溺れる
「………」
驚いたように目を見開いた、ソイツを見ることが出来て僅かに優越感が沸き起こる。記憶時においては徹底した虚無状態に陥らなければならない責務のある“記憶者”はその日常から感情を抑圧されているというのに。ただ自分を見ただけで、その仮面が崩れる。
「よ゛ぉ」
大声で笑い飛ばしたい衝動を何とか抑えて、スクアーロは勤めて平然と声をかけた。コートのポケットに入れた手を出して軽い挨拶をするくらいのしゃれっ気があってもよかったかもしれないと、緊張した面持ちのままのを見て悔やむ。ほんの少しだけ、感動で抱きついてくるなんていう姿を期待していたのに、そういえばこの女はこうだった、と自分の配慮のなさに気付く。
「っ、」
細腕が勢いよくスクアーロの左腕を掴み、部屋の中に引き込む。本来、の非力な力程度では自分は動かないがされるがままに引きずられてやった。部屋に入った瞬間腕を離されて、そうかと思えばはガチャリ、ガチャガチャと部屋の鍵とチェーンを付けて、覗き口から廊下の様子を伺っている。
その対応も分かるが、まるでなっちゃいねぇ。尾行などされていないと確信できるから、のその素人過ぎる確認を、余裕を持って見守った。密会時の周囲の確認は、もっと静かに、冷静に行うべきだ。まず出だしから間違っている、動揺して、そのまま勢いよく相手を引きずりこむなど愚の骨頂である。というか、訪問者を確認せずに扉を全開まで開けたそれ以前の問題なのかもしれないが。
大体、プロのスクアーロが気付けなかった尾行者がいるとして、それを素人のが気付けると思っているのだろうか。相変わらず無知で、そしてそれでも懸命なの姿に、スクアーロはついに笑い出してしまった。
「何笑ってるんです」
「っは、はは!はっ、ははー!久しぶりにバカ笑いしたぜぇ。あー」
「……大体、何、考えてるんですかっ…あなたこの状態わかってんですか!?」
笑うスクアーロをじっと見つめて、は拗ねたように眉を寄せる。彼女とて自分がしていることが意味を持っていないことくらい自覚しているのだ。けれど、無意味なことをしてしまったほどに、あわてていただけだ。それをこの男は笑うのはどうも気に入らない。
「私が監視されていたらどうするんです」
「あぁ?寝ぼけたこと言ってんじゃねぇぞぉ。誰が記憶者を張るってんだ」
「ア…アルコバレーノ?それに、ドン・バッキャローネとか?」
「で、その予兆は?」
「……ないですけど、でもっ!」
リボーンもディーノも、“記憶者”のをよく知っている。とくにリボーンは仲間意識が高いところがあるから、仲間を監視などするわけがないし、ディーノにしてみればとスクアーロの関係については黙認しているふしがある。それになによりも、別に自身、こうしてスクアーロが自分のところにやってきたとしても、何か行動を起こす気などはないのだ。“仲間たち”のことを考えれば、がスクアーロからヴァリアーの情報を聞き出したり、また守護者ではないだから、スクアーロを暗殺したとてツナたちにはなんの関係もなく、有利に進むことだってあるのに。
それもできず、はただ、スクアーロを迎えてしまうのだ。
「テメェは心配性なんだよ」
つまり、結局のところスクアーロはそれらを全てお見通しで、だからこそこの余裕の態度をしている。確かに只今リング争奪戦真っ只中だ。だが敵っつってもそれはヴァリアー側の守護者と、日本の小僧の守護者間のもので、中立的な立場で全てを見守る存在であるには関係のないことである。
「テメェは記憶者なんだから、敵味方いねぇじゃねぇか」
「ぅ……で、でも!私今まで一年半ずっと、綱吉さまのお傍にいたんですよ!?普通もう完全に綱吉さまサイド扱いされるんじゃないですか!?いや、っていうか私そのつもりだったんですけど!」
「うぉおい、それじゃあお前、俺らヴァリアーが負けると思ってんのかよ」
「そんなことは知りませんよ!」
「うおぉい……」
「ただ、十代目になるのは綱吉さまです」
はっきりとした声では答えた。この女は、いつのまにこんなに意思を主張するようになったのだろう?少なくとも、一年半前の、スクアーロが知るはそんなことはしなかった。この女は誰だ、などというくだらないことを思うことこそはしないが、スクアーロは戸惑う。
