※基本は3Zの義元ルート+両兵衛ネタ、ちょっとネタバレとあれこれ捏造入ってます。
 何が出てきてもOKな方のみ↓で。























しゅるりと足元を抜けるものがあったので(油断していたわけではないけれど)竹中半兵衛は一寸びっくりしてしまった。それで足元、駿河の今川領、今回「やりあう相手」である禅師が私邸として使用している屋敷の渡り廊下の木目に視線を落とせば半兵衛の目の端に黒い毛の塊、早い話が猫の尻尾が写った。腹の大きな猫である。金色の目を細くして半兵衛の足を煩わしそうに眺めている。邪魔だといわんばかりのその態度に半兵衛は笑って「ごめんよ」と理由はわからずとも彼女の機嫌をとってやるべく一歩横に反れた。すると身重の猫は大儀そうにゆっくりと半兵衛の脇を通り過ぎていく。その様子が一層可笑しくて半兵衛はついつい声を立てて笑った。

「そうしていると貴方は本当に童のようですね、竹中さん」

猫が角を通り過ぎるとほぼ同時に、反対の角からシュルリと布すれの音がした。はっとして半兵衛が振り返るとそこに現れていたのは目的の人物である。重ね袿姿のよく似合う女性だ。この国には珍しい金の髪に翡翠の瞳の持ち主で(口さがない連中には鬼だなんだと言われている)一見はたおやかな線の細い女性だが、この今川領を事実上取り仕切る猛者である。
半兵衛は「あ、どうも、殿」と一度ぺこりと頭を下げてから言われた言葉をじっくりと受け取ってみた。開口一番になかなか辛辣な事を言ってくれる。しかし知らぬ顔の半兵衛(意味が違うが)はさらりと流すようににこりと笑い、不思議そうに小首を傾げた。

「いえいえ、そんなそんな。若作りだっていう点にかけては殿や元就公の足元にも及びませんよ。っていうか本当、殿っておいくつなんです?」
「えぇ、まったく。毛利さんは妖怪の域ですよね。どこぞの巫女さんに誘われてしまわなければよいですけれど」
「あー、俺の質問は無視ですか、そうですか」

さらさらと二人の間で戯言が交わされる。にこにことした半兵衛とコロコロと狐のように目を細める、始終ふんわりとした空気であってけして黒くもギスギスともせぬ。互いにどうしようもない口の悪さを自覚し、また相手もそうであると理解しているうえであればこのやり取りは親愛ゆえのものとなる。半兵衛は頭の隅で今回供には来なかった相棒を思い出し、彼もこうして人に理解される口の悪さ・一種の愛嬌があればもっと顔色もよくなるのに、とそんなことを考えた。

「立ち話になってしまいましたね。こちらへ、茶の用意があるのですよ」
「足が痺れることはちょっと苦手なんですけど、俺」

ついっと裾を払って踵を返した佳人の後をゆっくり追いながら半兵衛は顔をしかめる。半兵衛が敬愛する秀吉様を始め織田信長など昨今の大名・武将の間でも茶道というものが嗜みの一つとなり何の変哲もない茶器が一城にも値するとかそういう風潮になる中で、どうも彼は茶道を愛せない。いや、振舞えといわれればこなせる。天才と自他共に認める竹中半兵衛、茶道の心得もしっかり会得し万人以上にこなす自信もある。だがこなせるのと好むのは別問題であり、半兵衛はせっかく気心の知れた間柄であるのところに来てまで堅苦しいことをしたくはない。

