「万に一つもないと思うのだが、まさかこの私に女としての魅力が足りないのか?」 真剣な顔で、眉を寄せ深く考え込むように問われ、ヴィザは即座に「いいえ」と答えた。反射的ではあったが本心からのもの。それで、それだけでは足りぬと思い、一呼吸を置いてから言葉を続けるために肺を膨らませ、ちらりと見えた白いなまめかしいものから意図的に視線を反らした。 「65年生きておりますが、殿下ほど美しく強く聡明で、そして女性としての魅力に満ち溢れた方はおりません」 「全く説得力がないな」 「嘘など、」 心外です、とこちらも眉を潜めれば、ぐいっと、首を掴まれた。呼吸が苦しくなり眉間に皺がよったが、見上げるの瞳に明らかな怒りが見てとれ、ヴィザは目を伏せる。 「お前は、この私が全裸で跨っているというのに、呼吸一つ乱さないじゃァないか」 当然だ。全神経、全力を使って全てを抑えているのである。初心な少年でもあるまいに、己の動揺を外に明らかにすることなどない。ヴィザはこれ以上の機嫌を損ねぬにはどうすればよいのかわかっていたが、しかし、それは選ぶことができない。再度目を開き、覆いかぶさる美しい己の主の、凍える冬の湖と同じ色の瞳を直視する。そこに映るのは、皺の深い老人の顔だった。 「なぜわたしに触れない?ヴィザ」 「どうかお許しください、殿下」 口元に笑みを浮かべ、それだけを告げる。押し倒されたままではこうべを下げることができぬから、目を伏せた。相変わらず掴まれた首元に力がこめられ呼吸が苦しくなるが、しかし、その苦痛すら表には出さない。 「……わたしを好きだろう?」 「えぇ、お慕いしております。私の殿下」 首を絞める手が離れた。お許し頂けたか、とヴィザは目を開き、が己から離れるのを期待した。だがは少し考えるように首を傾げ、そのまましゅるりと、ヴィザの着衣に指をかける。手慣れた仕草、その指先が肌に触れチリリと焼けつくような熱を覚え、ヴィザはグッとの手首を掴んだ。 「殿下」 「……痛いぞ」 「どうか、お許しください」 老人のものとは言えぬ強い力で掴んだ。咄嗟のことで手加減が出来ず、しまった、とは思う。クシャアの顔が苦痛に顰められた。いや、手首の痛みで顰めたのではないことはわかっていた。あからさまに拒絶され、この方の自尊心が傷付けられたのだろう。美しいう顔が悲しみで歪む。それをさせたのが自分であることが胸を締め付けられるように辛く、ヴィザは再び目を伏せる。 何か言わねばならない。いや、言うべきことは決まっていた。もっと早く言ってもよかった。が、己の愛しい殿下が、やっと己の思いに気付き、そして己に恋をしてくれた時に、己はきちんと言うべきだったのだ。 「殿下、私はもう歳です。女を抱きたいという心が湧かないのでございますよ」 「嘘をつくんじゃない。この場で犯すぞ」 「殿下にオルガノンを振るうつもりはございませんが、少々手酷いことをして、諦めて頂くことになります」 ですから、ご容赦ください。再度懇願した。どうかこれで引きさがってほしいと切に願う。先ほどのセリフを吐いただけで、自分は惨めな気持ちになった。だからこれ以上は、暴かないで貰いたい。 ヴィザの書斎の、が寛ぐために置かれたソファに押し倒され、数分。灯りは煌々とともり、はっきりとの肌の白さ、大きな乳房が作る影までなまめかしく目の前に晒される。ぞくりぞくりと己の中でわき上がるものはあった。男の欲だった。手を伸ばし触れ、己の愛撫でその白い肌を紅くしたいと、やわらかな、艶のある身体の線をなぞり唇を這わせたいと、明らかな欲が湧いてくる。今とて、気力と精神力で抑え込んでいるが、己に覆いかぶさる腰を引き寄せ身体から薫る女のにおいを嗅ぎ、その髪に指をからませたいと身体が動きそうになる。だができない。それは、ヴィザの自尊心が許さなかった。 「お許しください、殿下、どうか。お慕いしております。心から、あなたを想っております。