自分の知っている・コッツェは、只管弱い少女だった。ザンザスの影に隠れて、おずおずとこちらを見上げてくる、声をかければ一瞬びくりと身体を震わせて、しかし知り合いだと分かるとあからさまに安心したように笑う、そんな子供だったのに。
「だから私は、十代目の綱吉さまのお傍にいるんです」
いつのまにかこんなにも強くなってしまった。幼い頃からの姿を知っているだけに、別に嬉しいとしか思わないけれどそれでも、その強さの源とやらにスクアーロは混乱せずにはいられなかった。
「…ちょっと…整理させろ」
耐え切れずにそう申請すれば、は不思議そうに首をかしげる。
「はい?」
「うちのボスどー思うよ」
「ザンザスさまは最強です」
にっこり笑顔。あぁ、このへんはまったく変わっていないらしいとスクアーロは安心した。一緒に育ったあの男のことを、は盲目的に敬愛している。
「で、その最強おっかねぇボスが、あのガキに負けると?」
「は」
即答。
先ほどザンザスの強さを信じるという瞳の強さそのままにのたまう。
「うおぉおぃ!!」
「はい?」
「テメェ何思ってンなバカなコトほざいてやがんだ!あのボスだぞ!?ヴァリアーのボスで、すっげぇ性格ヒン曲がってて、先週なんて出会いがしらに突然エントラスで一発食らわせやがって、しかも理由が「ストレス発散」とか理不尽なこと言いやがって傍若無人なあの、ボスだぞ!!」
「まぁ、ザンザスさまったらひどいですねぇ」
「おぅ!って、そうじゃねぇだろ!そのひっでぇボスが、あの、貧弱でひ弱で脆弱な、あの甘ちゃんに負けるわきゃねぇだろうが!うおぉおい!」
自分はなぜこんなに声を上げているのだろうか。
「でもね、スクアーロさま」
「あ?」
「たとえザンザスさまに何かお考えがあっての騒動であっても、」
私、とは言葉を区切る。
「どうした?」
「いえ、なんでもありません」
「ぅおい」
「……あなたは雨の守護者で、これから戦いがある身」
ピン、とそこで境界線が張られた気がした。そうだ、これが、記憶者の目だ、とスクアーロはを見下ろして思い出す。ボンゴレファミリーで起きる全ての事柄に同席し、しかし関与することは許されない記憶者。どれほど己に関係のある事件であっても、己の個によって当事者たちに影響を与えてはならない。
スクアーロの調査によれば、はこの一年半綱吉の傍らにいて、その友人たちと深い交流を持ったらしい。元来は優しい、気弱な気質の彼女が懐いた人間たちが、のよく知るヴァリアーによって命をとられるかもしれないこの状況。本来なら、泣き出しても不思議ではない。
一年半。スクアーロにはあっという間に過ぎてきた不在の年月も、にとっては強く成長するに十分な時間だったらしい。
「俺を頼れよ」
昔の・コッツェなら、泣きついただろう。スクアーロに、ザンザスに。殺さないで、殺されないで、と。理不尽とは思いながらも、必死に嘆願しただろう。しかし、今の・コッツェはそうはできない。記憶者としての責務を自覚し、そしてさらに、スクアーロにとっての自分の位置にも気付いてしまっている。
記憶者としての規則だけではなくて、ただ、そう言ってしまうことでもし、万が一にでもこの人が一瞬ためらうことがあってはいけないと、そう配慮できてしまったのだ。たとえどんなにスクアーロが自分を頼るように求めても、スクアーロが争奪戦の当事者である以上、は彼に影響を与えないように個を隠すしかない。
「この俺が負けるわけねぇだろぉ」
だから、今のは「帰ってきてください」とすら言えない。
前後不覚後になって、そして、自分の存在理由のためだけに存在するようになってしまった生き物は、果たして本当に個を持って生きているということなのだろうか。
(あぁ、世界に溺れてしまいそうだ)
Fin
ホントはスクアーロが腕を引っ張って抱きしめるシーンも書きたかったけど……それはまた別の機会ってことで。
(06/11/13 1:45)
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