「あ、闘茶とかならいいですよ。自信あるし、禅師とならいい勝負になりそうだよね」

最近はめっきり減ってしまっているが、茶会には大まかに二種類があり、半兵衛いわく「堅苦しい」茶室でゆっくり湯を立てて主人と客の精神交流を重視する茶会と、立てた茶の銘柄を当てる賭け事、一種の賭博のような闘茶という茶会である。複数の茶を用意するものですぐに催せるものではないがなら可能だろうと見込んで提案すると、絹の布すれを優雅に立てていたの背が小さく揺れた。どうやら笑ったようである。その笑いの意味はわからぬが「ちょっとして子供扱いされた?今?!」と己の言動が子供じみている自覚もあるだけに半兵衛は顔を引きつらせ、弁解しようかと口を開きかけるがその前にがゆっくりと振り返って目を細めた。先ほどの腹の大きな猫のような、金に緑の混じった目である。

「わたしと竹中さんの間柄で苦行は強いません。茶といえばこの国では格式ばって肩の凝るようなものばかり。それも赴きがあると思いますが、今日の用意は違います」

言ってたどり着いた襖をスッと引く手。そこが「茶室」として用意された場所であろうが、中の様子に半兵衛は珍しく素直に驚いた。

殿ってどこの国の人でしたっけ?」
「いやですね、竹中さん。わたしは生まれも育ちも日の本ですよ」

ころころと笑いながらが部屋に入るので半兵衛もそれに続く。これがもう「茶道」の始まりであるのならこの時点から礼儀作法のうんぬんをせねばならぬのだが、「亭主役」であるにその素振りが見えない。半兵衛は先ほどのの言葉を信じることにして無作法を決め込み部屋に入った。

四畳半ほどの狭い部屋の中には通常中柱と呼ばれる主人と客の結界が必要となるがこの部屋にはそれが見当たらぬ。あるのは座り心地のよさそうなクッションと盆の上に乗せられた茶器のみである。その茶器というのも半兵衛はこれまで目にしたことのない造り。派手好きな秀吉様に付き合って唐物数奇に参加したことも何度かあるゆえに半兵衛の目は南蛮渡来・唐物の品をよく知っていた。だがが用意したというその茶器はそれらとは毛色が違うように思える。まず器の色は白。骨のように白い、薄い器には持ち手になりそうな細い取っ手がついている。縁は金、白の体に鮮やかな四季の花が描かれている。いわゆる現代であるところの一般的な東洋ティーセットであるのだが半兵衛が知らぬのも無理はなく、そもそもこの時代にその茶器を目にしたことのあるものはおそらく日の本を越えても存在するわけがない。

が当然のように用意して半兵衛にお目にかけたこの茶器が誕生したのは19世紀近く、16世紀の室町時代にはありえぬ品である。それをなぜこの、一見にこにこと穏やかな年齢不詳の女性が当たり前のように扱えているのか、あいにく半兵衛はこれを「珍しい品」とは悟ってもありえてはならぬ品とは思わぬので問うことはしない。それであるからこの問題は今回は解決しない。そういういたずら心を含むの所業に驚きつつ半兵衛は勧められた座布団に腰を下ろして「胡坐かいていいですか?」と確認を取った。

「えぇ、どうぞ」
「よかった。ここに官兵衛殿がいたらきっと小言を言っただろうけどね、やっぱり胡坐が一番楽なんだ」
「そういえば、今日はお一人なのですね」

言われて一寸半兵衛は警戒した。己はこうして気安く話せるほどこの禅師とは親しいし、相手もそれなりに己に親しみを感じてくれているという自覚もある。だがそういう目で見てもという女性は油断していい相手ではないし、何より半兵衛の相棒(と勝手に決めている)の黒田官兵衛との関係はけして良いものではなかった。

官兵衛はを「天下を揺るがす危うい火種」と危険視し、は官兵衛を「冷酷無比の性悪男」(多分官兵衛が一度天下泰平のために今川を滅ぼすべきだと話したからだろうと半兵衛は考える)と嫌っている。半兵衛は正直なところ、お互いに理解し合えるだろうと思っているので普段の睨み合いには関与しない。だが今回半兵衛はこの邸に遊びに来たわけではなく公務、それを理解しているが「黒田官兵衛はいないのか」と問うている、それで警戒心を持った。