ですが殿下、どうか、それだけは、ご容赦ください」 「そんなにわたしに触れるのが嫌なのか」 「いいえ、でん…」 ぽたり、と、ヴィザの頬に水が落ちた。が目を揺らし、唇を噛んでいる。ぽたぽたととめどなく流れてくる涙を、は拭おうとはしない。 「で、殿下」 さすがにうろたえた。 おろおろと、ヴィザは狼狽し。押し倒されている場合ではないと、上半身を引き起こした。その間もボロボロと大粒の涙を流し、終いにはしゃくりあげて嗚咽さえ交るに、ヴィザは更に慌てる。 「殿下、殿下…あぁ…そのように、そんなに泣いては身体に毒だ。どうか笑ってください。あぁ…目が腫れてしまう。いけません、殿下、殿下、いとしい私の殿下、泣かないでください」 ゆれる身体を抱きしめて、しゃくりあげ揺れる頭をゆっくりと撫でる。涙を拭って差し上げたいが、この枯れた指では擦れて腫れてしまうだろうからと、堪え、服が涙を少しは吸ってくれぬかと胸に押し付ける。 「わたしがっ…きらいかっ…!?」 「いいえ、お慕いしております。何度でも申し上げましょう。殿下、あなたを疎むなど…」 「ならなぜ触れない……!!!」 あやすように囁いても涙を止めることはできないようだ。ヴィザは心底困り果てた。泣かせてしまった。己がふがいないばかりに、気高いひとに、惨めな思いをさせてしまった。その事が心につきささる。あぁ、己の保身に入って、の心を傷付けたのだとヴィザは気付く。己の自尊心を守ることよりもこの方の涙を止める事の方が重要ではないか。落涙させるまで気付かぬなど、待ったく情けない。 ヴィザは己の肩に額を押しつけて泣くの肩をそっと掴み、顔を合わせた。ヴィザの膝に跨っているための方が目線が高い。長い髪に隠れた顔を覗き込むようにして、一度、困ったように笑った。どうしようもないことだ。笑えばが、ぐすっとしゃくりあげ、乱暴に自分の目をこすろうとする。それをやんわりと止め、ヴィザはその瞼に口づけた。びくりと驚くの、大きく開いた目を見て、また、ヴィザは笑った。 頬に触れ、掌でゆっくりと輪郭をなぞり、人さし指と中指でやわらかな耳たぶをはさむ。「ん」と、くすぐったいのか息をもらし、眉を顰めるので、今度はくすくすと声を上げて笑ってしまった。が「おいっ」と怒ったように眦を上げたので、ヴィザはまっすぐ見上げたまま、目を細め口を開いた。 「殿下、あなたは美しい。お傍にお仕えして40年以上になる。あなたは老いる事なく、アフトクラトルに君臨する母なるお方。恐れ多いことですが、私はあなたを愛している」 がどういう生き物なのか、長く傍にいたヴィザにもわからない。ただ一人わかるのは、忌々しいことにあのユグドラシルの王だけだろう。チリリと湧く悋気は今は顧みるべきではない。ヴィザは押し込め、目を伏せてから、言葉を待つのために、ゆっくりと、己のシャツの前をあけた。 「私の身体は老いました。枯れて、皺が刻まれ、醜いばかりだ」 ヴィザはから顔を反らした。彼女の目に、己の身体が晒されたのだと思うと惨めな気持ちになる。時の流れは無情であった。いつまでも変わりなく美しいの傍にいて、己はどんどん歳を取る。枯れてゆく。 「私には、あなたを満たすことができない」 自分で言いながら、ヴィザは男としての自尊心が深く傷ついた。酷く情けない、本当に惨めだった。若々しい肉体を欲しているわけではない。己は静かに歳を重ね、それを受け入れている。戦いに身を投じ、老いを自覚する瞬間があっても、それすら楽しんだ。老いてなお剣は鋭く、早い。だが、だけれど、しかし、こればかりは、どうしようもなかった。 触れたいと思う。を、己のものにしたいと思う。だが、若々しい彼女を満たすことはできないだろう。抱いても、己は満足できるが、には満たされぬ辛さを味あわせることになる。 男として、それほど情けないことはない。 それならば、歳を取り、そういう欲求などないと、枯れたのだと思われた方がどれほどマシか。 