「ねぇ、恋に年齢なんて関係ないわよね?先生」
「未成年に手を出したら犯罪だからわたしは応援できないぞ、ミス・カリーナ」
診察を終えぱちん、とボールペンを鳴らしてカルテにあちこち書き込みながらはそっけなく答えた。
『バツ1子持ち』『妻とは離婚ではなく死別で今でも愛している』『娘溺愛』『ヒーロー名は妻と一緒につけました』『指輪を外す気はありません』などと狙うには乗り越えなければならない問題が多すぎる物件であるけれど、そんなことをまるで障害にしないほどワイルドタイガーこと鏑木・T・虎鉄は魅力的過ぎると夏目は信じている。しかし、それであっても目の前の、未だ「現役女子高生」という看板を背負っている少女を前にして持論を繰り広げようとするほどは無責任ではなかった。
午後の医務局、の診療室は現在一昨日起きた強盗事件の犯人確保に一役買ったブルーローズことカリーナ・ライルが治療を受けているのみで秘書のオーレリアも不在である。カリーナは一昨日からすれば随分と具合のよくなった頬を肉付きの薄い手のひらで撫でながらぶすっと顔を顰めた。
「もう、ちょっとくらい恋バナに乗ってくれたっていいじゃない」
「ミス・カリーナ、あなた、ここには治療に来ているのでしょう。妙なことにとらわれていないで一日も早く傷を治すことに専念してください」
はい、とは今朝方煎じておいた薬をカリーナに寄越してくるりと椅子を回す。
「ヴィジュアルが売りのアイドルヒーローが顔を腫らしたままでいるなんていけません。NEXT能力者はその気になれば自己回復能力を常人より高めることができるのですから今日はもう早退して風呂にゆっくりと使って休みなさい」
「ねぇ、先生。あたしね、殴られた時に怖かったのよ」
もう浮ついた話はごめんである。とっとと帰ってくれと全身で訴えているのに、突如カリーナは先ほどまでの声とは打って変わった、静かな、年頃の娘が時々周囲がはっとするような大人びた、世を知る冷たい声を出す、そういう様子によくにた声での背に言葉を投げてくる。
「知っているよ」
この声に、は彼女を数少ない同姓の、歳の近い「友人」と認めており、その彼女が「深刻な話をしたい」と切り出していることを知り、無視するわけにはいかぬとまたクルリと椅子をまわして、先ほどと同じく診察椅子に腰掛けている歳若い娘を見上げた。
そうしてじっと、こちらを見下ろしてくるカリーナの目を見、しぶしぶ、とは口を開く。あまり言いたいことではないが、彼女が「そのように」と求めている。友として断れる部類のものではないし、また、これが「被害者に対する医者としてすべきメンタルケア」であるとわかっていた。
「あなたはいつものように傲慢に、高圧的に、犯人を追い詰めた。凶悪凶暴な犯罪者もあなたの氷の前には太刀打ちできない。あなたは美しい女王のまま氷の山に君臨していた。その映像をわたしは、夏目はきちんと見ていたよ」
「そうよ、あたしはブルーローズ。ヒーローで氷を操るNEXT、どんな男だってあたしの氷が完全ホールド。あたしはおびえることなんてこれっぽっちもないの」
「けれど犯罪者の一人が、屈強な男の一人が、凍りついた腕をそのまま乱暴に力任せに砕いてしまって、己らを足蹴にするあなたに一矢報いようと、自らの凍った腕や体がどうなるのも構わずにあなたの顔を殴り飛ばした」
その通り、とカリーナがブルーローズの顔で頷く。
言葉にすればたったこれだけで済むことである。だがあの瞬間、しっかりとヒーローTVで流されていたその映像。たった一瞬ではあったけれど、「些細なこと」とはなってくれぬ出来事であった。
は真顔でいるカリーナが今何を考えているのか探るべきか迷ったが、それよりも、彼女の両親、とりわけ普段は彼女の活動に大声で抗議せぬ中々に理解のあった父親がブルーローズの所属するタイタンインダストリーに初めて抗議のため訪問したことを頭の中で思い浮かべた。
(凍りついた男の拳で、なりふり構わぬ腕力で16,7の娘の貌が殴られた。それを目の当たりにして黙っていられる親じゃぁないだろうね)
この三日間もずっとひっきりなしにタイタンインダストリーの社長室で揉めているようで、それはには関係ないけれど、一度カリーナの父がの診療所を訪れ、まだ幼いこの己に対し、大の大人がふかぶかと頭を下げた、そのことは印象的であった。
「怖かったのよ、先生。あたしね、とても怖かったの。だって、あたしの氷で動けなくしたはずなのに、あたしはあたしの能力を信じて、それだからどんな相手でも怖くなんてなかった、それなのに、あいつはあたしの氷をものともしないで、あたしを「傷つけよう」って目で向かってきたのよ」
その恐怖、わかる?と小さな声が問う。
は「わからない」と首を振って答えながら、正直なところ、わからないわけじゃないと思った。