「えぇ、まぁ。官兵衛殿も誘ったんですけどね、いろいろ忙しいみたいで」
「さようですか。比叡の方が騒がしくなりそうですものね。黒田さんも大変でしょう」
「嫌だなぁ、殿、俺は口が軽いと思うんですか?」

黒田官兵衛の訪問を歓迎せぬだろうがあえて話題に出す。世間話のわけがない。こちらの、織田の昨今の情勢・あるいは今後の戦・仕業を探る意図がある。のらりくらりと交わすのが普段の半兵衛だが切りつける刃を相手が鋭くする前に牽制した。

は静かに目を伏せてから手元の茶器を押さえてコポコポと湯気の立つ、琥珀の液体を白い陶器に注いでいく。茶器の中には感想させた花のつぼみが予め仕込まれており、温かな湯が入ればゆっくりと茶器の中でつぼみが咲いた。ややあって鼻に香る花の芳香、目を奪われるような見事なその茶器の世界であるが半兵衛は一瞥したのみに留めてじっとを見つめた。

そのままが何も言わずにいれば半兵衛はこのやりとりをなかったことにして普段どおりに振舞おうかと、そういう選択肢を用意していた。そのほうが互いに良いだろう。半兵衛にとっては数少ない対等な話し相手であるし、今後の己のことを考えると(相棒殿のために)彼女との交流は続けるべきだった。だから黙っていると、その半兵衛の判断に気づいているだろうに、は手を伸ばし半兵衛のための器と己のものとを交換してから一口含んだ。毒の入っていないことを証明する手順に半兵衛は眉を寄せ、ため息を吐く。それを皮切りにして、はことんと茶器を置くと半兵衛を見つめて柔らかな表情を浮かべて見せた。

「探る意思ではありませんよ。そもそも比叡山焼き討ちをわたしの耳に入れたのは信長さんですからね」
「………は?なんで?」

カマをかけている、というわけではないらしい。当然、あっさり、とそのようにケロっと吐き出された言葉に半兵衛は顔を引きつらせた。の言葉に嘘などない。彼女の言葉を聞いて半兵衛は、そういえば一週間前に信長がどこぞに一人で遠乗りに出かけて翌朝帰って来たとそういう話を思い出す。あぁ、そう、と半兵衛は額を押さえてからぶすっとした顔でを見やる。

殿って本当、義元公さえ無事ならほかは興味ないんだね」

つまりはは黒田官兵衛がこの場にいたら次に信長が行う非道をどう考えているのかと、そうただの興味本位で聞きたかっただけなのだろう。半兵衛に聞かぬのは半兵衛がどう思うか、が想像できるからだ。半兵衛はその非道を阻止しようとあれこれ動いている。半兵衛はそれを「非道だ」と思えている。だがの目から「手段を選ばぬ究極の現実主義者」と思える黒田官兵衛はどうなのかと、純粋・単純な好奇心から聞いているだけらしかった。その仕業に半兵衛は怒るべきだろう。はこれから魔王によってどれほど人が死のうがそこに重点を置いていない。ただ「天下のためにそこまでするって実際どんな心境?」と無邪気に残酷な興味を持っている。たぶん、ここは怒るべきところだ、だが半兵衛は呆れてしまった。

殿が俺と組んでくれればなんとかできるかもしれないのにさ」
「わたしが残酷な女のように聞こえるのは気のせいですね?」
「自覚がないなら早いうちに気付いてくださいよ。その方がいろいろ助かりそうだし」

呆れつつも、のんびりとしたの言葉にやや怒りも沸く。半兵衛は自分ひとりでは今回の信長の非道を止められないと(賢いだけに)わかっていた。頭脳明晰は一般的に「良い」「得」と言われるがそれと長年付き合ってきた半兵衛はそうは思わない。頭がいいから結果がわかってしまう。限界を計算できてしまう。足掻く、ということを半兵衛はこれまで一度もしたことがなかった。

