※注意※
ちょとばかし「雑渡→伊作」的描写があります。











話の中の狼







「やぁ、くん。こんな時間まで勉強なんて感心だねぇ」

のんびりとした声が唐突に天井裏から聞こえたもので、は素早く扇子を投げつけた。パシンと軽い音すらさせず受け止めた不審者はこちらの殺気も怒気も素知らぬ顔をしながらストンとそれはもう器用に見事に、の蒲団の上に落ちてくる。

夜も随分と更けた頃。明日提出する問題集がどうしても解けなくてうんうん頭を悩ませ続けていたらこんな時間。たとえ「あほのは組のドベ」と言われるほど成績が悪くともは最後まで諦めない粘り強さだけはあって、それで解けぬ問題と向き合っていたと、そういうところ。解けぬ苛立ちで程よく気分もささくれていた。そういう中にこの男の訪問、いや、というよりも、通りかかったのだろうけれど、火に油とはこのことだ。

「タソガレドキの忍び、組頭がよくも足繁く通うものです。伊作のお人よしもここまで来ると病気ではないかと疑いとうなるわ」
「ほんとにねー。伊作くんは忍びには向いてないよね。今夜なんて包帯だけじゃなくて薬のお土産まで貰っちゃったよ」

ほら、と蒲団の上にちょこんと座った黒尽くめ、少し前に敵対した城の忍びが手のひらに小さな貝を乗せて自慢げにこちらに見せびらかしてくる。この忍び頭、忍術学園のとある生徒を「気に入って」ここ最近足繁く通うのだ。プロの忍びであるので訪問を悟られることはない。どう考えても不法侵入者をであり曲者なのに、快く迎える同級生がいて、だからここ最近は苛立っていた。

そうしてその忍びに見せびらかされた品。あぁ覚えがあるとは額を抑えた。三日前に新野先生が知人から珍しい薬草を頂戴したとかで、伊作にそれを少し分け与えてくださったのだ。火傷で台無しになった皮膚組織によく効くと、南蛮からの渡物。本来であれば高直で忍たまなどの手に入るものでもなく、また扱えるものでもないが、保険委員長、保健委員を六年間勤め上げてきた善法寺伊作なら扱えようと、温和な新野先生が「役立ててくださいね」と贈られた。珍しい、そして難しい薬を扱うことは医療を嗜む人間には貴重で、そして大切なこと。新野先生はこれで何ぞ研究やあるいは、よく怪我をする伊作であるから案じて、彼自身のために使うようにとそういう意味だったのだろうに。

「銭に変えれば保健委員の半年分の備品が賄えるものを…そなたのような者にあっさりくれてやるなど…」

何のために新野先生が分けてくださったのか。他人の好意を見当違いに受け取る天然なところが常々伊作にはあるとも認めているけれど、なぜ雑渡昆奈門なんぞに。

じろりと睨みつければ包帯に覆われた顔、その中でただ一つ明らかになる目をこちらに向けた忍びの男がにんまりと笑った。こちらが感情的になるその理由をよく理解していてその反応だ。はパチン、と手に持った扇子を閉じて心を落ち着かせようと試みるが、効果のほどは期待できそうにない。

この男のことだ。手ぶらで毎度訪問しているわけもない。何かと遠慮がちな伊作が断りづらい理由をしっかり用意して薬だのなんだの、伊作の必要としているだろうものを「お礼に」と持ち寄っている。だからある意味等価交換であるといえばそれまでだが、それにしたって気に入らぬのだから仕方ないではないか。

この男の所属するタソガレドキ城、かの悪名高きドクタケ城と並び称されるほど「戦好き」で知られて、そこの忍び衆らも相当なやり手、好戦的であると言われている。その100人はいるだろう忍びを束ねる忍び頭のこの男、雑渡昆奈門が伊作の周りをちょろちょろする。気に入らぬのだ。

「忍び衆に医者がおらぬわけでもないくせに伊作に付きまといおって」

憎々しげに吐き捨てて、は顔を顰める。伊作と雑渡は、夏休みの課題が学年飛んで入れ替わるという珍妙な事件の際に、当然のように不運によって巻き込まれた伊作がタソガレドキ城とオーマガドキ城の戦場にいたため出会ったのだ。