「どうか、お許しください」 こんな身体を見せ、はさぞ気分を害しただろう。ヴィザは謝るように頭を下げ目を伏せたようとしたが、ぐっ、と、押し倒された。本日二度目である。 「殿下?」 「……か?」 「…はい?」 長い前髪で隠れて見えぬの顔。しかしか細い声で何か呟かれたのはわかった。聞き取れなかったので聞き返すと、今度はぐいっと、首を掴んで引き寄せられた。乱暴な仕打ちは慣れているが、本当に激情家であるなぁと頭の隅で思った。 そのまま罵倒されるかと思ったが、予想に反して唇を塞がれた。驚き、制止の声を上げようと口をひらいたのがいけない。舌が入りこみ、そのまま絡めとられた。体中に電撃が走るような、妙な感覚に痺れる。戸惑うこちらなどお構いなしに、はついばむように唇をはみ、音を立てて軽いキスを何度も繰り返す。首を掴む手とは反対の手が、愛しげにヴィザの鎖骨に触れた。骨と皮の象徴のようなその薄い身体に、肉厚の掌が這う。引き離そうと身体に力を入れた途端、するりとの身体が離れた。遠のく体温に、花のようなにおいに、手が伸びる。あぁ、情けない。 「……殿下、」 「つまり、お前に欲情するわたしは変態か?」 先ほどの呟きの言葉を再度口にしたらしい。怒りを孕み、己を睨みつけるの瞳に、確かに己への欲を見止めてヴィザは度舞う。 「殿下?」 「あー…もういい。っていうか、服、それ、はだけてるの直せ。お前が自分をどう感じてるかなど知らんが。あー…もういい。もうやだ。なんなのこの65歳」 「殿下?何を、」 怒っているのだが、その怒りは、あまり悪いものではないような?そんな気がした。先ほどから無礼しかいていないので、一体どういうことかとヴィザは首を傾げるばかりである。身体を起こし、「あー…あー…もう…あぁ…反則だろ」と呟き床に落ちた服を着ようとするの背を眺めていると、くるり、と髪が揺れて目があった。 「だからお前は!さっさと服をなおせ!」 「こうしたのは殿下ですが…」 「そんな顔でわたしを見るな!!!お前気付いてないのか!!!?」 「ですから…何を……」 困惑する。己の醜い枯れた身体が不快なのかと思うが、しかしの耳は真っ赤だ。先ほどから全裸であったのでお風邪でも召されたのかと不安になって手を伸ばすと、「触るなばか!」と怒られた。 「…申し訳、」 「〜〜〜ッ!!!お前!!色気があり過ぎるんだよ!!!ばか!!あぁもう!!やめろマジで!!!そんな顔するんじゃない!!!もうやだ!!わたしばっかりなんでドキドキしなければならないんだ!!!もうやだこの65歳!!」 もう触れられたくもないのかと心が締め付けられ、謝罪の言葉を吐けば、が大声を上げてその場にへたり込んだ。ぱちり、とヴィザは目を白黒させる。 この方は、今なんと? 「なんなんだ!本当に…なんなんだ!!もうヤダ!衰えてる?枯れてる?その色気でか!!?ヤる気がないなら出すなそんな色気!!!」 「あの…殿下?」 「第一!お前にならどんな抱かれ方をしても構わんというのに…!!男というのはこれだから!妙にプライド高い!お前が触れて名を呼んでくれるなら、わたしは…わたしはそれだけで…」 「」 ぶつぶつと悪態をつくの肩を軽く押し、頭を打ちつけぬよう手を添えて(自分的には)ゆっくりと、今度は己が押し倒した。ぐるん、と突然世界が周ったようで、は目を大きくぱちり、ぱちりと瞬かせている。 「…ヴィ…ヴィザ?おまっ…」 にこにこと、先ほどまでの憂鬱な気持ちが嘘のように、ヴィザは顔を綻ばせた。なにやら若干、の顔が怯えているような気がするのは気の所為だろう。あぁ、愛しい方、とヴィザは額を合わせる。 「いけません。あまりにも嬉しいことを仰るから、もうあれこれ考えるのが煩わしくなってしまう」 「おい…待て?お前なんてシャツのバタン…っていうか片手で器用だな!おいマジで待て!!」 「殿下、あなたを満たせぬとしても、私を求めて下さいますか?」 