だから今回の比叡の山で起きるだろう惨劇を半兵衛は止められない自分を知っている。いや、そこに官兵衛が協力してくれたらどうにかなるかもしれない。だが官兵衛は「天下泰平のために」今回のことで半兵衛に協力してはくれない。それもわかっている。どうしようもできない。そしてが手伝ってくれると言ってくれればなんとかなる道もあるのに、やはりもそうは言わないのだ。どうにかできる道を知っているのに実行できない。これが歯がゆい。それであるのにがそうのんびりいうものだから腹が立った。眦を上げを睨むと、茶の主人は眉をハの字にして長い袖で口元を隠した。

「竹中さん、わたしは信長さんの言うことがよくわかるんですよ」
「へぇ、それじゃあ今回は無関心から放置じゃないってことですか」
「信仰は人の心に不要なものではありません、けれどそれを道具にしてはなりませんね」

は主観のように言っているがこの戦乱の世で力のないものが希望・救済を見出そうと何ぞを信じる心、それを否定はせぬのだと信長は言ったのだろうか?半兵衛はにわかには信じられず、疑うようにを見つめるが相変わらず緑の目をにっこりと細めるだけではそれ以上の感情を出さない。

確かに、比叡山というところは純粋純真な信仰心厚い人間のたまり場、ではない。力・武力を持っていることを半兵衛も知っているし、信仰を「利用」してあれこれ容赦のない振る舞いをするのも耳にしている。滅ぼされるに足る理由は確かにあった。半兵衛もそれに気付かなかったわけではない。だが、だからといって許されて良いものなのか。

「だから、黒田さんに聞いてみたかったのです」
「余計わかんないな。なんで官兵衛殿に?官兵衛殿って信長みたいに神仏の類を信じてなさそうだけど」
「えぇ、そうですよね。今のところは」

含みのある言い方をする。だが半兵衛は「今のところ」が変わるとは思えなかった。すぐに思い浮かべられる相棒の仏頂面というか無表情は鉄壁で、いつだって現実主義者だ。確かに半兵衛は官兵衛の中の僅かな情を知っているしそこが彼のかわいいところだと(2歳上の先輩として)にこにこ思えているけれど、それでもあの官兵衛どのが神仏の類を信じる「いつか」というのは想像できない。

「もう頃合でしょう。楽しんでください」

小難しい顔を半兵衛がしているとがつっと茶器を差し出す。珍しい品だ。こうして用意してくれた労もわかるので半兵衛は受けることにして茶器を手に取り、中で咲く花の見事さと香り、さらには味を楽しんだ。

「へぇ、甘いんだね、これ。これなら俺も飲めるや」
「花を砂糖漬けにしているのです。湯に浸せば甘さが出ましょう」

なるほどと関心した。それでいて少々の塩見もある。甘いものに一つまみの塩を加えると甘さが引き立つという知識を思い出しつつ半兵衛はゆっくりと味わい満足して茶器を下ろした。

「茶請けの菓子もありますよ」
「うん、だからさ、殿って本当どこの人?絶対この国の周辺じゃないよね」
「ですからわたしは生まれも育ちも日の本ですよ」

切り分けられた茶菓子とやらはやはり初めて見る品で、竹筒の中に豆腐のようなものが納まっている。これで食すのだというように傍らには匙が添えられており半兵衛は匙を手にとって口に含んだ。やわらかく、だが舌の上でとろける妙なものだ。

「信長や姫様から唐菓子を賜ることがあるけど、これは食べたことないね」
「えぇ、まぁ、いろいろ入っているんです」
「いろいろって何?」
「まぁいろいろと」

危ないものは入っていませんよ、と太鼓判を押すが微妙に信用しきれない。だが実際のところ味は極上だ。二口目をいこうか迷っていると、が珍しいことにやや強制する声音で「召し上がってください」と言ってきた。