敵味方関係なく「保健委員」だからという理由で伊作が手当てし、雑渡自身も救われたと、それで恩を感じていると、そうは聞いている。

「伊作くんは包帯を巻くのがうまくてね」

の殺気をひょいっと避けて雑渡が自分の腕を反対の手で押さえ、目を細める。あぁその腕を今宵は治療してもらったのかと言われずとも動作でわかり、は扇子を握りつぶしそうになる。

「伊作に付きまとうのはやめよ」
「伊作くんには恩がある」
「そなたのような者が「恩がある」というくらいでここまで付きまとうものか。いや、恩ならとうに充分に返しておるじゃろう」
「それを判断するのは君じゃなくて私じゃないかな」

伊作に「助けられたから」と、その後に雑渡は一年は組の庄左エ門らがドクタケに捕えられているところを助けてくれているし、忍びが戦に参加せぬようにもしてくれた。その後も伊作と伏木蔵を頃あるごとに助けてくれているらしく、もはやそれは「恩を返す」というよりただの親切だ。

何か企んでいるのか。そう考えた方が自然だが…は自分の思考をまとめるため、ぱちん、ぱちん、と扇子を開閉する。

「包帯をもらったというだけ以上に、私はあの時伊作くんに救われたんだよ。まだまだ、恩を返しきれたなんて思ってない」

と、普段他人をからかう様な声音の男が、不意に生真面目な声を出して呟いた。はっとしては目線を雑渡の目に移して、途端呼吸が止まった。

「…ぐっ…」
「そう、たとえば、ね?今この場でウシミツドキ城の若君を暗殺して我が殿の利とする、なんてことも私にはできるわけで、忍び頭としてはしちゃったほうがいいんだろうなーって、そういうことを考えもするんだよ?」
「…っ、くっ……」

こちらとてプロ忍者に近いと言われる六年生。殺気や敵意には敏い方で、そして何よりこれまで数々の暗殺者に狙われてきたは、このような事態に慣れているはずだった。だが、はこうして雑渡に首を掴まれ壁に叩きつけられ、反対の手で持たれたクナイを眼球に近づけられても、何の抵抗もできない。

「武士なんてのは誇り高いからね。ここで私に「情け」をかけられて生かされるなんて恥だろうから、気持ちをくんで殺してあげたい。私はそういう人情はあってねぇ」

にっこりとその包帯の隙間から除く唯一の目が笑う。ぞくりとは久しくない恐怖を覚えた。ゆっくりと真綿で相手の首を絞める、などという甚振りはない。ただあとほんのわずかに力を込めれば、窒息死ではなく首の骨が折れて死ぬ、とそういう境目に落とされた。は力の入らぬ手をなんとか動かそうとするけれど、それは無駄な足掻きである。

ここで己は殺されるのか。
瞼の裏に側室を裏切りそれでも己を慕ってくれている家臣たちの顔が浮かぶ。いや、待て自分、こんな走馬灯は却下だ。こんなところで、このが死ぬなどと、そのようなことは認めない。

「うん、まぁ、でも君が恥じ入ってしまうような展開でも、とにかく私は今伊作くんに「恩」を感じていてね。彼の悲しむ顔はできる限り見たくない」

反撃を、と、そう必死に自分に言い聞かせるの耳に、先ほどとまるで変わらぬ雑渡の声が、のほほーんと響き、そしてどさりと畳の上に尻餅をついた。

「……げほっ、げほっ…」
「あぁ、そうやって急に吸い込んだらダメだって、習わなかったかい?君もつくづく忍びに向いてないよねー」
「………っ、だ、まれ…ッ!」

絞殺そうとした事実などないように、雑渡は放した手をひらひらと振って見せる。は急に楽になった呼吸を整えようと絞められた喉を抑え、咽ながらも雑渡を睨みつける。

「うんうん、さすがはウシミツドキ城の若君だ。命乞いもしなかった。まぁ、できるように首絞めてはいなかったんだけど、きっと君は、喋れても命乞いなんてしなかっただろうね」