文句を言うその唇に一度軽く口付けを落とせば、一瞬黙った。それで、真っ赤になっている頬に触れ、再び額を合わせて互いの睫毛が触れるほどに近付き問えば、ぎゅっと、唇を噛んでから、がぐいっと乱暴に口づけてきた。先ほどの味わうような深いそれとは違い、荒々しく、半分やつあたりじみてさえいる。ヴィザはにこにことそれを受け、噛みついてくる唇を優しく受け止めた。 「申し訳ありません。女性の方から言わせようとするなど、男として誠に恥ずかしいことを致しました」 「あぁ!全くだ!」 「しかし私があなたを欲しいというのは気恥かしいので、どうかご容赦ください」 「…今言ったのはなんだ?」 「あぁ、本当ですなぁ」 言えばがフン、と鼻を鳴らした。お行儀が悪いですよ、と窘めれば「このわたしをお嬢さん扱いするな!」と怒られた。不興を買ったようである。ヴィザはにこにこと笑ったまま「申し訳ありません」と全くもって心のこもらない言葉だけの謝罪をする。そのままするすると掌をたっぷりと使い、首から鎖骨、豊かな胸に触れる。くぐもった、堪えられた声が漏れるのでヴィザは首を傾げた。 「おや、殿下、らしくない。あなたが言いたいことを抑えるなど」 「〜〜〜……おまっ…」 「どうぞ存分にお声を聞かせてください。いやぁ、私も歳で耳が遠くなりましたから、少しくらい大声でも問題ありませんよ」 気遣ったつもりであるのに、どういうわけかからは「箪笥の角に小指ぶつけろ…!」という物騒な呪詛を吐かれた。ので、ヴィザは聞かなかったことにして、胸を掌に包もうとしたが、収まりきらなかったのでそれは諦め、顔を近づけて唇を這わせる。びくり、と、身体が揺れた。 「なにやらよいにおいがいたしますな。私は幼年期にあなたに抱き締められたことはございませんが、なるほど、妙に、落ち着く。まぁ今あなたに母親面で抱き締められると、まぁ、私も怒りますが」 「おまっ……近っ…ん…息がかかるから喋るな!!」 「いえいえ、黙りませんよ。老いた私で足りぬ分は言葉で愛させて頂こうと思いまして」 しかしそろそろ色気のない言葉を吐かれるのは止めていただきたいものだ。ふむ、とヴィザはもう少しあとまで触れるつもりのなかったの腰、から下の、足の付け根に手を差し入れた。これには、さすがに声が漏れた。 「おや、随分とお可愛らしい声を聞かせてくださる」 「おま……おまえ……っ……覚えていろよ…!!」 「えぇはっきりと覚えておきましょう。随分と濡れていらっしゃいますので、この乾いた指で触れてもなかを傷付けずに済みそうだ」 息が乱れ色んな感情やら感覚を耐えているらしいに微笑めば、もうこれ以上ないというくらいに顔を真っ赤にされた。ついいじわるをしてしまいたくなるのは己の性格、いや、この場合は性癖とでもいうべきか。ヴィザは「ところで殿下、その両腕で私を引き離そうとされるより、引き寄せるために首に伸ばして頂けますか?」と提案し、が心底悔しそうな顔をしながらも、しかしヴィザがそれまでじぃっと待って何も動かぬ構えを感じとったらしい。しぶしぶと首に腕をまわし引き寄せてくる。ふてくされたような顔が可愛らしかったので瞼に口づけると、ぶすっとしながら、が「抱いてる間…殿下って呼んだら二度とやらんからな」と呟いた。 「おや、それは難しい」 「女心を理解しろ!」 「私にとって「私の殿下」とお呼びすることは愛の囁きと同じなのですよ?」 しれっと言えばまた真っ赤になった。声を上げて笑い、ぎゅっと一度強く抱きしめる。抑えていた震えが、もう抑えきれぬほどになった。身体を抱きしめ、己の震えを堪えようと目を閉じる。ふわりと花の香りがして、先ほどまでとは違う、やわらかな仕草で背に腕が回された。その事に、ここまでしておいて、全く持って情けないことに、心から安堵する。 「お許しください殿下。やはり、あなたが欲しいのです」 (いとしいひとよ) FIN Created by DreamEditor |