「砂糖と卵と牛の乳などが入っています。口当たりもよく、滋養に良い品です。一つは必ず召し上がってくださいね」

あぁ、やられた、と半兵衛は意図に気付いて笑った。

今回こうして駿河を訪ねたのは先の西国征伐にて今川と織田が同盟を組み協力して毛利や立花を抑えたからで、その礼はすでに信長公よりされているが半兵衛は軍師として軍師に挨拶に来た。公務であって公務ではないが、だがはその公務という「強制力を持つのはこちら」という状況の中でこの品を出してきたのだ。

は今川領以外の人民のための行動に協力的ではない人だ。部類にすれば他人への無関心。非情無情とそう取れる。だが彼女は、そうだ、彼女は身重の猫を屋敷の中で放し飼いにして堂々とした振る舞いを許しているような人である。

殿ってさ、官兵衛殿とよく似てるよ」

半兵衛は笑い、観念したように天井を仰ぎ見てから滋養の品を再度口に運んだ。

は医師としての才もある人だ。こちらの顔色で具合等をあっさり見抜いているらしい。そういえば西国征伐の才に何度か体の調子を聞かれた覚えがある。それでこうして、(材料になったものを考えても)高価で珍しいものを「菓子」をして茶の席で己に摂取させた。半兵衛が病人扱いされることを疎み、また病状を隠していると察してのこと。

それでは珍しく官兵衛の不在を問うた最初のところは、何も探りや比叡山の非道うんぬんではなくて、ただ単に、半兵衛がもっともこの「病」とその「結末」を隠したい相手がいないことを確認したに過ぎないのではないか。それを己が早合点してあれこれと展開させたに過ぎない。はただこの席で己にこの栄養価の高い食べ物と、おそらくは独自の調合がされているであろう薬茶を口にさせることだけを目的としていたはずだ。

「ごめんなさい、俺、ひどいことを言いましたね」
「えぇ、わたしがあの陰湿根暗男に似ているなどと、無礼ですよ」

にっこりとが笑って言う。半兵衛はそのことじゃない、と自分が言わないことが彼女に対して今現在できる礼儀だとわかったので訂正はせず、もう一口やわらかな菓子を喉に通した。

が自分のために用意してくれた滋養の品と思えば人間単純なもので妙にじっくりとそのありがたみが体の中に染み渡る。

思えば最近とんと食も細くなった。昔からちっとも筋肉のつかぬ体であったけれど、少し前から自分で自分の手首が掴め人差し指と親指がぴったりくっついてややあまるほどになって笑ってしまった。いつもゆったりとした服を着ているから目方の変化は悟られていないだろうけれど、これもいつまで続くものか。

茶で喉を潤せば、暖かな湯で頬が紅潮した。人の優しさのような暖かさに半兵衛は妙に苦しくなって、から顔を逸らし庭に視線を投げる。

「そういえばあの猫、もうすぐ生まれるんですか?」
「さぁ、どうでしょう。ずいぶんとお腹もおおきいけれど」
「いつぐらいから大きくなったんです?」

問えばは知らぬという。どうも雨の日に外に出ていたら腹の大きな猫が足を引きずって雨に打たれて難儀していたようで「貸しましょうか」と声をかけたそうだ。それで猫がにゃぁと鳴いて居ついたという。

「仮宿とわかっているんでしょうね。畳の上をけして汚さないのですよ」
「さっき俺が通ったら邪魔くさいって目をされましたけど」
「さっき俺が通ったら邪魔くさいって目をされましたけど」
「殿方は妊婦をできる限り優遇するべきですよ」

屋敷で飼おうかという話も出たのだが、は野良猫の母はそのまま気の向くままにさせようと思っているそうだ。子猫は生まれたら母猫に伺いを立てて方々にやろうと考えていると、そうがまるで猫に意図がわかっていることが前提で言うものだから半兵衛は頭の中で妙に、母猫が人の言葉を話すような映像が浮かんでしまった。

