかドラ○もん、とは呆れつつ不思議そうにこちらを見上げる天使ににこり、と笑いかけ立ち上がった。



+++



「すまないルシフェル、羽を出してくれないだろうか」

イーノクが自分を探しているような思念を受けっとたルシフェルは「また何かわからないことがあるのか?」と「やれやれしょうがない奴だな」と苦笑交じりにイーノックのもとへ向かい(丁度話をしていたミカエルはその顔を「にやけていた」と証言する)そして顔を合わせるなり告げられた。

「別に構わないが。珍しいな」

ヒトと天使の違いはなんだと言われれば多数上げられるが、身体的特徴を一つ上げるとすれば、当然だが天使には羽がある、ということだった。邪魔なので普段ルシフェルは羽を視認できるようにはしていないものの、過去何度かイーノックに頼まれて見せたことがある。通常どれほど多くとも4〜6枚まで、とされる天使の羽をルシフェルは合計12枚持っている。だからルシフェルは神に信頼され愛されているのだと、他の天使たちは言うがルシフェルからすれば生まれた時から持っているものなので実感はない。ヒトが五体満足で生まれることを当然としているように、ルシフェルからすれば当然過ぎることだったのだ。

まぁとにかくその6対の羽をイーノックはいつも眩しそうに眺める。最初見せたのは、確かイーノックが「あなたは本当に大天使なのか?」と言ったからだ。疑っているわけではないだろうが(イーノックが疑うなどありえない!)目の前にいるルシフェル、黒衣に飄々とした態度の、見かけはイーノックよりも細身の男が神の右腕とされる大天使であるとはにわかに信じられぬ、という戸惑いからのものだったのでルシフェルは苦笑と共に「これで信じて貰えるかな」とヒトが最も天使をイメージしやすい姿、つまりは己の12枚の羽を出した、のが最初であった。

あれからもう随分と経つが、とにかくそういうきっかけで時折イーノックはルシフェルの羽を見たがる。当初は悪い気はしなかった。イーノックが何かを「頼む」「求める」というのは滅多にない。欲深いヒトのくせに欲というものをちっとも持っていない男だった。だから普段他の天使にも滅多に見せぬ自分の羽をイーノックに見せることには嫌ではなかったし、触れたいというのなら触っている感覚があるようにしてやることも苦ではなかった。

しかしある日、何かそういう兆しがあったわけではないが、突然ルシフェルは気付いたのだ。

イーノックがルシフェルの羽を見たがる、というのはそれは、己と距離を再確認しているのだろう、と。

何かの拍子にほんの少し、イーノックと己の距離が縮まる。ルシフェルはイーノックが自分を「天使だから」という以上の理由で親しみを覚えてくれるようになっていることを感じることがあった。だがそう感じる度にイーノックはルシフェルの翼を「確認」して、そして「ありがとう。あなたはやはり天使なんだな」と、言って笑い、ルシフェルが縮まった、と思った距離を己で引き離す。

先日ルシフェルが讃美歌をイーノックの前で歌ったことが、今回のこの「羽を見せてほしい」ということに起因しているのだろうか。

(まったく、どこまでも綺麗な魂だよ、お前は)

己はヒトで相手は天使。己が「親しみ」を感じていい相手ではないと、イーノックは自己完結させる。神への信仰の厚過ぎる男だった。神の使いである天使に対して「友のように思うなど」と自制を働かせる。だからイーノックはこの天界で、どれほどアルマロスが近づこうとルシフェルが気を利かせようと孤独なままだった。

「すまない。あなたの羽はやはり美しいな」
「そうか。あぁ、ミカエルのやつの羽も中々見事なもんだぞ。今度見せて貰え、お前が頼めばあいつもきっと喜んで見せるさ」

ばさりと羽を広げるとイーノックの顔が輝いた。不毛なことをしていると思いながらもイーノックのこの嬉しそうな顔はやはり悪くはなくルシフェルは自分以外がこの顔を見るというのは納得いかないまでも、まぁ双子の弟のミカエルなら許してやれるだろうと、まったくもってちっとも心の広くないことを口にし(無自覚)イーノックに羽を触れさせてやる。

「ミカエル様の羽を拝見したことはないが、やはり貴方のように12枚あるのだろうか?」
「いや、12枚もあるのは私だけだ。最もこんなにあっても肩が凝るだけで便利なことはないんだが」
「天使も肩がこるのか…?」

それなら肩こりに効くよい薬草を知っている、という書き物仕事の書記官らしい言葉とイーノックの生真面目な顔がおかしかったルシフェルは特徴的な笑い声を響かせて首を振る。

「いや、冗談だ。私たちはアストラル体だからね」
「全くあなたという天使は!私は信じてしまったじゃないか」
「はは、すまない。しかしその薬草は興味深いな。お前も使ってるのか?」

自分で出した話題だがイーノックがミカエルの羽に興味を持つのは面白くない。それでからかい半分に肩凝り、などと言ってみたが中々面白そうな話が聞けた。イーノックはどうやら普段の書記官仕事で肩が凝るらしく、ガブリエルに相談して地上の薬草を何種か自室で育てているらしかった。

「あぁ、良ければ今度見に来てくれ。天使のあなたが見てもつまらないかもしれないが」
「そんなことはないさ。私はお前のヒトらしい行動が何よりも好きだからね」

さりげなく部屋へご招待券を入手しつつ(教育係だが寝室へはのガードが固くて行けたことがない。の部屋はイーノックの部屋の隣である。実体のある者同士まとめられた)ルシフェルはそろそろ羽をしまっていいだろうかとイーノックに確認を取ると、これまた珍しいことに「あ、ちょっと待ってくれ」と制止をかけた。