と比べれば年上ではあるが、しかしそれでもカリーナはまだ「娘」で、本来であれば親元で庇護されているべき年齢である。その娘が世に縛られぬ無法者を相手に(素手の相手だけではあるまい。銃やらナイフやらはあってあたりまえの連中)日々立ち向かう。一体それにどれほどの勇気がいるであろうか。いや、幼いからこそ恐怖心というものが芯からなかったのかもしれぬ。御伽噺のヒーローになれたような「あたしは強いからどんな相手でもバッタバッタやっつけるのよ!」と息巻いて挑める無謀さを持つ若者であったから、これまで彼女は女王のように振舞うことができたのであろう。
だがそれが、一昨日、彼女は現実に引き戻された。
お前は無敵ではない。お前はスーパーヒーローではない。なりきれない。その薄い化粧の下にはあっさりと小娘の弱さが潜んでいる。と、そう世の中に突きつけられたような、そんな暴力がカリーナを襲った。その映像をありありとは目にして、そして自分が考えていたのは、いかにカリーナの頬の傷を残らぬようにするか、という治療手段であるがまぁそれは今関係のないことである。
「辞めるのか、ヒーローを」
冒頭恋バナ☆なんて冗談めかしていたカリーナを思い出しは問うてみる。この話題とはまるで脈絡がない気もするが、しかし、友と思いながらも「医者・患者」という関係を貫き互いに「ミス・カリーナ」「先生」と接してきた己らである。恋バナ、などと浮ついた話をするのは相応しからぬこと。それを「求めた」ということは、彼女がこれまでの互いの関係を崩そうとする試みであるのかと、そう勘ぐってみる。
「まさか。あたし、辞めないわよ。絶対」
彼女がヒーローを辞めたら己はどう思うであろうかとが答えにいくつく前に、一瞬前までのどこか暗い表情をしていた娘はにこり、と微笑んでみせる。そんな心配しないで、というような顔である。
「だって、あたし、確かに怖かった。怖かったけど、でも、あの犯人に殴られて、自分に何が起きたかわからなくなって、でも怖くて体がちっとも動かなかった。その時に、見ちゃったんだもの」
何を、とは問わなかった。愚問である。はカリーナが幸福そうに微笑む、その正面にありながら頭の隅で彼女が「殴られた」その時の映像を再生しその直度に起きたものを見る。
ブルーローズが殴られた。悲鳴を上げる間もない一撃、そのまま男が乱暴に彼女の細く首を掴んで暴力を続けようとした、が、その後に暴力を受けたのはブルーローズではなくて、その男自身であった。
「ヒーローがね、いたの。ワイルドタイガーが、怒鳴りながら、もうワンハンドレットパワーも時間切れで使えないっていうのに、大声で怒って、あたしを殴ったそいつを怒ってくれた。呆然としているあたしの顔を見て、泣いてくれた。女の子なのにって、殴るなんて酷いって、言って、あたしを抱き上げて走って先生のところまで運んでくれた」
「ミス・カリーナ」
「だから、大丈夫なの。もう何も怖くないわ。あたしはまだ、ヒーローでいられる。ヒーローはいるんだもの、あたしは、ヒーローを続けていられる」
ゆっくりと語るカリーナの声、宝石箱の一番大切なものを仕舞う鍵つきの場所にひっそり隠したものをこっそりと見せてくれるような、そんな響きを持った声には眉を寄せる。
(あぁ、彼女は)
まだ夢を、見ている。
現実はこうだと厳しく突きつけられたその出来事を、悪夢のような出来事をあっさりと、あっという間にワイルドタイガーは反転させてしまった。彼にはそういう魅力がある。ひとたらしの才能のような。他人の痛みを自分のことのように感じて、そして他人の幸せを一緒になって喜んでくれる、そういう美徳の持ち主である。
その彼は夢から覚めそうだった彼女を「まだ起きるのは早い」と、そっと寝かしつけるようにまた夢の中に横たえた。
は、自然界には存在しない青薔薇。人工的に作り上げられた美しい風体を目にしたようなそんな心持ちでじっとカリーナを見上げる。別段虎鉄に悪意があるわけではない。当然だ。彼は感情のままに動いている。それが好ましい。誰が悪いわけではない。
だが、ワイルドタイガーがヒーローらしくなければ、あるいはあの時にブルーローズの前に現れなければ、きっと彼女はこの出来事を境にこの世界を去り女子高生としての日常を受け入れただろう。現実の厳しさ恐ろしさ、まだまだ己が飛び込むには未熟とそう悟ったに違いない。
だがそうはならなかった。
何もかも、誰も彼もが悪いわけではない。そういう「状況」がただ続いてしまっただけのこと。わかっている、と、は頷きそして目を伏せる。
「タイガーさんを好きになった、そう自覚したって、素直に仰ってくれればわたしもそれなりの対応をしましたよ」
冒頭を思い出し、いろんな感情がわきあがりながらもそれでも踏み込むことを無礼と思って、はそれだけ告げることにした。
Fin
(2011/12/05 22:19)
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