冗談ではない。誰がこの男に命乞いなど。

吐き捨てようとし、いや、これは私情だと気づく。ここで、こんなところで己が死んではならぬという意地はある。だから己は、到来の己は、この場で命乞いをするのが正しい。どれほど見苦しくとも目的を果たす、それこそががこの学園で生きようと決めた根底。武士の潔さではなく、忍びの忍耐、恥よりも達成を選ぶその心をは学びたかった。だから、ここで命乞いをするべきだったのに。しなかった。する気もなかった。雑渡が嫌いだ、という以上の理由を見つけなければならない。そうでなければは、これまで立っていた足元が崩れる。

雑渡に殺されかけた以上の恐怖と動揺が心に沸き、はぶるりと身を震わせた。

「今きみを殺さないのは伊作くんのためだ。きみは、きみが「病的だ」と言った伊作くんの優しさに生かされてるってこと、忘れないでね?」

ちょん、と雑渡がの唇に手を当てる。

悪戯、生意気を言う子供を大人がかわいらしく窘めるような、そんな調子。おぞましいと全身に鳥肌が立つが、だが、事実だとは認めた。雑渡が、この男がここで己を殺すなど造作もなく、あっさり殺して、そしてこの学園から退散することもできる。だがしない。今日だけではなく、その機会はこれまで何度も(伊作が雑渡の手当てをする度)あった。だが雑渡は「伊作くんのやさしさ」に甘えることはしても付け込むことはせず、そして、「なにもしないで帰る」その事実によって彼が「恩がある」という事実を肯定している。

(あぁ、吐き気のする)

そうだ。そもそも、そうだった。は自分が「伊作に守られている」という状況を理解した。いや、伊作がそこまで判断して動いているわけではない。だが雑渡が、この気に入らぬ忍びが、そういう状況を作り出して、そしてこうして面前に突きつけている。

「……この、腐れ忍びが……ッ」

この世のすべての憎悪をかき集めたとて足りぬとうほどの感情を込めては雑渡を睨みつけた。あぁ、そうだ。こうして、こう、己の首にしっかりと「絞めました☆」という跡を残したこの男。これすら、籠を作るための材料なのだろう。

(わしが雑渡に殺されかけたと伊作に言えば、もう伊作は雑渡を歓迎はせぬ。わしは雑渡を「脅す」手段を一つ手に入れさせられた。だがこれを使わぬとこの男は分かっている。使わねば、わしは雑渡と伊作の密会を「認めた」こととなり、共犯者になる)
(タソガレドキの忍び頭がウシミツドキの嫡子を暗殺「しかけた」という事実があれば、ウシミツドキはタソガレドキと戦になる)

あぁそうだ!そんなことは選べない!!あぁ、気に入らぬ!!
他人を雁字搦めにして動けぬようにする。それが忍び!この男の得意分野であろうか!

乱暴に何もかもを殴り飛ばしてしまいたくなった。は唇をかみしめ震えるほどにどろどろとした感情を抑え込み、ぐっと、扇子を握り締めた。

「………」
「あーあー、ごめんごめん。別にいぢめるつもりじゃあないんだよ?」

とどめって知ってるか。

沈黙することちらに、にこやかに、そう、いっそ友好的にとさえ取れる笑顔を向けられすっと雑渡に手を差し出される。これはもう火に油とかそういう次元の話ではない。は顔がひきつくのを感じ、もう本当、どうしてくれようこの男を心底嫌になった。

だが雑渡昆奈門はいつまでもが「仲直り握手」をせぬのを不思議そうにきょとん、と首を傾げてさえ見せる。だが何か心当たりでもあったか、ぽん、と手を打った。

「大丈夫だよ、火傷はうつらないから。伊作くんだってしょっちゅう触ってるんだし」
「誰が感染症を恐れておるかッ!」
「じゃあなんで?」

つい一瞬前まで自分を殺しかけた男とどうしたら仲良子よしな雰囲気で仲直り☆なんて芸当ができるようになるのだろう。あれか?自分がバカ殿とか呼ばれてるのをこの男知ってるのか。いや、でもいくらバカの称号を欲しい侭にしている自分であっても、そこまでおめでたくはなれない。

