別段、いつも校内をぐるぐる巡っているわけではない、雲雀。いったい何年生なのだろうかと周囲の素朴な、けれど切実な疑問など何所吹く風で今日も今日とて並森中、恐怖の風紀委員長は群れずにひっそり、屋上で昼寝などしていた。いや、昼寝というか、まだ二限が終わったばかりであるから、朝寝だろうか。
なに、それもこれも、昨晩街中を群れて鬱陶しい連中がいたので咬み殺していたために、雲雀少年少々寝不足というかわいらしい理由がある。(と言えば激しく語弊がありそうだが)
そうして、屋上でふわりふわりと流れて行く優雅で怠惰な雲を眺めながら雲雀、給水塔の上でじぃっと、耳を済ませていた。
眠るだけが目的ならば、応接間の方が心地は良いし、いろいろと便利なこともある。しかし、今現在、雲雀はじっと寝転がりながら、耳を欹てる。
灰猫
キィキィギィギと、掠れるような鉄の音。擦れあって、始終錆付いてしまっては仕方のないものだと、諦めたような音。
おっかなびっくり、屋上の扉が開いた音だ。雲雀、じっと、気配を消して伏して、けれど、きっと、そんなことをする必要はないのだろうとは、思ったけれど、慎重に。
ひょろひょろと、頼りない体躯の貧相な、少年が入ってきた。足取りは重く、重力に逆らってツンツン跳ねている髪さえ、ひしゃいで見える。
(また、やってきたよ)
雲雀は少年の、沢田綱吉の旋毛を見下ろしながらぼんやりと、頬杖を付いた。
まさか見られているとは検討も付かない、綱吉フェンスにも、壁際にも近付かず、おそらく、グラウンドからも、入り口からも見えないだろう微妙な位置まで歩いていって、それで、それまで両手でしっかりと抱きしめて持っていた学生鞄を、頭につけて、蹲る。
「……っ、ひ…ぅ…」
それで、それで、ひっそりと、空気が振動するように響くのは噛み締めた歯の隙間から零れた嗚咽だ。
周期的なものだ。ヒバリが気付いてから考えるに、三週間に一度というペースで必ず、沢田綱吉は屋上にやってくる。
それで、ひっそり、誰にも悟られぬように、こっそりと、密やかに何か溢れそうになる、感情を堪えている。
彼のことは、ぼんやり当初から覚えている。
弱々しい草食動物で、群れていないと生きられない惨めなもので、それで、それで、貧相な・弱者だ。
何度か目にして、雲雀は苛立ったのを覚えている。典型的な、駄目な人間の手本というようなその沢田綱吉を、ぼんやりと記憶している。
けれど、けれど最近は少々違っていたはずだ。どういうわけか、時々この自分を少しだけ楽しませるような、そんな匂いを一瞬発するような生き物になれてきているらしく、だから、それなりに、気にかけてもいた。
(赤ん坊、野球部の、風紀を乱す不良。最近は、媚び群れることもなくなっていたはずだったけど)
雲雀が一番嫌いな群れ方は、周囲に媚びて輪に入る生き物だ。沢田綱吉はそれだった。いろんなことを諦めて、本心をぼかして、そういう、生き物だった。
けれど、最近は違っていて、群れることには変わりないが、それでも、「良い」状態になっていたように思える。
(だというのに、今現在、彼は歯を食いしばって何かに耐えてる。これって、どういうことなんだろうね)
泣いているのなら、滑稽だ。雲雀は泣いている姿も嫌いだ。泣いて何かかわるわけではないと、よく知っているから雲雀は泣かない。
けれど、綱吉は、別段泣いているわけではない。目からは何も出てこない。ただ、鞄を押さえ込んだ指先が、腕が、繋がった肩が、背中が、怯えるように震えている。雷が来るのを怖がる子供のようだと、雲雀はぼんやり思った。
「ねぇ、」
普段であれば、少なくとも、雲雀がこれまで何度か見た光景そのままであれば、綱吉はここで暫く震えて、チャイムが鳴ると何事もなかったような顔をして、走って教室に帰って行くはずだ。
けれど、けれど、いい加減、雲雀はこの光景をただ眺めているのに飽きてきて、それに、いい加減、詳細を多少なりとも知っておかなければ、自分、気になってしかたがないじゃないかと、ヒバリズム。
