どうどもどうやらイライラっとする。

全身をぬっぺりとした妙なもので拭われたあとの不快感にも似て、しかし結局のところはっきりとした理由なんかないから更に悪化する始終。どうしようもないこの衝動をなんとか落ちつかせたくては白衣のポケットに左手を突っ込んだ。

常に常備している銀色のライターと、赤いパッケージの煙草。そういやァ今まで研究室にいたから吸えなかった。ただのヤニ切れか?と思い出し顔を顰める。煙草を手にして少しだけ落ちついてきたのか、そんな冗談を言う余裕がうまれたのだろうか、それなら重症だな、依存者め、と煙草を咥える口元にうっすらと自嘲を浮べてはライターを押して発火させるのだけれど風でなかなか火は安定しない。片手を添えればいいが、生憎現在彼女の腕には本来あるべき右腕が無い。肩から本来あるべき塊は見受けられず、中身のない白衣の袖が風に無様に揺れる。

「あぁ、チクショウ。煙草も吸えねェのか」

家の中に入れば風は無いが生憎001こと電子頭脳のイワンがいる。煙草なんか吸おうものならフランソワーズに即効取上げられるので家の中のだれぞに頼む、ということができない。没収、それも箱ごと容赦なくあのフランス娘はしてくれやがる。今日は誰も町に買い出しに行かなかったからこれで在庫切れ。しかももう3分の1しか残ってないのでとしては死守せねばならないところ。

となれば、まぁ、どうにもこうにも今この状況で煙草を吸うのは無理らしい。舌打ちして咥えていた煙草を箱に戻した。(普段であれば吐き捨てる、ということで苛立ちまぎれもあろうが、そんなこともできず、それで一層ストレスがたまった)

「使うかい?博士」

と、そのの歯軋りが窓の開く音と、人が歩く音、掛かってきた声に重なった。風で飛びそうになった帽子を抑えながら振り向き顔を歪める。

「よォ、アルベルト・ハインリヒ」

振り向いた先には死神と呼ばれる男の相変わらず綺麗に整った顔。銀色の髪と夜の中に光る瞳をしたその人造人間は口元に笑みを浮かべながら手にマッチを持っていた。ほうほう、と感心したが目を細め煙草をもう一度咥えなおすとアルベルトはマッチをこすって火をつけた。風で火が消えそうになったが両手のある彼は片手で火を守る様に覆う。火は消えなかった。顔を近づけてはやっと煙草を吸う事ができた。

フゥ…と一息肺にいれてやっと落ち付いて来たのかは冒頭の時より穏やかな気持ちでアルベルトに礼を言った。どんだけ中毒だ、と銀目の男がからかうような顔をしたが言葉に出せば「博士」の興を殺ぐと思うたか、素直に礼を受け入れるよう眦で答えた。しかし、どうやら彼はそのままそこに居座る気らしくマッチを自分の上着のポケットにしまうとの隣に立って星を見上げる。

「フランソワーズと、イワンはまだリビングにいんのか?」

このテラスからは海と山が一望できるが夜の星だけでも充分美しかった。だがそんなものを愛でる感情など持ちあわせていないは煙草の煙をぼんやりと見つめながら隣に無言で佇むアルベルトに問いかけた。

彼としても眺めているだだったのでそれを邪魔されたとは思わずに短く肯定し答えてきたもので、はじゃあまだ入れねェなァと肩を竦めた。

そうして少しの間互いに無言でいる。はゆっくりゆっくりと煙草を味わい、アルベルト・ハインリヒはその間じぃっと夜の星空を見上げている。どちらかといえばこの男、リアリストの皮を被ったロマンチストであるとは見込んでいるので、こうして無感情な顔をしながらもこの星空になんぞ思いを馳せているのだろうかと紫煙を吐き出しながら思う。それなら己が邪魔立てすべきことではなく、火の礼もあり、この一服が終わったら早々に退散してやるのも良いだろうと、珍しくそんな人の思いを察していれば、ふとアルベルト・ハインリヒがこちらに顔を向けた。

「そういやァ、ドイツの風習に『女が男に煙草の火を貸すのは、その男に押し倒されてもいい』というのがあってな、以前002にからかわれたことがある」
「なんだ、てめェおれに押し倒されてェのか?」

間髪いれずには突っ込んだ。くくくっ、と笑いながら言えば。「バカ言え。俺は男だから関係ないんだ」とアルベルトが肩を竦めた。他愛のない話をして、そこからなんぞ切り出そうとする男の素振り、気付かぬわけではなかったがは一瞬沸いたこの「面白いことをいう坊やだ」という感情をすぐに押し込めるのがもったいなく、ひとしきり笑う。