「でも、どうでしょうね。竹中さん」
「何がです?」
「あの母猫のお腹、ずいぶんと大きいでしょう」
「えぇ、そうでしたよね」
「たくさん子供がいるんです。触ってみて数えただけでも九匹はいて、はたして無事に産みきれるでしょうか」

猫の話をしていると、庭を白猫が通った。あれは別の猫で、時折庭にやってくるのだとが説明する。ふと見たときに猫の姿があると心が和むとは言う。それで猫に気に入るような庭の造りを目指しているとそう楽しそうに言った。

「猫が気に入る庭って、それ庭師の人は嫌がらない?」
「えぇ、泣いてましたね」

折角整えた庭を猫どもが荒らしていくとむせび泣く姿がとく見れるらしい。は畜生には優しいが人には厳しいのかもしれない。半兵衛が肩をすくめると、目の端に身重のあの黒猫が移った。

「あ、あの猫だ」
「えぇ、そうですね。重いお腹を揺らしていつもどこぞに向かっているんですよ」
「へぇ、そういうものなの?」
「どうでしょうね。運動不足はいけませんが、じっとしているのが多いのではないでしょうかね。普通は」

半兵衛もさすがに猫の出産状況については知識がない。も同様のようで小首を傾げた。だがあまりよろしくない行いなのだ、ということは伝わってきて半兵衛は黒猫を呼ぼうと立ち上がる。

「ねぇ、猫さん。あれ?いない。どこ行っちゃったんだろう」
「呼んでも来ないんですよ。餌のときだけですね。あとはふらりふらりと歩いてばかりなんです」

とん、とが二杯目の茶の用意を始めた。半兵衛は暫く猫の姿を追い求めたが見つからずしぶしぶと座布団に戻る。

「ね、殿、あの猫は今のうちにできるだけ、いろんなことをしているのかもしれないね」
「とおっしゃいますと?」
「たとえばさ、生まれてくる子猫が気持ちよく寝れる場所を探しているとか、外敵になるものをやっつけて安全を確保しているとか、穴を掘って保存食を隠したりとかさ、そういうこと」

があの猫の腹の子は多すぎるとそう言った。生みきれば母猫は死ぬということだろう。話を聞く限りその猫は賢いようであるからそれを悟っているのかもしれない。それで、できる限りのことをしているのではないか。そう想像すると半兵衛は止まらなかった。

「そうだよ、きっと、そうだね。殿を選んだのも子猫の身の振りをちゃんとしてくれるひとだって見込んだのかも。この家なら飢える事もないし猫らしく鼠を取れなんて追いかけられることもない。万全の状態で子供を生めるって、そう見込んだのかも。今のうちに考えられることを全部全部してしまって、準備をして、もう大丈夫なようにすればきっと、怖くないんだよ」

言ってしまって、半兵衛ははっと我に返った。それで急に冷静になった頭ですとん、と肩を落とし、が入れてくれた二杯目のお茶を口につける。

「嘘だよね、そんなの。俺、何言ってるんだろう。どれだけ準備したって足りないのにさ」
「母猫にはわたしがいます。相手の準備不足を補えるだけのわたしがいますよ」

静かにが自身で入れた茶を飲んだ。優雅な手つきである。茶道の作法とは違うが見るとこれが一つの作法なのだろうと思う仕草だ。半兵衛はじぃっとのその雪でできた花のような美しさを眺めて、それでぐっと腹に力を入れた。

「ねぇ、殿。お願いがあるんです。聞いてもらえません?」
「あいにくわたしは義元さまとご嫡男の氏真さま、あとはあの母猫を見守ることで手一杯ですよ」
「そう言わないで。一人くらい増えたって殿なら平気でしょ?」

ここは引かないよ、とそう強く言えばが珍しくため息を吐き茶器を置いた。それでこちらを睨んでくるかと思いきやは懐から何か細い鎖に繋がった物を取り出して半兵衛に差し出してくる。