「…っ?!?!」

まだ触るのだろうか、とルシフェルが思っていると背中に激痛が走った。

いや、待て私、とルシフェルは大天使の威厳を持ってその激痛に耐えた。というかアストラル体である自分に物理的な「痛み」なんぞあるわけがない。背中の方でぶぢっ、と何か毟るような音が聴こえたが、毟れる実体があるわけがない。そう思い、なぜか額にびっしりと浮かんだ脂汗を(待て汗って何故だ!?)拭い振り返ると、そこにはなんだか見覚えのある真っ白い羽を数枚握っている、良い笑顔のイーノックがいた。

「イーノック、それはなんだ…?」
「?あなたの羽根だ。やはり美しいな!」

良い笑顔だ。眩しい。それはいい。イーノックがこうも喜んでくれるのなら何枚でも毟ってくれ。なんだったら12枚もあるんだし半分くらい無くなっても自分は構わない。あ、いや、しかし大天使が剥げるというのはどうだろうか、まぁどうせ元に戻せ…いや、だからなんで毟れるんだ!とルシフェルは現実逃避しかかって、結局できなかった。

「……毟れるのか?」

信じられないことにイーノックの持っている羽には影がある。つまり実体化しているということだ。だがルシフェルが自分で自分の羽に触れようとしても、やはり触れられない。

つまりイーノックが毟ろうとした分だけ実体化したのだ。

こんなことが出来るのは一人しか思い当たらず、ルシフェルは無言で携帯を取り出した。

「……」

しかし着歴から相手を呼び出したがコールするばかりで相手は出ない。携帯会社を通しているわけでもないので留守番サービスに転送されることもなく、ルシフェルは諦めて携帯をしまうと何やらこちらの不穏な雰囲気を感じ取ったらしいイーノックが不安そうにこちらを見ている。

「ル、ルシフェル、大丈夫か?私は、何かしてしまったのだろうか?」

羽は毟られました。

などとは言わぬルシフェル、いや、と笑顔を浮かべ首を振る。

「いや、問題ないよ。ろっとぉ、これはお前のセリフじゃないかイーノック。なに、ちょっと彼に用事を思い出しただけなんだ、お前が気にすることじゃない」
「そ、そうか…いや、あなたが私のセリフを言うと、なんだか様子が違って聴こえるな。私が言うより貴方が言った方が説得力がある」

羨ましい、私は説得力に欠けるらしいから、とはにかんでいうイーノックを前にルシフェルはちょっと堕天しない堕天のしかたについて調べたくなった。しかし、まぁそんな方法はきっとないのだろうと諦めてイーノックの手にある自分の羽を眺める。

「しかしお前、それをどうするつもりなんだ?羽ペンにするには短いだろ?」
「大天使のあなたの羽をペンにするなど…!恐れ多い」

毟るのはいいのか?と思わなくはないがイーノックになら羽ペンにされようが羽毛布団の中身にされようがルシフェルは全く気にしない。むしろ書記官であるイーノックにとって羽ペンは日々欠かせぬものだろうから毎日大切に扱うだろう。それが己の羽なら、とこの場にがいれば「堕天しろこの変態天使!」とつっこみを入れただろうことを堂々と考えた。だがイーノックが毟った部分は風切り羽ではないため短い。神がもう一度手を貸して羽を実体化させるつもりなら今度は心構えもできているしゆっくりイーノックに羽を選ばせてやろう、とそういう妄想を広げているルシフェルをイーノックは「理由を言わないから黙っている」と判断したのか、「実はこの羽は」と切り出した。

がばとみんとんというのをするのにあなたの羽がどうしても必要だと言ったんだ。なんでもしゃとる、というものを作るためには大天使の羽でなければならないらしい」
「……あの女」
「ルシフェル?」
「あ、いや。なんでもないよ」

イーノックの口から聞きたくない名前ぶっちぎり第一位である正体不明のヒトの名にルシフェルの顔が一瞬引き攣った。だが上手い具合にイーノックには見えなかったらしく、ただぼそっと何か呟いたことだけわかったようだ。言葉も聞き取れず聞き返してくるイーノックにルシフェルは手を振り、あとで神と二人を相手に文句を言おうと心に決めた。

そして大天使ルシフェルの羽を使用して作られたシャトルによるバトミントン大会が開催されるのだが、久しぶりに体を動かせることを喜んだイーノックが「ウリエルスマッシュ」を連発しそのたびにシャトルが燃え尽き、その度にルシフェルが羽根を毟られることになるのは、まぁ、お約束である。

ちなみにこの大会、ルシフェル対アルマロス戦では大人げなく全力を出したルシフェルによってアルマロスが瞬殺されが「まぁ、仇討ちですよ」と参戦し、「あなたがルシフェルの相手など…!危険だ!」とイーノックがの代役としてルシフェルに挑むことになってイーノック相手に本気が出せるわけがないルシフェルが苦戦する、という観戦している神だけが楽しい結果となった。

翌日筋肉痛で苦しむイーノックを神が労い2011年の宇宙の旅…じゃなかった、2011年温泉の旅へと行かせることになるが、それはまた別のお話。




Fin


(2011/09/04 21:35)