「……というか、わしはそなたが嫌い。そなたもわしを好んではいない、それでよいではないか」

もう疲れた、もう嫌だ。しっし、とは手を振った。さっきまでのシリアスモードはなんだったのか、こうなってはいかにこちらが「伊作に近づくな」「変態」「ストーカーかお前」と罵ったところでどうしようもないだろう。そのくらいの諦めはあったし、こういう「暖簾に腕押し」なのは一年は組の良い子たちでなんとなしに慣れている。

今夜はこれ以上関わりたくない。また次にシリアスする機会があったらその時に話そうと、そう思っているのに、ちょこんと正座した雑渡昆奈門は帰る様子もない。

「……帰れ」
「えー、嫌だよ。きみは伊作くんと仲がいいし、いろいろ伊作くんの話も聞けて、私も話せるじゃない。そのために天井裏から降りてきたんだし」

やっぱりさっき叫んでおけばよかった。

なんだこのロクでもない提案。は耳を疑った。なにやら頭が痛くなり、抑えつつ雑渡を見れば、いつの間にか雑渡昆奈門、懐から竹製の「水筒」やらせんべいやらを取り出して畳の上に広げているではないか。

「……貴様、何をしているんです…」
「いや、ほらさー、やっぱり部下に「伊作くん可愛い」「伊作くんはあれだよね、天使?」とかそういうことは言えないじゃない。でもおじさんは胸に秘めてるだけじゃ辛いんだよねぇ」

おっさんの自覚あったのか。
というか気色悪い。なんでこの男、正座していたのにいつのまにか横座りしてるんだ。

もうすっかり「夜更かししながら気になるあの子の噂話!」というスタイルの整ってしまった雑渡+自室。なんで曲者が長時間居座る気満々なんだ。
あれか?伊作の部屋で曲者が見つかったら伊作に迷惑がかかるが、ここならいいとかそういうつもりか?

いい度胸である。

「油、」
「あ、大丈夫。ちゃんと自前のあるから」

学生が夜半使える明かりのための油には限度がありもったいない、と言おうとすれば雑渡がさっと懐から小瓶を取り出す。つかどうなってるんだその懐。四次元○ケ…?などと一瞬頭の中に青い猫型からくりが浮かび、ぶんぶんとは頭を振る。

だめだこの男に対して突っ込みどころが多すぎて、このままでは居座られる。

「わ、」
「宿題なら私が手伝ってあげるよー?これでも頭はきみよりいいしねー」
「はっ倒すぞこのストーカー」
「いや、でもほら事実だし。あ、ここの問題間違ってるよ」

わしは宿題、問題集が残ってる、とそう言って追い出そうとするがそれもあっさり見破られる。その上ひょいっと机を覗き込まれてぱらぱらと問題を見られた。

「うんうん、忍術学園は質がいいよねぇ。でもこれきみには難しいんじゃないかい?」

は思った。

なぜ自分は夜中に曲者に首を絞められて殺されかけて、さらには睡眠時間も勉強時間も奪われ、そしてこうして罵られないといけないんだろうか。

あれか?
ちょっと気に入らないからって文次郎の十キロそろばんを赤墨で塗りつぶした報いか?それとも調子に乗って小平太とバレーして壁とかいろいろ破壊してしまったからか?

「ほらほら、手伝ってあげるからお礼に伊作くんの話してよ」

いつのまにそういう契約になった?

本当、突っ込みたいことが多すぎる。はとりあえず扇子の先を額に当てて「よく考えろ」と自分に冷静になるように促してみるが、たぶん、また雑渡が何か言ったらイラッと神経をやられるのだろう。

いっそ雑渡がドン引くような伊作の醜態でも話してやろうかとそんなことが頭に浮かぶが「そんなおっちょこちょいな伊作くんもいいよね」などと言われてしまう危険性もあり、「あ、こいつガチだ」とその本気を自分が認めてしまうのも癪ではないか。

ふぅとはため息を吐き、もうここは観念して(あと問題集が無事に提出できる見込みもあるので)この変質者…じゃなかった、曲者と「ちょっと夜更かししてあの子の話☆」などという空寒い物をしてやろうと、そういう覚悟を決めることにした。



Fin





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・シリアスに見せかけたただのギャグです。