「何ですこれ?キリシタンの道具に似てるけど」

はその「禅師」というとおり坊主である。生臭坊主、破戒僧であるが僧職であることに間違いはない。その彼女が異国の信仰であるキリシタンの道具を持っていることは意外だ。信長はキリシタンを庇護しているからその経由で道具を得ていてもおかしくはないが、とことん世の条理から離れるの行動に半兵衛は面食らった。

「で、これが何ですか?」
「仏教では死者はいろいろあの世で修行してあれこれしないといけない多忙な身になるようなんですけどね。わたしが知る一つの宗教では死者は生者を見守る光になるとそういう教えもあるようなのですよ」
「光って何?太陽の光とか?」
「守護天使というのがわかりやすいんでしょう。あぁ、ですがまだ天使という概念はありませんね」

テンシ、という聞きなれない単語に半兵衛は首を傾げるがはかまわぬように手を振ってから、未だ受け取らぬ半兵衛の手に十字架を押し付けた。

「わたしはあの根暗男を見守るほど暇ではありませんから、それはやはり竹中さんがやってください」
「それができればいいんだけど、俺には時間が、」
「頑張って発光してください」

現実的な話をしようとするのには取り合わない。いや、彼女は至極まじめなのだろう。以前にその宗教観を聞いたことがあるが、そういえば彼女は死後の世界を信じている派らしい。成仏とかそういう類ではなく、なにやら時折見えてはいけないものも見てきたらしく、それでこのような妙なことを言うのかもしれない。

「お願いくらい聞いてくれたっていいじゃないか」
「わたしは義元さまの願いだけ聞きます」

比叡山のことといい、まったくこの女性は己の手伝いをしてはくれないらしい。半兵衛は押し付けられた金の十字架をじっと眺めて眉を寄せた。

自分の「結末」はもうわかってしまっている。だがその後が心配だ。ぼんやりとうっすらと、半兵衛は悟れる先がある。それらに対しての準備はしている。だが万全にはどうしたってならない。信長はいつか死ぬだろうからその辺はかまわない。秀吉様の天下も来るだろう。それを官兵衛殿が支えてくれる。それもわかっている。官兵衛殿に「頼んで」もよいことだ。そうすることが唯一の道である。それはわかっている。

だが官兵衛殿のことは誰に頼めばいいのだろう。

それを半兵衛は考えていた。憎まれることを当然という顔をしている。自分がいるときは「柔」は己で「剛」は官兵衛殿と、二人いれば極端にならずうまい具合にやっていけた。だけれど自分がいなくなれば、官兵衛殿だけになればその均衡は崩れる。それでも官兵衛殿はやっていけるだろう。だが、それは豊臣の天下を「やっていける」だけである。

殿なら任せられるのではないかと、そう思った。だがはそれを否定した。彼女はそういう人だろう。わかっている。わかっていたけれど、頼もうとした。やはり拒否された。そして彼女は「最後まで責任を持て」とそういう目で今こうして十字架を押し付けている。

あぁ、そうか、と半兵衛は気付いた。先ほど比叡山の話をしたときに、彼女は「信仰は不要ではない」とそう言った。それは、己に対しての慰めでもあったのだろう。そう悟り、半兵衛はいっそう、彼女が官兵衛殿を気に入ってくれればいいのにとそう思った。

は人を見守る光の話をした。それは「だから官兵衛殿は心配ない」とそういうことを言いたいのではない。

それはきっと、人を置いていく、志を遂げられる半ばで潰える己に対しての救済の意味に他ならないのだ。

「光になって官兵衛殿を見守り続けられるなら、俺は何も怖くないよ」

ぎゅっと十字架を握り締め、半兵衛は目を伏せた。




(死ぬのが怖いなんて、俺が言ったらいけないんだ)







Fin



(2011/07/21 21:30)