「…………なぜ俺を庇った」

そうしてその暫く、の笑い声が勢いをなくしていくと、じっと、アルベルトがの無くなった右腕に視線を送って尋ねる。これが本題であろう。煙草の火を持ってきたのも、彼にしては珍しく気安いジョークのようなことを言ってきたのも。

「別に庇っちゃいねぇさ」
「だが、」

食い下がるアルベルトの口には己が銜えていた煙草を押し付けた。

彼としては、自分の所為で女である自分が負傷した事が許せないのだろうが、にとっては笑って済ませられること。なんでもないことである。

(先の戦闘で00メンバーが負傷した。戦力の要である004が重症を負い、ブラックゴーストに回収されそうになった。それをおれが間に飛び込んで止めた。別段慈悲の心やジョー御得意の仲間のためってやつじゃァねぇさ)

「気にするな」

ぽん、とは気軽に言ってアルベルトの肩を叩く。硬質な素材でできた身体は冷たく、この男は真に機械であるというのにどうして00メンバー、誰一人としてなくさぬ「人間の心」ゆえの熱さ。は心底おかしく思え、気にする、と引き下がらぬ004の綺麗な顎をぐいっと掴んだ。

「おれを見縊っているのか?この程度の怪我も治せぬと?」
「…いや、もちろん、お前さんが有能な医療学者であることは知っているし、理解もしている。だがそれでも戦いは俺たちの役目だ。あんたが傷つく必要はない」

あぁなんて可愛らしい男だ!

はくつくつと笑い出したくなるのを押さえた。なんともまぁ、なんと、まぁ、愛らしいことを言うのだろうか。アルベルト・ハインリヒ。00ナンバー4のこの男、死神だなんだといわれる機械人間。全身武器のその男。しかしどんなにおっかないオプションがあろうがなんだろうが、の目には可愛らしくてしょうがない。

冷静沈着00メンバーの司令官、だなんだかんだとご大層に呼ばれニヒルな笑みを浮かべていようと、しかしそれでもやはり、やっぱりこの男も「正義のヒーロー」の一員であるのだ。

先ののその行動。自己犠牲の一端とでも思ってくれているのだろう。「おれは多少のことじゃ死なねェんだ。だから仲間が疵付くならおれが盾になる」などとそんな思考の末にが行動したと、そう思ってくれているらしい。今まで失う者が多すぎた哀れな博士は自分自身を犠牲にすることでしか他人を護れないのだと、そう、思ってくれていて、その上で「俺はお前さんが犠牲にならなくても死なない」と、そう「教えて」「信頼して欲しい」と、そうしているのだろう。

優しい男、なんとまぁ、愛しい男であろうか。

は目を細め、自分をじっと見つめてくるハインリヒの銀の目を覗き込んだ。

(この真っ直ぐな目に突き付けてやりたくなる。おれがお前を庇ったのは、お前のデータをスカールに渡したくないだけで、または、おれがあの場でお前を庇わなければおれの可愛いジェットがお前を庇って負傷したからで、別段お前を護りたいなどというご大層な心じゃァねぇんだと!)

大体にして00ナンバーの連中は己ら科学者に甘すぎる。今は改心してようがなんだろうが彼らを嬉々と改造し、そして今現在もちょっぴり良識の足りないギルモア博士を「博士は俺たちの大切な人だ」「親のような存在なんだ」と護り尊敬していたり、ギルモア博士の指示ならどんなことでも聞くというその姿勢。

「ま、それでこそお前らだろうよ」

ふふ、とは息を漏らすように笑い、アルベルトの頬に唇を押し付けた。

博士!」
「ふ、ふふ、ふふふ!まぁそうカッカするんじゃァねぇよ。お前がおれに怪我をして欲しくないと思うように、おれにだって思う心がある。もちろんてめぇを怒らせてぇわけじゃねぇんだから、もう言ってくれるなよ」

恩を着せるわけではないが庇って怪我をしたのはこちらなのに小言はまっぴらだ、そう困った顔で笑えばぐっと、男が言葉を詰まらせた。それを見てはまたさらに笑い、アルベルトの口から煙草を回収すると、もう一度ゆっくりと煙を吸い込んだ。

「安心しろ、培養してあるおれの腕は今夜中にできあがる。明日の朝には何もかもが元通りさ」




Fin

(2005/10/21)