それで、声をかけた。
「……っ、」
「ねぇ、キミ、煩いよ」
びくり、びっくりと、振り返った、沢田綱吉。
(阿呆みたいにぽかんとひらいた口、まんまるになった目、それでも、顔色は真っ青だ)
雲雀は綱吉が何か口に出す前に、ひょいっと身軽に軽々と上から飛び降りて、綱吉の前に降り立つ。
「喚いてめっぽうかまびすしいよ。そんなに震えたかったら幽霊屋敷にでも入ればいい」
「ひ、あ、ぁ……お、おれ…その、」
びっくりしていて状況が暫くわからず、ただ呆然としていた眼。段々と、雲雀の存在・声を確認して、先ほどとは違う、カタカタと小刻みに震える。
この方が彼らしい、と、雲雀は思った。これだ、これが、彼、というよりも、何かに怯える草食動物の本来の姿のはずだと、すっきりと、心が晴れてくる。
「俺、その、すいません!!」
ぎゃあ、と悲鳴のような声を上げて、そのまま、沢田綱吉行ってしまおうとする、当然に、雲雀はそれを許すような心根をしてはおらず、ぐいっと、当たり前のように、綱吉の首根っこを引っ張って留めた。ぐえっと、絞めて呻く声。
「まだ僕の話は済んでいないよ」
ぐいぐいと引っ張って、逃げられないように足でも折ろうかとトンファーを取り出すと、なんだか、嫌な予感がした。
「?」
雲雀は手元に目を落として、見た、綱吉の恐怖に引きつった目、の、中。明らかに、不愉快になりそうだと思って、眉を顰める。
「何?」
「え?!い、いえ、おれ、何にもしてないですよ!!?」
その通りだ。雲雀には、何も違和感などない。綱吉の慌てるそのままに、先ほどの状況は何も変わっていない。
ひょいっと、乱暴に綱吉を床に叩きつけ、何がなんだかわからなくて唖然と雲雀を見上げている、間抜けな顔を見つめる。
「ねぇ、沢田綱吉」
「は、はいっ!?」
「君は、」
きみは、といいかけて、雲雀はその後に続く言葉が舌に乗らなかった。おおよそ、彼が言いよどむということは滅多にないことで、それ自体にまず、雲雀は純粋に驚き、そして、これから自分が言おうとしていた言葉が、あまりに本来の沢田綱吉には不適切であったのに、それをさも、当然のように自分が使いかけたことの異常さに、驚いた。
「もういい。行きなよ」
相変わらず肩に羽織るだけの学ランを靡かせて、雲雀、ふぃっと、綱吉に背を向けて自身はスタスタと給水塔に戻っていった。それで、まだ綱吉が呆然と、尻餅をついた体勢のままポカン、と、間抜けな顔で大空を眺めているものだから、雲雀はまた降りていって、咬み殺してやろうかと、そういうフツフツとした思いが沸きあがってきた。
けれども、先ほど雲雀は雲を眺めていたのに対し、綱吉は大空を見上げているのと同じよう、結局はなにをしたって、問題の解決にはならないのだということをよくわかり、雲雀、押し殺すように欠伸を一つして、目を伏せた。
吸い込んだ空気の僅かでも、彼が吐いたものと交わって変化したモノの成れの果てと係わり合いがあるものだったとしたら、ひゅぅっと、喉が鳴ってしまいそうだ。
彼の間抜けな顔、恐怖に歪んだ顔、見慣れている。そういう、顔こそが彼のものだ。というのに、そういえば雲雀、何度かこの屋上で必死に耐えている綱吉の顔を、そういえば、彼はまだ、見たことがなかったのだと気付く。
その顔を見ればきっと、先ほど言いかけた言葉が、今度は本当に「当然」のものとして、すんなり舌先から転げ落ちるだろうと、そういう予感が雲雀にはあった。
けれどその顔を見た瞬間、自分はもう彼を殴り飛ばすことはできなくなるのだとも、解っていて、それは、つまらないとも思う。
(あぁ、患ってしまいそうだよ)
欠伸を一つこしらえて、雲雀、頭上を見上げた。やっぱり、自分の目に見えるのは、雲だった。
Fin
肺病と灰猫、かけてます。わかりずらい。(07/12/26 21時29分)
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